日曜のうららかな昼下がりのねたとしては、非常に不似合いだけれど。

アメリカで体験した不思議な事件があった。


今まで、一体なんなのか。よく理解していなかったのだが。
気づけば、あれはいわゆる、蔑視そのものであったということ。
今まで海外にいても、蔑視を実感したことは無かった。


インドに行っていた頃は、人種と言うよりは民族の差異を体感することは多々あれど。
悲しいかな、あくまでそのヒエラルキーの中にすら属さず、立ち居地は無かった。
私の中では、差別ではなく、一つの事実を傍観していたに過ぎなかったということ。


まぁ、私はどこに行ってもどう見ても15-6歳なので。
子供に対してあからさまな表現をされてこなかったのかもしれないけれど。


とある日。私は西海岸のリゾート地にいた。そこはディズニーランドの街。

米系の大きなチェーンホテルは、リゾート色満開。スタッフのコスチュームもアロハ。


私は、タワー上層階に宿泊していたのであるが。 タワーにはエレベーターは4基しかない。

だからいつも、待つ。

ある時。一人ぼっちで退屈していた私は、ロビーに降り立ち。
consiergeに相談し、置いてあるツアーパンフレットをあれこれ物色。いくつかピックアップして部屋に戻った。

と。向かいのTARGETで買った好物のグミの袋を、ロビーのソファに置き忘れたことに気づいた。(これ↓)


あーめんどうだなあ。と思いながら。

どうしてもグミが食べたくなった。 他で見たことのない、、
中にジュースが入った新作をゲットしたからである。(阿保)


で。しぶしぶ部屋を出て、エレベーターを待つ。

いつもながら、なかなかランプは着かない。

漸くやってきたエレベーターに乗り、ロビーへ。


開いたドアからは、5-6人の東海岸アクセントの米人男子(30代)が、ゴルフバッグを抱えて乗り込んできた。

彼らの荷物の多さに愕きつつも、ドアをキープしごく当たり前に挨拶を交わして降りた。



目の前のソファにぽつんと置かれたそのバッグを取り戻し。

私は、まだ乗降中だった、今降りたエレベーターにまた乗ろうとした。



と。彼らの一人が、私に言った。


「乗れないから、降りて」


エレベーターはキチキチ、と言うわけではなく。明らかにスペースは空いていた。

そして彼らが笑っていたこともあり。私は、それは何かの軽口なのではないかと思った。

第一、この箱をやり過ごしたら。また5分もロビーで待たなくてはならなくなる。ありえない。


「小さいし、そんなに重たくないから。ブザーは鳴らないよ」


ふざけてそう言って箱に足を踏み入れ、背中を向けると。エレベーターのドアは閉まった。

ドアサイドに立つ私。彼らのリクエストする階のボタンを押してあげる。

その時。そののざわめきの中で誰かが言った。


「She's Jerk」



は?


耳を疑った。


未だかつて、Jerkと言われたことなどなかった。なぜなのか、全く理解できなかった。



6階、8、10階。彼らが順番に、背後から降りてゆく。1番上のフロアのボタンは、私だ。


その後は何かを言うわけでもなく、私は理解できない怒りに興奮し

一瞥することもなく彼らが降りるのを待った。ただ、やり過ごした。


15階にリフトは到着し、私は怒りにぶつぶつと独り言を言いながら、部屋へと向かった。


何か、失礼なことをしたか??何か言い返せばよかった?

一体、なんなのだろうと。



ドアを開けると、彼が部屋に戻っていたのだが

あまりに私がぶつぶつと怪しい独り言(しかもテンション高め)で勢いよくドアを開けたので

とっても愕いていた。

私は矢継ぎ早に今起きたことを話すも、彼は無関心というのか。

特に、何がいけないのかわからないね。と言う話になった。


その後、現地に住んでいる友人にもその話をしたが、彼女も理解不能だった。



何となく時は過ぎ。いつしかそのことは滓のように残りながらも、忘れていたのだが。

先日、彫金マダムと別の話をしていた際に気づいた。海外生活の長いマダムたち。



それは、有色人種と同じ空気を吸いたくないからではないかということ。
同じ空間に閉じ込められることが、不愉快だと言うこと。


ああ、そうか。

そういうことだったのか。


そこは、西海岸。歩けばヒスパニックの嵐。そして、リゾート地。
リゾートホテルの宿泊客。そして、相手は子供であるにもかかわらず。(子供じゃないけどね)。

東海岸のオフィスや高級ホテル、デパート、というわけではなかったし。

恥ずかしながら、全く想像すらつかなかった。 まさか、と思ったけれど。そういうことだったのだ。


人種差別以外の、何ものでもないということ。


日本でも、外国人に部屋を貸さない大家さんや、エレベーターを嫌がる人は見かける。

それと、全く同じことだと言うこと。


何でも、痛みは受けてみないと分からない。
同じ人として、何の違いが在るのか分からないけれど。

多様な民族を受け容れるはずの自由の国で、最も民族主義的な排他性を目の当たりにした。

自らが蔑視の対象になって初めて、その不愉快さと憤りに気づく悲しさ。
理解することすら出来ず、解決策が無いことへの憤りと虚無感。


もちろん、Bushをはじめとする共和党の極右民族主義は承知している。

現在、全米のトピックスである大統領選を控え、Obama氏の人気の根源はここにあるのだと思う。

でも、それは同時に。無意識裡に自分も同じ事をしているかもしれない、得体の知れない不気味な怖さ。


皮肉にも私が思い出したのは、彼のホームタウンでのあの選挙。

優勢だった現職George Allen(共和党)のMacaca失言による、敗退 (リンク先はビデオです)



格差社会もヒエラルキーも否定するわけではないのだが

自らの努力で変えられない背景にしか、存在価値を見出せないのだとしたら。

それはあまりに偏狭で悲しく、その先にあるのは傲慢と争いでしかないのだと思う。

受ける側の屈辱を知り、初めて私はそのベクトルを発する側には立ちたくはないと、強く感じるパラドックス。


お天気がよすぎて鬱になるような、底抜けに明るいLAの空。あらゆる地域から集まる子供たちの嬌声。

そんな中での、ちいさく切り取られたワンカットは、あまりにも重くグレーで。


色んな意味で、思いに耽り、悲しい旅でありましたな。


あ。今日は、パリマラソンだ。パリは雨みたいで、ちょっと心配。

あー、ぐみ、日本で買えないかな。。。。