アドルフ・フォン・メンツェル「サンスーシ宮殿でのフリードリヒ大王の
円卓会議」。1850年頃。Adolph von Menzel, König Friedrichs II. Tafelrunde
in Sanssouci. ca.1850. Alte Nationalgalerie, Berlin. ©Wikimedia.
題材は18世紀、「啓蒙専制君主」プロイセン王フリードリヒ2世がフランス
の啓蒙思想家ヴォルテールを招いて懇談している。「啓蒙専制」は、何ら矛盾
ではない。そもそも「啓蒙主義」とは「理性」と「非理性」の混交なのだ。
【23】 「合理的支配」の強制浸透 ――
「抑圧し弾圧するもの」としての「理性」
『「啓蒙」的合理主義とはそれ自体一つのイデオロギーにほかならず、このイデオロギーこそまさしく、内務省創設をはじめとする官僚制の整備においても、〔…〕小説言語に先導された「言文一致体」の汎用化においても機能した本質的原理である〔…〕。維新以来徐々に徹底化されていったこのイデオロギーの専制は、天皇制国家が公的にその姿を整えて以降も持続し深化してゆく。
合理主義の核心をなす「理性 ラティオ」の行使じたいは、日清戦争以降のナショナリスティックな絶対主義の進展にもかかわらず、抑圧や弾圧を蒙ったわけでは〔…〕なかった。その間抑圧されていったのは、「理性」それ自体ではなく、ある種の「理性」――「大きな正論」の普遍性として自己を表象する〔…〕「理性」――であった。内務省主導の警察官僚国家としての明治日本の破綻なき運営に、むしろ「理性」は不可欠だったのであり、それは「小さな正論」のシステム化された集積を通じて機能しつづけた。ここで「小さな正論」と』は、『「ある委託された市民としての地位もしくは官職において自分に許される理性使用」すなわち「理性の私的使用」によって発話された言説を意味する〔…〕。近代日本で猖獗をきわめたのは、まさにこの「理性のけちな使用」として現勢化する権力の行使にほかならなかった。権力の猖獗を唆 そそのか したもの、その民衆制圧のエネルギーの源泉となったものとは、〔…〕この卑小性それ自体であった〔…〕のではないか。
兆民の言う通り、〔…〕「恩賜的の民権」を「上より恵与」されることで代表制の政体を獲得したわが国の人民は、上意下達の警察官僚制のシステムに易々と馴致された。〔…〕メディア空間の内部に取り込まれた民衆は、共同体の攪乱者として非難されることを恐れ〔メディアの発達により、民衆による同意圧力が醸成された――ギトン註〕、地位や官職を楯にとってお上が発案し〔…〕押しつけてくる「小さな正論」の数々に唯々諾々と従うことになる。〔…〕そうした積極的順応のエートスは、〔…〕21世紀初頭の今日の日本で〔…〕ますます強化されつつある〔…〕。
ここでは「理性」は、抑圧されたり弾圧されるどころか、むしろ〔…〕積極的に抑圧し弾圧する何かとして立ち現れる。本来、人間を動物から離脱させ、その自由を増大させる貴重な権能であるはずの「理性」それ自体は、自己に対して懐疑や批判を差し向ける能力を備えており、盲目的な権力意志をその本性とするわけではないはずだ。〔…〕しかし、みずからの正しさに疑いを持たず、その正しさの自明性への信を自他に向けて誇示している言説として――すなわち「小さな正論」として――「理性」が現象するとき、そうした言説の発信は、あからさまな権力の発動たることを免れず、その受信者を否応なしに抑圧する。「明治の表象空間」で起きたのはそれであり、またその抑圧はわれわれが身を置く現在とも決して無縁ではない。
徴兵検査。1937-45年か。
「大きな正論」の機能不全と「小さな正論」の猖獗〔…〕明治中期』に、また現在でも、『「小さな正論」はなぜそれほどの猛威を揮いえたのか。実際、人びとは明らかに「小さな正論」による抑圧を好んでいるかに見える。
それはおそらく ①「小さな正論」の受容が、共同体への自身の所属感を強化してくれるから〔…〕
それにもまして〔…〕②「大きな正論」への厭悪――本能からも感情からも自己を屹立して「理性」それ自体がまとう理念的な威圧感・へのほとんど本能的な忌避感情――なのではないか。あくまで普遍的たらんとする「大きな正論」が突きつけてくる抑圧を厭うあまり、〔…〕消極的な選択肢として「小さな正論」のほうを受け入れてしまう』。しかも、「小さな正論」のほうは、『「理性のけちな使用〔私的な使用――ギトン註〕」であることの卑小性があまりにもあからさまであるがゆえに〔…〕かえってたやすく受容し嚥下しうる』、また、『それに易々と屈してしまう自身の個としての弱さに〔…〕罪障感』を覚えずに済むこととなる。『ひるがえって、みずからけちな権力主体と化し、その同じ恫喝的な「小さな正論」を身近な他者へつい回付したりもしてしまう。
③ 他方、言説の発信者の側はどうか。「委託された市民としての地位もしくは官職において」語っているだけでしかない以上、発せられた言説の帰趨に彼の責任が〔…〕問われる』こと『はない。〔…〕発信者は終始、地位や官職という仮面の陰に自分の素顔を隠したままでいることができる。誰も彼もが嬉々としてそれを口にするのは、その内容に個人として責任をとる必要がなく、かつまたそれを発話するたび、けちな権力者としての自己を確認し、けちな権勢欲を満足させることができるからだ。』
松浦寿輝『明治の表象空間(下)』,2024,岩波現代文庫,pp.185-189. .
このような人びとは、「[大きな正論]を発することの責任には耐ええない。他方、[理性のけちな使用」による[けちな正論]ならば、何の抵抗感も覚えず〔…〕無造作に発信できてしまう。」
丸山真男が『軍国支配者の精神形態』〔1949年〕で描いたのは、このような卑小な権力者たちでした。
『元朝鮮総督南次郎大将の〔ギトン註――「極東軍事裁判法廷」での〕次の答弁を見よ。
裁判長 どうしてあなたはそれを聖戦と呼ばれたのですか。
南証人 その当時の言葉が一般に「聖戦」と言っておりましたので、その言葉を申したのです。〔…〕当時これを「聖戦」と一般に云っておったものですから、ついそういう言葉を使ったのです。侵略的なというような戦ではなくして、状況上余儀なき戦争であったと思っておったのでありました。』
丸山真男『現代政治の思想と行動』,2006新装版,未来社,p.97.
中国ほかアジア諸国への侵略を「聖戦」と呼ぶ「非理性の形而上学〔…〕を特権化するために・ありとあらゆる[正論]が動員された時代があった。」が、そこでの夥しい数の「けちな正論」と「けちな理性」は、たんに高次の「非理性」の目的のために奉仕させられ手段として利用されたわけではない。「けちな理性」の夥しい群れは「聖戦」の名のもとに蝟集し、それら自身が権力を振るっていたのだ。権力は、「けちな正論」「それ自体のうちに胚胎されていた」。
皇祖皇宗の神話,現人神の聖旨といった「非理性」は、「崇拝や信仰の対象」ではあったかもしれないが、それ自身が「権力の主体であったためしは無い。権力を揮 ふる ったのは、〔…〕卑小であるだけにいっそう悪質」な「[小さな正論]の群れであり、その正しさ」を根拠づける「けちな理性」――「私的に使用された[理性]――の非人称的な集合体である。〔…〕日本の官僚制の病弊の根本をなすのは、みずからが行なっている〔…〕卑小な権力ゲーム」にたいする「無自覚と無反省以外のものではない。」(『明治の表象空間 下』,pp.189-190.)
サルバドール・ダリ『新人類の誕生を見つめる地政学の子供』1943年。
Salvador Dalí, Geopoliticus Child Watching the Birth of the New Man.
【24】 「懐疑」と「エクリチュール」
――「理性と正論の檻」に抗う2つの刃
それでは、こうした「理性」と「非理性」の共犯関係,「正論の権力」の恫喝に、いかにして対抗したらよいのか」? 「Ⓐ 懐疑によって、あるいは、Ⓑ エクリチュールによって――これが、[理性]批判の2つの方途である。」
Ⓐ 明治の「表象空間」において一つの対抗のしかたを示したのは、中江兆民でした。
『正論の権力性を批判しえた言説主体として、われわれが繰り返し立ち戻ったのは中江兆民であった。〔…〕兆民が「言文一致体」の安直な合理主義にあえて背を向け、時代遅れの佶屈した「漢文体」で終生書きつづけたテクスト群こそ、「理性」の全体性の復元を視野に入れた・強力な懐疑の模範的実践であると思われたからである。
兆民の思想には2つの軸があり、 1つは超越性の審級を拒否しない特異な唯物論、もう1つはアイロニカルな懐疑主義であって、思想の内実としての前者と、その方法論としての後者は、内在的な補完関係にある。 『三酔人経綸問答』の3つの声の循環的な相互批判は、演劇的な演出によってこの懐疑主義を舞台に載せた、きわめてラディカルな「正論」批判の実践であった。〔…〕「洋学紳士」の場合、表明された意見の内容はことごとく「理性」的でありながら、そこには懐疑だけが欠けている。だから彼の言うことはすべて「正論」であり、かつまた「正論」でしかない。兆民はこの理性の権化をカリカチュア化し、他の2人からのアイロニカルな批判にさらすことで、「理性」が身に帯びうる恫喝的な権力性を中和し解体しうる方途を示した。』
松浦寿輝『明治の表象空間(下)』,2024,岩波現代文庫,p.192.
他方、『一年有半』の随所に見られるのは、「わが邦には口の人,手の人多くして脳の人寡し。明治中興〔維新――ギトン註〕の初より口の人と手の人と相共に蠢動して〔…〕三十余年にして、首尾能く今日の腐敗堕落の一社会を建成せり」〔『一年有半・続一年有半』,岩波文庫,p.57.〕といった・皮肉と罵倒、時には自嘲を交えた世評,人物評です。「至るところで鳴り響く〔…〕シニカルな笑い」が、「[理性]それ自体の外部へ向けて、あくまで快活な自由の逃走線を引いている」。あくまで合理主義の中に閉じ籠ろうとするならば、懐疑が懐疑を生んで自己矛盾に陥るところ、論理を超えた「逃走」の跳躍によってそれを回避しているのです。これもまた、「理性」の権力性を空洞化させてしまう諧謔手法と言えるでしょう。
徴兵令の風刺画。『団団珍聞』1879年。©ジャパンアーカイブズ1850-2100。
Ⓑ しかし、「理性の外部」への逃走、ということなら、その限界的な境域を指し示す「もっとも強力なテクストを書いたのは、やはり透谷,一葉,そして露伴であろう。」彼らは「三者三様のしかたで、ひとことで言うなら[理性]批判を行なった」、そして3者とも「結局は、彼らの身体的無意識と、なまなましく共鳴するエクリチュールによって。」
『「理性」が及び得ない領界を凶暴に侵犯しうる権能を備えた言語の駆動装置、それが文学のエクリチュールである。〔…〕
初発においては「理性」の促しによって発動する言葉が、連続継起するうちに、言葉が言葉を呼び、言葉が言葉を誘い、追い追われ、〔…〕交響し合い反発し合い重層し合い、「理性」の統御を脱してとめどなく加速してゆく自動運動、それがエクリチュールである。〔…〕言葉がそこに孕まれた意味として「理性」批判』の『メッセージを運んでいるわけではない〔…〕、エクリチュールは、ただ否応なく〔…〕「理性」の外へ超脱する。その超脱が、期せずして「理性」の専制に対するもっとも尖鋭な批判として機能することになるのだ。』
松浦寿輝『明治の表象空間(下)』,2024,岩波現代文庫,pp.193-194. .
そのような「エクリチュール」の例として、著者が幸田露伴の小説から引いている一節を見ますと、つぎのようです:
『嵐の勢いの擬人化としての「飛天夜叉王」が、子分の夜叉たちを叱咤激励して怒号する言葉の流れ――
汝等 なんぢら 人を憚 はばか るな、汝等人間 ひと に憚られよ、人間は我等を軽んじたり、久しく我等を賤 さげす みたり、〔…〕汝等暴 あ れよ今こそ暴れよ、何十年の恨 うらみ の毒気を彼等に返せ一時に返せ、彼等が驕慢 おごり の気 け の臭さを鉄囲山〔※〕外 てついさんげ に攫 つか んで捨てよ、彼等の頭 かうべ を地につかしめよ、無慈悲の斧の刃味 はあぢ の好さを彼等が胸に試みよ、惨酷の矛、瞋恚の剣の刃糞 はくそ と彼等をなしくれよ、〔…〕
(『五重塔』其三十二) .
〔…〕これはいわゆる「描写」ではない。用いられている言葉は徹頭徹尾観念的であり、〔…〕自然主義的な表象意識はかけらもなく、群れをなして到来する言葉たちは神話学的な形象の虚空へただちに飛翔し〔…〕ている。読者は、描き出された暴風雨の激甚なさまを、言葉の表象作用によって理解し認識するのではなく、〔…〕吹きつけてくる言葉の奔流にただ圧倒されるだけである。しかし、その圧倒的印象が、暴風雨の激しさの身体的な実感へと転位することで、〔…〕「描写」によるのとは異質な〔…〕凶悪な暴力の感覚が励起される。言葉は暴風雨を表象しているのではなく、言葉それ自体が暴風雨のように荒れ狂っているということだ。』
松浦寿輝『明治の表象空間(下)』,2024,岩波現代文庫,pp.70-72.
註※「鉄囲山」: ふつうは「てっちせん」と読む。仏教の世界観(倶舎論)で、世界の果てを取り囲む・鉄でできた山脈。
Paul Cézanne, Citerne au Parc du Château Noir, 1899-1902.
セザンヌ「シャトー・ノワール公園の貯水槽」1899-1902年。©Wikimedia.
『「言文一致体」の汎用化以後、作者は人間的に充実した個的主体として発話し、その発話を自身の耳で確かめつつ、あたかも外界や内面をそのまま透明かつ即時的に表象しうるかのような錯覚が瀰漫してゆく。この透明性と即時性は、作者から人称性を奪い〔のちほど「樋口一葉」に見るように――ギトン註〕もしないし、書きつけられてゆく言葉の流れ自体がそのまま「理性」と「近代」への批判と化す〔「エクリチュール」の場合――ギトン註〕こともない。
「言文一致体」はそれ自体「理性的(合理的)」にして「近代的」な言語行為と信じられ、その・うろんな近代合理主義を無邪気に歓迎する安直なオプティミズムに作家も詩人もあっさりと染まり、それに酔い痴れてゆく。必然的にこれ以降、エクリチュールは文学の舞台で稀薄化の一途を辿らざるをえない。』
松浦寿輝『明治の表象空間(下)』,2024,岩波現代文庫,pp.194-195.
こちらはひみつの一次創作⇒:
ギトンの秘密部屋!







