慈雲寺と樋口一葉像 甲州市、塩山中萩原。
【56】 『教育勅語』と樋口一葉 ――
「遺伝」と「血統」のファンタスム
『「忠君愛国」思想の価値化=正統化が、その自明性や本来性や普遍性や崇高性によってではなく、〔…〕物神化された記憶の厚み〔…〕世俗的な「時間」の外部へとはみ出してゆく遁走のファンタスム〔…〕によって行われることは、教育勅語冒頭に掲げられた「皇祖皇宗」の建国神話が夙 つと に示す通りである。〔…〕この反=歴史的な時間論は、帝室の血統の持続を「臣民」一人一人の血筋の系譜へと縮小反復的に投影し〔「是ノ如キハ獨リ朕󠄂カ忠良ノ臣民タルノミナラス又󠄂以テ爾祖先ノ遺󠄁風ヲ顯彰スルニ足ラン」――松浦註〕、このアナロジーのメカニズムを通じて「忠君愛国」を「臣民」一人一人の日常性へと馴致し、生活倫理として内面化する。
「忠君愛国の精神」が「遺伝」するという下田〔歌子。⇒:(17)【42】――ギトン註〕の胡乱な発想は、この反=歴史的な時間論に生命科学の装いを塗 まぶ すことで説得力を高めようとするものだ〔…〕。下田の「教え」は、「悪いこと」の遺伝は「注意」によってこれを避け、「善いこと」の遺伝は大いにこれを奨励すべしというものだ。その場合、『にごりえ』の「お力」が「〔…〕幾代もの恨みを背負て出た私なれば」と吐き捨てる〔…〕宿命〔…〕「宿世 すくせ」が「悪」の領域に属しており、〔…〕この「悪」とこの「善」、この「醜」とこの「美」は、〔ギトン註――「遺伝」「血統」「宿命」という〕或る一つの同じ出来事の表裏をなしている〔…〕その点を通じて『にごりえ』から教育勅語へとやや唐突な連結線が引かれることとなろう。その出来事とは、カント的理性の崩壊にほかならない。〔…〕
教育勅語の宣揚する「天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁」とは、〔…〕「エス」の無秩序へ向けて人々を解放する快楽的ファンタスムであった。「遺風」「遺訓」の決定論への甘美な屈服を通じて、人はそうした反=理性との戯れを許される〔…〕
他方、『にごりえ』の「お力」の内的独白においてもまた、世代から世代へと不可避的に継承された宿命論が、主体の内部でやはり同様に理性の貫徹を脱臼させている。〔…〕それが「お力」を日常生活の秩序の外へ弾き出し、「気が狂ひはせぬか」といった臨界点まで追い込む〔…〕。決定論が理性を崩壊させ、自我にコギト〔デカルトの「われ思う」――ギトン註〕を超えた何やら恐るべきものへの拝跪と全面的な帰依を強いずにはおかないというメカニズムは、〔ギトン註――『教育勅語』のファンタスムと「お力」とに〕奇妙に共通しているのだ。
ここから、教育勅語と、「お力」の独白〔…〕を両極とし、その間に張りめぐらされた表象的力学の磁場こそ、明治20年代以降の日本の表象空間の核心に位置する〔…〕という仮説が浮上する。〔…〕
教育勅語は天に向かって聳え立つ雄偉な高塔のイメージで〔ギトン註――起草者井上毅によって〕思い描かれており、他方、樋口一葉のエクリチュールは〔…〕不浄の「泥」へと積極的に赴き、そこで恐怖と汚穢にまみれることを厭わない。〔…〕一方は上昇を、他方は下降を志向し、しかし両者ともに、そこで一般民衆の現実生活が平穏に営まれる堅固な地面から垂直に逸脱する〔…〕。
しかしそれ以上に注目すべきは、2つの言説のいずれにおいても、絶対的宿命として仮構〔フィクション――ギトン註〕された決定論が、カント的な主体性の成立を本質的に挫折させている〔…〕点だろう。〔…〕
前者の「遺風」「遺訓」、後者の「遺伝」のいずれにおいても、この絶対的〔…〕決定論』は『虚構でしかない〔…〕。それはカント的主体の座から個人を追放するべく構築された虚構であり、〔…〕虚構がまさに虚構であるがゆえに発揮しうる〔…〕圧倒的な現実感を』そなえていた。
松浦寿輝『明治の表象空間(下)』,2024,岩波現代文庫,pp.47-52.
Kuroda Seiki, Girl of Bréhat, 1891, Artizon Museum. 黒田清輝
『ブレア島の少女』1891年、アーティゾン美術館。©Wikimedia.
【57】 日清戦争と一葉の決意
つぎに見ておきたいのは、『勅語』発布の 3年半後、「日清戦争」開戦前夜に一葉に起きた心境の変化です。それは、「吉原遊郭」近くで開いていた雑貨屋を引払い、本郷・崖下の新開地に転居して、小説執筆ひとすじに生きる決意に、彼女を向かわせました。それまでは「萩の塾」風の「みやび」を仰いでいた一葉の作風が、『大つごもり』〔1894年12月脱稿〕以後の独自のものに転換してゆくのも、その延長線上のことでした。「[奇蹟の 14箇月]の直前に当た」っていたのです(『明治の表象空間 下』,p.54.)。
『この年の 5月1日に、かの女は、本郷丸山福山町に轉居した。すなはち下谷龍泉寺町の荒物と駄菓子の店を閉ぢたのである。そして「これよりいよ\/小説の事ひろく成してん」と決心したのである。
何がかの女にその決心をさせたか? それは〔…〕『塵中につ記』にくはしい。』
久保田万太郎『樋口一葉全集第2卷』「後記」,青空文庫. .
『おもひたつことあり、うたふらく、
すきかへす人こそなけれ敷島〔「日本」の雅称〕の
うた〔歌〕のあらす田〔猪などが荒している田〕あれにあれしを
いでや、あれにあれしは敷島のうた斗 ばかり か、道徳すたれて人情かみ〔紙〕の如くうすく、朝野の人士私利をこれ事として国是の道を講ずるものなく、世はいかさまにならんとすらん、かひなき女子 をなご の何事を思ひ立たりとも及ぶまじきをし〔知〕れど、われは一日の安きをむさぼりて百世の憂を念とせざるものならず、かすか成 なり といへども人の一心を備へたるものが、我身一代の諸欲を残りなくこれになげ入れて、死生いとはず、天地の法 のり にしたがひて働かんとする時大丈夫も愚人も、男も女も、何のけぢめか有るべき、笑ふものは笑へ、そしるものはそしれ、わが心はすでに天地とひとつに成 なり ぬ、わがこゝろざしは国家の大本にあり、わがかばね〔我が屍〕は野外にすてられてやせ犬のゑじきに成らんを期す、われつとむるといへども賞をまたず、労するといへどもむくひ〔報酬〕を望まねば、前後せばまらず、左右ひろかるべし、いで、さらば分厘のあらそひ〔小銭の争い〕に此一身をつながるゝべからず、去就〔生死〕は風の前の塵にひとし、心をいたむる事かはと、此あきなひ〔商〕のみせをとぢんとす。〔…〕
廿六日 半井 なからい ぬし〔半井桃水〕を訪ふ、これよりいよ\/小説の事ひろく成してんのこゝろ構へあるに、 此人の手あらば一 ひと しほしかるべしと、母君もの給へば〔宣へば〕也、〔…〕
此日、空もよう〔模様〕よろしからざりしかど、あづさ弓いる〔射る〕矢の如き心のなどしばしもとゞまるべき、午後より出づ。君〔桃水〕はいたく青らみやせて、み〔見〕し面かげは何方にか残るべき、別れぬるほどより一月がほどもよき折〔体調が良かった時期〕なく、なやみになやみてかくはといふ、哀れとも哀也、物がたりいとなやましげなるに〔体調が悪そうなので〕、多くもなさでかへる。』〔ルビ、下線、読点を追加〕
『樋口一葉 日記・書簡集』「塵中につ記」〔1894年3月〕,2005,ちくま文庫,pp.131-134. .
旅順虐刹(Port Arthur Massacre)。タヒ体を切り裂く日本兵たち。
Trumbull White, The War in the East Japan, China, and Corea.
A Complete History of the War, 1895, p.599.
1894年11月21-25日、日本陸軍は、清国・北洋海軍の要港「旅順」
を占領・掃討する過程で、2000~2万名の中国民間人を殺害した。
旅順虐刹。犠牲者の埋葬。Burying enemy dead, Port Arthur, 1894-95. 亀井茲明
・撮影。日本では報道されなかったが、旅順現地にいた日本人カメラマンには、
事件を撮影した者もいたことがわかる。 ©thebigworldpicture.blogspot.com
この日記が書かれたのは、開戦 4か月前のことです。「日清戦争勃発に向けて国内外の緊張が高まりつつあった。」日本国内では開戦の相当前から戦争になることが予想されていたようで、軍糧の備蓄や米の買占めによって物価騰貴が起きていました。
一葉は、「かひなき女子の何事を思ひ立たりとも及ぶまじきを知れど、われは〔…〕百世の憂を念とせざるものならず、〔…〕わがこゝろざしは国家の大本にあり、」と記していますが、彼女の決意は、どんな方向に向かっていたのでしょうか?「国家の大本」とは、一葉にしては珍しく「四角な字を書きつけている」と松浦氏も評しています。
「国家の大本」とは言いながら、『教育勅語』のような・帝国国家を支える方向ではないように思われます。というのは、一葉はここで、「我が屍は野外に捨てられて痩せ犬の餌食に成らんを期す〔期待する、決意する〕」とも書いており、帝国国家とともに子々孫々繫栄するような方向とは思われないのです。社会に、戦いに勝利して繫栄する人びとと、落伍して野良犬のように痩せさばらえてゆく人びとがあるとしたら、一葉は、後者の群れに身を投じて、その栄養となることを望んでいるように思われます。
「天地の法 のり にしたがひて働」く、「わが心はすでに天地とひとつに成 なり ぬ」とは、どういう意味でしょうか?「日清戦争」の経過は、日本国内では日本軍の勇ましく “正しい” 勝利のみが喧伝され、↑上の画像にある「旅順虐刹」などはまったく伝えられませんでした。日本の「戦争」の真相を知らなかったことは、一葉とて例外ではありえません。しかし、もしも一葉が「旅順虐殺」を知ったと仮定すると、彼女は日本軍ではなく、刹傷された中国民衆(「やせ犬」の群れ)のなかへ入って行こうとしたでしょう。
その点でちょっと気になるのは半井桃水との関係です。こちら【2】の展示で見たように、桃水は朝鮮・釜山の生まれであり、日韓2世を主人公とする小説も書いています。朝鮮住民との間で文通もあったことが一葉の日記に出てきます。一葉は桃水から、当時の国際関係についてどんな示唆を得ていたのでしょうか? 桃水のこの面については「一葉研究」のなかで取り上げられてはいないようで、残念ながら想像のしようもありません。しかし、「日清戦争」前夜のこの時期に桃水が健康を損ない、「いたく青らみ痩せて」以前の面影もなかった、というのは意味深長です。好戦的な日本人なら、むしろ元気はつらつとしてよい時期だからです。
ともかく、一葉の「文学」にかける決意は、「旅順」へ従軍した森鴎外〔軍医〕と国木田独歩〔新聞記者〕――彼らは「虐刹」を知っていたはずだが沈黙した――、また日露戦争後に訪れて賛美した夏目漱石とは、大きく異なるものであったと思われます。
ここでさらにもう一つ指摘したいのは「朝野の人士、私利をこれ事として、国是の道を講ずるものなく」という1文です。「講ずる」が「講演」「講義」の意味であれば、大学生も専門学校生もほとんどいない当時にあって「国是の道を講ずる」とは、自由民権派の政談演説会を指すのではないか? 彼らの勢力が弾圧によって退潮し、演説会もほとんど開かれなくなった「帝国議会」開設後の時代は、まさに「国是の道を講ずる者」も無いと慨嘆される時代だったのではないか?‥そう言えるとしたら、やはり一葉がめざすのは、国威宣揚とは真逆の方向だったことになります。
日清戦争。平服を着た中国人を捕らえる日本兵。大連、1894年。この
捕虜は、平服を着ていても民間人ではなく清国兵だと説明されている
が、「旅順虐刹」が明らかとなった現在では、この写真も疑わざるを
得ないだろう。Captive soldier in Jinzhou, Dalian 1894. ©Wikimedia.
『「やせ犬のゑじき」になる「わがかばね」というイメージには、いったいどのような意味作用の倍音が響いているのだろうか。〔…〕
下田歌子』は『にはのをしへ』の冒頭で『教育勅語』を取り上げ、『「塾生諸子〔…〕謹みて〔…〕勅語を拝読し奉るべし〔…〕諸子畏みて朝な夕なに拝読し、肺肝に銘じて、畢生の間、〔…〕これを失却すること勿れ」と命じている』。そして、『抽象的な「徳義心」の価値を宣揚し、それこそが「人類」を「人類」たらしめる所以にほかならない〔…〕「徳義心」がなければ人間は「禽獣」と同水準に墜ちてしまうという警告〔…〕「注意」を喚起する恫喝』を加える。『「生きては食を貪る動物に等しく、タヒしては顧る者無き卑婦野娘』は、「徳義心」の啓発を怠っているのであり『一種の禽獣たるに過ぎざるべし」。当今、「廃徳醜行の女子」がはびこり、「其甚しきは海外に渡航し、醜聞到らざる無く、殆ど、禽獣に等しき所為あり」〔身売りして東南アジアで娼婦となる「からゆきさん」を指す――ギトン註〕〔…〕
人類/禽獣の差異を本質化するこの言説が、「わがかばねは野外にすてられて、やせ犬のゑじきにならんを期す」という一葉のやや自暴自棄的な決意表明と決定的な相反関係にあるのは明らかだろう。「塵中につ記」の一葉は、あたかも下田の女性論にあからさまに逆らい、自分はあえて「タヒしては顧る者無き卑婦野娘」の側に身を置くのだと昂然と言い放っているかのようだ。
「わが心はすでに天地とひとつに成 なり ぬ」という彼女の宣言』は、ここから理解することができる。『天地と一体化するとは、「泥」にまみれ、「禽獣」と同じ境遇に身を落とし、実際に自身の骨肉が「禽獣」の体内に取り込まれることさえ拒まない〔…〕現実的な「生」の選択の身振りなのである。』
松浦寿輝『明治の表象空間(下)』,2024,岩波現代文庫,pp.55-57.
【58】 「お力」は、立身出世を望んでいるのか?
『にごりえ』で、「お力の独白」の後でお力が朝之助と交わす次の会話は、解釈上の争点になっています:
『お前は出世を望むなと突然だしぬけに朝之助に言はれて、ゑツと驚きし樣子に見えしが、私等が身にて望んだ處が トコロデ 味噌こしが落 おち、何の 玉の輿までは思ひがけませぬといふ、』
『にごりえ』青空文庫;『樋口一葉小説集』,2005,ちくま文庫,p.115. .
「望むな」は、確認なのか、禁止なのか。松浦氏の解釈では、誤解に基づく「確認」です。朝之助は、お力には上昇志向があるので、自分と結婚したいのだろうと思い、その点を確かめようとした。が、お力にしてみれば、それはまったくの誤解で、彼女は「出世」など望んでいない。だから、朝之助に惚れてはいても、彼は自分とは無縁な高嶺の花だと最初から諦めている。
私も、松浦氏の解釈に賛成です。「3代続く悪い血の遺伝」を固く信じているお力は、そういう自分が「堅気」の中流以上の男と結婚できるなどとは、つゆほども考えていないはずです。
日清戦争。「榮城縣龍睡灣第一回ノ揚陸」。山東半島沖を埋め尽くす日本海軍の艦艇
陸軍参謀本部陸地測量部・小川一真『日清戦争写真帖』。
Japanese Army landing at Lungshwy Bay. ©Wikimedia.
『出世という観念自体が「お力」の自己認識と根本から相容れないものであったがゆえに、』お力は『思いがけない勘ぐりに遭って驚いたのだと素直に読んでおこう。あの決定論〔宿命的「遺伝」――ギトン註〕の狂気によって、「分らぬなりに菊の井のお力を通してゆかう」と〔ギトン註――娼婦として生きる〕覚悟を決めたところに定まった「お力」のアイデンティティは、〔ギトン註――下田歌子的な婦徳の〕「善」の契機を、すなわち、「泥」まみれの「禽獣」から「徳義心」ある「人類」へ成り上がろうとする上昇志向を、あらかじめ欠如させている。
それは、「禽獣」の境位に自足するといった消極的な諦念であるよりはむしろ、「人類」と「禽獣」を対立させる形而上学〔イデオロギー――ギトン註〕の抽象性を撃ち、それを無化してしまう恐るべき「悪」の力能への積極的な加担と言っていいものだ。「笑ふものは笑へ、そしるものはそしれ」「わがかばねは野外にすてられて、やせ犬のゑじきにならんを期す」という一葉の捨て鉢とも見える腹の括 くく りように漲 みなぎ るパトスが、そうした「お力」の狂気と共鳴し合っていることは明らかだろう。』
松浦寿輝『明治の表象空間(下)』,2024,岩波現代文庫,pp.58-59.
こちらはひみつの一次創作⇒:
ギトンの秘密部屋!








