愚痴と嫌味〜言葉には向かっていく方向がある〜 | クリスチャンカウンセラー♧はんなのblog

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聖書の言葉は、人生のナビゲーションです。私たちの日常生活に適用し、心軽やかに過ごしませんか?

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沢山のblogの中から出会ってくれてありがとうございます。

 


今日は、愚痴と嫌味がテーマの発信です。




私が27年前に結婚した時から

 

義母は愚痴っぽい人でした。

 


 

愚痴の内容は圧倒的に義父のこと。

 


 

言いたくなる気持ちもまぁわかるし

 

そういう性格だと聞いていたので




愚痴を聞くのは


さほど苦になりませんでした。

(というより、慣れたのでしょう笑笑)




でも先日、義母のことを通して


一つ気づいたことがありました。




それは

 

愚痴は平気だけど嫌味は嫌だな


ということ。




何を今更⁈かもしれませんが


言葉には方向がある


と気づいたのです。



例えば...



「お義父さんが何回言っても〇〇が直らんのよ。」

「いつも〇〇してばかりなんよ」

「前から頼んでてもまだやってくれん」



これらは、私に聞かせてはいるけど


言ってしまえば独り言の種類。




言葉の向かう先は、私ではありません。

 



でも、嫌味は違います。




私が義実家で料理中

 

「あ!〇〇を買い忘れちゃった」

「慣れないことしたからやわ」(チーン)

 



先日も入院中の義父の部屋に

義妹の写真が沢山飾ってるのを見た時

 


「わあ!(義妹)ちゃんの写真ばかり笑笑!!」

「嫁さん達からそっぽ向かれとるからやわ」(チーン)

 



無意識で悪気はないと思いますが


言葉の向きは私に向かっています。




チクリと刺されている気がするから


嫌なんだな。



「軽率に話して人を剣で刺すような者がいる」



まさに、この聖書の言葉です。



愚痴は、聞く人を刺さない。

嫌味は、聞く人を刺す。



この聖書の言葉の前に


自分を点検させられました!




嫌味という言葉の中には


少しの意地悪さ

目に見えない攻撃性

素直じゃない心


が乗っかっているから、人を刺すのです。




嫌味を言う人の心の中には


これらのものが


多少なりとも存在しているのです。




神様、どうか私が


自分が言われて嫌だと感じることは


人にしませんように。




愚痴は言っちゃうかもしれないけど


嫌味を言うことには


気をつけることが出来ますように。




何を今更⁈ですが


私には必要な気づきでした。



最後まで読んで頂きありがとうございます。あなたは愛されるために生まれた人です。