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fp.takunの”Improve your quality of life Blog”

様々な出来事に対して、fp.takun流の視点・論点で綴る徒然なるブログです。
読んで下さった方の「心に灯りを灯す」ブログを心掛けています。
将来、このブログが本になることを目標にしています。

GW間近の何となく、浮足立つようなここ数日でしょうか。
皆様は、どのようなGWを過ごされる予定でしょうか?


旅行に行かれる方、お家でゆっくりされる方など様々かと思います。

世の中は、大きな動きの真っ只中ですね。
経済、金融、政治、宗教などあらゆる面で大きな大きな動きの中にあるように感じます。

まさに、激動の1年と言ったところです。

そうした時、どのような心境で過ごすべきか・・・。
歴史から学ぶことや、私たち日本人の古来からの教えなどから学ぶことは大きいといつも感じています。

今回は、神道の教えから、『中今(なかいま)』という神道における歴史観のひとつから、学んでいきたいと思います。


と言うことで本日は、『中今(なかいま)』について考えていきたいと思います。


最近、Googleなどの検索エンジンで語句を調べると、最上段に『「AI」による概要』が表記されているのにお気づきでしょうか?

XのGROKなども、とても優秀ですよね?

簡潔かつ的確な回答を得られるという意味では、とても役に立つ相棒です。

と言うことで、『中今』を検索してみました。

Googleより

『中今(なかいま)とは、神道における歴史観や生き方のひとつで、過去と未来の中間にある「今」を意味します。』
【中今の意味】
  • 永遠の時の流れの中に中心点として存在する「今」
  • 単に時間的な現在ではなく、神代を受け継いできた連続性の中の「今」
  • 過去から未来までつながっている流れの中で、今という一瞬を無心に生きることが人間として美しい生き方であると説く
【中今を実践するポイント】
  • 過去に囚われず、未来への不安に悩まず、今この瞬間に起きていることに全集中する
  • 過去から未来へつながる現代、私達は中今に生きているのであり、この一瞬をしっかりと捉えて自分に忠実に生きたい
  • 過去のことにとらわれていると後悔や怒りが出るでしょうし、未来のことばかりに意識を向けていると不安や心配、恐怖が強くなるかもしれません
  • 中今状態に入るための一つの方法が感謝することです


もう、非の打ち所がない回答です(笑)。

簡潔かつ的確な回答です。


AIに負けていられないので、私なりの解釈もお伝えしていきますね!

日本の神道では、「今ここ」つまり、その一瞬一瞬に意識を置いて丁寧に生きるという考え方ー「中今」をとても大切にしています。

神道には、「悟り」という概念はありませんし、教祖や経典といったものも存在しないようです。

神道のすごいところは、そうした「考え方」や「歴史観」を代々、紡いでいくことにあると思います。

この「中今」もそのひとつ。


「正しさ」や「ゴール」を目指すのではなく、どこまでもどこまでも「今ここ」を丁寧に味わい、今を喜んで生きること(道)を説いているように感じます。

この一瞬一瞬が、とても大切な時間や空間であるということでしょう。

古くから、日本人は、この「今ここ」を丁寧に五感で味わってきた民族なのだと感じます。

世界的に見ても、日本人が持つ察する心や、五感を味わう心というのは、とても珍しい能力でもあるそうです。


優劣ではなく、ゴールを目指すのではく、「今ここ」を丁寧に生きる。

何だか素敵な生き方だなと感じます。


せわしない時間の経過の中に身を投じている中ではありますが、こうしたことを感じ、学ぶ時間も素敵だと思いますが、いかがでしょうか?

あいにくの冷たい雨の中ではありますが、新年度スタートいたしました!

入社式や入学式などのイベントに参加されている方も多いのではないでしょうか。

花冷えとは言いますが、真冬のような気温ですね。
どうか風邪など引かれませんよう、ご自愛ください。


さて、本日は新年度ということもあり、新たな環境に挑戦される方々へのエールも兼ねて、お話をしたいと思います。


さて、「ネルソン・マンデラ」と言う方をご存じでしょうか?

南アフリカ初の全人種が参加した普通選挙を経て大統領になられた方で、民族和解・協調政策などを進め、経済政策としては復興開発などに尽力された政治家です。
南アフリカ共和国と言えば、住民の多くが黒人であるにも関わらず、そこに住む少数の白人が土地や富、政治の実権を握り、激しく差別的な社会構造の国で、「アパルトヘイト」として合法化されてしまうほどの差別的社会構造の中に生まれ、ネルソン・マンデラはその生涯を、この構造を覆すために尽力された方としても有名です。

多くの困難にも、不屈の精神で立ち向かい、ついに「戦い」ではなく、「民族和解」という方法で差別社会から解放をした素晴らしい人物です。

このマンデラ氏は、いくつかの素晴らしい言葉も残されています。

■ It always seems impossible until it's done.
(何事も成功するまでは不可能に思えるものである)

■ It is not where you start but how high you aim that matters for success.
(成功するために大切なのは、どこから始めるかではなく、どれだけ高く目標を定めるかである。)


どんなことも、多くの失敗の繰り返しから始まると思います。
しかし、「成功するまで」頑張り通した先には、「成功」が待っているという意味だと思います。
そして、最初は何事も不可能に思えることでも、目標を高く持って、一歩一歩目標に向かって突き進んでいくことが大切だと説いているのだと思います。


そして、マンデラ氏は、このような言葉も残されています。


■ 生きる上で最も偉大な栄光は、決して転ばないことにあるのではない。転ぶたびに起き上がり続けることにある。

■ 人間として、何もせず、何も言わず、不正に立ち向かわず、抑圧に抗議せず、また、自分たちにとって良い社会、良い生活を追い求めずにいることは、不可能なのです。



転ぶことを恐れずに、多くの失敗を経験し、多くの反省をし、そして転ぶたびにまた、再び起き上がり続けること。

そして、「素直」と「従順」は別物だとも説いているように感じます。

新入社員という立場から、上司や先輩に物申すことが憚れる場面もあると思いますが、「正しいことは正しい」「間違っていることは間違っている」という「自分の声を挙げる」勇気を持ってほしいというエールだと感じています。


社会に出ると、思いもしなかった出来事にも遭遇するでしょう。

また、想像以上に社会は厳しく、大きな壁を感じることでしょう。

学生時代とは、大きく異なる環境の中で、それでも前に一歩を踏み出して、勇気と好奇心を持って突き進んでいってほしいと思います。

環境に飲み込まれることなく、自分らしくあれ!


そして、私からは・・・。


Be yourself,no matter what they say!


誰が何と言おうとも、「自分らしく」あれ!



今日から、新しい環境に飛び込んでいくすべての方々へ、少しだけ背中を押してあげられる言葉になれば幸いです。
大変、久しぶりのレポートになります。
毎度のことながら、気まぐれ配信のレポートですので、ご容赦を。


本題に入る前に・・・。

FP的視点で世界を見ても、あるいは日常の生活の中でも、多くの出来事が起こりますが、その中でも多くの「過ち」も起こっているように思います。

例えば、「戦争」や「紛争」などは、大きな「過ち」の代表格とも言えます。

そして、一方は「善」、他方は「悪」という論理が強調され過ぎているように感じます。

「戦争」や「紛争」は、少なくとも多くの人の血が流れている訳で、どちらが「善」でもないと思います。

全体主義的な論調が目立つ中ではありますが、正しく物事を捉えていく必要性は、日々高まってきているように感じます。

個人的には、「歴史」を辿ってみることや、オールドメディアではないソース(特に、現地の声や書籍・レポートなど)から、情報を取ってみるようにしています。

メディアの大半が、ステークホルダーの影響を多分に受けていますので、笑ってしまうほどに恣意的に歪曲した情報が流されている現実に、恐怖すら覚える毎日です。

(戦時中の新聞やラジオなども、こうだったのでしょうね・・・)



さてさて、またイントロが長くなり過ぎました。


本日のテーマに移りたいと思います。

本日のテーマ「改めないのが本当の「過ち」」というお話をしていきたいと思います。


まず、「完全無欠」な人は存在しません。

(※「完全無欠~」と聞いて懐かし~と感じた方は、横浜銀蝿を想像されたかも知れません(笑)が、今回のテーマとは無関係です。)



そして、「理論家」は、理屈ばかりを言うだけで行動が鈍かったり、「行動家」は、考えもせずに行動するきらいがあります。

「倹約家」は、とかくケチになりがちで、「金や権力がある人」は、驕り高ぶりがちです。

「神経質な人」は、極度に神経質になりすぎ、反対に「大雑把な人」は、散らかし放題だったりします。

「愚痴っぽい人」は、何かにつけ愚痴ったりします。


人には、「長所」と「短所」があるのが「常」です。


人の常として、人の短所や過ちばかりに目が行き過ぎてしまいがちです。

心の中に、「人を愛する気持ち」があれば、人の短所の中にも長所を見出し、過ちの中にも教訓を見出すことが出来るはずです。

また、過失は人の免れがたいところですが、過ちを知って改めることが出来れば、そこから自分をさらに磨くきっかけとなるでしょう。



孔子曰く・・・。

「過ちを観て、ここに仁を知る」(短所から人の長所を見出すこと)『論語』

「過ちては即ち改むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ」(同)

「過ちて改めざる、是れを過ちという」(同)


孔子が「人に求める」のは、過ちを犯すな!ということではなく、「過ちを犯したらそれを悔い改めよ」ということです。

『「悔いる心」が、深くしてはじめて改めることに勇猛になる』のが、人の道ということなのでしょうか。




相手の状況や気持ちを理解せずに、「感情のままに」自分の意見をぶつけたりしていませんか?

そして、そのことを「悔いている」のに、「改める」ことをしないままでいませんか?



「過ちて改めざる、是れを過ちという」


まさに、この言葉を胸に日々の生活をしていきたいものです。