2024年10月7日


こんばんは


自分は朝ドラが好きで、だいたいの作品は

お昼の再放送も含め見てきたつもりなんですが

すみませんが「おむすび」は脱落しました


虎に翼が法曹界の話で完璧だった

というのも確かにあるんですが

朝からギャルだプリクラだパラパラだ

ちょっとあまりに軽すぎてついていけません

ファンの方には申し訳ないのですが

しばらくはお休みしそうな雰囲気ですね


さて、9月最初の三連休に旅した

初秋の新潟縦断の旅は山形県へ

サブタイトルちょこっと山形県の旅

今回はあつみ温泉の道の駅から少し南下して

かつて東北地方とを隔てた念珠の関を越えた先の

鼠ヶ関という街にやって来ました


まずは源義経も訪ねたという厳島神社へ

いかにも海辺の神社と言った雰囲気で
潮の匂いがその空気感をさらに引き立てます
源義経も立ち寄ったとされる鼠ヶ関は
小さな半島のような地形になっていて
かつては今よりも半島部分がさらに細く
この付近では貴重な天然の良港として栄えました

荒々しい日本海もかつては北前船が通る大動脈
この地も上方と繋がっていたのだそうです
今では地域の漁港として
またヨットやクルーズ船が停泊するマリーナとして
特に夏にはたくさんの方で賑わいます
2019年の夏に訪ねた時には
多くの観光客が海岸を埋め尽くしていました
そんな半島の先端に位置する灯台は
岩場の多い海から船を守る
海上交通の要として現役で使われています
海のない信州人、海にも弱いのですが
灯台にもまた弱いんですよね(笑)
天気が良ければ粟島も見えます
この辺りの海は透明度が高く美しいですよね

さて、そんな鼠ヶ関は実は不思議な街なんです
というのも…
街の何気ない路地に、新潟県と山形県の県境が!
しかも新潟県と山形県は行政の管轄する地域が
まるで違うお隣さんになりますので
こんな街の中に大きな意味を持つ県境があるなんて
とても不思議なことですよね
高等裁判所だと東京と仙台に分かれるんですが
この何気ない町中にその境界線があるんです

以前、2019年に訪ねた時のブログで
不思議な鼠ヶ関の街と紹介したのですが
あれから数年経って自分が回復した以降になって
「普段あんなにいろいろ歴史を辿るくせに
鼠ヶ関について何も書かないとは酷い」
と、いちゃもんを書かれたことがありまして

ですので、ちゃんと今回は鼠ヶ関の成り立ちを
ここに書いておきたいと思います(笑)

元々、鼠ヶ関は越後国(今の新潟県)村上藩でした
その頃には国境はここから少し北の
念珠の関に引かれていましたので
この地は長いこと新潟県だったことになります

ところが、明治時代に入り政府軍と幕府軍が
内戦として国内各地で戦いを繰り広げた
戊辰戦争が起きると
奥羽越列藩同盟の主力として幕府軍を支えた
越後国の各藩はやがて政府軍に包囲されていきます

庄内地方の鶴岡藩は政府軍を支援していたため
両者はここ鼠ヶ関で直接対決をすることに
その時、政府軍の最前線が引かれたラインが
今の新潟県と山形県の県境なのだそうです
奥羽越列藩同盟に属した各県が
隣県に土地を奪われるケースは意外と多く
例えば宮城県などは南の方が福島県になりましたが
同じように、念珠の関からこの最前線まで
僅かな所領ではあるんですが
新潟県から山形県に所属が変わりました
青い線が明治時代以前の県境
赤い線が現在の県境です
街の中に何故か県境が引かれている
全国でも、地方では特に珍しいこの県境の街は
このようにして誕生したんですね

さあ、再び山形県から新潟県に戻ってきました
旅はいよいよ大詰めを迎えます
次回はあの事件が登場です!!

では、
今日も最後までお読みいただきまして
ありがとうございましたm(_ _)m