職場には不要だと思うイベント、バレンタインデー。
例外なく、この会社にも存在した。
笹原さん仕切のもと、女性社員は、
チョコレート代を、1000円も徴収される。
その集めたお金で、男性全員分のチョコを買うというわけ。
私たちは、ただお金を渡せば済むから楽・・・ではない。
笹原さん仕切りのチョコ以外に、
自分の課の男性にも個人で渡すという習慣があった。
チョコなんて、ひとつ渡せば充分だと思うのに・・・
何の感情も沸かないチョコを買いに行く、この矛盾。
私も仕方なしに、営業1課の男性全員分のチョコを用意して出社した。
( 武内課長も、竹下さんも、
私からのチョコなんて要らないはずなのに、
どうして無駄なお金を出さないといけないのよ・・・ )
本当なら、どうせなら、好きな人にあげたい。
だけど、本当に好きな人には渡せず、
正直、どうでも良い人たちに渡すしかない淋しさ。
「おお~。ありがとう!」
由里ちゃんがいる3課から、嬉しそうな声が聞こえた。
どうやら、出社早々に渡している様子。
それなら私も・・・ と思うが、中井さんも、多部井さんも、
全く動く気配がない。
もう配ったのだろうか?
それを聞くのもおかしい気がして、タイミングを見ていたのだが、
朝はみんなバタバタしていて、渡せる雰囲気ではなかった。
仕方なく、営業がそれぞれ出掛けて行くのを見計らい、
そっと渡すことにした。
部長、課長、年配の営業さん・・・ 次々に渡していく。
手元には、あとひとつ。
( 早く出掛けないかなぁ・・・ )
向かいの席の岩田さんを見るが、その気配がない。
・・・ように見せかけて、時計を見るなり慌てて立ち上がった。
「マズイ・・・!遅れる!!」
先方に持って行く、見積りか何かを作成していたようで、
机に広げていた書類を、鞄に詰め始めた。
そして彼は、私の背中側にある、会議室に入っていく。
そこは、朝礼を行う一番大きな会議室で、後ろの一角が、
更衣室を持たない男性社員用のクローゼット・・・
コートなどの上着を掛けておけるスペースになっていた。
( あっ、チョコ渡さないと! )
時刻は、15時過ぎ。
これから出掛けると、戻りは定時間を回ってしまうだろう。
多分、このタイミングを逃したら、明日に持ち越すことになる。
いやいや・・・
ここは絶対に、今日渡し終えないといけない。
「岩田さん!あの・・・」
「うん、なに?」
電気も点けず、薄暗い会議室。
岩田さんは、ロングコートを羽織りながら振り向いた。
「少し遅くなったんですけど、バレンタインの・・・」
「ああ!うん。ありがとう」
嬉しそうにして、小さな包みを受け取る。
( 良かった・・・
これで、今日の大きな仕事は終わった )
それにしても、何故こんなに疲れるんだろう。
義理チョコを渡すのは、初めてではないのに、この疲労感・・・。
“何故” かは、自分なりに解っていた。
入社して、もうすぐ1年になろうというのに、
私はまだ、此処に自分の居場所を見出していない。
仲間とさえ思えないでいる、課の人達を相手にしていれば、
疲れて当然だ。
でも不思議と、岩田さんには、普通に話せている気がした。
かなり年上だし、社交的というのか、
人見知りをしない、誰とでも話せるタイプの人だからか・・・。
「それじゃ、いってらっしゃい」
背中を向けようとした私に、岩田さんは問いかけた。
「ねえ、コレさ・・・ 義理、だよね?」
「・・――― え?」
義理か・・・?
義理以外に、何があるというのか。
私は、少し笑みを浮かべていたと思う。
“当たり前ですよ” そんな言葉が、聞こえそうな眼差しで。
岩田さんは、私の言葉を待たず、声を潜めて呟いた。
「今夜、食事に行かない?」
「え・・・? えっ、でも あの・・・」
「なるべく早く戻るから、少しだけ待っていて」
そう言い残して、岩田さんは、逃げるように会議室を出ていく。
彼に何かを言いたいのに、上手く言葉に出来ず、
それに、すぐ近くにいる同僚に聞かれても困るから、
喉まで出かかった、謎の言葉を飲み込む。
“無理です” ・・・
“困ります” ・・・
そんな言葉を、告げたかったのか・・・。
カタチにならなかった言葉が、もやもやと胸の中に渦巻いた。
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