高校時代のアメリカ交換留学から戻ってきたのが17歳、
学年で言うと、高校3年生の1学期が終わる前でした。(6月末くらい)
約10ヶ月の交換留学でしたが、ホストファミリーにも恵まれ、
ホームシックにもかかりましたし、英語があまりにもできなくて辛い思いをしたりなど大変なこともありましたが
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最終的には、とても楽しいアメリカンライフを過ごし、
そのまま大学もアメリカに行きたいくらいアメリカ大好きになり、
性格などもすっかりアメリカンナイズされて帰ってきためうみでした
なので、もともと行っていた高校が本当に申し訳ないくらいつまらなくて(失礼)
学校に行くのが嫌で嫌で仕方なかったです
そして、その頃から行きたい大学は決まっていたので、高校3年生ですので受験勉強がすぐにスタート
志望大学に行くための専属の予備校があったので夏期講習からそこに通い出しました。
そのクラスには私と同じように1年留学した学生が多くて、話も合う子ばかりなので、
正直、高校に通うよりもこの塾に行くのが楽しくて、クラスがなくても毎日通っていましたw
そこのクラスで仲良くなった子が、先日NYで再会した友人です。(第一印象はすっごい生意気そうとお互い思っていたw)
でも同じ共通点が結構あって(高校が合わない、つまらない、あう友達がいない)意気投合し、すぐに仲良くなりました。
当時は、お互い同じ大学を目指し、現役では間に合わず、浪人することになったのですが、
浪人中も一緒に勉強した仲間の1人です。
家だとなかなか勉強に集中できないので、
塾がない日もどこかで一緒に勉強したり(マックとか予備校の自習室とかで)。
でもその子は、結局同じ大学に行くことはなく、途中で今の旦那さんとアメリカ旅行で知り合い、すぐに婚約し、
数年後、アメリカに嫁いでしまったので、確か、21歳くらいから疎遠になってしまいました。
私もその後、大学に入ってから大学生活が忙しくなり、前ほどあまり連絡を取らなくなり前ほどあわなくなって行きました。
確か22歳くらいにアメリカに本格的に行ってしまったので、その後は、本当にたま〜に連絡していました。
そして、私も社会人になり、新入社員として、新宿で働いていた時に
彼女が、たまたま、結婚のお披露目でハネムーン途中に日本によったのでその時に新宿でアメリカ人の夫と彼女にあったのが
最後という感じでした。
先日NYで再会した時に知ったのですが、なんとその子の新婚旅行、「タイ」だったのです。
本当はチェンマイやプーケットなどに行くつもりで計画していたそうですが、
なんと当時、2001年の911が起こったあとだったので・・・(2002年)
アメリカ人は、タイでは、マークというか敵視されていたみたいで、
あまりタイをウロウロしない方がいいと複数の旅行会社の人にいわれ、
プーケットやチェンマイにに行くのを諦めたとのこと。そして結局バンコクからパタヤに行ったそうです。
それも新宿で会った時は全く東南アジアとかに興味がなかったので聞いていたと思うんですが、記憶ゼロw
でも改めて聞くとなんか、色々感じるものがありました
新宿で会ったのが確か、私が24歳くらいだったと思います。
その後は、しばらく会ってなくて、多分、出産した後に、友人が、一時帰国していたので、
その子の自宅に我が娘たちを連れて行ったのが最後だったと記憶しています(めうみ32歳とかかな、多分)
そしてそれから連絡先もなくなってしまい(携帯変えたりとかで)ずっと連絡をとっていなかったのですが、
なぜかSNSで繋がることができ、数年前から連絡を取るように(と言っても細かいやり取りはしませんが)
そして、数年前から私もNYに行くことが増えたので、その時に会えたら会おうと話をするのですが(いつも連絡はギリギリ💦)
その子が住んでるのは、ボストン、私はNYなので、ボストンとNYも遠い(5時間くらいかかる)ので簡単には行けず
いつも会えずじまいでした。
でもきっとどこかで会えるよねとお互い言っていて
そしてついに先日、NYで15年ぶりくらいに再会したのです
会うまでは15年ぶりだーと思っていましたが実際に会うと久しぶりという感じはなく、
お互い変わらずで昔に戻れた感じでした。
でももちろん、知り合った頃からは30年近く経過。
お互いあの頃の自分から今の自分は想像できなかったけど
日本の社会にお互い合わなかったので(笑)
今、海外で、もちろん日本人が海外で生きていくこと大変だけど
海外に出れて良かったよねと。
子供も年が近くて、18歳と16歳、うちは、16歳と14歳、なんか今でも共通点も割とありびっくり!
実は、友達は、数年前に大病していて
会える時に会っておいた方がいいと思ってと、遠いなか、車と電車でNYまで来てくれました。
本当に感謝です。
健康第一だよねと改めて思いました。
友達の場合は、アメリカの医療で命を助けられたとのことでそれも本当にアメリカにいたから良かったよねという話になりました。
日本の医療ももちろんいいのですがやはり、できること、許可がおりることなどが日本だとスローだったり
日本だとできない(やらない)ことも多いそうです。
友人の場合、時間との勝負だったのでアメリカの医療が良かったようです。
あった時に色々話してくれましたが、かなり壮絶で、2年くらい経ったから話せると言っていました。
子供もまだその頃は13歳前後だからほんとうに辛かったと思います。
まずは健康でいることこれが何よりも大事なことだなと改めて思ったのでした。
ウクライナ料理を食べました。ロールキャベツみたいな感じのもので、おいしかったです。
その日は、ミッドタウンあたりから、このウクライナ料理を食べに歩いて
トータルで2時間近く歩きました。
NYは地下鉄は危ないので、歩く方がまだ良いみたいです(明るい時間であれば)
そうそうその時にリボンで有名な、Na Ra Yaのバッグを持っていたのですが、
アメリカ在住の友人も知っていてオンラインで頼もうかなと言ってました!
人気なんですね!
確かに使いやすいです。
タイのお土産で有名ですね!
買ってきてあげれば良かったw