聖書が語る人間関係の境界線③〜私のエピソード〜 | クリスチャンカウンセラー♧はんなのblog

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「人間関係の境界線」シリーズ⬇️ 

1回目


2回目


3回目は、エピソードをお話します。




今思う、私の境界線


息子が1歳の頃

県外の社宅に住んでいました。



当時、夫は東京へ単身赴任。

私は実家と社宅を往復しながら子育て。



ある時、実家に

2週間帰省したことがありました。



帰って来たら

社宅で仲良くしていたYちゃんが


「はんなちゃん、ポストに郵便物が溜まってたから取っておいたよ」


と持って来てくれたのです!



「ありがとう」


と、お礼を言いましたが。。。

実は、内心は戸惑っていました。



郵便物は

ハガキもあれば、カード請求書(当時)

電気代のお知らせ、DMなど

プライベートな領域のもの。

 


ポストに溜まっていたから

と言って、取って見て欲しくなかった。

(私はしない、という前提があるからですね)



勿論、Yちゃんは親切心だったと思います。



だからこそ

「取らなくて良いよ」

と何となく言えなかった私は



それ以来、帰省の度に

郵便物を止める手続きをして



Yちゃんには何も言いませんでした。



境界線の違い​


今ならはっきりとわかるのは

私の境界線とYちゃんの境界線が違ったことです。


 

私にとって、郵便物を見るのは

プライベート領域=触れられたくない領域



でもYちゃんにとっては

別に他人が触れてもOKな領域



善悪ではなく、意図はなく

ただの違いだったんです。




これは他にも当てはまりますよね?



例えば、私が会話の中で 

相手が話さない限り

自分からは触れないことは...



○年収、相手の伴侶の職業

○学歴、職歴

○体重や年齢

○結婚・未婚、子どもの有無

○信仰(宗教)



と決めていますが

(マナーの領域ですね)


⬆️挙げた中でも、人によって

気にならない方もおられるでしょう。




大切なのは



相手の境界線(触れて良い領域)を認識し、尊重すること





人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。



まだ未熟だった私。



この「境界線」の知恵があれば

Yちゃんにモヤモヤすることも

なかったのかな。



私たちは他者の境界線の引き方を裁きますが、他者の境界線を尊重する必要があります。自分自身の境界線を尊重してもらおうと思うなら、他者の境界線を愛する必要があるのです。

(p143より抜粋)




境界線は、他者理解のために

大切な要素なのですね。



最後まで読んで頂きありがとうございます。

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