京都府 旧大谷 鉱山 | 鶴嘴さんのブログ

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はい、こんにちはツルハシです!

今回は、京都府亀岡市稗田野町 旧大谷鉱山の記事になります。
現地に到着直後…

一発目に嫌な物が目に入った。

やはり、ソーラーパネル基地になっている。

新たに大きく切り拓いたような痕跡が見られる、
ここは最近切り拓いたのだろうか?

それとも嘗ては鉱山の施設があった場所なのだろうか?

その脇にこのような柵がある。

ここも立入禁止なのかと思ったが柵をきちんと閉めれば通行可能のようだ。

猪や鹿の被害があるのだろう。

柵を開けようとすると、茂みの奥から沢が流れる音がした。

奥へ進むと、供養の為に建てられたという弁財天が立っている。

敷地の持主の石材屋が鉱山で犠牲となった方々への供養で建てられたという。

その横には、坑口が分厚い鉄の扉で塞がれていた

中を覗く。

こちらも頑丈なコンクリートが設置されていた。

公害になるうる物かなにかが出ているのか?

流れ出る坑内水を見るが無色無臭。

崩落だけの処置にしては…

下へ下るとこのような排水処理施設があった。

後々調べると昔カドミウム汚染が問題になっていたと書いていた。

続いて生活場へと下りてきた。

ここは、鉱員社宅だった建物。

現在も誰かお住まいのようだ。

このような光景を見ると嬉しくなる。

人が住めば家屋は痛みにくい。

さて、続いては鉱山の購買所。

こちらも建物が残る。

かなり大きな建物だ。

裏手に周る、奥行きもあり営業当時は賑わっていただろう。

生鮮食品や生活用品など様々な物が置いてあったのだろうか?

そんな遠い昔に思いを馳せる。

裏手側にも古い長屋が残る。

こちらも鉱山の社宅か?

購買所、正面に戻る。

建物には、蔦が繁茂して閉山から長い月日が流れているという事を感じさせる。

柵の奥まで行きたかったが、突然体調の異変に気付く。

仕方なく この日の調査を終える事とした。

最後に旧大谷鉱山の詳細

明治末期 銅鉱山として採掘開始、

大正3年 栗村鉱業所㈱がタングステン鉱山を開発、
戦時中などは軍事物資として必要であった鉱物。

大戦景気や不況により休山と再開を繰り返す。

昭和20年 終戦とともに休山。

この鉱山も第一次世界大戦や第二次世界大戦景気に左右された鉱山といえよう。

昭和26年 タングステン鉱山として再開。

戦後の物資不足や戦後復旧、高度成長期などが理由と思われる。

そして 昭和58年9月 閉山となる。



この大谷鉱山の動画はこちら。
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