この10日ほど、ずっと頭にひっかりながら、今ひとつ進捗しなかったapplicationがあった。
4月18日0時に締め切られるその募集を見つけたのは、2週間前。
ちょっとずつ調べ物をしたり、ドラフトを作ってはいたのだが。提出はしないつもりだった。
今の私には背伸びでもあり、逆にちょっと不釣合いでもあり。
そして、彼のいる場所に近くなってしまうことが、とても嫌だった。関係、ないと知りつつ。
ご存知の通り。一週間前の彼のバースデー。私は電話をした
。←こんなに情けなく。
もちろん、彼は電話に出ることはなく。何かのリアクションも無いままだ。
決して何かを期待して取ったアクションではないのだが、やはりどこかで気になると言うことは。
期待値がゼロではないということ。心のどこかで、何か期待していると言うことになるのだろう。
期待すると言うことは、ほぼ100%の割合で、裏切られると言うこと。
他人が誰かの期待に応えることはできないから。それは、ストレスとなり自分を苛む。
だから。皆が口を揃えて言うように。「期待しない方が、ずっと楽」なのだろう。
B男も以前言っていた。
「お前みたいに鷹揚で、性善説ばかり言って簡単に他人を信じすぎるやつは見たことがないよ」
誰もがご存知の通り、私はすぐに男性(しかも超のつくだメンズ)を好きになる。
雰囲気と感情に流されやすく。口説かれるとすぐに相手を信用してしまう。
思うにそれは、信用と言うよりも。相手に対する一種の期待だったんだと思う。
29歳の時。家族含め、長年親しくお付き合いした男性と結婚を控えていた。
28歳の夏。私は、海外に滞在していた。現地の仲間たちは言った。「あなたも本格的に来ればいいのに」。
彼を100%信頼していたと思っていた当時の私は、なんの躊躇いもなく答えた。
「留学は、また努力すればチャンスがきっと来る。今が最上の契機だったならば、2番目、3番目でもいい。
でも、彼との人生は、他に替え難いもの。だから、今は帰るよ。いよいよ、彼と結婚すると決めた。」
そう言って私はNYからの国際電話で、彼の4年越しのプロポーズを受ける返答をしたのだった。
でも、両親にも兄弟にも反対された。理由は。彼がの収入があまりにも少なかったから。
そして、彼は転職し、マンションを持ち仕事と夢を持つお姉さんの元に転がり込み、半年後に結婚をした。
次の相手は友人曰く、「んー。おかんみたいな女だよ」。私とは正反対のタイプだと。
当時2人は家族も、友人も、生活も、仕事も。生活のほぼ大半をシェアしてしまっていた。
突然、何もかもが無くなったような気がした。
私は、ものをつくる仕事をしていた。しかも、半分はフリーランス。
収入も雇用も安定こそしなかったけれど。好きなことをやっていた。
気合を入れて仕事をこなせば、かなりまとまった金額を得ることも可能だった。
ただ座っているだけでは1円にもならないが、手を動かせばそれだけの結果が生まれた。
時間は自由になるし、結婚をして家庭に入り子供ができても、自分のペースで仕事ができる。
彼は、同じ業界のバイヤーだった。彼が極僅かな出資から始めた副業にも、昼夜を問わず尽力し。
気づけばまとまった結婚資金を得るまでになっていた。
2人で独立することも念頭にあったため、なんだかとても、都合がよかった気がしていたけれど。
彼が私に告げたのは。「中途半端なんだよね、お前は」
その一言だった。
私は、すごく悲しかった。最も痛いところを衝かれたのかもしれない。
そして仕事を辞め、サラリーマンの道に戻った。見返してやりたかったのか、自分が恥ずかしかったのか。
失ったものを取り戻すべく、キャリアが欲しくて。昼夜問わず無我夢中で仕事に没頭し、3年が経った。
友人たち、家族から「無理しすぎなんじゃないの?」
そう言われながら、ただ目の前の仕事をこなし、階段をのぼり、サラリーとポジションを上げた。
目の前に出しが成果が積みあがっていく。目に見えるその作業はとても楽しかった。
仕事に没頭した時期。合間を縫って寝る時間を削っては飲み歩き、パーティー三昧。
外資金融、IT起業家、スポーツ選手。レーサー。スペックだけの男性と、短いお付き合いを重ねた
。
時折、その狭間狭間に、優しくて家庭的な男が入ってきた
。(**全てリンク先参照)
でも。安定と安らぎより、刺激と向上を求めた私にとって。安定は退屈で、包容はプレッシャーだった。
悲しいことに、その愛情に対し、至極勝手で傲慢な態度でしか、応えられなかった。
その度に自己嫌悪に陥り。人を傷つけるくらいなら、自分が傷つくほうが、ずっといい。そう思った。
だからお相手は、どれも自分に夢中なだけの短命なだめんずに戻る。でも、それでよかったのだ。
私の邪魔をする男なんていらない。恋愛は、生活の彩りに過ぎない。そう思っていたから。
何時の間にか、私は好んで、痛々しい女になっていたのだと思う。
そして誰よりも、そんな自分を嘲笑した。
本気でまた誰かを大切に想い、愛して、失うのが怖かったから。もう、泣きたくなかったから。
しかし、たぶんそれは。自分の根源にある気持ちのパラドックスそのまま。トラウマに過ぎない。
もう二度と会わない、話すことすら無い元彼を見返してやりたかった気持ちを原動力にし。
私は、ひとつの夢と鷹揚さを持った自分を燃料に引き換え。
満足できる自立した自分、安定した生活、キャリアと収入という、新しい道を目指したのだと思う。
でも結局は、あの日手から滑り落ちた婚約指輪と婚約者を超えるものを見つけたかったんだと思う。
原点は変わらない。私は家庭を持って、子供を持ちたいと思う気持ちが強いのだと思う。
あの時自分に足りないと思ったものを継ぎ足してゆけば。その先には幸せがあるような気がしていた。
だから私は、向上心の強い男に惹かれるのだ。自分が自分に対して、コンプレックスが強いから。
もしかしたら。単にあの男より頭がよくて、あの男より優れた強い男を捜したのかもしれない。
いや。1番私が探しているのは。あの男より私を守ってくれる男なのかもしれない。
私を、裏切らない男。腹心の信頼、お互いが距離を保ち、自由になれる相手。駆け引きの不要な相手。
漠然とそんな不発弾を抱えつつ、ただ、仕事に没頭した日々が続き。わたしは、からっぽになっていた。
ちょうど1年前。2年半働いた職場を離れ、ふと猪突生活に一息ついた時。隣りにいたのがBだった。
彼は古い知人だったこともあり。何でも言い合え、何より無理をしなくてよかった。
わたしが、しょうもないこと。おバカなこと。Spoilされた立場であることを知っている心地よく楽しい相手。
しかし。およそ結婚と言う単語の真逆にいる男から、
「お前となら家庭と子供を持ってもいいと思う。家族とも住めない俺が初めて他人一緒にいて楽しいし」
確かに、彼は実家と程近い場所に一人で住んでいた。家族でも、毎日一緒だと息が詰まるのだとか。
そういわれたことを契機に、おままごとのような生活を共にした。毎日私は彼を起こし、夕食をを作った。
毎日、私が三田のTSUTAYA、あるいは彼がヒルズのTSUTAYAで入手したDVDを観ながら。
あるいは、ゲームをしながら。毎晩、全く同じ好みのビールとワインをとめどなく空けつつ。
私の作った食事を彼は食べ、食後には彼とのセッション、そして、マッサージをして眠る日々。
穏やかな、なんでもない毎日が続いた。ふと、また結婚が頭を過ぎった。
「仕事を始めると、お前働くの好きだし、帰ってこなくなるしな。別に住んだ方がいいかも。」Bは言った。
そうなると。正直、私はもはや就職活動より、彼との生活を優先した。
それでも、4ヶ月ほど経過し、私は彼の理想どおりの会社に入社。地獄のように忙しい毎日。
そして。彼もまた、私から離れて結婚した。私はまた、大きなものを失いコンプレックスが増えた。
(このあたりはB男逸話集をご参照ください
)
また、結婚したいと思う気持ちと。どうしても親になりたいと思う気持ちを持て余し、厭世、厭人。
ぺらぺらにやせ細った体と心は、障るものを全て傷つける、うすっぺらい紙のようだった。
すべてを持て余し、心身共に限界に達していた私は、2007年を迎えると直ぐに旅に出た。
そこで再会したのが、彼だったわけだ。(NY恋物語参照
)
彼は、私の一挙手一投足を愛で、過大な愛情表現で私を包み、昼夜場所距離を問わず愛を語った。
頑なに心を閉ざしていたはずの私であったのに。その氷の扉は、あまりの熱情に溶けてしまったのか。
私はまたあっけなく彼を信じ、自らの全てをぶつけててしまったのだ。疑うことを知らずに。
出会ったばかりの彼に、きっと多大なる過多の期待をしたのだ。重たい荷物を背負いながら。
そして、映画のような恋愛の日々は、映画なので当然ではあるが、あっけなく終わりを迎えた。
今度こそ、もう二度と恋愛などしない。もう男など信用するものか。脆弱と知る浅薄な想いを、胸に刻み。
恥ずかしながら、期待しないと言うこと。最近ちょっとだけ理解できたような気がする。
今まで私は、自分に言い寄る男性に期待をしたんだと思う。「この人なら!」って。
恋愛の始まりそうなサインをキャッチすると、すぐに交信を始めてしまう。
だからいつもすぐに恋は始まり、終わる。映画のようなドラマティックな恋愛。
でも、「恋愛は無理」。そう言われつづけ。そう割り切ってみると。期待をしなくなる。
今までなら、恋愛のスタートになりそうなサインがあっても。もう気持ちは動かない。
これはいわゆる不感症なのかもしれないと思ったわけだが
期待をしないと言うことは、裏切られないと言うこと。皮肉にもある種余裕が生まれる。
冷静になってきた。
海外に住む友人たちと会った時。皆年齢は同じだし、生活は安定していない。
でも、彼女たちは好きなことをやって満たされていた。
「結婚はね、できないと思ってるから」「ま、いつかできればラッキーかな」
口々に同じような台詞を口にした。
ちゃんと、割り切っているのだ。やりたいことをやるために。自分が満たされる術を知っていた。
確かに、私は中途半端だ。また、あの3年前に引き戻された。
もう、何かを誰かに期待するのはやめよう。もうすこし、冷静になるまで。
結婚したいんだったら。子供が欲しいのだったら。その欲求をちゃんと受け止め。
そこに真っ直ぐ向かう自分の生活スタイルと言動を全うすべきであるはずだし。
偉そうなことを、難しい顔をして言ってばかりいないで。素直に可愛くなればいいのだ。
自分が満たされたいのであったら、もう一度自分の思う道を進むべきだと思う。
いずれにせよ、自分で納得して。誰かが変えてくれる、助けてくれると期待するのではなく。
自分でコントロールし、できる妥協を見極め、自分で結果を導かなくてはならない。
ま、それでも想定外の嬉しいことがあればいいのに。と思ってしまう気持ちもある。これも、期待なんだな。
期待しないと言うことは、なんとも難しいことである。