兵庫芸術文化センター管弦楽団
第100回定期演奏会
レヴィ×アンデルシェフスキ
東欧・ロシア音楽の魅力
【日時】
2017年10月8日(日) 開演 15:00
【会場】
兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホール
【演奏】
指揮:ヨエル・レヴィ
ピアノ:ピョートル・アンデルシェフスキ
管弦楽:兵庫芸術文化センター管弦楽団
【プログラム】
コダーイ : ガランタ舞曲
バルトーク : ピアノ協奏曲 第3番
プロコフィエフ : 「ロメオとジュリエット」組曲 より
第2組曲 第1曲 モンタギュー家とキャピュレット家
第2組曲 第2曲 少女ジュリエット
第1組曲 第5曲 仮面
第1組曲 第6曲 ロメオとジュリエット
第2組曲 第4曲 踊り
第2組曲 第5曲 ロメオとジュリエットの別れ
第2組曲 第6曲 アンティーユ諸島から来た少女たちの踊り
第2組曲 第7曲 ジュリエットの墓の前のロメオ
第1組曲 第7曲 タイボルトの死
※アンコール(ソリスト)
バルトーク:3つのチーク県の民謡
※アンコール(オーケストラ)
チャイコフスキー:「白鳥の湖」 より ハンガリーの踊り
PACオケの定期演奏会を聴きに行った。
というより、私にとっては、アンデルジェフスキを聴きに行った、というほうが正しい。
せっかくのPACオケの記念すべき第100回定期なのに、申し訳ないのだけれど。
今までで一番感動したコンサートは?と聞かれたら、多くの方の場合、答えに窮するのではないだろうか。
私も例に漏れず、一つの演奏会だけ選ぶなんてことはとてもできない。
ただ、その候補として必ず挙げるであろう演奏会に、2010年のワルシャワでのアンデルジェフスキのリサイタルがある。
この年、ショパン生誕200周年記念の音楽祭があったため、私は意を決してヨーロッパへ、それもポーランドはワルシャワへと繰り出したのだった。
このときはブレハッチ、ポゴレリチ、ペライア、オールソン、ゲルナー、ケナー、オレイニチャク、デミジェンコ、キーシン、バレンボイム、アンスネス、ユンディ・リ、ダン・タイ・ソンといった錚々たるピアニストたちの演奏を連日のように聴くという、何とも贅沢な経験をした。
そんな中にアンデルジェフスキのリサイタルもあったのだが、上記のような錚々たるピアニストたちに挟まれていたし、彼のバッハのイギリス組曲第6番やベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番のCDがそれほど好きでなかったのもあって、当初はあまり期待していなかった。
しかし、その演奏は、もう本当に、驚くべき素晴らしさだった。
そのときの曲目は、
J.S.バッハ:イギリス組曲 第5番 ホ短調
シューマン:ペダル・ピアノのための練習曲 (6つのカノン風小品)
シューマン:暁の歌
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調
というものだった。
バッハではペダルを全く使わず、シューマンでは使うけれども最小限だった。
にもかかわらず、いやだからこそと言うべきか、実に純度の高い美しい響きが実現されていて、バッハのフーガやシューマンのカノンなど、対位法的な部分もきわめてクリアに聴こえ、それぞれの声部が本当に「対話」しているかのようだった。
こう書くとまるでシフのようだけれど、シフのようにアーティキュレーションやデュナーミクを細かく工夫するというわけではなく、もっと淡々とした表現なのに、それでも各声部がきちんと独立して聴こえてくるのだった。
そして、音の美しさ!
美しいといっても、昨日聴いた山本貴志のような、甘いロマンティックな音とは、また違う。
一つ一つの音が光沢を放っているような、透明度の高い音で、一つ残らず磨かれきっており、その美しさといったら、「天上のオルゴール」とでも言いたいような類のものだった。
このような音は、後にも先にも、私は聴いたことがない。
これらの曲は、彼自身によりスタジオ録音もされていて、もちろん素晴らしいのだけれども、それらの録音には、このときの演奏会で経験した美しさのうち、ごく一部しか収まっていないように思う。
J.S.バッハ(NML/Apple Music)
シューマン(NML/Apple Music)
ベートーヴェン(CD)
この演奏会は、上記の錚々たるピアニストたちのどの演奏会よりも感動的だったばかりか、私の聴いた全演奏会をあわせても、このときほど強い感銘を受けたものは数えるほどしかなく、私には忘れることができない。
そんなことがあったため、今回の演奏会には大きな期待をもって出かけたのだった。
曲目は、バルトークのピアノ協奏曲第3番。
この曲の録音で私が好きなのは
●ラーンキ(Pf) フェレンチク指揮ハンガリー国立管弦楽団 セッション盤(NML/Apple Music)
あたりである。
この盤を大きく上回る名演が聴けるのではないか、と期待していた。
しかし、聴いてみての感想は、「思ったより普通の演奏」だった。
第1楽章冒頭、両手のユニゾンで奏される第1主題は、どれだけ絶妙なニュアンスを込めた演奏になるだろうかと期待したが、実際にはとりわけ美しいというわけでもなかった。
ところどころ出てくる分厚い和音は、確かに余裕のある力強い打鍵だったけれど、それほど輝かしい音とは感じなかった。
第2楽章の弱音の部分も、確かに美しくないわけではなかったけれど、とりわけ繊細な音が聴かれたかといわれると、そうでもなかった(むしろ、弦楽器群の音のほうが美しいと感じたほど)。
テクニック的には、全体に概ね安定していたが、第1楽章再現部にはやや指がもつれかけたような箇所もあった。
第3楽章のフガート部分も、速いテンポだったということもあってか、とてもよくコントロールされたというよりは、やや余裕のなさそうな演奏だった。
これらは、ちゃんと弾けているという上での、贅沢なレベルでの印象なのだけれど。
もしかしたら、彼は協奏曲が得意ではないのかもしれない。
あるいは、この曲が苦手なのか。
もしくは、今回の楽器との相性の問題か。
かつての、天上の音楽のようなバッハやシューマンは、いったい何だったのだろう、記憶が美化されているのか…。
ひょっとすると、誰にも等しく襲いかかることとなる「衰え」の兆候が、彼にもまた少しばかり表れている、ということなのかもしれない。
ただ、アンコールでは、かつてのワルシャワでの彼の音を思い出させるような、よく通る美しい弱音が聴かれた。
強音では、ややきつめの音もあったように感じたけれど、弱音は確かに美しかった。
協奏曲を聴いて何とも寂しい気分になっていた私だったが、アンコールで少し元気になった。
なお、他のプログラムについて。
コダーイのガランタ舞曲は、私はあまり聴き慣れていないが、ハンガリー狂詩曲風の楽しい曲だった。
プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」より抜粋は、確かに最初の「モンタギュー家とキャピュレット家」の冒頭2回の暴力的な最強音は、生で聴くとさすがに迫力があったし、その他の部分にも聴くべきところはいくつかあった。
しかし、私はこの曲では
●西本智実 指揮 日本フィル 2000年4月11~13日セッション盤(CD)
がもう耳にこびりついてしまっている(ほんの短い抜粋版だけれど)。
ここでの日本フィルは、ゲルギエフ盤におけるロンドン響や、アバド盤におけるベルリン・フィルに比べると、音の芳醇さとしてはどうしてもかなわないのはやむを得ない。
弦の高音部など、きつい音になってしまっている箇所もある。
しかし、全体的には、西本智実の棒のもと、この曲のロマンティシズムを表現しつくしているように、私は思う。
上記の「モンタギュー家とキャピュレット家」冒頭2回の最強音も、緊張感みなぎる最弱音から、すさまじいまでの迫力をもつ最強音へのドラマティックな変化がよく表現されていて、まるで「最後の審判」か何かのようである。
そして、「ロメオとジュリエット(バルコニーの情景)」や「ロメオとジュリエットの別れ」は、繊細な高音といい、うねるような低音といい、本当に美しい。
海外の超一流のオーケストラでなければ名演はできない、という意見にも一理はあるが、その良い反例ではないだろうか。
つい先日、西本智実は東京で「ロメオとジュリエット」の全曲バレー上演をしたようであり、できれば聴きに行きたかったものである。
ともかく、そんな西本智実盤とつい比べてしまって、今回の演奏からは大きな感銘を受けることができなかった。
ただ、定期演奏会にもかかわらず、アンコールをやってくれるという心意気は、何とも嬉しい。
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