第54回大阪国際フェスティバル2016
ヤニック・ネゼ=セガン指揮 フィラデルフィア管弦楽団
【日時】
2016年6月2日 19:00開演
【会場】
フェスティバルホール
【演奏】
指揮/ヤニック・ネゼ=セガン
ヴァイオリン/五嶋龍
管弦楽/フィラデルフィア管弦楽団
【曲目】
武満徹:ノスタルジア ―アンドレイ・タルコフスキーの追憶に―(1987)
プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲 第1番 ニ長調 作品19
ブラームス:交響曲 第2番 ニ長調 作品73
アンコール/J.S.バッハ=ストコフスキー:「羊は安らかに草を食み」
西本智実に引き続き、私の大好きな指揮者の演奏会である。
ネゼ=セガンの演奏を生で聴くのは、今回が初めて。
高価だったが、つい買ってしまった。
演奏は、期待に違わず素晴らしかった。
特に、武満の曲が良かった。
弦楽合奏と独奏ヴァイオリンによる曲だが、響きへの感性が異様に鋭いネゼ=セガンらしく、実に美しく繊細な響きが堪能できた。
擦弦楽器を用いてかくもと思うような、浮遊感さえ漂う柔らかな響きであり、武満の曲をこれほどまでに美しいと感じたのは初めてかもしれない。
プロコフィエフも良かった。
五嶋龍は、姉である五嶋みどりと比較してしまうと、もう姉がすごすぎてさすがに見劣りしてしまうのだが、こうして比較せずに聴いてみると、素晴らしいヴァイオリニストの一人であることは間違いない。
彼は以前、インタビューで「現代ヴァイオリン奏法の礎を作ったのは、オイストラフだと思う」というようなことを言っていたように記憶しているが、その言葉のとおり、五嶋龍の演奏はオイストラフを少し想起させるような、ふくよかな響きがあり、また細部に拘泥しない王道の弾き方だと思う。
ただ、このプロコフィエフの協奏曲は、やはり五嶋みどりの演奏があまりに素晴らしいのではあるが…。
そして、メインプロのブラームス。
この曲を聴いたとき、私はそのゴージャスな響きに唖然としてしまった。
これが、かの有名なフィラデルフィア・サウンドというものか、と。
これまで、フィラデルフィア管弦楽団の演奏はCDで聴いていたが(この曲ではないが)、これほどとは感じなかった。
また、前半のプログラムでは、現代曲のためゴージャスさはあまり目立たなかったのかもしれない。
特に弦が、つややかで輝きのある音色なのである。
ただし、これを聴いた私は、感心するとともに、「ブラームスにこの音色で、果たしていいのだろうか?」としばらく考え込んでしまった。
それに、ネゼ=セガンはこの曲を、前半の曲とは違って、ブラームスらしいずっしりとした、しっかりした音で、てらいもなくきちんと真面目に表現していたのだが、それが彼本来の持ち味―多数入り乱れる響きを整理し、きわめて繊細に取り扱って、すっきりとした透明感に溢れた世界を作り出す―とは少し異なっているような印象も受けてしまった。
しかし、これらは非常に贅沢な不満であって、レベルの高い演奏であることは疑いようもなく、聴き進めるにつれてそんなに気にならなくなった。
そしてフィナーレに至っては、ネゼ=セガンの軽快さ、推進力、すっきりした音楽づくりが存分に発揮され、大きな感銘を受けた。
アンコールは、バッハのカンタータの一曲をストコフスキーが編曲したもの。
これは、本当に良かった。
相変わらずゴージャスな音色だが、これがバッハのつつましやかなメロディをとことんまで歌い尽くし(管も弦も)、それでいて下品になることなく、あらゆるフレーズを丁寧かつふくよかに扱って、洗練の極みという域まで達していた。
ストコフスキー編曲のバッハは、ごてごてしてやたらと物々しくて、好きでないことが多いのだが、この曲に関してはとても良いと感じた。おそらく、この演奏のおかげであろう。
余談だが、フィラデルフィア管弦楽団はボーイングを合わせない、という話を聞いたことがあるが(ネゼ=セガン自身もかつてインタビューでそう言っていた)、今回の演奏会では全て合っていた。
最近は方針が変わったのだろうか。
ともかくも、大変に素晴らしい演奏会だった。
願わくば、次もしまた機会があれば、彼のブラームスでなく、ベルリオーズ、サン=サーンス、ドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキー、あるいはマーラー「巨人」あたりが聴いてみたいものである。
これらの演奏の素晴らしいことはCDですでに分かっていることだが、生演奏で聴いたらいったいどうなるのだろうか。