五嶋みどり オズガー・アイディン デュオ・リサイタル | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

五嶋みどり(ヴァイオリン)&オズガー・アイディン(ピアノ)

デュオ・リサイタル


【日時】

2016年6月22日(水) 開演19:00  (開場 18:00)


【会場】

芸術文化センター KOBELCO大ホール


【演奏】 
ヴァイオリン:五嶋みどり

ピアノ:オズガー・アイディン


【プログラム】

リスト(オイストラフ編):「ウィーンの夜会」より ワルツ・カプリース 第6番(シューベルト原曲)
シェーンベルク:ピアノ伴奏を伴ったヴァイオリンのための幻想曲 op.47
ブラームス:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ 第1番 ト長調「雨の歌」op.78
モーツァルト:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 変ロ長調 K.454
シューベルト:ピアノとヴァイオリンのための幻想曲 ハ長調 D.934


●アンコール曲
クライスラー:愛の悲しみ
クライスラー:愛の喜び






五嶋みどりの演奏会を聴くのは、何回目だろうか。

これまで、他の予定等もあってそれほど多くの機会に恵まれず、おそらく5回目かそれ以下程度だろう。

そして、今回おそらく10年ぶりくらいと思う。

しかし、私はもうかれこれ20年近くも彼女のファンなのである。

彼女の録音は全て所有している。

そして、この日は私にとって最高の夕べとなった。


まず、コンサートの前にプレトークがあった。

アメリカではこういったことがよくみられるようになってきた、とのことであった。

五嶋みどりは英語なまりの日本語を流暢に話し、アナウンサー(だったか、女性の方)を相手に、曲に関することや活動に関すること(彼女は音楽教育や途上国での活動など、極めて多忙な中かなりの社会活動をこなしている!)などを20-30分話していた。

このようにまとまった時間、本人の話を聞ける機会はなかなかなく、それだけですでに感動してしまった。


そして、コンサート本編。

プログラムは全て、ウィーンにまつわる曲となっている。

しかし、演奏自体はウィーンを想起させるような、いわゆる「ウィーン風」のものではない。

いつもの五嶋みどりらしく、求道者のような求心的な演奏である。

少し硬めのヴィヴィッドな音で、まるで鍵盤を弾いているかのようにぴったりと合った音程で奏でていく。

この音程の正確さは、他のどの奏者も寄せ付けない、圧倒的なものである(なお、今回気づいたのだが、ときに小さく弦をはじいて音程を確認しているようであった)。

そして、その音楽の表情は細部に至るまで考えつくされた、人工美ともいえるほどのこだわりの表現であり、例えばユリア・フィッシャーのような微温的・優等生的な演奏とは一線を画している(とはいってもフィッシャーの演奏も好きなのだが)。

それでいて、過度に濃い表現にはならず、正統的な、端正な印象を与える演奏となっている。

どの曲もすばらしかったが、白眉はブラームスであった。

この曲の第1楽章は、美しい旋律をたくさん書いたブラームスの曲の中でも、特に味わい深い、心にすっと入り込んでくる主題からできている。

美しい第1主題、第2主題がそこここに出てくるのだが、五嶋みどりがこれを奏するとき、その美しさが最大限に発揮されるのだ。

何のてらいもなく、化粧を施すこともなく(ヴィブラートやクレッシェンドは控えめに)、素朴な状態で弱音でそっと奏される主題、この1音1音がとても滑らかで、自然なフレーズで歌われ、そして1音1音が全てぴたっと正確な音程にはまっている場合、果たしてどれほどすばらしいことになるのか。

それを、心の底から実感した。

ブラームス随一のメロディが、それ本来の美しさを表すには、五嶋みどりの出現を待たなければならなかった、とさえ感じた。

あぁ! この演奏を超えるブラームスは、今後も出現しないかもしれない。

いつか録音してくれないものだろうか。

本当に、至福のひとときだった。