旧布計鉱山 続編 | 鶴嘴さんのブログ

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全国の旧鉱山や旧炭鉱の調査を行っております。

さて、旧布計鉱山の続編となります。

珍しくヤル気が継続しているので書いてみようかとおもいました。
そして、
もう一つ思い出したかのように今更ですが鹿児島県鹿児島市の旧錫山鉱山調査後に日暮れとなってしまったので道の駅で車中泊をし、翌日鹿児島県伊佐市の旧布計鉱山へと入山しました。

途中、ある理由でお蔵入りになりそうな鉱山に寄りましたので到着時間が遅くなった。

1言でいうと…

ヤ、櫓が残っている!!

ていう鉱山でした。

インスタなどでは紹介させていただいていますが
記事や動画はどうするか考え中であります…

さてさて、本題に戻らなければ何時もの脱線会話になりかねないので続編へといきます。

前回の更新でも載せた写真なのだが、数年前から遠くからでも あそこには何々があるのではないかと推測ができるまでになりました。

やはり、
坑口がありました。

坑門前の切り拓きや地形等で判断できます。

この坑口は、西南側を向いていますので運搬専用坑道だと思われます。

コンクリートで造られたアーチ型の坑門が印象的でした。

コンクリート製という事で内部に入ってみようかと思います。

コンクリート製だから安全という訳ではなく、自己責任という事で入りますが、ここで何かあれば一巻の終わり…

スマホは、圏外そして1人。

今日も無事で帰れますようにと…

しかも、お約束でいつものライト忘れました…

しかし目視では奥まで見えていて奥は崩落により
塞がれている。

戻るとしよう。

自分的には いつもこの光景が思いに耽る時で、
鉱員さん達は こういう目線で坑内から出ていたのかと思いを馳せる。

暗闇に一筋の光が射し込む光景は何とも言えない
感覚に落ちてしまう。

外に出れば排水管だろうか?

地中から潜望鏡のような配管が3本突き出ている
1部は、排水管であろう。

運搬専用坑道に集水された坑内水を排水する為の配管だと思われる。

さて、更に登る。

ここには、他に第一竪坑、本坑、新旧疏水坑があったとされているので隈無く歩く。

やはり…

到達した頂上付近には下で見た遺構より更に巨大な遺構が残る。

現在、草木の緑に浸透するかのように佇む。

この巨大な遺構が竪坑の基礎だったのだろうか?

そして、この遺構から北側に伸びる林道。

前回も書いたがこういう林道は必ず確認するべきである。

やはり…

指差す場所とそのしたには坑口があったはず。

地面から坑門の一部が出ていた。

アーチの頭頂部がかすかに開いていたが坑門上部は崩落し、入口すぐで塞がっているようだ。

そして、指差した坑口は残念ながら完璧に塞がっている。

周辺にも素掘りの坑口がいくつか確認できた。

さて、林道はここまでで行き止まりとなった。

第二竪坑まではつながっていないようで第二竪坑までは、下の道から回って行ける。

第二竪坑まで回り込むかと考えたが、ここでまた
日が暮れはじめた。

写真や動画では明るく見えるだろうが目視では、
このような明るさではない。

まだ、実際にここ第一竪坑付近には、疏水坑、旧疏水坑があったとされ、

第二竪坑付近には、運搬専用坑、第一堂原坑、第二堂原坑などがあったと聞く。

まだ、調査が足りないが錫山のように無理をするのはやめておこう。

最後に足早に集落へと来ました。

しかし、人影は一人として見られず。

それ以前に家屋から人が住んでいる気配を感じられない。

半壊や全壊の家屋も所々見られる。

金山が最盛期、どのような町並みであったか?

人々がどのような生活をしていたかという光景は
現在では見られない。

金山という主要産業の衰退と共に町も衰退していくのだろう。

これが鉱山町の宿命と言える。

今回は、鹿児島県の鉱山を再度調査し、今回も様々な事を発見できた。

鹿児島県には、まだ調査を行っていない鉱山も多く残っている。

また再度訪れてみたいと思う。