万人に共通する正しさなどない。
だから正しいかどうかは自分で判断するのだ。
当然、その正しさは他人の正しさとは異なる。
皆、それぞれの正しさを持ってるのだから、自分の正しさを尊重し、同時に自分とは違う他人の信じる正しさも尊重すればいい。
それぞれに別のものを正しいと信じているだけだ。
自分と異なる考えの者が許せないという大人に囲まれて育ったり、そのような人ばかりの環境で学ぶと、自分と他人、どちらかが正しくてどちらかが間違っているという認知を持ってしまう。
そのような人が、自分が正しいと信じれば他人を攻撃することになり、他人が正しいと信じれば、自己不在で常に他人に正しさを確認するような人間になってしまう。
そうではないのだ。
あなたと他人が信じる正しさが完全に一致することはない。
あなたと他人が持っている、世界を見るための物差しは目盛りの単位が違うのだ。
それをどちらが正しいかとジャッジするなど不毛である。
だから違う正しさを各々が信じて、自分の正しさも、他人の正しさも別のものとして尊重すべきなのだ。
「私は私が判断した正しさを信じる。同時にあなたが信じる正しさも私は尊重する」
というのが、現実に沿った認知なのである。
絶対に一致しないものをどちらが正しいかとジャッジしてしまえば、不調和を起こすことは当たり前だ。
行き着く答えは、「他人が悪い」か「自分が悪い」しかない。
その各々に違う正しさを無軌道に主張していたら、社会集団は安全かつ効率的に維持できない。だから人間の集団にはルールという共通する基準がある。
その基準に沿っていれば、自分の正しさを信じることになんの問題もない。
それと同時に、他人が信じている正しさを非難する必要もない。
ルールに沿っていればだ。
しかし、ルールを破って自分の正しさを他人に押し付け、不利益を与えようとする人間はどこにもいるので、そのような相手に対しては、ルールに則って侵害を止めなければならない。
あなたは自身の幸福のために、自分の正しさを自分で定義するべきだ。
他人の同意を得る必要はない。
そして同時に、ルールを逸脱すること無く、他人の正しさも尊重すればいいのだ。
「私は正しい」
まず最初にそう信じなければ何もできない。
自分を疑っていたら、信用していなかったら、何事も成せない。
何より、自分自身が堂々と胸を張って生きることが出来ないのだ。