「ありのままの自分」<「見てもらいたい自分」から、不等号のチェンジを起こす神様の愛 | クリスチャンカウンセラー♧はんなのblog

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聖書の言葉は、人生のナビゲーションです。私たちの日常生活に適用し、心軽やかに過ごしませんか?

あなたは、愛されるために生まれた人です♡

沢山のblogの中から出会ってくれてありがとうございます。

 

 

 

公式LINEでは、私の手元の本の中から

 

心に沁みた言葉を抜粋して紹介する

 

定期配信をしています。

 

 

 

今はコチラの本です↓



 

 

今日のテーマは

 

「ありのままの自分と見てもらいたい自分」

 

でした。

 

 

 ご紹介しますね↓



 


最初に「見てもらいたい自分」

 

の存在に気づいたのはいつだっただろう?...

 

 


思い返す限りですが


私は幼少期だと思います。

 


 

背が高く、大人びて見えていた長女の私。

 

 

「はんなちゃんはしっかりしてるね」

「〇〇が上手だね」

 

 

近所のおばちゃん

親戚のおじちゃん・おばちゃん

そして、幼稚園の先生等からの

 


褒め言葉をもらった時ではないかと思います。

 

 

 

幼心に嬉しかったはずのその言葉が

 


「しっかりしてなきゃいけないんだ」

「〇〇が上手だったら愛されるんだ」

 


というように

 

「見てもらいたい自分」を演じる

 

きっかけになったのかもしれません。

 

 

 

きっと大人たちは何気なく、他意もなく

 

言ってくれた言葉だったでしょう。

 

 

 

でも「私がその言葉にすがりついた」のは

 

当時の家族の状況が

 

ありのままの自分を愛してもらえる

 

余裕のあるような土壌ではなかったからでした。

 


演じたりしていたら


ありのままの私とのギャップが大きく

 

疲れるのは当たり前ですよね。

 

 

 

私の中ではいつも

 

「見てもらいたい自分」>「ありのままの自分」

 

だったのでしょう。

 

 


でも、そんな不等号は

 

私を無条件に愛してくれる存在がいる

 

ということを知った時から


少しずつ変えられていったのです!



まだ罪人であった時に愛を示された

 

 

愛される要素・理由のない


ありのままの私に、まず先に


「愛を示してくださった」神様。

 

 

 

その愛を知ってこそ


ありのままの自分で良いよ、と


不等号のチェンジが


起こされていくのですね。

 


 

その変化はゆっくりだったり


時々戻ったりしながら


バランスを取っていくのでしょう。



神様の愛の中で


普段着の自分でいたいものです。



あなたは愛されるために生まれた人です。