日窒 鉱業(株)江迎鉱 | 鶴嘴さんのブログ

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全国の旧鉱山や旧炭鉱の調査を行っております。

以前の更新から数年 範囲制限をされた この炭鉱跡地でも多くの遺構を見ることができた、

前回更新時の通気坑と呼ばれる遺構、



内部は 塞がれていた。


そして 今回も大山氏と広範囲に歩く、
大山氏の話では 選炭場も立入禁止区域に入らずとも 目視できるとのことである、

先ずは 航空写真。

現 江迎町 株式会社ニッチツの場所には、

昭和10年 開坑の第一坑があったようだ、
そして 北西側には 小迎第一坑という坑口

昭和33年の資料には 載っている この坑口は 租鉱区で採炭していたようだ、

写真では わかりにくいとは 思うのですが、現地で見ると あからさまに石垣にて塞いでいる坑口があった…


そして 株式会社ニッチツの踏切をわたると、

軌道跡のようなものも残っていた。



裏側の山ノ神方向へ、
石段が枯れ葉に埋もれているのだが 角がかろうじて確認できる。

御神体は 移してあるのだろう 本殿は 残っていなかった。



選炭場へと歩く 裏側から回ると普通に林道がある、

柵の右側は 立入禁止なのだが…


こちら側の林道からも確認できる、

少し厳しいがズームで撮れば 巨大な遺構が確認できる。

周辺には、

石段が残り 選炭場 南側の旧桜町の跡であろうか?


足元には、

道中車が転がり付近でトロッコが往来していた事を表す。


最後に空中索道の延長線上 東側の丸尾東坑へと向かう、

炭鉱住宅が現存するが これは 築何年の住宅であろうか…

この東側の地区には、
昭和16年開坑の第二坑があったようだが、
第二坑が操業中は 周辺に炭鉱住宅は なかったと資料内に記載がある、

航空写真でも 切り開かれて木の無い状態が確認できる、
昭和25年までとなる 第二坑は その後 丸尾東坑(租鉱区)となり操業していたという事であろうか、

そして 自ずと 炭鉱住宅は 昭和25年以後の建設となるだろう。


近所の御婆さんに昔の様子を聞くと 確かに坑口があったと話す、その方向に進むと、

おっと、


埋もれて はっきりとした形は わからないのだが 入口には このような金具が残っていて 何かを引っ掛けるうになっていた。


大山氏が中を覗くと、

「コンクリで塞いでます!」

と大山氏が言ったので 自分も急ぎ覗いてみた、写真では 見にくいですが確かにコンクリートで塞いだ跡が はっきりと確認できた。

時間が限られ ここまでとなったのだが、
確認したい所もあり  今後 周辺も詳しく歩いてみたいと思う。



一通り 見た後、
炭鉱住宅へと戻れば 御婆さんが待っていた
少しばかりだが 昔の話を話ていただいた、

最後には、

「ミカンやろ」

とミカンを数個 手渡してくれた、

「ご苦労さん」

長崎の人は 最後にご苦労さんと声をかけてくれる、
これも 地域独特の習慣なのだろうか?

仕事で回ってはいない事で ご苦労さんと言われると 謙虚になってしまうのだが、
やはり いつも その言葉に癒されると感じてしまう。