rest in peace | 徒然なる備忘録〜リターンズ

徒然なる備忘録〜リターンズ

日々の暮らしのこと、思ったことなど を書いていきたいです

 ふと、1年前のことを思い出す。
その頃の自分の姿を。克明に描き出すのはとても難しいが、その時に記した日記(のようなもの)の記録を手掛かりに当時の自分を辿ることができる。大学四年で留年が決定した。

 その頃の自分は狭い部屋の中で腐っていた。
床の底に這いつくばり、目を瞑り、耳を塞ぎ、何も考えないようにしていた。実態の伴わない苦悩のようなものが、まるで深い霧が遭難した旅人を多い潰すかのように私の周りを取り囲んでいた。食事はコンビニの飯のみ。日中は寝ている。夜起きてコンビニに行く。そんな生活が二ヶ月ほど続いた。卒業、進路、そういった不透明な未来の展望が私の前に立ちはだかっていた。

 その後なんとか環境を変えることで、社会復帰(!?)することは叶った。とりあえず学校に行く。そして卒論を書いて卒業する。進路を決める。それだけのことだ。それでいいのだ。と自分に言い聞かせた。

 学校の方はなんとか続けて行くことが出来た。今は無事に卒業が確定し、とりあえずはホッとしている。

 この一年で数え切れないほどの思考を重ねてきた。と思う。同時に、それまでの自分はこれほど大切な事を全く考えずに生きてきたのだと思い知った。側から見れば、部屋に篭ったり一人でいることは全く無駄な行為に映るかもしれない。しかし、私の脳みそは常にクルクルと動き回り色々な事を考えているのだ。それは余計な事なのかもしれないが。少なくとも、私には必要だった、としか言えない。私は器用な人間ではないからだ。

 自分という存在を更新し続けて今に至るのだが、今はかなり安定した心理状態にいる、と自分では感じている。しかし、そのようやく辿り着いた今の私でさえも今後あっさりと砕け散ることだろう。自分という存在は死に続けるのだ。

 突然だが私はBUMP OF CHICKENが好きだ。中学の時はユグドラシルが自分にとっての聖書だった。
5枚目のorbital period以降聞いていなかったのだが、最近その後のアルバムを含めて聞き直し、またハマってしまった。

 そのBUMPの「RIP」という曲がある。
これはRest In Peace(安らかに眠れ)という言葉の頭文字をとったものだそうだ。
この曲のPVでは沢山の墓標が出てくる。
それは誰の墓なのか。
私はこれを「自分の墓」達だと解釈している。
自分が変わるということは、即ち自分の死なのだ。
世界五分前仮説だとか、そういうことではなく、
考え方が変わるということは、外見の変化はなくとも中の人格はもう同じものだとは言えなくなるだろう。
それは一種の死、なのだ。
BUMPの歌詞ではよくこの「自分が変わってしまうこと」の悲しさともとれる言葉が多い。
そして、その為に「今の記憶を記録する」といった趣旨の歌詞もよく出てくる。

 今を記録しよう。 今このブログの記事を書いているこの今の自分でさえも、いつかやがて過去になって取り戻せなくなる前に。
 そして歌を聴こう。その時に聴いていた、口ずさんでいた歌は、記憶を蘇らせてくれる。
 忘れるな、その痛みを。 

 「どんな今を生きていますか。 好きだった歌はまだ聞こえますか。」サザンクロス

 思考は続く