沢山のblogの中から
出会ってくれてありがとうございます。
mocaの散歩中、公園の階段で
こんなメモを見かけました。⬇️
誰かの大切な鍵を拾った方が
探しに来るかもしれない
落とし主への手書きメッセージ。
届けるひと手間と
メッセージを作るもうひと手間。
人々の大切なものを
簡単に奪う事件が多い中
心があったか〜くなりました。
ところが!
家に帰って来たら
我が家の玄関先の芝生に
堂々と犬の○○○が!!
(マナー違反ですよね)
誰かの大切な鍵を大切にする人
誰かの大切な庭を大切にしない人
この
善意と悪意(マナー違反)のコントラスト
を見せられ
今生きている社会も
私自身もそうだよなぁ
と、思わされました。
「この両方を持って」
この箇所の直前では
「正しさ」「悪」の両方について
語られています。
私たちは
罪深い性質を宿す存在
神様のかたちに作られた尊い存在
両面を持って生かされています。
私という一人の人間の中にも
愛に属する性質も
ドス黒い⁈罪に属する性質も
両方あります。
社会も
正義と悪、奉仕と強奪、条理と不条理
の両方が満ちています。
私の人生も
楽しく幸いで順調な時も
悩み苦しみ傷ついた過去も
両方あります。
(⬆️コメダでは、豆乳オレとゆで卵の両方が鉄板!)
世の中の不条理なんて
私の中のネガティブなんて
なくなれば良い!と思いたくなりますが
その両方を取っていき
(私には罪はない、逆に愛なんてない、とも言わずに)
神様と共に歩む者が
本当に神様を恐れている者なのですね。
2つの出来事のコントラストが
改めて教えてくれたことでした。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
あなたは、愛されるために生まれた人です。