徒然なる備忘録〜リターンズ -37ページ目

徒然なる備忘録〜リターンズ

日々の暮らしのこと、思ったことなど を書いていきたいです

 ブログを始めてまだ一週間も経っていないが、記事をかなり書けている。
 これは単に今時間があるだけ(笑)というのも一つの要因なのだが、特別なネタを提供しようとかそういった目的でなく、単に自分の内省のためのメモとして活用しているからという理由の方が正しい。

私は最近、「内省の時間ほど大切な時間はない」と考えるようになった。
もちろん、外に出て経験をすることも必要なのだが、そこでの経験をうまく生かすも殺すも全て
「内省」次第だ。

(以下自己愛だらけの自分語りが始まります。不快に思った方は飛ばしてください笑)
私のこれまでの人生、本当に苦労だらけだった。
とはいっても、親は教師だったので極貧の生活を送っていたとかそういう事はなく、大学も行かせて貰い外的には非常に恵まれた部類の方に入るだろう。
 しかし、私の内面では常に烈火のごとく悩みが突き刺さっていた。
 組織内で上手く立ち回ることができない。自分としては真面目にやっているのに怒られる、目をつけられる。
 一つのことに集中する力はあったが、平行して色々なことをすることができない。
人の話もまともに聞けない。人の気持ちが分からない。
そして、恐ろしいことに、こういった自分の特徴に気づけたのは大学に入って初めてのことだった。
それまでは「分からない周りが悪い」としか思っていなかった。
そりゃ周りと軋轢を生むに決まっている。

中学時代は本当に地獄だった。
部活が合わない。サッカー部だったのだが、元々の運動音痴に加え、周りを見たりコミュニケーションを取ったりするのも苦手、適切な配置につくこともできず自分のポジションの責任も果たすことができなかった。
今思うとよくやめなかったもんだ。
(余談だがサッカーってまさに会社みたいなもんだな。本田圭佑とか香川真司のような超スーパープレイヤーだったら俺様も許されるけど、他の一般選手は周りの空気を読んで戦術の駒になるしかない。)

その点高校は気楽だった。
なぜなら帰宅部だったから。
親から見ると高校時代は辛そうだったらしいがとんでもない。
このころからギターに出会い、直感でこれならできる!!という閃光が走り始めたところ持ち前の過集中も伴ってメキメキ上達した。
そして一度周りに披露したところ、「うまいね!カッコいい!!」と言われ、それまで周りから褒められることが少なかった私は初めての人から受ける尊敬の眼差しに嬉しくなってしまった。
ギターの情熱もあって、文化祭では有志のバンドに出演し、音楽つながりで先輩後輩とも仲良くなり、その時だけは胸を張って青春!と言える日々を送った。
(その他は概ね学校終わり→家帰ってギターというルーティーン。はたから見たら暗黒だろう笑)
ギターを弾いている時は本当に幸せだった。そして音楽を通してなら「人と繋がれる」と実感した。
しかし、このことから逆に
「ギターをうまく弾けない自分には価値がない」と思い込むようになる。
ギターは好きだったが、そこに一般的な爽やかさは無い。まさに麻薬中毒者のような、強烈な依存症に陥っていた。
(スキーに行くのにギターを持って行く奴が他にいるだろうか?笑)

一浪の後大学に入学。
大学時代は一人暮らしもさせてもらって仕送りもあったので金銭的には贅沢な暮らしだった。
大学に入る前にある野望があった、それは「大学に入ったら軽音楽文に入ってバリバリとバンドするんだ!」というもの。
高校では幸いながら仲間に恵まれバンドをすることができたが、軽音部は無かった。
なので、大学では本格的に部活としてやれる!とワクワクが抑えられなかった。
しかし、新たに所属した部活では楽しさよりも辛さが沢山残っている。
バンドの演奏は本当に楽しかった。ギターは大学でも上手い方で、「ギターを弾いている自分」は本当に重宝された。
楽しかった思いでもたくさんある。
だが、部活となると役職があり、色々とやらねばならぬことがある。
私はその他の仕事は全くと言っていいほどできず、その度に顰蹙を買った。
また、いくら軽音部といえど基本は人間交流が主であり、飲み会も多かったが、とにかく飲み会が楽しめなかった。
「音に関係のないこと」に何故自分が関わらなくてはならないのか?
としか当時は思っていなかった。
結局(あちらもそうだったのだろうが)私は周りの人間が好きというより、「自分と一緒にバンドを組んでくれるあなたが好き」というだけだった。
部活内で彼女もできた。童貞をそこで捨てた。
しかし、結局一緒にいても辛いだけだった。
今思うと彼女は本当に自分によくしてくれていたな、と思うのだが、当時の自分はそんなことよりも「なんで自分のことをわかってくれないんだ!」というようなことばかり考えていた。
昔にも何の縁か彼女ができたことがあったが、
結局ふられてしまった。
結局人の気持ちがわかっていなかったのだ。
そしてそれを分からないこということに、ようやく気づけたのだ。

そして、仕事が本当にできない。
常勤のバイトは在学中に通算で二つほどやった。
だが、そのどちらでもとにかく辛かった。
一つ目は飲食店だったのだが、これが本当に自分に合ってなく、自分の脳が常にオーバーヒートするくらい頑張ってもミスに次ぐミスの嵐。
忙しいと頭が回らなくなりさらにミス。
まさに悪循環。
怒鳴られてばかりの日常だった。
このバイトを1年近く勤めて辞める。
逆によく続いたと思う。
このバイトで「自分は無能なんだな」と薄々感じ始める。

二つ目はドラッグストアの店員だった。
前回の反省からとにかく「波風を立てないこと」を目標に頑張ることを決意。
怒られたり陰口を言われることもあったが、仕事自体は飲食に比べればラクで(レジは本当に苦手だったが)悪めない奴を演じたりすることで、前の職場に比べればうまくやれたと思う。
しかし、それでも「問題を起こす奴」が「ただの無能」に昇格したに過ぎず、やる気を伝えようとしても伝わらず本当に辛かった。

そしてなんやかんやあって留年して、ようやく卒業目前という今に至る。
(以上 自分語り終了。はーすっきり)

生きづらい、ただこれに尽きる。
努力が足りない、というより
努力の方向が分からないと行った方が正しい。

自分は常に考えなくては何もできないのだ。
他の人は他の人で苦労してるんだろうけど、それでも「当たり前に」いろんな事がやれている、いろんなことに興味を持てている、人に興味を持てているようしか私には見えない。

人が当たり前にやっていることを「意識してやらねばならない」辛さ
そして、よしんば努力しても
「せいぜい並以下」にしかならない地獄。

だから私が取るべき道は二つなのだ。
①そもそも、同じ土俵に乗らない。私にはできないことだと割り切って、自分でできる生き方を模索する。
②それでもいわゆる「普通の幸せ」を願うのならば、通常の人の何倍もの努力を必要とするがそれすらも「おれがやりたいからやっている」と腹をくくって進む。

この二つだ。私は周りに恵まれていた。そういう意味では②の道を選ばなくてはならないような心理的状況にある。
しかし、人間生きてナンボ。いざとなれば①の道を選べるという選択肢を持つこと。

これが現在考えている
そして、こういったことはすべて「内省」から生まれた。
私は留年し5年目の去年、あまり学校も行かずに(そもそもコマ数が少なかったのもあるが)ほぼ布団で寝ていた。
進路のことは常に頭にあった。公務員になる!と思い勉強した時期もあったが、なにか身が入らず辞めた。(ちなみに試験も一応受けてましたが一次で落ちました)
そして名状しがたい不安が私を覆い、私は布団の中に逃避した。
布団の中にいるとどうしても考えることが多くなる。
そこで今までの人生を振り返り、内省を重ねた。そうして今の考えに至った。
両親から見たら学校も行かずに寝ていた去年の1年間だが、もしこの一年がなかったらこの先の人生もっと地獄が待っていたのではないかと考えずにはいられない。

現実は残酷なもので私の苦労とは裏腹に時は進む。
しかし、いざ来る苦労に対する心理的緩衝帯をあらかじめ持っておくことで不測の自体にも対応できるのではないか…という思いから、去年1年布団の中で過ごしたこと(いや流石に学校もそれなりに行きましたけど笑)は無駄ではなかった、という風に思っている。

その価値を決めるのはこれからの未来次第なんですがね。笑
それでも、きっとよかった、といえる気がするんです。
いや、いいたい。