http://www.shukatsu-eat.com/entry/2016/05/15/153758
非常に興味深い記事だ。私も日頃から何となく感じているようなことが、webライターの文章によって体系的に書き表されている。
具体的にどういう内容化というと
・今のオタクは昔のオタクに比べて「広く浅く」になった。
・インターネットの普及、SNS等の発達によって「自分の好きなジャンルを自分の好きなように漁るなオタク」は淘汰され、「広く浅く漁り、コミュ力が高いオタク」が大量出現した。
・前者のようないわゆる「昔のオタク」気質な人は承認欲求との戦いにさらされることになる。
承認欲求を求めず、自分のペースで追及することが大事。
といったような内容だ。
オタクといっても様々なジャンルのオタクがここでは想定されているのだろうが、主なジャンルは(今では見る影もないが)アンサーグラウンドなジャンル代表、アニメに間違いないだろう。
私が高校生のころはまだアニメに対するマイナスなイメージが蔓延っていた。
しかし、大学に入るころになるとむしろ「オタク」がステータスになり、オタクであることがカッコイイ!というような風潮さえ生まれていた。
そして見たアニメの本数を競い合い、オタクを名乗るのなら当然外せない「必須教養アニメ」的なカテゴリーさえできた。
私は高校のころからアニメが大好きな根暗オタクだったので、大学に入って「俺の時代きた!」と最初のうちは喜んだ。
初対面の人とでもアニメの話では盛り上がることができる。
アニメはオタだった私のコミュニケーションツールになっていた。
オタクでよかった・・そんなことを思っていたのも束の間
その結果、今までは影を潜めていた承認欲求が生まれてしまったのだ。
「あのアニメも見てないの!?」みたいなことを言われたら、「やばい・・見なきゃ・・」みたいな感じでそのアニメをチェックし、
今期は○○本みた!みたいな競い合いに参加するために、好きでもないアニメを無理矢理見たりした。
そうしているうちに「あれ?俺なんでアニメ見てんだろう?時間の無駄じゃね?」
ということを思ってしまったのだ。
紆余曲折あって今では混じりけのない視線でアニメを見ることができる。
だが、これもインターネットとSNSが生み出した弊害の余波ともいえるのではないか。
また私はギターを弾くが、インターネットを開けば自分よりうまい人がアマで死ぬほどいる。
プロに負けるのは仕方ないとしても、同じアマチュアでもこんなにうまいやつがいるんか・・となる絶望感は相当のものだ。
昔はプロの映像を見て、それに憧れて一心不乱に練習を重ねたのだろう。
Charこと竹中尚人を始め、ロック黄金期を少年時代で過ごした彼らトップギタリストの純粋なギタリスト魂はものすごい。
なにせ、当時はニコニコ動画もなければyou tubeもない。人前で披露せねば、ただ家でひたすら弾きまくるしかない時代なのである。
誰かに媚びようとしても媚びる相手がいないのである。
そんな時代を生き抜いた人たちのある意味「混じりけのないピュアなオタク像」は美しい。
というわけで、概ねこの記事には賛同できる。
だが、「広いコミュ力のあるオタク」にルサンチマンを抱くほどでは私は無いと思う。
なぜなら、それも確かな実力のうちだと評価できるからだ。
ピクシブで高評価を獲得できる絵師はそのままそれが飯のタネに直結する。
ファボ数を稼げる人はビジネス感覚もあるのかもしれないし、単純に才能があるのだろう。
まだ実力が十分に付いてないうちから、そういった一級線のアマの作品と比べられてしまう今のインターネットは確かに修羅の世界にも見える。
しかし、確固たる市場がある以上、そこには現実の貧富の差のような明暗が分かれてしまうのは仕方のないことなのだ。
インターネットの発達によってそれが可視化しただけなのだ。
それに、「広く浅いオタク」を「オタクじゃない!と一方的に断罪するのはいかがなものだろうか。
彼らもまたオタクだ。それに、幅広い作品に取り掛かっている絵師も魂を売っているわけでは決してないだろう。
本当に心からすべての作品を好きで書いている絵師だって中にはいるはず・・だ・・?
あーまとまらんばい!
けどとりあえず酔った勢いでここまで書き上げました!
駄文室慰霊しました!