聖書が語る人間関係の境界線④〜仕返しをしなくても良い心への招き〜 | クリスチャンカウンセラー♧はんなのblog

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出会ってくれてありがとうございます。



期せずして⁈続いてきた

境界線(バウンダリー)シリーズ♧





今日は最後となりそうです。



​神様の境界線を守ったダビデ


聖書の言葉はコチラ⬇️



ダビデは

イスラエル初代の王サウルから

命を狙われ、逃亡者となりました。

(ダビデに落ち度はなく、セルフイメージが低かったサウルの嫉妬心が理由)



荒野、洞窟を転々としながら

サウルの追撃を逃れていた時



サウルに手を下す機会が

2度も与えられました。



「今こそ、神様の時です!」 


しもべ達が進言しても

ダビデは決して手を下さなかったのです。



自分が追われているのに。

命が狙われているのに。

神様が下さったチャンスかもしれないのに。



主に油注がれた方に手を下すなど絶対に出来ない」



ダビデは

神様の境界線に入りませんでした。



神様の油注ぎ(任命)と、さばきは神様の領域。




王であるサウルに

自ら復讐をすることは

境界線の侵害だったからです。



ダビデはサウルを恐れる以上に

神様を畏れていたのです。



神様が引かれた復讐の境界線

「やられたらやり返す!倍返しだ!!」



ドラマの中の代表的なセリフです。



自分に対して


悪を計ったり

嫌がらせや誹謗中傷

金銭トラブルや

身体的・言葉の暴力等



私たちが、他者から

実際的な損害を受けた時



倍返しは、人間の心情としては

当たり前なのかもしれません。




私たち人間の復讐心は増大しやすいからです。




でも、神様はそんな私たち人間に

境界線を引かれました。



「復讐はわたしのすることである」



世の全ての出来事に対して

正しくさばかれるお方は神様だけ。



自分の方が正しいと思っていても

真逆の判断もあり得るのです。



だから、神様は

「さばき、復讐は私のすること」だと

人間が入らないように線引きされました。



​境界線を守る時の祝福

そして、私たちが

神様の境界線を守る時

 

神様はもっと素晴らしいことを

起こして下さいます!



それは、


「あの人との、あの出来事は、神様がさばかれるから任せよう」


という平安な気持ち以上に。。。



「相手をやり返さなくても良いと思える心」


です!




現に、その後ダビデは

サウルが戦死(自害)した時に

その死を悼み悲しみました。



「神様のさばきが下ったんだ」


と、喜んだり満足などせずに

その死を悼む詩を詠んだのです。



ダビデは神様の境界線を守った時

サウル王の裁きを委ねたら


復讐心など消えてしまったのではないでしょうか!


もう焦点が変わり、どうでも良くなった。



そして。。。


この復讐心からの解放こそ、神様が私たちに与えたいものなのです!



今、私たちに


誰か赦せない人

未消化の出来事

和解できていないトラブル

癒されていない過去の傷


等があるでしょうか?



神様の境界線を守り

自分の手を放す時



さばきや復讐など、どうでも良い(望まない)心を神様が与えて下さるのです!



神様が招く

もう一段階深い幸いと自由に

生かされていきたいものですね。



長くなりましたが

最後まで読んで頂きありがとうございます。

あなたは、愛されるために生まれた人です。