HI-END~The Rainbow~
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【家電】MICHIBA KITCHEN PRODUCT フードプロセッサー

キッチンに新たな新兵器を導入!
毎週ヨドバシカメラに通うほどの家電好きが今回新たに調理家電をプレゼントして頂いたので早速台所に設置。
その名も『MICHIBA KITCHEN PRODUCT フードプロセッサー』

和の鉄人、道場六三郎監修のフードプロセッサーと言う事で、
どんな製品かという説明は下の動画でチェックを。

5分ちょっとの動画で料理の可能性の広がりに期待を持たせてくれる調理家電。ゾクゾク。和の鉄人健在。

設置してみた!
というわけで、さっそく台所に設置。

嬉しいのがこの狭いキッチンでも「常設できる」ポイント。
これまでのフードプロセッサーは構造上、常設が難しかった。出しては片付け、出しては片付けの繰り返し。結局その作業が面倒になり棚の中の肥やしと化すのであるが、今回のフードプロセッサーは何度も言うが「常設」が「基本」。
使いたい時に材料をサッと入れる。サッと使える。うおおおおお。
今後このキッチンで大暴れしてくれる期待感に満ち満ちている。

さっそく使ってみた!
『氷も砕ける!』ということで、では早速過酷な挑戦から。
先日すこし痛み始めていた『桃』をカットして冷凍庫で凍らせておいたので、そちらを使って『桃のソルベ』を作ってみる事に。


凍った桃さん。ちなみに和歌山県はあら川のサンワピーチサービスの赤土桃。
背筋伸びるほど甘くてジューシーな絶品桃です。
そしてすこし夏の思い出にカルピスも足してみる事に。


材料を投入。こんな感じ。今回、桃は1/2個分で挑戦。
※結果3人前ほどできました。


蓋をしてボタンを押しながらカット。
カットのレベルは細かくカッターの回転速度が調整可能なので、扱う材料に応じて必要な速度を選択。ウィンウィンウィーン。驚くほど静か。静かで驚く。
※氷粉砕の際はさすがに最初ガリガリいいますので(^^;


このあたりで猫のミゼ君が我慢しきれずにキッチンに登場。
もうすぐ出来るよ。
というか君は食べれないよ。ごめんよ。


というわけで、ものの3分で桃のソルベが完成!素敵過ぎる!!
今回は純粋に桃のみ(ちょっぴりカルピス)で作ったので、見た目は「ぺちゃぁ~」としているものの、食べたときのしゃっきり感、じゅんわり残る果肉感、とにかく冷凍感と共にそれらがお口の中で大暴れ。これは夏にはたまらん。

このフードプロセッサ一台で「刻む・擦る・混ぜる・砕く・泡立てる・こねる・おろす」の7役を果たせると言う事で、その作業を一任する調理家電が今日から常設でキッチンのボクの前に立ってくれるという何と言う心強さ。

のび太君で言うところのドラえもん。
あたるで言うところのラムちゃん。
緑間で言うところの高尾なのだよ。

これからこの相方を使ったレシピをどしどし考えて行きたいと思います。
調理家電は楽しくなくちゃ。

ミゼとライアーゲーム

子猫の成長はとても早い。
つい先日までヨタヨタ歩きで『ミィミィ』鳴いていたおチビちゃんが、ムクムクと成長し、今では忙しそうに部屋中をあたふたと走り回ってる。

『遅刻だ遅刻だ遅刻だぁ~』の時計ウサギさんよろしく。
というわけで本日もミゼ君の登場。

photo:01


『じゅるり。』

こらこら。それは食べてはいけないよ。

photo:02


『(じぃー。)』

見つめてもダメだよ。

photo:03


『くれないの?』

うん。あげる。もう可愛いからあげる。

photo:04


『ふへへ。騙されよって』

あっぶねぇーっ!可愛さに惑わされるところだったぜぇーっ!
ダメ!どん兵衛はダメ!
可愛さ罪っ!
あっ!爪伸びてる!爪切りーぃ!

photo:05


『ほんとやめて。ねぇ。ちゅめきりやめて。』

とこんな感じで騙し騙されのライヤーゲームを繰り広げる日々。
次回のミゼ君の活躍もお楽しみに。

映画談義...vol.8【GODZILLA その③】

※この記事の前に【GODZILLAその①】【GODZILLAその②】をチェック。

★以下、ネタバレ不可避!!展開を知りたくない人は、その②でストップ!!★

さて、ニワカが『GODZILLA』をどう見たか。

まずは避けて通れぬ通行手形『ゴジラのフォルム』に関して。
前作のハリウッド版GODZILLAが「アントニオ猪木」にしか見えなかったという問題点。
この点に関して言えば、今作は日本版フォルムを随分と基調としながら「これなら許せる」レベルにまで再構成されている。
ニワカでもそう思う。
ただ「これは許せる」レベルであって、「そう!これ!」では無いような気もしないでもないが...
あくまで「再構築」された『GOZILLA』だ。

日本版『ゴジラ』が世界的市民権を持って圧倒的なファンの数々に支えられているのも関わらず、
あたかも世界標準版のフォルムに変えられてしまっている悲しい想いをファンは心のどこかに感じていないのだろうか?
今回の造形に関して言えば、重量感・質感はそのまま基調に表現されているものの、本来ファンが求めるべきは徹底されたオリジナルデザインであって、
心の底から歓喜出来るのは、あの大好きな日本版『ゴジラ』がハリウッドで大暴れしている画なのではと思わずにはいられない。

今回のデザインに関して言えば明らかに「太すぎる」
特に首からアゴ、頭にかけての肝となる造形が明らかに豊満だ。特に首が太すぎて首が無くなってしまっている。首が無い事で頭部が野暮ったい。
あの胸から頭にかけてグググっと伸びているやや長くスレンダーな首部分、そして肩にまで達する荒々しいトサカ(のような)部分がその長い首を介してシュッとクールに収束していく意外とコンパクトな頭部に反する強靭・凶暴な形相が『ゴジラ』のシンボルの1つでもあると思うのだが。

正直に言う。
今回のGOZILLAは「大仁田厚」に見えた。(やはりプロレスから抜け出せないのか。。)
更にバトルシーンではその体型、フィールドのギミック性が相まって「大仁田厚の有刺鉄線マッチ」よろしくもはや怪獣プロレス。
また悪いのが敵怪獣の名前が「ムートー」って。もうこれ「武藤」にしか聞こえず地獄。毒霧いつくるー!!的なチラつく問題阿鼻叫喚。

幾分やはりこのフォルムに関して日本のファンはこだわりの声を挙げるべきとも感じなくもないが、本当に良いの!?
もっと身構えてみてはどうかー!!

さて、今回の一番のネックはこのストーリー(脚本)にあると言える。
『ツッコミ所の多さ』を1種の『ゴジラ映画』的な解釈で咀嚼するならば1話も見ていないニワカからすると、
そんなことは知らんっ!!!

「大仁田ゴジラ」が破壊の象徴かと思いきや、希望への灯も照らし出すという本来のしっかりとしたテーマ性も描かれながら原作へのリスペクトを深く感じさせるキーを持つのではあるが、

挙げればきりがないが、ニワカが今回最も噴き出したポイントは、
怪獣に真っ向から立ち向かう海軍たちの掲げる目標のB級感。これに限る。

『巨大生物のセックスを食い止めよ』である。
もはや『踊る大捜査線THE MOVIE』のレインボーブリッジ云々。

要は、地上に現れた2体の巨大怪獣が「雄」と「雌」であると判明し、
互いに呼応しあうその目的は交配を経ての子孫繁栄ではないかとう想定に達するシーンがあるのだが、
それならばその交配を阻止するために核を以て立ち向かおうではないかというよもや「気が狂っているのか!」という海軍の打開案。
(ただこの狂った判断が今の時代を象徴している気もする)
もうこれには肩を震わせずにはいられなかった。
(※よもや交わるのか!?という描写には劇場で緊張感が走った。織田裕二が「セックス止められませーん!」で登場したらそれはそれで良かった)

ただ一概に否定出来ないのは、やはり監督のゴジラへの愛を感じる点。
ゴジラを通じた日本への愛情表現。ひしひしと感じるー!!!

正直破壊光線の発射には思わず『うぉぉっ!!』と歓喜に震えた。
これに関してはもう「出すんだ!」という素直な感動である。
ただ、あの尻尾の先端から背びれが徐々に光を帯び、頭頂部にそれが達したところで一気に口から発射という方式がニワカビジョンには、
「欽ちゃんの仮装大賞の得点版方式」に写ってしまう。

「あと1点入れてあげてよ~」が頭の中で思わずこだましてしまう。
身体の構造上そんなところからは光らないだろう。
恐らく胸や腹(少なくとも肺にあたる付近)でエネルギーを構築する際に光り始めるのが生物学的に説得力があったのではと感じたりも。

と、まだまだ多々ツッコミ所も満載(「ゴジラ」って渡辺謙しか言ってないし全然広まる気配がないよねとかもう本当に色々)
でも!!
そんな風に『あれはあーだ!これはこーだ!』と映画を観終えた後に何だか無性に、何だか必死になって推測して語りたくなる部分にこそ『怪獣映画』の魅力や男のロマンが詰まっているんだろうと、半ば逆輸入的に怪獣映画の魅力を知らされる事になった一作。

子供の心で映画を作った監督の怪獣と日本への愛が作り上げた大作。
あーだこーだ言いながら是非に。

映画談義...vol.8【GODZILLA その②】

※この記事の前に【GODZILLA その①】をチェック。

【特報が上手すぎ】

というわけで、ハリウッドの作る『ゴジラ』にはもう何も期待しなくなったという土壌がしっかりと整ったうえでの今回のリブート版『GODZILLA(2014)』
劇場で初めて特報が流れた際には、客席からどよめきが起こったのを覚えている。

「またやるのか」

「おいおい」

「wwww」

「アルマゲドンのCMかと思った」

もはや人々に期待感は無い。ハリウッドの飽くなき挑戦に誰もが半笑いでその特報を見届けていた。
しかし肝心のゴジラがなかなか姿を現さない。

「ゴジラだけに、焦らすなぁー」としょーも無い事を思ったことを恥ずかしげもなくここに記しておく。
この時、誰しもが「アメリカには二度とゴジラは作れない」と思い込んでいた。
こんなニワカの僕でさえ思ってしまっていたのである。
ところが、、、その特報の終盤、うっすらと徐々に徐々にシルエットを露わにしていく怪獣の姿。
あの背びれ、あの質感。
そして、

咆哮。


客席が静まり返った。

「え?」

「あれ?」

「これは.....」

「イケるのでは.....ないか.....?」

「あれは.....」

「ゴジラだ!!!!」

『GOZILLA(2014)』への期待感を更に大きく牽引したのが、当時公開されお祭り騒ぎになっていた映画『パシフィック・リム』だ。
人類を脅かす巨大怪獣に、人類の最終兵器である巨大ロボットで真っ向から立ち向かうという説明不要の大ヒット作。
この映画からは紛れもない『怪獣愛』が溢れており、その造形、その細やかな設定、そのキャラクター設計を通じて日本の観衆は大きく踵を返し始めたのである。

「ハリウッドは『怪獣』を理解し始めた!ハリウッドに『怪獣』を理解する者が現れ始めた!」

新しい風。信じることを諦めていた者たちへのハリウッドからの奇跡の論文再提出!

「STAP細胞はここにありましたぁー!!!」

「次の『GOZILLA』はもしかすると、もしかする!!!」
何の確証もないがそのじわじわとこみ上げる余震的な想いがファンの間に徐々に広がり、
それはやがてまさにゴジラ級の壮大な期待感へと繋がっていくのだが、一方で劇場告知ではほとんど情報が明らかにされない。
なかなかゴジラを見せない。ストーリーが分からない。何やら街がめちゃくちゃ。逃げ惑う人々。渡辺謙が日本語イントネーションで「ゴジラ」って言ってる。
早く観たい。嗚呼、ジレンマ。

公開までの告知展開は本当に良かった。今回の『GODZILLA』成功の大きな要因の一つである。
流石に公開間際にはゴジラの姿、形を露わにしてしまっていたが、それ以上に本編に隠されていた要素がモリモリのだくさんだくさん。
「えーっ!そんな展開も!」「おぉーこんなことも!」
ニワカの知識を以てしても楽しめる『ゴジラ映画』としての要素が充分に凝縮された作品に仕上がっている。
隠し続けた部分のディティールやクオリティが非常に観ていて楽しめるような仕上がり・展開。

ワールドカップで選手の名前は分からないけれど、とりあえず自国のシュートが決まったら大喜びできるレベルの酷いニワカでも楽しめる!
その程度のゴジラ知識を以てしても充分に楽しめたのが今回の『GODZILLA(2014)』である。

(GODZILLA その③に続く)

映画談義...vol.8【GODZILLA その①】

【日本版『ゴジラ』を1作も見たことが無いニワカがハリウッド版『GODZILLA』を観てきた】
「ファン待望」とまで言わしめ、事前告知でもゴジラファンの期待感を煽りに煽り、
『会いたくて会いたくて震える』状態で、「西野カナは間違っていなかった!!」とまで言わしめた今作。

公開直後から「歓喜!」「大満足!」「言う事なし!」「昇天!」数々の大絶賛の嵐・嵐・A・RA・SHI!!!

と、言う訳でなんと実は日本版ゴジラを1作も観た事が無いという『にわか』のボクがハリウッド版GOZILLAを観て来た感想を思う存分に語り尽くしてみようと思う。

以降、素直に鑑賞してきた想いを書き連ねていくが、それにあたり、
この映画が間違いなく『ゴジラ映画』にカテゴライズされるクオリティにまできっちりと仕上がっており、
テーマ性・表現力・エンターティメント性等々どれをとっても、
今夏公開中の映画作品の中では群を抜く恐るべき作品という事を大前提としていることを前述しておく。
『間違いなくこの映画は今、映画館で、しかも3Dで見るべき作品』であり、『観た後どうしても語りたくなっちゃう』という
映画本来の楽しみ方を改めて確認させてくれるオススメの1本としたうえでの、私評である。

【前作の大失敗について】

まず今回の『GOZILLA』を語るにあたって避けては通れないのが、前作のハリウッド版『GODZILLA』の存在。
1998年、インデペンデンス・デイで大成功を果たしたローランド・エメリッヒ監督が満を持して挑んだ次作として着手した期待の新作ではあったが既知のとおり「こんなのゴジラじゃない」の一言であっさり大失敗。
当時のハリウッド(今でもほとんどそう)が全くもって『怪獣』を理解できていないという問題点が明らかになった。
やっぱりハリウッドは『モンスター』しか作れねぇじゃねーか。
ハリウッドが『怪獣』と『モンスター』の違いを描く難しさという大きな課題を抱えることになる。

『ゴジラ』が持つ、欺瞞に満ちた社会に対する警告や皮肉、道徳的精神への教育的アプローチetc..
実はあの巨大な怪獣は破壊を通じて我々に警鐘を促しているのだという
ゴジラシリーズが持っていた本来の様々なメッセージ性(破壊⇔再生の因果関係)を『GODZILLA(1994)』では
全く汲み取れていないという点、などなどその他言及されるべき点は数多くあったという問題作。

例えるならば、
『味噌汁』を全く知らない人間が、噂の情報だけを頼りに「うーん、美味しくなさそうだけど作ってみるか」と嫌々台所に立つも、
それは豆腐じゃなくて高野豆腐だし、ワカメじゃなくてきくらげ入ってるし、あーもぅそもそも肝心の出汁がとれてないし味噌が溶けきってねーよという具合。

『味噌汁』の定義に達しようとしているも、これは『味噌汁』とは認められない。
日本だけでなく当時のアメリカでも今作への不平・不満がゴジラ級に拡散していったらしい。

ちなみにこの後、2001年に日本で公開されている『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』では
このローランド・エメリッヒ版ゴジラを経て、
「アメリカにもゴジラに酷似した巨大生物が出現し『ゴジラ』と名付けられたが、日本の学者は同類とは認めていない」と冒頭の防衛軍の隊員の台詞で言及しているらしいが、、、笑
これは今度見てみよう。


ただしこの10年間でハリウッドは僕たちが笑った『怪獣映画』の問題点にきちんと正面から立ち向かい
その答えを探し求め、問題点に真摯に向き合い、ついには日本人をも納得させる『怪獣映画』、
また今回に至っては『ゴジラ映画』を完成させてしまったという事実は今回の『GODZILLA(2014)』の集客動員数を見る限り一目瞭然である。
次はいよいよ日本が笑われる番が来た。

GODZILA その②に続く)

子猫のミゼ

うちに猫がやってきた。
なんか猫用トイレのモニター商品が届いたり、突然猫用ゲージが届いたりしていたので何かおかしいなと何かおかしいなと思っていたある日、仕事から帰ると案の定子猫がいた。

というわけで、今日はその子にブログ更新をお願いしてみた。
ミゼさん、ヨロシク。


はいはーい。
というわけで、メンドクサイけど、ボクちん、ミゼが本日のブログをポチポチと肉球更新していきますにゃ。
肉球暴走ちゅういにゃ。


こんにちは。
改めて、ボクの名前はミゼ。(名前はまだないって言いたかった)
誕生日はしらない。2、3ヶ月くらい前に生まれたんじゃないかってこの家のお二人さんがしゃべってたのを聞いたことがる。まぁボクは前世の記憶を引き継いでいるから、コイツらよりは断然知識も経験も豊富にゃ。


それにしても、世間はにゃーんとも不思議なモノであふれてますね。
いやぁー絡まるからまる。(ほら、早く解きなさいのポーズ)


て、おぉーぅぃっ!!
おぉーぅぃ!!
貴様、貴様らぁーっ!!なにをするだぁーーーーっ!!!


どっと疲れた。
好奇心旺盛なボクは短期集中型。
集中→寝る→集中→寝る。このルーチンを壊さない事がボクの充実した日常生活を送る秘訣にゃ。
記憶中枢にも凄く良いにゃ。受験生もボクを見習うにゃ。

いやぁーそれにしてもホントに不思議な世の中。
何が食べれて何が食べれないのかもまだまだ判断つかないにゃ。


これ、かてぇー。


ちなみにボクtwitterやってるんだぜ。
はい、というわけでネコ好きのお前らのために次回もまた更新してやるからな。
うん、待ってろよ。

ミゼ君、、、結構口達者だったのね。。。(てか終盤、ナメ猫四露死苦?)
来た日の1回目でトイレを覚えてくれたり、賢くお留守番してくれたり、最近はしゃべり始めたりと、飼い主歓喜ポイントの多いミゼ君、あながち前世しっかり引き継いでるかも。
親バカ転じて、ミゼ君のYouTubeチャンネルも作ってしまったので、こちらもブログと合わせてチェックくださいませ。

じっちゃん

『タバコ吸いたかったんやろぉ。タバコ吸うて行けよぉ』
最期の別れ際、色とりどりの花で溢れる棺の中で安らかに眠るじっちゃんの唇に一本のマイルドセブンが添えられた。

一度辞めた煙草、ある年末に頭を怪我したじっちゃんは、その怪我が原因となったのかどうか、
その日を境になぜか再び煙草に手を出す事になる。
マイルドセブン。その銘柄に強いこだわりがあったのかどうかなんて、僕は知らない。
犬の散歩とタバコ、ガレージの片付けとタバコ、何か景色見ながらタバコ、食べたらタバコ、鼻歌とタバコ、タバコは再びじっちゃんのトレードマークの1つになっていた。

『吸いながらいけ!』
涙ながらにタバコがじっちゃんの口元に。
何事かと思ったのは僕だけではなかったと思うが、一抹の不安も刹那、タバコをくわえたじっちゃんの誰もが知るその表情に自然と安堵の空気が広がった。
たった一本のマイルドセブンが、長かった入院生活に疲れきりすっかり痩せこけたじっちゃんの表情を一変させてくれた。
ちょっぴりクールにタバコをくわえてまるで満を辞したように。
『よっしゃ。ほな、行ってくら』
海賊的だよ。僕にはその姿が荒波の航海にも臆せず出航するカリブの海賊に見えた。

【人事は棺を覆うて定まる】

真の人柄や価値は亡くなって初めて正しく判断される、なぁーんて昔々の知識人は語ってる。
いかにも賢そうな言葉は楽天家のじっちゃんには似合わないけれど、
もしそうであるならこの笑顔や涙で溢れる周囲の様子が全てを物語っている。

「おい美味いコーヒーでも飲みに行かんか?」

じっちゃんは知ってたんだな。
過ごした時間、過ごす時間、流れゆく時間、その時間の価値を。
僕が生まれたときからじっちゃんは既に感じてたんだ。
コーヒーの善し悪しじゃなくて、一緒に過ごすこの時間が大事なんだって。
後から気付いちゃったよ、その価値に。

「おい美味いコーヒーでも飲みに行かんか?」

この一口に想いを馳せよう。
笑った時間、笑わせてくれた時間。
ひとつひとつの時間を出来る限り振り返りながら。

意識朦朧としながら病室のベッドの枕に頭をうずめたじっちゃんが僕の耳元でつぶやいた。
「がんばれよ」って。

明日に向かって時間は進む。
命と言葉を伝えるために、
昨日と違った今日を歩む。
明日に向かって時間は進む。
誰かに何かを伝えるために、
心で生きるアナタと共に。

映画談義...vol.7【ルートヴィヒ】

久しぶりの映画レビューだ。緊張する。
緊張すると言う事は嘘偽りの無い等身大のレビューをするぞという心構えの現れで良い兆候なのである。ごちゃごちゃ言ってないで早速先日見てきた映画のお話。

【ルートヴィヒ】
http://www.youtube.com/watch?v=LNpH0hY7W5s
ドイツ版大河と思えば分かりやすい。その名の通り、ルートヴィヒ2世の若き日を描いた歴史ドラマであり、類まれな美貌の持ち主で、権力や争いを嫌い、芸術を愛した時の国王はなぜ「狂王」と呼ばれたのか?に迫る1本である。

予告編で既に壮大。
ルートヴィヒのシンボルでもあるご立派なノイシュヴァンシュタイン城建設にまつわるエピソードまでももちろんしっかりと。キーパーソンとなるワーグナーの演出にも光るものがある。
何より美術装飾の豪華絢爛さ、当時のきらびやかなバイエルンを彷彿とさせる再現性にため息たっぷりの140分間である。

さて、主人公は18歳のルートヴィヒ君。
なんとこの歳にして国王である父を無くし、「継承」と言う名の「宿命」を避けれる事無く、
国王の名を早速引き継ぐ事になる所から物語は展開してゆく。

政治、戦乱。面倒な世襲からは離れ芸術のお花畑でのびのびと日々を過ごしていたルートヴィヒ君の突然の国王就任に、ルートヴィヒ自身がその器の重みに絶えかね、みるみるうちにアイデンティティが崩壊し「狂王」への道を歩み始めるわけなのだが。。

当時の国王の抱える「孤独」とは、現在の人々のそれとはどう違ったのだろう。
世を治める人並み以上の重圧的な孤独に苛まれていた事を映画を通じて感じたが、重みは違えど200年近い時を経ても、人の抱える孤独感が解消される術は無いのだなと同情的な想いを抱いたものの空虚な感情は拭えなかった。

ところで、このルードヴィヒ2世。
めちゃくちゃ男前なのはご存知だろうか。一国を治める王でありながら、芸術に心底没頭するその感情的な熱視線に思わず「女子かっ!」と心の中でツッコんでいた序盤の想いが、気付けばその病むに病ぬ国王故の立場の気苦しさに「何とか守ってあげられないか!」と言った母性本能が知らぬ間に生まれていたほどの愛らしさを感じてしまっていた。

危ない。美少年達を愛したと言う噂はあながち狂言ではないようだ。
なんだこの危険な色気は!

若さ故の過ちを犯し、婚約者が去り、罪を悔いながらも葛藤の日々を送る国王。
まさに「僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない」尾崎豊よろしく大好きな芸術に没頭しながら自己同一性を必死に保とうとする姿は、「Oh,OTAKU-!!」とバイエルンの「オタク精神」に触れた気もした。

だが、好きな物だけよりすぐった人生が永遠と輝くほど運命は甘くはないっ!!(お前が言うな。)

巨大な運命に弄ばれるかのように想い通りにまかり通らない命運に、
ついには頼りの弟でさえ精神病に倒れてしまう。
次々と愛する者がその手から離れてゆく。。。どれほどの孤独かっ!!!

「もう守れるものは僕しかいない!」とスクリーンの前でアラサー男子サラリーマンが腹を括り、完全にその世界に身を投じようとしたその矢先、見事に己の人生に憔悴しきったストーリー終盤の王(その時齢30代後半)の姿に「あの可愛かった王はどこに行ったの!!」と新宿2丁目にまで響きそうな奇声を挙げそうになった。

目に入れても痛くないほどの愛らしいと想える我が子を立派に育て上げた母親が、数年ぶりに故郷に戻り見事にお手本のような中年と化した息子をみて「嗚呼、他人と想いたい」というそれと似た感情が込み上げた。
精神を伴わない成長がこれほどまで人を醜くするのかと恐れをなした。(これは役者が素晴らしい)
wikipediaでルートヴィヒ2世を検索して調べてもらうと、当時の参考写真も出ているので、同じようなショックを是非受けて頂きたい。

それにしても時代背景を損なわない豪華絢爛な美術装飾には終始うっとり。
国王の運命よりもその芸術性の高い演出に狂気を感じた。

だが当時の人々が求めていたものは芸術だったのか、何だったかのか。
この映画の上手い所は国民の反応を一切見せないという演出だ。民の声が聞こえない。ルートヴィヒ同様、民の声を知らずにして国王に翻弄されてゆく運命。
まさに見る側とて井の中の蛙のまま国王の終焉までをともに歩むのである。

時代を経ても人の感情の起伏にはどうやら大きな進化は無いようだ。
ただこの心に覚える感動が、いつしかのワーグナーが心に感じたそれと同じだとするのであれば、時を経て感情を共有出来る芸術には何事にも代え難い高貴な価値を感じると思わされる一作である。

白ご飯

「なか卯」という所に来てみた。

どうやら食券機で希望のメニューを指定し、座席につくシステムらしい。
それにしても近頃の食券機は威勢が良い。

「いらっしゃいませ!」「お金を入れて、ご希望の商品をお選び下さい!」

日本が失った威勢はコイツが取り込んでしまったのではと感じるほどの眩しさだ。

あぁ、はいはい、えーっとと言った具合にハツラツな食券機に言われるがままに注文を進める。
出てくる食券までは近代化しておらず、「食券」と聞けば10人中8人が思い浮かべるようなありがちなデザインのままだ。

座席について待つ22時17分。

カウンターには作業着を着て赤鬼のごとく酒に染まったオッサンが「死んでまえ!」や「お前のタクシー代出してワシは何を得するんじゃ!」とiphoneに向かって怒鳴り散らしている。威勢もベクトルが変われば威嚇に変貌する。

故スティーブ・ジョブズがその命果てるまで情熱を注いだ未来の産物に発せられるのはオッサンの生産性0の怒号である。
これを裏返して有益な情報に転換翻訳して相手に伝えるアプリが開発されれば世界ももう少しは優しくなれるし、そんな世界観の平和な歌も生まれるだろうにと、こちらは運ばれてきたうどんにパキリと箸を割る。

同時に赤鬼のオッサンの前には「唐揚げ2個と小さいみそ汁」が差し出された。

「これだけかいなっ!?」

確かにカウンターに座っていた誰もが「オッサンそれだけ?」とオッサンを見つめた矢先だったが、どうやらオッサン、食券機での注文に失敗したようだ。

疑問の顔が悲しみに。悲しみの顔がみるみる怒りに変貌する。

22時21分。「これだけやないねん」と怒鳴り散らすオッサンの一挙一動を見つめて濃いめのうどん出汁をすする夜。今夜も冷え込むようだ。

2013→→→→→

『あけましておめでとうございます!』




うむ。


人はなぜ、新年を祝うのだろうか。


アラサー。アラサー?と呼ばれても「そうです」としか言いようのない年頃になった汚英は久しぶりに真面

目に深く妄想した。アラサーの真面目な妄想。アラモである。




静かに30代へと差し掛かった腫れぼったい瞼を閉じて思考を巡らせる。


汚英は時をかけた。

目の前にはあの時の光景とか、思い出のあの場所とかがパラパラパラーっと広がった。


2013年アラサー男子から、もはや自分を越えて、人類初めての人類までトリップしていた。




。。。



。。。。



。。。。。




古代、初めて知能・知性を持った人間にとって、初めて迎えた日没は美しくも恐慌の艶やかさに満ちていたに違いない。




太陽の光を精一杯受け止め輝いていた大地が、荒野が、運河が。穏やかな風に優しく踊る草花、ほのかに香る土の匂い。それらが全て夕闇に飲まれてゆくのである。




腕の長さに至る範囲でしか物事に変化を与える事の出来ない己の力とは比べ物にならぬほど、広大で目に映るもの全てを、それはいとも簡単に呑みこんでいくのである。



蜜のような甘い神秘的な赤から、徐々に鈍く黒く、そして暗く。




混沌の世界には臭いと音だけの世界が広がり、あの明るく輝いていた世界はもう二度と自分の前には現れないのではなかろうかという不安が、恐怖が心をも暗がりに変えてゆく。


膝を抱え、獣の鳴く声に身を震わせ、それまで優しく感じていた風の音さえ自らを貶めようと耳元でささやく悪魔のようである。




「嗚呼、あの明るく輝く広大な大地をもう一度見てみたい。踏みしめる大地の温かさをもう一度感じたい。」




小さな希望を胸に抱いた刹那、東の空の雲の輪郭が先ほどよりもぼんやりと浮き出ているように感じた。


いや、間違いない。



胸に溢れる希望が大きくなるにつれ、身体を脈打つ鼓動が早まるにつれ、それは明確に鮮明にゆっくりと大地を、足元を照らしてゆく。



初めての人類が、初めて日の出を経験した瞬間である。



再び青年の目の前に広がった清く艶やかで、希望に満ちた世界には、心に強く「もう一度見たい」と描き続けた大地が、荒野が、運河が、変わらぬ姿で風に揺らされ一心に照らす光を受け止めている。



朝露に湿った冷たい土の地面を踏みしめながらも、その冷たささえ青年には温かく感じることが出来た。


ふと眼から溢れた涙が頬を伝い、輪郭の先端へと重力の導くままに流れ、青年の足元の土を静かに濡らした。




「生きている」



涙の温度を眼で感じながら、青年は大地に膝をつき、両手を握りしめ、天に高くかざし、後に「太陽」と呼ばれる人々の「生」を照らす象徴を一心に見つめながら叫んだ。



『うおー!!あけましてー!!おめでとうございますー!!うおー!!』





。。。。。



。。。。



。。。



時は2013年、「なるほど。一度終わりを迎えたと思った世界が、再び幕を開けた。無事に夜が明け、おめでとうございますなのか。」



1年という大きな節目を迎えることも大儀なことであったろう。そう思うと、汚英は冒頭であっさり適当に『あけましておめでとう』なんて軽く発してしまった自分に異様に腹が立ってきた。



もっと、こう、心の底から泣き叫ぶような『あけましておめでとう』を言いたくなってきたのである。

言うなれば『う』から入るくらいの『うぁけましてぇー!!うぉめでとうぅーございますぅーっ!!』ぐらいのやつを。



よーし、ふふふ。よーしよし。浴びせてやるぞ。俺は太古まで遡り、人類初のあけましておめでとうを会得したのだ。お前らに浴びせてやるぞ!

俺の新年に対する熱き、血沸き肉躍る、この心からの明るい新年の叫びを浴びせっ・・・




『あ、あけおめっす~。』

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