超古代文献『竹内文書』のツッコミどころ第三弾です。
そろそろ飽きてきたので、今回でこのネタは一時やめようと思います。
★『竹内文書』と日本のピラミッドの話
「日本のピラミッド」というのは、ピラミッドのような形をした山に巨石などの祭祀遺跡があるものを指すようです。
「日本のピラミッド」の存在を初めて説いたのは『太古日本のピラミッド』等の著作で知られる酒井勝軍です。
彼は広島の葦嶽山ピラミッドを発見後、文献的裏づけを『竹内文書』に求めました。
酒井の求めに対し、竹内巨麿は『竹内文書』にはピラミッドに関する記述がない事を伝えましたが、彼は引き下がりませんでした。
そこで
「竹内家では熱心な酒井の要請に応じ、当時まだ封が開けられていなかった古文書の開封にふみきった。
果たしてその未開封の古文書の中から、ピラミッドについての記述が発見されたのであった。それは古文書の一部とピラミッドの御神体石であった。
この御神体石には神代文字のひとつモリツネ文字で次のように記されていた。
『年三月円十六日、詔して、吉備津根本国( きびつねもとつくに )に大綱手彦(おおつなてひこ )、天皇霊廟( すめらみこと たましひびょう )、亦名メシヤ、日の神、月の神、造主神(つくりぬしきがみ)、日来神宮(ヒラミット)』
なんと、文中に「ヒラミット( 日来神宮 )」ということばが登場するのである。これがピラミッドを指すことは、疑いの余地がないだろう。
吉備津根本国とは備前、備中、備後の国を指し、葦嶽山はここに属する。葦嶽山ピラミッドの竹内文書による裏づけであった。
大綱手彦は不合朝第十二代・弥広殿作天皇( いやひろとのつくり すめらみこと )の叔父に当たる。
さらに、このとき見つかった古文書には、弥広殿作天皇の命によりこの他に全国にも四か所のピラミッドが建立されたと記載されており、数多くのピラミッドが日本に建立された可能性を示唆していた。
この発見により、 ピラミッドという言葉はエジプト語ではなく、もともと日本語の日来神宮( ヒラミット )が、建造物の伝播に伴って海外で使われるようになり、変化した言葉であったことが明らかになった。
これにより酒井のピラミッド日本原流説は竹内文書によって完全に立証されたのである。」
『超図解 竹内文書』 高坂和導著より
ピラミッドについて、引用したこの本の著者は誤解しているようですが「ピラミッド」という言葉はエジプト語ではありません。
実はこれギリシャ語なんです。
紀元前700年頃、当時エジプトとギリシャは友好関係にあり、ギリシャ人が頻繁にエジプトに訪れるようになっていました。
このエジプトにやって来たギリシャ人達は、ピラミッドを見て彼等が食べる「ピラミス」という三角形のパンに似ているところから、「ピラミッド」と呼ぶようになったそうです。
これが「ピラミッド」という言葉の由来です。
そういうわけで
「 ピラミッドという言葉はエジプト語ではなく、もともと日本語の日来神宮( ヒラミット)が、建造物の伝播に伴って海外で使われるようになり、変化した言葉であったことが明らかになった」
などということはありえないんです。
だってギリシャのパンの名前ですよ( ´艸`)
ではギリシャ人が「ピラミッド」と呼ぶ以前、エジプト人達はそれを何と呼んでいたのかというと、「ムル」あるいは「メル」と呼んでいたそうです。
では当時、新たに発見された「日来神宮( ヒラミット )」と書かれていた記述は何かというと、酒井の求めに応じて竹内巨麿が作ったものではないでしょうか?
そうでなければ「ヒラミット」などという言葉が書かれているわけがありません。
それに「日来神宮」をピラミッドと読むには無理がありますよ。
ちなみに、この『超図解 竹内文書』を書いた高坂和導さんは、『竹内文書』の写本を集めた皇祖皇太神宮の『神代の万国史』を編纂した人だそうです。
この本の値段はなんと43000円!高い∑(゚Д゚)
『竹内文書』について前回は否定的な本を紹介しましたが、今回は肯定的な本を紹介します。
興味のある方は参考にして下さい。
- 「竹内文書」の謎を解く―封印された超古代史/布施 泰和
- ¥1,890
- Amazon.co.jp
コチラは肯定的な内容ですが、比較的冷静に書かれた本です。
- 竹内文書―世界を一つにする地球最古の聖典 (5次元文庫)/高坂 和導
- ¥660
- Amazon.co.jp
コレは心して読んでください(*^▽^*)
たぶん途中でついて行けなくなる人も多いと思うので(;^_^A
