リード希亜奈 大阪公演 リスト ピアノ・ソナタ ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

リード希亜奈 ピアノリサイタル


【日時】
2017年8月25日(金) 開演 19:00 (開場 18:30)

 

【会場】
ヤマハミュージック 大阪なんば店 2F サロン

 

【演奏】

ピアノ:リード希亜奈

 

【プログラム】
ベートーヴェン:ピアノソナタ第26番 変ホ長調 Op.81a〈告別〉
ブラームス:3つの間奏曲 Op.117
リスト:ピアノソナタ ロ短調 S.178

 

※アンコール

ショパン:マズルカ イ短調 op.17-4

ベートーヴェン:エリーゼのために

 

 

 

 

 

リード希亜奈のピアノリサイタルを聴きに行った。

彼女の演奏を、私は2015年浜松国際ピアノコンクール(浜コン)のネット配信で初めて聴いて、感嘆したのだった。

そのときの曲はベートーヴェンのピアノ・ソナタ第30番と、カプースチンの変奏曲op.41で、そのライヴCDは今でも愛聴している。

それから2年近くたって、ついに彼女のコンサートを聴くことができた。

 

期待に違わぬ演奏会だった。

そもそも、彼女はその辺の人とは全く違った、「ピアニストになるための手」ともいうべき、大変立派な手を持っていた(小さな会場だったので、手がよく見えた)。

そして、指のくぐらせ方など、あまりに自然で滑らかなので、どこでどうくぐらせているのか、よく分からないほどだった。

 

 

最初の、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第26番「告別」、これからして大変素晴らしかった。

「ベートーヴェンだから」とがんがん力んだ音を出すのではなく、柔らかな音なのに、演奏は力強く充実しており、また音楽の流れは常に自然。

音色も爽やかで美しい。

和音による音階風パッセージや連打、急速なアルペッジョといった難しいであろう部分も、きっちり決まっている。

終楽章の第1主題、最初は高音部で奏されるこの主題が、順番に低音部へと受け渡されていくのだが、そのつど主題が生き生きと歌われていたのも、印象的だった(低音部で奏される主題は、「ただ弾くだけ」になりがちな気がする)。

浜コンでの第30番の素晴らしさといい、彼女はもしかしたらベートーヴェンが得意なのかもしれない。

 

次のブラームスの「3つの間奏曲」 op.117も、もちろん素晴らしい演奏だったし、声部ごとの描き分けもしっかりされていて感心した。

ただ、ブラームス晩年の曲にしては、少し爽やかすぎるかな、という気もした。

こういった曲は、例えば石井楓子がうまいように思う(先日の演奏会でのop.119の演奏がとても良かった)。

 

 

そして、メイン・プロの、リストのピアノ・ソナタ。

これは、圧巻の演奏だった。

この曲は、彼女のイメージとは少し違うかな、と聴く前は思っていたのだったが、どうしてどうして、この曲の良さが最大限に引き出されていた。

 

ロマン派のピアノ・ソナタを代表するとされるこの曲だが、屈折したような独特の和声進行、極端に大きな強弱の幅、ヴィルトゥオーゾ風の派手な奏法といった、ある意味で「ゲテモノ的要素」とでもいうべきものが多分に含まれているというのは、否めないところである。

しかし、彼女が弾くとそういった「夾雑物」が落ち、何とも正統的なソナタに生まれ変わる。

「夾雑物」という表現はさすがにひどいかもしれないが、そのような感覚を受けた。

今まで、ツィマーマンやデミジェンコによる同曲録音が好きでよく聴いていたのだが、比較的端正と思っていたこれらの演奏も、今回改めて聴き直してみると、リード希亜奈の演奏に比べ、そういった「ゲテモノ的要素」がより前面に出ているように感じた。

低音部において主要な動機をフォルテ(強音)で奏する際、急にテンポを落とし、ずーんと重い弾き方になったり、逆に急速な部分ではとことん速くなったり。

何となくものものしい、おどろおどろしい雰囲気がある。

これはこれで、リストの重要な一側面ではあるだろう(悪魔的、と言ったらいいだろうか)。

 

だが、リード希亜奈の弾くこのソナタは、実に端正なのである。

もったいつけたような弾き方をする箇所は、少しもない。

フォルテはフォルテで十分に力強いながらも、力強すぎて「爆演」風になることがない。

適度に力強く充実した、何とも聴きごたえのあるフォルテである(しっかりと腕が「脱力」できているのだろう!)。

経過句の細かなパッセージや急速な部分も、ことさらにヴィルトゥオーゾ風に味付けすることなく、自然な音楽の起伏の中で、かつ明瞭性を失うことなく(つまり分厚いペダリングでごまかさずに)奏される。

抒情的な第2主題も、上記のツィマーマンやデミジェンコはきわめてロマン的に奏するけれども、リード希亜奈の場合は意外と淡々としている。

まるで、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第32番、第1楽章の第2主題のような、さらりとした扱いである。

最初は驚いたし、グレートヒェンを表すともいわれるこの美しい旋律のロマン的な解釈も捨てがたいが、「ソナタ」という枠組みの中でのバランスを考えると、第2主題はこれくらいの扱いが一番良いのかもしれない、とも感じた。

彼女が弾くと、この曲からゲテモノ的、キワモノ的、巨大趣味的な要素が後退し、むしろ、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ群の、直接の延長線上にある曲のような印象を受ける。

あたかも、「ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第33番」とでもいったような。

 

そして、彼女の演奏は本当に細部まで神経が行き届いている。

フレーズのつなぎ方と切り方、音楽の波の盛り上げ方と収め方、音量の配分のしかた、こういったこと一つ一つにこだわりが感じられる。

最初の、ユニゾンによるぶつぶつつぶやくようなスタッカートから、最後の、突然曲を終わらせるかのような低音の小さな一音に至るまで、どのような音を出したいか、よく考えられている感じがする。

こだわりといっても、ツィマーマンのように少しもったいぶった神経質なやり方や、ポゴレリチのように異端的でマニエリスティックなやり方とは違い、あくまで自然体なのである。

技巧面ではツィマーマンやデミジェンコのほうが若干余裕があるかもしれないが、この曲の表現力や完成度では決して彼らにひけを取らないし、むしろこの曲において私の一番好きな演奏と言ってもいいかもしれない。

どうか、録音してくれないものだろうか。

 

 

ところで、2015年の浜コンでは、リード希亜奈のほかにも何人もの日本人ピアニストたちが活躍したのだったが、その中でも彼女と並んで印象深かったのが、天川真奈だった。

彼女の弾くラヴェルの「オンディーヌ」、絶品である(CDも入手した)。

今回、リード希亜奈の演奏をついに聴くことができたので、次はぜひ天川真奈の演奏を聴いてみたい。

できればあの「オンディーヌ」を、いつか生演奏で聴いてみたいものである。

 

 


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