1977~1978 | 浦島太郎

浦島太郎

趣味のブログ。ソレックスキャブの整備なども

昨日ですが、45年ぶり以上の再会を

果たしました。

18歳の頃に通っていたアメリカのハイスクール

で知り合った友人と再会。

家族を連れて日本に来ました。

 

ベトナム出身で奥さん、お子さんとカリフォルニアで

住んでます。

幸せそうでした。

18歳の頃の友人なのであまりに長い年月で

二人とも変わりましたが、

とても親切なベトナム人だったのでよく覚えてます。

 

楽しいハイスクール時代を過ごしました。

 

ところで当時はまだ18歳で右も左もわからない

子供ですよ。

 

 

時は1977~1978年ですから

留学して初年度は英語を覚えるだけで必死でしたが、

初めてアメリカ本土の地を踏んだのは1977年で

今でもハッキリ記憶にある思い出がある。

 

翌年には一旦日本に夏休みで帰りました。

その時の帰りはJALだったと思いますが、

飛行機に乗っていたら前の座席でやたら

賑やかなアメリカ人の数人のグループが座っていて

ワイワイ騒いでました。

 

とあることでその一人と飛行機内で話したんですが、

どうやらバンドをやってるとの事。

 

その男が

Santa Esmeralda の「The house of rising sun」

って曲知ってるか?と

 

俺は

「知らん」

 

というと

「知らねえのか?」

「じゃあ俺たちのグループは東京でコンサートやるから

来い! お前は特別にタダで通してやるから」

 

と。

 

そのグループ名が

Santa Esmeraldaだった。

 

その後知ったがそいつらは当時ヒットしてた

サンタエスメラルダと言うバンドだった。

 

そうとも知らず

帰宅後もコンサートには行かなかったが、

後で知った。