大阪フィルハーモニー交響楽団 第503回定期演奏会 ヤング ブラームス 交響曲第2番 ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

大阪フィルハーモニー交響楽団 第503回定期演奏会

 

【日時】

2016年11月11日(金) 19:00開演(18:00開場)

 

【会場】

フェスティバルホール(大阪)

 

【演奏】

<指揮>シモーネ・ヤング

<管弦楽>大阪フィルハーモニー交響楽団
<合唱>大阪フィルハーモニー合唱団(合唱指導:福島章恭)

 

【曲目】
ブラームス/悲劇的序曲 作品81
ブラームス/運命の歌 作品54
ブラームス/交響曲第2番 ニ長調 作品73

 

 

 

 

 

シモーネ・ヤング。

生で聴くのは初めてだが、実はとても注目していた。

というのも、彼女のワーグナー、ブルックナーの録音が絶品だからだ。

彼女はワーグナーの「ニーベルングの指環」全曲と、ブルックナーの交響曲全集(いずれも初版)を、ハンブルク・フィルを振って録音している。

これらが、きわめて颯爽とした引き締まった演奏でありながらも、ドイツらしい重厚さも有していて、近年の数多いる指揮者たちの録音の中でも屈指の出来なのだ。

私たち現代の聴き手に合った演奏スタイルであり(つまり大時代的でない)、音質の良さも相まって、今リファレンス盤として最もお勧めできる「指環」全集およびブルックナー交響曲全集といって良いかもしれない。

 

そんなシモーネ・ヤングの、オール・ブラームス・プログラムである。

最初の悲劇的序曲から、とても引き締まった、かつ力強い演奏だった。

次の運命の歌は、個人的にあまり聴き慣れていない曲なのだが、神々の穏やかで安定した世界と、人間の苦悩に満ちた世界とをうまく対比させた劇的な音楽で、とても良かった。

そして、メイン・プログラムは交響曲第2番。

この曲は、今年の6月ヤニク・ネゼ=セガン指揮フィラデルフィア管弦楽団のコンサートでも聴いた。

ネゼ=セガンは私の大好きな指揮者だし、このときも素晴らしい演奏だったのだが、しかし厳密にいうと、私の考えるブラームス像とはどこか違う、という印象を持ってしまったことも確かだった。

ネゼ=セガンの極度に洗練されたスタイルは、ブラームスよりドビュッシーやラヴェルのような、もっと都会的な、人工美といった雰囲気のある作曲家にふさわしい気がする。

それに比べると、ヤングの演奏はきびきびと引き締まっているとはいえ、テンポの取り方や、フレーズの膨らませ方などがとても自然で、まさに私のもつブラームスのイメージにぴったりなのだ。

軽すぎず、なおかつ往年の巨匠たちほどの重厚さはなく、ちょうどいいバランスを保っている。

まさに、彼女のワーグナーやブルックナーと同様の特徴をもつ演奏だった。

淡々とした何気ない演奏でありながら、そっけなさすぎることなく、自然なフレージングが聴き手の心にすっと降りてくる。

これぞブラームス!と言いたくなる。

オーケストラも、いつもの大フィルなはずなのに、まるでドイツのオケでもあるかのような味わいがあった(冒頭のホルンなど、細かな傷はいつも通りだったが)。

終楽章のみは、ネゼ=セガンのエキサイティングな演奏も忘れがたかったが、それでもヤングの中庸のテンポによる終楽章は、全体的なバランスとしても至極しっくりくるものであった。

全体的に、聴いていて大きな充実感を覚えた。

シドニー出身という彼女は、いったいどのようにしてこのようなドイツ音楽のバランス感覚を習得したのだろうか、ハンブルク・フィルの指揮者としての経験によるものだろうか。

彼女は来年にも読響を引き連れて大阪に来てくれるようであり(曲目はR. シュトラウスのアルプス交響曲など)、嬉しい限りである。

 

それにしても、インバル、ヤングと続く大フィル定期の指揮者のラインナップの、なんと豪勢なことだろうか。

そして、次回の定期では、ついに私にとっての真打ちである、ヤクブ・フルシャが登場する。

大フィル様々である。

今から、楽しみでならない。