・phaさんについて
ひさしぶりのバイトは本当に大変であった。
しかし、心地よい疲労感というか、終わった後の達成感はかなりのものだった。
だからといって働くことは素晴らしい!!みたいな思考停止したようなセリフを吐く気には毛頭なれないが、それでも一つの発見であった。
私は色々な人の考え方に影響を受けたが、京大卒のニートことphaさんにも大きな影響を受けた。
「別に働かなくてもいい。人はやがて死んでしまうんだし、どんなに凄い仕事だって宇宙から見たらゴミみたいなもんだ。もし働かなくてもいい環境にあるんだったらそれでいい。仕事がうまくできなくて死ぬくらいなら、仕事やめたほうがいい」
みたいなのがphaさんの考え方だ。この厭世的というかニヒリズムっぽいところは中島義道の著作にも通ずる。
phaさんはニートは自身をニートと言っているが、ニートを集めてシェアハウスをやったり講演会に参加したり本を書いたり、どう考えてもただの優秀な人です。
そんな優秀な人がこういうことを言っているのは非常に興味深い。
衝撃的な考えに見えるが、でも実際何も特別なことを言っているワケではなく、
ただありのままの事実を述べているにすぎないのでは?と思う。
最初は「何言ってんだこの人は?」とか思っていた時期もあったのだが、今ではもうpha信者である笑
・うちの親父
うちの親父は教師だったが、私と同じく軽い発達障害っぽい傾向を抱えており、致命的に組織が合っていなかった。
そのため仕事は本当に辛かったようで(実際に背中を見ていても思った)、うつ病になって休んでいた時期もあった。
親父は人間性はとても素晴らしいものを持っていて、超ピュア悪く言えば夢見がちな性格をしている。
映画や著名な人物に自分を重ね合わせて、非現実的な理想も大真面目に口に出す。
まるで大学生が持つピュアピュアハートのまま大人になったような人だ。
本当に優しい男で、生徒からも好かれていたという。
しかし、いわゆる「大人」ではなかった。
そんな親父の口癖というか持論的なのが
「三年やってみろ。そうすれば仕事の面白さが分かってくる」
ん???どっかで聞いたことあるセリフやなぁ?
ていうか、あなたその結果鬱になってましたよね??
そんな親父の戯言をどうやって受け入れることができるのか。
「人のために何かをしたい」
そんなことばかり言っていないで、まずは自分を大切にしろよ!!!!
現実見ろよ!!!!と
親父は「理想」を持つというところはまでは本当に素晴らしいと思う。
これすらも持てずに日々を漫然に過ごしている人は多いのだから。
「夢」を語っているときの親父は生き生きとしているし、それも本当に心からそうしたいのだろうなぁという熱意が伝わってくる。
しかし、結局その理想は絵空事でしかなく、親父には決定的に現実を客観的に分析する力がたりていなかった。
だから、その夢と現実のギャップで苦しんだのではないだろうか。
・一番は自分の幸せ
結局人生なんて「自己満足」でしかない。
ビルゲイツとかスティーブジョブズみたいに世界規模で人に貢献できる人でない限り、普通の仕事なんてどんなに「人のため」といっても広い世界の砂粒ばかりの人に貢献できるにすぎず、
また、自分という存在も自分ではどんなに「かけがいのない存在」と思っていたって、やはり代わりはいくらでもいるし、自分の抜けた穴だって別の人間が埋めるだけだ。
そう考えるとあらゆる仕事は「オナニー」だといえる。
いや、これはあまりにも極端な考えかもしれないが、少なくとも「仕事できないから自殺する」という人がいるような「命」と天秤にかけるほどの価値は仕事にはないと俺は思う。
仕事に殺されるくらいなら、仕事を辞めて別の仕事を探すなり、働かずに生きる道を探すなりしてなんとか生き延びればいいんじゃないか。
どんなに素晴らしい仕事をしてもいつか自分は死ぬし、自分のことだって皆そのうち忘れていしまう。
・・・じゃあ「今この瞬間」を自分のために楽しまずに何ができようか?
それに「自分で自分の幸せ」も感じられない奴、承認欲求だったりに縛られている奴というのは、本当の意味で「相手のために」何かをすることはできない。
「相手のために」することはサービスなのだ。技術なのだ。辛いものだ。
相手にこうしてもらいたくて・・という理由で人に優しくしても、案外人はそこまで感じ取れずにそっけないリアクションを取るかもしれない。
そうすると他者の承認をベースに動く人は「なんでこんなに良くしてやってるのに!!」みたいに憤ることになる。
まずは「自分一人」でも十分に充足しているという感覚を得ること。
そうすることで本当の意味で「他者のために」何かができるのではないか、
と最近考えている。
・仕事について
そして「仕事」はやっぱり向き不向きがある。
「三年やって~」は一応は心理だと思う。
最初は皆大変なものだ。しかし、それを乗り越えた時に感じる達成感があるとしたら格別なんだろう。
昨日のバイトですら、割と自分の中では心地よい疲労感があった。
走り終わったあとの疲労感に近い。走っている最中はホントに苦しいが、終わってからのあの快感は格別だ。
だから、もし仕事をするなら「その快感を得るため」というのは一つの指標だと考えている。
私は発達障害の傾向があるので、向き不向きが本当に激しい。
そして自分と瓜二つの親父が仕事で鬱になっているのを見ているから、余計に仕事選びに対して慎重にならざるを得ない。
「三年やって~」のポイントは
その壁を超えることができるかどうか、を見極めることだ。
これは将来的にも私には不可能だな、と現実的に客観的に分析すること。
私はまだ一応若者の部類にはいるので、「できる人」への憧れみたいなものはどうしてもある。
しかし、自分の現実的な能力とかを顧みるとそれが可能なのかは非常に不安が残る。
今までの俺からしたら、週5で朝から出勤して働くだけでもう超絶技巧なレベルだ。
しかし、何事もやってみなければわからない、という部分は確かにあるのも事実。
そこが怖い。できないなら、できないとはっきりわかることができる秘密道具的なものがあればいいのに(どらえも~~ry
だから結局何が言いたいかというと、
「何事もとりあえずやってみる、そして色々試行錯誤を繰り返してみる。しかし、それでもダメだったら大人しく辞める。もっと自分にできる別の道を探す。仕事がダメだったからといって死ぬのはばかげている。」
ということ。
株とかギャンブルでは「損切り」という言葉がある。
これは「一定の投資をした分、ある程度は取り返さなければならない。しかし、つぎ込んでもダメならどこかで見切りをつけて辞める」ということだ。
結局ダメなものはダメ、ということもある。
そこの現実的・客観的な分析が欠けると、いくらつぎ込んでもダメなのにさらに傷口を広げてしまうという悪循環になりかねない。
「壁を超えた」時の景色はきっと美しいんだろう。
だから登ってみる価値はあるかもしれない。
しかし、現実は残酷で映画のようにはいかない。超えられない壁も出でくるだろう。
そこは大人しく撤退しよう。別の超えられそうな壁をまた見つけることだ。
それもきっと「いい人生だった」と言えると信じている。
何があっても「自殺」だけは絶対しない。