沢山のblogの中から出会ってくれてありがとうございます。
公式LINEでは、私の手元の本の中から
心に沁みた言葉を抜粋して紹介する
定期配信をしています。
今はコチラの本です↓
今日のテーマは
「ありのままの自分と見てもらいたい自分」
でした。
ご紹介しますね↓
最初に「見てもらいたい自分」
の存在に気づいたのはいつだっただろう?...
思い返す限りですが
私は幼少期だと思います。
背が高く、大人びて見えていた長女の私。
「はんなちゃんはしっかりしてるね」
「〇〇が上手だね」
近所のおばちゃん
親戚のおじちゃん・おばちゃん
そして、幼稚園の先生等からの
褒め言葉をもらった時ではないかと思います。
幼心に嬉しかったはずのその言葉が
「しっかりしてなきゃいけないんだ」
「〇〇が上手だったら愛されるんだ」
というように
「見てもらいたい自分」を演じる
きっかけになったのかもしれません。
きっと大人たちは何気なく、他意もなく
言ってくれた言葉だったでしょう。
でも「私がその言葉にすがりついた」のは
当時の家族の状況が
ありのままの自分を愛してもらえる
余裕のあるような土壌ではなかったからでした。
演じたりしていたら
ありのままの私とのギャップが大きく
疲れるのは当たり前ですよね。
私の中ではいつも
「見てもらいたい自分」>「ありのままの自分」
だったのでしょう。
でも、そんな不等号は
私を無条件に愛してくれる存在がいる
ということを知った時から
少しずつ変えられていったのです!
まだ罪人であった時に愛を示された
愛される要素・理由のない
ありのままの私に、まず先に
「愛を示してくださった」神様。
その愛を知ってこそ
ありのままの自分で良いよ、と
不等号のチェンジが
起こされていくのですね。
その変化はゆっくりだったり
時々戻ったりしながら
バランスを取っていくのでしょう。
神様の愛の中で
普段着の自分でいたいものです。
あなたは愛されるために生まれた人です。