二人の先生の姿に思う、愛さずにはいられない神様の愛 | クリスチャンカウンセラー♧はんなのblog

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あなたは、愛されるために生まれた人です♡

沢山のblogの中から
出会ってくれてありがとうございます。



学校は3学期が始まりましたね。



私が行っているA小学校の教頭先生は


今年度異動で来られた先生です。



教頭先生と言えば


学校一、仕事量が多くて忙しく


一日中職員室で仕事をしています。



このお姿はどこの学校も共通ですが



A小学校の教頭先生は


来られた時から何となく



席を空けることが多い方だなぁ



と感じていました。(あれ?朝はおられたのにな、という感じで、気づいたらおられない時が)



でも、私は毎日


A小学校にいるわけではないので


あくまでも何となく、の感覚でした。




でも、最近、理由がわかったのです、



それは、教頭先生は時々


欠席連絡を受けた不登校の子の家に


声かけに行っておられるとのこと。。。



校内におられるのかと思っていたら


まさか、サラッと外出されていたなんて!




そして、その子の様子を


担任の先生にさりげなく伝えておられる...




皆さん、行って来ます!ではなく


留守の先生だけにサラッと伝えて


風のように行って帰って来られています。



(あんなに事務仕事が多くて忙しくて、ご自分は担任を離れていても、やっぱり先生は子どもが気になって仕方ないんだなぁ)



仕事だから、以上の


教頭先生の愛情を感じました。




そのちょうど帰りの車中


被災地のニュースの中で


始業式が出来た学校の校長先生が



「よう生きとってくれた、、、」



と生徒たちを見て、安堵の涙を


流しておられたのを見ました。



それが仕事だから

そういう立場だから

自分の役割だから

責任だから


を超えた愛。



教頭先生と


被災地の校長先生の愛の姿から




「私は神だから、あなたを愛して導く義務と責任があるんだ」


と言って私たちを愛する以上に



「あなたをどうして愛さずにいられようか」



という切なる神様の愛を


改めて思わされたのでした。



最後まで読んで頂きありがとうございます。あなたは、愛されるために生まれた人です。