追う者もいないのに逃げる〜誰も責め立てる人はいないのに〜 | クリスチャンカウンセラー♧はんなのblog

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クリスチャンメンタル心理カウンセラー。

聖書の言葉は、人生のナビゲーションです。私たちの日常生活に適用し、心軽やかに過ごしませんか?

あなたは、愛されるために生まれた人です♡

沢山のblogの中から出会ってくれてありがとうございます。



この間、朝の出勤時


大雨が降っていたせいか


道路が想像以上に大渋滞!!




いつもより早く家を出たのに、このままじゃ遅刻してしまう(汗💦)




焦った私は


いつもの離れた🅿️ではなく


敷地内の台数限定🅿️に


止めることにしました。




普段は止められない場所ですが



(主任に事情を話してから、後から動かせばいいや)



遅刻するより良いと思ったのです。


(ド田舎の有機野菜レストラン🍽️)



何とか遅刻せずに着いて


階段を上がる時、主任にバッタリ会いました。



主任「車はどこに止めましたか?」

私「すみません!実は遅刻しそうだったので...」

主任「この雨ですから止められて良かったですね」




主任は、にっこり笑って下さったのです。


勝手に何か言われる⁈かと構えた私。




主任はそんな方ではないのに。。。


何だか滑稽で失礼だよねと思ったのです。




なぜ、何か言われることが前提なの?

何か責められるかも、と思うの?

何を、誰を恐れているの?



聖書の中にこんな言葉があります。



「追う者がいないのに逃げる」



誰も私を追って来ていないのに

誰も責め立てたりしていないのに

逃げる必要はないのに



「逃げる」心の状態です。




私達の心が


恐れや臆病に支配されている時は


まさにこんな状態なのです。



得体の知れない不安

勝手な思い込み

深読みしたネガティヴ思考



気づいたらはまってしまいませんか?


(田植え前の田んぼの緑とバタフライピーの青)


そんな時は一旦立ち止まって



本当に追って来る人はいるの?

本当に責め立てたりされているの?

私が恐れていることは事実なの?



と冷静に問いかけてみましょう。




神様が私たちに


与えようとしておられるのは


臆病の霊ではなく



力と愛と慎み



なのですから!



最後まで読んで頂きありがとうございます。あなたは、愛されるために生まれた人です。