『教育勅語御下賜之図』安宅安五郎・画 ©Wikimedia.
【48】 『教育勅語』のテクストを見る
「井上案」にたいして微調整を重ね、最終的に確定して公布した『教育勅語』のテクストは、つぎのようなものでした:
『 勅 語
朕󠄂 チン 惟 オモ フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇󠄁 ハジ ムルコト宏遠󠄁ニ德ヲ樹 タ ツルコト深厚ナリ我カ臣民克 ヨ ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一 イツ ニシテ世世 ヨヨ 厥 ソ ノ美 ビ ヲ濟 ナ セルハ此レ我カ國體ノ精󠄀華ニシテ敎育ノ淵源亦タ實ニ此 コヽ ニ存ス
爾 ナンヂ 臣民父󠄁母ニ孝ニ兄弟 ケイテイ ニ友 ユウ ニ夫婦󠄁相 アヒ 和シ朋󠄁友相信シ恭儉己レヲ持シ博󠄁愛衆󠄁ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ德器󠄁ヲ成󠄁就シ進󠄁 スヽン テ公󠄁益󠄁ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲󠄁ヲ重 オモン シ國法ニ遵󠄁 シタガ ヒ一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁 コウ ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ是 カク ノ如キハ獨リ朕󠄂カ忠良ノ臣民タルノミナラス又󠄂以テ爾 ナンヂ 祖先ノ遺󠄁風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯 コ ノ道󠄁ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺󠄁訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵󠄁守スヘキ所󠄁之ヲ古今ニ通󠄁 ツウ シテ謬 アヤマ ラス之ヲ中外ニ施 ホドコ シテ悖 モト ラス朕󠄂爾臣民ト俱ニ拳󠄁拳󠄁 ケンケン 服󠄁膺シテ咸 ミナ 其 ソノ 德ヲ一 イツ ニセンコトヲ庶󠄂幾 コヒネガ フ
明󠄁治二十三年十月󠄁三十日
御 名 御 璽』
もとのテクストには段落は無いのですが、ここでは松浦氏の説明に合わせて3つの段落に分けました。前段・後段と、中段との関係が重要です。3つの段を比較すると、このテクストのたいへんに顕著な特徴が浮かび上がってきます。
天皇がみずから「朕おもふに…」と名乗って、臣民と児童にたいして教育に関する訓戒を述べる・この『勅語』のなかで、「道徳の教えとしての実質的内容」すなわち「徳目」を述べているのは「中段」のみなのです。しかも、そこでの徳目は、すべて「非政治的・非宗教的・非哲学的な世俗の地平に平たく均 なら されてしまっている。」ここに述べられた「12の徳目の、なんと平凡、なんと無個性であることか。〔…〕ありきたりの紋切り型のオンパレード」と言ってよい。(『明治の表象空間 中』,p.209)
が、それにもかかわらず、「中段」に述べられた「道徳」がこれほどにも無内容であるにもかかわらず、『教育勅語』は全体として、「国民精神の統制」手段としても「ネーション統合」の装置としても大きな成功を収めた。成功しすぎて、この帝国の民を、無定見な侵略的軍国主義の方向に向かわせてしまった、とさえ言えるのです。その秘密はどこにあるのか? ‥徳目の「中段」を前後から挟み枠づけている「前段」「後段」にあると言わざるをえません。……もう少し正確に言うと、「中段」末尾の「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」以下「後段」初めにかけてが、「枠づけ」の意味的中心で、そこには、「皇祖皇宗ノ遺訓」といった恫喝的な言葉が並びます。それらは、「中段」の紋切り型の「徳目」の〈価値〉と〈正当性〉を表明するかたちになっていますが、その機能をはるかに超える心理的威力を伴なうこともたしかです。
「前段」「後段」の、個々の語自体は無内容な・空語の羅列が、「中段」とともに全体として、抗 あらが いがたいほどの威迫力をこのテクストに与えているのです。通常の道徳的訓戒であれば中心であるはずの「徳目」ではなく、その「枠づけ」「意義づけ」にすぎない「天壌無窮ノ皇運」以下が、この『勅語』に強大な訴求力・威迫力を付与しています。
Николай Никанорович Дубовской, Dubowskoj, Drohende Stille, anagoria,
Quieted down, 1890. The State Tretyakov Gallery. ニコライ・ニカノロヴィチ
・ドゥボフスコイ『静まりかえる』1890年、国立トレチャコフ美術館。
「中段」の「儒教的徳目」は、まったく消極的な「紋切り型」に漂白されてしまっており、『本来の朱子学に内在していた壮大な体系性への志向は、ここにはかけらも見出されない。』とはいえ、『勅語』が全体として「規範」として臣民を律するためには、「中段」の「徳目」『の価値と正当性は、何らかの超越的規矩によって基礎づけられねばなるまい。その基礎付け』をしているのが、『前段と後段であり、そこで機能している決定的な概念が「皇祖皇宗」と「国体」である〔…〕。削除された「天」概念に代わって、〔ギトン註――神話的架空の〕建国の勲功と帝室の血統の持続の観念が登場』し、『これら規範群の正当性の根拠をなすことになるのだ。』
松浦寿輝『明治の表象空間(中)』,2024,岩波現代文庫,pp.209-210. .
『教育勅語』を言語テクストとして見た場合、たいへん顕著な特徴があります。最初から最後まで、「朕」という一人称の「行為遂行文」で貫かれていることです。「行為遂行文」とは、ジョン・サールらのアメリカ言語哲学の用語で、「彼は正義の王である」〔それは嘘だ、と批判されうる〕などの「事実確認文」に対して、「あなたを正義の王と命名する」「あなた方は忠良な臣民でなければならない」といった構文形式で、これらは、発語自体によって一定の行為を遂行しているのです〔それは嘘だ、との批判は不可能。命名したこと、命令したこと自体は常に真実だから〕。
『教育勅語』が〈一人称の行為遂行文〉で書かれたことは、批判を巧みに回避するための優越した戦略であったと言えますが、この構文にも欠点はあります。言説の正当性を傍証する手立てがなく、自ら言説を表明するのと同時に、その正当性を証明して見せなければならないことです。
たとえば、『聖書』にはさまざまな徳目〔モーセの「十戒」からイエスの「山上の垂訓」まで〕が書かれており、そのなかには一般人にとって不可解な徳目、受け入れがたいような奇異な命令も含まれているのですが、にもかかわらず『聖書』が全体として強固な権威を持しているのは、それが〈三人称〉で書かれているという形式の寄与が大きいのです。もしも『聖書』が、モーセのような預言者や神の子イエスを登場させずに、すべてを「神」の一人称で語っていたとしたら、あの「神」にはいったいどういう正当性があるのか?「神」の名をかたる気違えか悪魔ではないのか? という非難を避けることができません。預言者や、ヨハネ,マタイのような福音書作者が、脇から何重にも「神」やイエスの正しさを証明する建付けになっているからこそ、『聖書』は読者を納得させることができるのです。
これに反して、『教育勅語』のような・〈一人称の行為遂行文〉の羅列は、それによって臣民が従うべき徳目や権威を表明すると同時に、その正当性・正統性を、自ら、その表明文自体によって証明しなければならないのです。「命令しつつ、しかもそれと同時に自分には命令する権利があると説得すること、そんなアクロバットを首尾よく遂行しおおせないかぎり」、〈一人称・行為遂行文〉の「威丈高な[……せよ]という言表は、誇大妄想として嗤われるのがおちだろう。」(『明治の表象空間 中』,p.211)
〈一人称の行為遂行文〉という「勅諭」の形式が孕む・この難題を、井上毅ら起草者は、3つの戦略によって解決しようとしました。① 形式上は「命令」を避け、「臣民とともに庶幾 こいねが う」形式による〈隠微な命令〉とした。② 儒教的「天」のような超越的原理を排除して「無味無臭」の日常道徳的説教の羅列だけを残した〔それによって、徳目じたいの正当性は自明、と見えるようにした〕。③「天皇は[神聖ニシテ侵スベカラ]ざる不可視の奥処に祀り上げ」、「現実とは無縁の[空言]」の源泉として「天皇の権威が保たれること」をめざした〔③は主に『勅語』テクスト外での努力〕。それらは、ある意味で成功しました。①②③ の結果として、『教育勅語』は、現世の現実に内属する「朕」じたいを、非現実的な虚空の「超越者」に引き上げ「不可触の存在」に「聖化」するという、特異な美学を成立させたのです。「近代日本に固有の特異な権力主体としての【天=皇]が誕生するのは、この瞬間である。」(『明治の表象空間 中』,pp.229,224,213)
Николай Никанорович Дубовской, Родина, Homeland. 1892.
National Gallery of Art, Generations Fund Yugra, Khanty-Mansiysk,
Russian Federation. ニコライ・ドゥボフスコイ『祖国』1892年。
チュメニ州立・ハンティ・マンシ自治管区ユグラ次世代基金美術館
【49】 『教育勅語』の「力」の秘密 ――
「なんぢら臣民」と「ともに恋い願う」現人神の直話
『教育勅語』のテクストに仕込まれた前節 ① の戦略について、松浦氏の説明をもう少し詳しく見ておきましょう。
① の、形式上は「命令」を避けるというプロイセン流「近代化」官僚たちの起草方針は、そのもとにおいては、つまり彼らの主観では、「権力は民衆の精神の領域までをも統制しようとしてはならない」という近代立憲主義的な配慮に基づいていました。起草者井上毅らを上位で統括していた伊藤博文自身が、天皇に上奏した『教育議』〔1879年〕において、「維新の弊害を矯正しようとするあまり[旧時ノ陋習]」つまり「維新」以前の「儒教的な仁義忠孝」を復活させてはならぬ、と進言しています。『教育勅語』起草の時点での伊藤,井上らの考えは、そこからさらに進んで、「西欧流の文明開化かそれとも儒教的な仁義忠孝かといった道徳理念をめぐる議論〔…〕に、権力は立ち入るべきではない」というものでした。
もっとも、プロイセン(ドイツ帝国)の立憲主義が臣民の〈内心・良心の自由〉を重んじたのは、国内に、北ドイツのプロテスタント vs 南ドイツのカトリックという尖鋭な宗教対立を抱えていたからでした。30年戦争以来3世紀にわたって、この宗教対立がドイツを分断し、統一を妨げていたのです。ビスマルクのドイツ統一は「鉄と血」による統一だと言われますが、正しくは、「鉄と血と立憲主義」が彼の武器だったのです。
しかし、ヨーロッパのような深い宗教対立の与件が無い日本への「立憲主義」の移植は、全く異なる目的と効果を持ったと言えます。それを端的に言えば、〈良心の空洞化〉であり、疑似宗教的な世俗的〈権威〉〔「天皇」を頂点とする〕の前での思考停止です。『教育勅語』は、伊藤らの意図を超えて、そこに最も強力な効果を発揮しました。
『教育勅語』の『文面の全体としては、大所高所から威丈高に強制するといった印象は薄い。とりわけ末尾の「朕爾 ナンヂ 臣民ト倶ニ〔…〕庶󠄂幾 コヒネガ フ」が、「命令」的な感触を大幅に弱めている。〔…〕しかし、この「共に祈念することへのいざない」 の与える心理的効果が、〔…〕強要する場合より実質的にはむしろはるかに強大だという点は、あまりにも明らかではないだろうか。
また、〔…〕国家の側からの公的な強制ではなく、天皇の個人的意志の表明としての体裁を帯び〔…〕「命令」の印象を弱めることになった〔…〕、しかしそのことは同時に、民衆の側の心理から言えば、天皇の私的な声が、国家を介在させることなく直接自分に届くという印象を醸成させずにおかなかった。〔…〕人はその声の湛える親密なトーンによって、一方的に「命令」された場合よりもはるかにたやすく武装解除され、抵抗への意志を萎えさせてしまうだろう。
「命令」性の削減に正確に比例して増大したこの親密さが、情動的にはそれによってかえっていっそう強制力の強まった、隠微にして倒錯的な「命令」の発話なのである。』強制力の隠蔽『自体によって、これ以上ないほど有効に命じたのだ、何を? 「天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂」することを、である。
つまり、結果的に井上毅は最良の「命令」装置を洗練し遂げたと言うべきなのである。』
松浦寿輝『明治の表象空間(中)』,2024,岩波現代文庫,pp.227-228.
Charles Filiger, Homme nu assis devant un paysage, ca.1893.
シャルル・フィリジェ『風景の前の裸体の男』1893年頃。 ©Wikimedia.
さらに、この戦略の効果は、それのみにとどまらず、民衆にたいして、「人々の共感と同調を求めずにいられない」いわば〈愛すべき弱さ〉を備えた天皇像を抱かせることに寄与したのです。
『ここに提起されているのは、人々の共感と同調を求めずにいられない或る弱さを内在させた天皇――命じるのではなく「庶󠄂幾 コヒネガ フ」天皇イメージであり、それが、〔ギトン註――明治政府が導入した近代的〕法体系によってその権威を正統化された強大な権力者という、帝国憲法に表象された天皇イメージを、情緒的に補完する。共感と同調のうちに予め批判意識を眠り込まされてしまった観客の眼には、言説主体〔「朕」――ギトン註〕が舞台の上で演じる』身は現世の現実に置きつつ、自分で自分を虚空の神の領域に吊り上げるという『奇術パーフォーマンスも、ごく自然な光景に映ってしまうことになる。〔…〕「朕󠄂爾臣民ト俱ニ」と穏やかに誘われることで、単に情緒的に納得してしまうのだ。「臣民之良心之自由」を不可侵の聖域として確保しようとした近代主義者井上は〔…〕結果的にはかえってこの「自由」の聖域を本質的に侵食する比類のない〔…〕テクストを書き上げてしまったのである。』
松浦寿輝『明治の表象空間(中)』,2024,岩波現代文庫,p.229.
【50】 『教育勅語』の「力」の秘密 ――
無味無臭の〈なま身の超越者〉
すでに何度か指摘してきたように、『教育勅語』のテクストに含まれた唯一の「天」字は、「天壌無窮ノ皇運」という句にあります。つまり、本来の儒教,道教,キリスト教の文脈では天上の超越者ないし普遍的原理を指す「天」の語は、現世の皇室という特定の家系に附属する語とされてしまっているのです。それが、もともとは「天照大神」の発した言霊 ことだま の一部であったとしても、『勅語』においては、現に君臨し統治する現世権力である「天皇」と分かちがたく結びついています。超越原理としての「天」は消去され、なま身の権力者である「天皇」が取って替わったのです。と同時に、なま身の権力者は、「天」と称されるにふさわしく、誰からも非難されえない無味無臭の不可侵な言説主体へと、装いを新たにしたのです。〔松浦氏によれば、「天皇」という呼称が一般化したのは古いことではなく、まさにこの『教育勅語』発布前後の時代であった。〕
『そのとき、「天」は、〔…〕外部から現世の歴史と生を統御する宇宙論的原理であることをやめ、「今・ここ」の現世それ自体に内属する「朕」の魂と身体へと意味論的に転移する。「朕」は、超越的な「天」原理を決して参照せず、身はこのうつし世の現実に内在しながら〔…〕なおかつ自分で自分を地上から持ち上げて宙に保持するというきわめて奇態な「超越者」〔現人神 あらひとがみ――ギトン註〕となる。近代日本に固有の特異な権力主体としての【天=皇]が誕生するのは、この瞬間である。〔…〕
Николай_Богданов-Бельский, Новая сказка, New fairy tale, 1891. The
National Art Museum of the Republic of Belarus. ニコライ・ボグダノフ
=ベリスキィ 『新しい物語』1891年。ベラルーシ国立美術館。©Wikimedia.
教育勅語は文部省を通じて各学校へいっせいに下賜された。〔…〕ひとたび公布されるや、』急速な『勢いでそれは全国に伝播し、強力な「行為遂行的」機能を果たし始める。発布の翌日に文部大臣芳川顕正の名で全国の学校・教職員に「訓示」が発せられるが、そこには「学校ノ式日及其他便宜日時ヲ定メ生徒ヲ会集シテ勅語ヲ奉読シ、且意ヲ加ヘテ諄々誨告シ、生徒ヲシテ夙夜ニ佩服スル〔日夜、心に刻んで忘れない〕所アラシムベシ」とある。この「式日」云々に関しては翌年〔…〕、文部省令で「小学校祝日大祭日儀式規程」が出され、「御真影」への最敬礼から始まって、学校長による勅語の奉読、勅語の「聖意」についての誨告へと続く具体的な式次第の細部が定められる。内村鑑三不敬事件〔1891年。キリスト者で高等中学校教員の内村が、勅語奉読式で最敬礼をしなかった(敬礼したが浅かった)として職を追われた――ギトン註〕についても、昭和時代に教育勅語が聖典化してゆく過程についても、ここで〔…〕は触れるまい。ただ、井上毅の意に反して教育勅語がただちに、あからさまな「命令」と化していった〔…〕事実のみ確認』すれば十分である。
松浦寿輝『明治の表象空間(中)』,2024,岩波現代文庫,pp.213,221-222.
こちらはひみつの一次創作⇒:
ギトンの秘密部屋!







