ウィーン国立歌劇場 東京公演 アダム・フィッシャー ヴァーグナー 「ヴァルキューレ」 | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

ウィーン国立歌劇場 来日公演

ヴァーグナー 『ヴァルキューレ』(全3幕)

 

【日時】

2016年11月12日(土) 15:00開演

 

【会場】

東京文化会館

 

【出演】

指揮:アダム・フィッシャー
演出:スヴェン=エリック・ベヒトルフ
美術:ロルフ・グリッテンベルク
衣裳:マリアンネ・グリッテンベルク
ビデオ:フェットフィルム(モンメ・ヒンリスク&トルゲ・メラー)
音楽指導:トーマス・ラウスマン
再演演出:ビルギット・カイトナ

ジークムント:クリストファー・ヴェントリス
フンディング:アイン・アンガー
ヴォータン:トマス・コニエチュニー
ジークリンデ:ペトラ・ラング
ブリュンヒルデ:ニーナ・シュテンメ
フリッカ:ミヒャエラ・シュースター
ヘルムヴィーゲ:アレクサンドラ・ロビアンコ
ゲルヒルデ:キャロライン・ウェンボーン
オルトリンデ:ヒョナ・コ
ワルトラウテ:ステファニー・ハウツィール
ジークルーネ:ウルリケ・ヘルツェル
グリムゲルデ:スザンナ・サボー
シュヴェルトライテ:ボンギヴェ・ナカニ
ロスヴァイセ:モニカ・ボヒネク

ウィーン国立歌劇場管弦楽団

プロンプター:ワルター・ゼッサー

 

【プログラム】

ヴァーグナー:「ヴァルキューレ」

 

 

 

 

 

先月のズービン・メータ指揮ウィーン・フィルの演奏会、ブルックナーの交響曲第7番にいたく感動して以来、このヴァーグナーの「ヴァルキューレ」が楽しみでならなかった。

ちょっと、期待が高まりすぎてしまったのかもしれない。

思い切って高額なチケットを買って、これまた思い切って東京まで出かけたのだが、残念ながら心からの感動を得ることはできなかった。

一番の問題は、音響である。

今回の東京文化会館に限らず、日本のホールでオーケストラがピットに入ると、非常に音のこもった、広がりのない音響になってしまうことが多い。

日本には、オペラ上演専用のオペラハウスがほとんどないからかもしれない。

7年ほど前、ウィーン国立歌劇場で「シモン・ボッカネグラ」を観たときは、もっとましな音響だった気がする。

今回の東京文化会館のような音響では、ヴァーグナーのスケールの大きな音楽が全く伝わってこないのだ。

 

また、二番目の問題は、指揮である。

アダム・フィッシャーは、ハイドンの演奏などに定評のある著名な指揮者なのだが、私の期待するヴァーグナーの解釈とは違っていた。

幕開けの前奏曲から、切迫した緊張感のみなぎる演奏を期待していたのだが(ここでは音楽によって嵐が描写されている)、比較的ゆったりとしたテンポで悠々と奏され、かといって低音を大きく膨らませたりといったうねりもなく、何となく淡々と、悪く言うとだらだらとしてしまっているのである。

とはいえ、慣れたウィーン国立歌劇場とは環境が異なるという困難さのためもあったかもしれない。

第2幕、第3幕と進み、物語が悲劇的になるにつれ、演奏のほうも引き締まっていったような気もした。

特に第3幕の幕切れでは、強音よりもむしろ弱音の箇所において、父娘の離別の切々とした哀感が繊細に表現され、アダムならではの個性がよく発揮されていた。

おそらく、アダムは人柄の良い人なのではないか。

そのような印象を抱かせる演奏だった。

ただ、やはり全体的にはもっとアクの強さ、ごつさのようなものが欲しいのである。

 

そして、三番目の問題は、演出である。

私はもともと演出にはあまりこだわらないのだが、全体的に暗めで地味な演出で、華のようなものはあまり感じられなかった(渋くて良いという見方もあるだろうが)。

プロジェクション・マッピングにより、歩き回る狼や燃え盛る炎がリアルに表現されていたのは良いが、炎も強まり方が何となくわざとらしかったりもして、強く感心するまでにはいかなかった。

 

そんな中、ジークムント役のクリストファー・ヴェントリス、ジークリンデ役のぺトラ・ラング、ブリュンヒルデ役のニーナ・シュテンメ、ヴォータン役のトマス・コニエチュニーといった歌手たちの健闘ぶりはさすがだった。

みな世界的にも著名なワーグナー歌手たちであり、とりわけ光る存在というのはなかったものの、みな素晴らしい歌唱を聴かせてくれた。

ただ、ヴォータン役のコニエチュニー、彼は声量も十分にあり立派な歌手なのだが、声質が私の思うヴォータンのそれとは違っていた。

彼は、ティーレマン&ウィーン・フィル盤ではアルベリヒを歌っており、そちらのほうが声質と役柄との相性が良いように感じた。

 

色々といちゃもんばかりつけてしまったが、高い高い期待の表れでもある。

演奏のレベルとしては、もちろん低いものでは全くなかった。

こういった大編成の大掛かりな曲では、色々な要素があり、全てがうまくいくというのはとても難しいのだろう。

そういった意味では、先月のメータ&ウィーン・フィルのコンサートは、指揮・オーケストラ・ホールの音響・曲目とあらゆる要素が全てそろった、稀有な演奏会だったのかもしれない。