赤線は、2026年5月31日の軌跡 .
青線は、2026年6月1日の軌跡 .
「水海公園」からの海岸風景:
遠くに見える崖が、両石湾口に浮かぶ「三貫島」らしい。
「水海公園」を離れて「両石港」へ向かいます。
「水海川」。3・11 の教訓から、河口をふさぐ防潮堤が築かれています。
「両石湾」↓
「両石港」↓
「両石駅」↓に到着。
駅の近くに、「鮭供養塔」「魹 とど 供養碑」と石地蔵があります。
タイムレコード 20260531 [無印は気圧高度]
(2) から - 1509水海公園(モニュメント)[11m]1535 - 1640両石駅[24m]。
踏査記録⇒:YAMAP
1日おいて、6月2日は「両石駅」から再出発。峠道をたどって「鵜住居 うのすまい 駅」をめざします。この区間は車道歩きになります。
2026年6月2日の行程グラフ:両石駅から大槌駅まで。シルエットは行程の標高(左の目盛り)。折れ線は歩行ペース(右の目盛り)。標準の速さを 100% として、区間平均速度で表している。横軸は、歩行距離。
谷沿いに峠道へ向かいます。
道路の下に、石碑が並んでいるのが見えます。
2011年の前の昭和8年〔1933年〕の「津波記念碑」と被害者供養塔、そして慰霊の石仏群です。
1933年「昭和三陸地震・津波」の被害(釜石町)©Wikimedia.
1933年「昭和三陸地震・津波」の被害(大船渡湾)©Wikimedia.
この地震の直後に発表した『津波と人間』のなかで寺田寅彦は、「津波は数十年ごとに必ず来るのだから、備えをしない方が悪い。10年も20年も前から警告してきたのに、なぜ海岸の近くに家を建てるのか? 自業自得ではないか」と詰 なじ る学者の見解と、「何十年も前の災害など覚えていられない」と言う被害者の主張を対比して、津波は自然界の現象だが、「これが人間界の現象なのである」と書いていました。ところが、寺田の警告にもかかわらず、「人間界の政治」は、〈つぎの〉大津波〔2011年〕で被害が出たあとで初めて、海岸堤防の建設,居住地地盤の嵩上げなどの対策を始めたのでした。
寺田寅彦像、高知市帯屋町〔2026年5月撮影〕
峠は切通しになっていて、「恋の峠」という名前がついている。
しかし、この切通しも、崖の上の丘陵も、「放牧地」になるような場所には見えない。「両石」の「水海川」も、『旅程幻想』の「まどろみ」の河原のイメージではなかった。「両石」は、『旅程幻想』の舞台候補から外してよさそうだ。
ピークを越えると、「潮風トレイル」は国道から分かれて「根浜海岸」へ向って下りていく。
越えてきた山を振り返る。
ノイバラ↑。
海岸べりに下りたところに「鵜住居スタジアム」がある。
災害時の避難場所になっているが、この標高〔海面から 4メートル〕で津波の下に沈まないのだろうか? 海岸には、防潮堤防と水門があるが。。。
「鵜住居川」を越えた向こうの山々を望む。とにかくだだっ広い。家も何もない空間が広い。すべてが震災の爪痕なのだろう。
「三陸鉄道」の線路を越えると、こちらにもハコモノがある。これも震災後の復興建物だ。火事場どビジネス。
案内板を見ると、「祈りのパーク」はじめ、さまざまな施設があるようだが、景観は見渡す限りの「がらんどう」だ。人の姿もない。霊視すれば多くの魂が漂っているのかもしれない。涙なしには見られない光景だ。けっきょく、そっちにはカメラを向けられなかった。
タイムレコード 20260602 [無印は気圧高度]
0920両石駅[24m=MAP] - 0950「恋の峠」[56mGPS] - 0953国道別れ[44m=GPS] - 1020「鵜住居スタジアム」[4mGPS]1032 - 1045鵜住居駅[4mGPS]1109 - (4) へつづく。
踏査記録⇒:YAMAP
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