大阪音楽大学 2016年度 大学院1年 修士リサイタル(第三夜) | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

2016年度 大阪音楽大学 大学院1年 修士リサイタル(第三夜)


【日時】

2017年02月23日(木) 17:30 (開場) 18:00 (開演)


【会場】
大阪音楽大学 ミレニアムホール (大阪)

 

【出演】

ピアノ:

水谷 友彦 (1)

楊 清舒 (2)

 

【プログラム】

リスト:パガニーニ大練習曲 (1)

(1. トレモロ 2. アンダンテ・カプリチオーソ 3. ラ・カンパネラ 4. アルペッジョ 5. 狩り 6. 主題と変奏)

 

ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」 (2)

ファリャ:バレエ「恋は魔術師」より 火祭りの踊り (2)

 

 

 

 

 

今日も、昨日に引き続き、大阪音大の修士リサイタルを聴きに行った(昨日の記事はこちら)。

1人目の水谷さんは、リストのパガニーニ大練習曲を全曲、というプログラムである。

この難しい曲集を全曲一気に生演奏で聴ける機会など、滅多にないだろう。

意欲的な選曲が大変嬉しい。

演奏のほうも、なかなかがんばっているように思った。

とはいえ、私はあの超絶技巧ピアニストのアムランによる録音を聴き慣れてしまっているため、かなり贅沢な聴き手になってしまっている。

第1曲目は、もう少し旋律を美しく際立たせて滑らかに歌ってほしいし、第2曲目では下降音型をもう少し明瞭に聴かせてほしいと思ってしまう(いわゆる、玉を転がすようなタッチがほしい)。

ただ、第3曲目(有名な「ラ・カンパネラ」)ではパキッとした音色による小気味よいテンポが魅力的だったし(和音のスタッカートによる下降音型などはやや不明瞭になってしまっていたが)、第4曲目ではゆっくりめのテンポながら、そのぶんフレーズの末尾などの処理がなるべくぶっきらぼうにならないよう丁寧になされていた。

第5、6曲目は全曲の中で最も出来の良い印象で、第5曲目のオクターヴの連続する第1エピソードでは男性らしい力強く充実した音が鳴っていたし、第6曲目のいくつかの変奏も力強く鮮やかに奏されていた。

ミスタッチはやや多めであり、もっと易しい曲であればより完成度の高い演奏が期待できたと思われるが、それでもあえてこの大曲に挑戦した姿勢は高く評価したいところである。

 

2人目の楊さんは、ムソルグスキーの「展覧会の絵」とファリャの「火祭りの踊り」というプログラムである。

最初の「プロムナード」からして、あまりの強音に驚いてしまった。

次の「こびと」は、今までに聴いたことのないような高速テンポで開始された。

その後も、全編にわたってきわめて個性的な演奏だった。

この「展覧会の絵」で私の一番好きな録音であるドミトリー・マイボロダ盤(2015年浜松国際ピアノコンクールの予選のライヴ録音)も相当に個性的だが(あれほど音楽的な「展覧会の絵」は、ちょっと他にないのではないだろうか)、今回の演奏はそれとは別次元なくらい癖が強い。

テンポ・ルバート(テンポの揺らし)はそこかしこに用いられているし、強弱の変化も激しく、和声の変化なども強調されており、曲の隅々まで工夫されていて、いわゆる優等生的な箇所は少しもない。

ときに、聴いたことのない音型まで聴かれるほどであった(「こびと」で半音階的に下りてくる和音のパッセージでは耳慣れないトレモロが付加されていたし、「キエフの大門」ではフォルテで主題が再現される直前、通常なら音階を下降していくだけなのだが、下降したのちに上昇していた。また、同じ「キエフの大門」の最後では、聴いたことのない音階上昇パッセージが聴かれた)。

有名なホロヴィッツ版とも違っていて、そういう版もあるのかもしれないが、彼自身がアレンジしたとしてもおかしくない、と思ってしまうくらい個性的な演奏であった。

一つ一つの表現は恣意的な印象がぬぐえないし、強音は力みがちで耳をつんざくようなことがあったり、速いパッセージは不明瞭であったりと、私の好みには合わない箇所が多かった。

解釈の「工夫」に「精緻さ」が加われば、なお良かっただろう。

しかし、「古城」など意外に聴かせたし(ここの弱音は文句なく美しかった)、「ビドロ」や「バーバ・ヤーガ」あたりは予想される通りかなりの強音で、気合は十分に感じられ、もしかしたら大きなホールでは効果的に響いたかもしれない。

ファリャの「火祭りの踊り」も同様の演奏だった。

一筋縄ではいかない表現意欲は、買うべきだろう。

 

終演後、会場を出ようとしたところで、最後に演奏した彼を、他の同級生たち(おそらく昨日演奏した子たちだろうか)がねぎらう様子が見られた。

「最っ高!」とか、「面白すぎるわ!」(この「面白い」というのは、個性的な演奏に対してというよりも、演奏後に彼が客席に向かって大きく手を振ったことを指して言っているのかもしれない)とか、「ねー打ち上げしよ!」とか言いながら、ハイタッチなどして笑いあっているのを見ると、先ほど演奏を聴きながら考えていたこまごまとしたことなど、どうでもよく思えてきた。

彼らはこうして、励まし合ったり、助け合ったり、また切磋琢磨したりしながら、これからも成長し続けていくのだろう。

彼らの洋々たる前途を祝福したいものである!

「若いっていいな!」と、ほっこり暖かな気持ちと、何やら無性に羨ましいような気持ちとがないまぜになった妙な気分で、帰途についたのだった…。

 

 


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