ウラヂーミル・サフネンコ『7枚葉の植物』(1980年)。
Vladimir Sakhnenko: The Seven Leaf Plant; Семилистник, Владимир
Сахненко, 1980. ©Wikimedia.
【84】 「1989年」という年 ――
「国民国家」の勝利と動揺
「戦後民主主義」の根底にあった〈自明の〉道徳的基盤が、こんにちでは失われ・もはや回復できないように、「戦後民主主義」のもう一つの大きな前提もまた、回復困難なほど動揺しています。それは、「国民国家」という統治機構の枠組みです。
1989年におけるソ連圏の崩壊、もしくは遅くとも「ユーゴスラヴィア内戦の」終結は、「国民国家の〔…〕最終的な勝利を高らかに宣言するもののように思われた。」EUは、20世紀初頭のヨーロッパよりも「はるかに〔…〕同質的な国々の集まりとなった。」その「同質性」とは、「民主主義的な福祉国家」であるかのように思われた。その反面でEUは、みずからが「多様性の模範であるとか、寛容や相互承認といった〈多文化主義的な価値〉の世界的指針であるなどと自画自賛」しているが、それは、構成各国が〈相互不寛容〉と〈他文化排斥〉に狂奔した「暗い過去を覆い隠す」ものである。
EU諸国が、相互間の「同質性」と「統合」の基礎として「依拠していたのは」その実「民主主義的な〔欧州議会〕選挙よりも、政治指導者および官僚たちが共有していた合意と妥協の文化」でした。
「ヨーロッパ社会がその内部で再び多様性を増しはじめ」、同時にその一方で「EUがいっそう緊密な統合〔…〕へと向かったときに、〔…〕国民国家という理念を擁護」する哲学者〔イギリスのデイヴィッド・ミラー,フランスのピエール・マナン〕がはじめて登場したのは「偶然ではない」。EUの「統合」とは、「国民国家」の枠組みを否定しそれに対抗しようとする旧「帝国」〔ハプスブルク帝国やロシア帝国,大英植民地帝国〕とは異なり、むしろ民主的な「国民国家」の枠組みを基礎とするものだからです。しかしながら、「EUにおける統合の推進」が、EUのもとで「すでに抑制されていた国家主権をさらに先細らせること」もまた明らかでした。
ヨーロッパにおいて「帝国」が「正統な政治形態として〔…〕復活することは」もはや決して無い。ワイマル~ナチス時代のドイツで「広域圏」への統合を主張したカール・シュミットは、「帝国」の「最後の理論家」でした。(pp.218-219.)
ジャン・フォシュール(1986年)。
Jean Faucheur, 1986.
【85】 「1989年」という年 ――
中国とイランの “新体制”
「東欧革命」が西で共産党の支配体制を崩壊させていた 1989年は、ユーラシアの東では「天安門広場での虐刹が起き、〔…〕ある意味、中国型の市場主導共産主義が始まった年でもあ」りました。中国型の市場共産主義は、ゴルバチョフのソ連のように、「改革」がかかえる内部矛盾によって崩壊することは決して無かった。「北京では、前衛党が万事を牛耳り続けて」こんにちに至っています。「これは、資本主義は官僚制と相性がよく、民主主義とは相容れない、というウェーバーの」見解を裏付けるものです。
他方、イランではこの年、「イスラム革命」の最高指導者ホメイニ師が死去し、現在の最高指導者であるハメネイ師が就任しています。「平和的な政権移行」が行われ、「革命体制」が維持されたことは、最高指導者のタヒとともに〈権威主義体制は崩壊する〉、と予想していた世界の大方の期待を裏切るものでした。そこには「自由民主主義に対する挑戦が〔…〕存在して」いるかもしれないとさえ、本書の著者ミュラーは述べています。中国の場合と同様に、非民主主義体制の安定化という意味で、イラン「革命体制」の継続もまた、その後現在に至る「新しい世界」の生々しい姿を予言した出来事だったと言えます。(pp.220-221.)
【86】 「イデオロギーの終焉」か?
「人類が争う限り、イデオロギーに終わりはない。」たとえ人びとが「寛容な方法で共生すること」をめざす場合でも、そのことを主張し・社会の規範として通用させるためには、より権威的で不寛容な人びとや、共生を拒み他グループの排除をめざす人びとにたいして、説得であれ闘争であれ、争わなければならない。その努力の遂行は、イデオロギーを必要とするからです。
しかし、いま、世界ではあらゆる争いが繰り広げられているのに、「イデオロギーの時代は終わった」かのように見えるとしたら、それは、「イデオロギーが支配した・あの特定の時代は終わった。19世紀の偉大な〈主義〉が、20世紀」を通じて「使いつくされ」枯渇してしまった、ということを意味するにほかなりません。
「これは」人類の「政治的想像力の不毛化、もしくは枯渇を意味しているのだろうか?」
そうでないとしたら、何なのか? 一つの答えは、「これはプラグマティズムの兆候だ」というものです。「政治思想が〔…〕現実の政治的諸問題」をとらえきれなくなっているのではない。ただ、それぞれの主張や解決の指針を、「大きなイデオロギー的枠組みのなかに〔…〕位置付ける圧力」ないしメリット,魅力,インセンティヴが弱くなっているのだ、というものです。そんなことをしても主張の説得力は増さない。むしろ、現実の諸問題に・個別に細かく対応し、実現可能性も効果も期待できる提案をしたほうがよい、と思う人が増えている、というわけです。
そして、この考え方を採る人のなかには、世界の大勢 たいせい の見方とは異なって、1989年に・理論におけるマルクス主義が終わったわけではない、と考える人も多くいます。なぜなら、かつてルカーチが言ったように、「マルクス主義は教義ではなく方法だ」、少なくとも、政治を考える上での・有益な方法の一つだ、と考えるからです。
しかし、にもかかわらず、かつては世界中の「改革主義者,〔…〕自由主義的傾向の人びと,植民地から」独立した「国の知識エリートたち」が、こぞって使用した「抗議のための共通語、グローバルな反対派の言語」と見なされていた「マルクス主義は、事実上、1989年に終わった」のです。(pp.221-222.)
イリーナ・アジジャン『キンメリアの風景』(1992年)。
Irina Azizyan: The landscape of Kimmeria;
Ирина Азизян. Киммерийский пейзаж. 1992.
【87】 民主主義は「イデオロギー」か?
それとも、「イデオロギーの消滅」か?
こうして、問いは振り出しに戻ります。マルクス主義は、あるいは「イデオロギー」は、なぜ「終わった」のか?
「ソ連の崩壊によって、理論としてのマルクス主義が完全に誤っている」ことが「証明された」から、という世間に広まっている見方が当たらないことは明らかです。〈マルクス主義は誤りである〉ことが証明されたのは、もっとずっと以前だからです。それは遅くとも、「ソ連が成立し」た時、すなわち・ようやく成立した「マルクス主義国家」が、「パリ・コミューンをモデルとした〈コミューン型国家〉〔マルクスと彼の継承者たちが約束した未来〕の樹立に失敗したとき」でした。マルクス主義は、〈誤りだった〉ことが証明された後もなお 70年にわたって「イデオロギー」として通用しつづけ、そしてなぜか、70年後に突然、しかも、19~20世紀を席巻した他の諸々の「イデオロギー」もろともに、政治言語としての力を失ったのです。
いったい、なぜ「終わった」のか?‥‥なぜもクソもない。「ことは単純な経験的事実なのであって、共有されていた政治的言語が、急速に、そして〔…〕元に戻らないほど衰えたのだ。」しかも、「マルクス主義」抗議言語が消えたあと、それに代わるイデオロギーは現れなかった。フーコーの「ポストモダニズム」も、「新自由主義」も、新たな「イデオロギー言語」とはなりえなかったのです。
それでは、「民主主義」ないし「自由民主主義」は、どうか? 21世紀に入ると、アメリカの民主党政権が世界支配をもくろむための旗印となるそれは、「イデオロギー」ではないのか? 全体主義――ファシズム及び共産主義――イデオロギーへの対抗を標榜する点で、それは限りなくイデオロギーに近い衣装をまとっています。が、著者によれば、それは、本来の「民主主義」の理想からは程遠い西側政治の現状を正当化する限度でまとわれた金綺羅にすぎず、イデオロギーとは似て非なるものです。
たしかに、戦後西欧の「憲政秩序は、〔…〕ファシズムに対して達成した勝利を強固なものとし、東欧における国家主導型の社会主義に優位していることも証明した。しかし、勝者の歴史に偏れば」、戦後西欧に現れたのは「ある特定の種類の自由民主主義〔キリスト教民主主義など〕」にすぎないこと、「それも、20世紀を通じて提起された数多くの民主主義の理想にはほど遠いものだったこと」が忘れられてしまう。(p.223.)
『この戦後憲政秩序が、今後どれだけゆるぎないものであり続けるのか』あるいは、たえまなく動揺しつつ、変質と堕落への道を歩んでいくのか?『その〔…〕知的基盤の多くが現在腐食しているか、完全に忘れ去られている』ことは事実である。『こんにち「キリスト教的人格主義」という用語』の意味『を知っているヨーロッパ人はほとんどいない。』
が、そうは言ってもその一方で、戦後憲政秩序が、『68年と新自由主義という2つの大きなイデオロギー的挑戦を乗り越え』てきたことも事実なのである。戦後憲政秩序の長い生命力は、ヨーロッパ人をうんざりさせるかもしれないが、『政治の営みに関する戦後のやり方の持続性と柔軟性〔取引と妥協の政治〕』は、『過去の達成と未来の可能性に』かんして、ヨーロッパ人に『ある種の自信を提供することになったとは言えるだろう。
他方で、政治哲学者として言わねばならないのは、安定や自律やその他何であれ、ある一つの理念や価値によって〔…〕民主主義の未来に確実性が備わることはない、ということだ。かくして、本書の締め括 くく りの言葉は、非共産主義左翼〔…〕クロード・ルフォール〔※〕〔…〕から借りることになる。全体主義とは「一度に完全かつ最終的な確実性を獲得しようとする試みである。これに対して民主主義とは、制度化された不確実性なのである。』
ヤン=ヴェルナー・ミュラー,五十嵐美香・他訳『試される民主主義 下』,2019,岩波書店,pp.223-224.
註※「クロード・ルフォール」: Claude Lefort〔1924-2010〕。フランスの政治哲学者。1960年代から1970年代にかけて、民主主義の哲学を構築。世論や関心が順番に交替していき、権力がつねに未完成で形成途上にあるような政治体制として、民主主義を捉えた。
Justin Lynham: flickr. ©novaramedia.com
【88】 結論に代えて
本書の著者の論述スタイルは、互いに矛盾する主張の羅列もあえていとわず、それらの混戦の渦中に読者を置いて、政治思想史の複雑な流れの実態を浮き彫りにするものだと言えます。しかも、本書の副題は「20世紀ヨーロッパにおける政治思想(political ideas)」であり、何か結論が出るような画期で論述を止めることは最初から意図されていません。そのため、読者としては「尻切れトンボ」の印象をまぬかれないし、混迷不可解の渦中に投げ出されたようにさえ感じます。本書には、著者の結論的な見方を示すような「あとがき」も無いのです。
巻末の「訳者あとがき」では、本書全体について次のようにまとめられています:
『冷戦終了後、政治体制としての自由民主主義、「ポリアーキー」が急増し、〔…〕問われているのは、第2次大戦後の「制約された民主主義」であり、実は自由民主主義のヴァージョン・アップこそが課題なのではないだろうか。にもかかわらず、多元主義や多文化主義が、自由主義の重要な柱である寛容の問題として評価されるのではなく、むしろ真摯さの欠如とか弱さの表れとして理解される状況が強まっているように見える。だとすれば、〔…〕改めて自由民主主義の意味と価値を問うことは、きわめて重要だろう。』
ヤン=ヴェルナー・ミュラー,五十嵐美香・他訳『試される民主主義 下』,2019,岩波書店,p.234.
が、これでも私たちには、本文の末尾で著者によって投げ出されたカオスから脱するには十分でない気がします。そこで、以下では、本書読後に私が漂着したとりとめのない考えの一端を記して、レヴューを終えたいと思います。
かつてバートランド・ラッセルは、科学史にかんする著書の中で、おおよそ次のように述べたことがあります。この言葉は現在でも示唆的です。「自然科学とは異なって、社会科学では意見の違いが多くて、何が真理かが分明にならない。しかしこれは、社会科学の性質が自然科学とは異なるからではなく、今はまだわれわれは、社会科学に関しては『魔女狩り』の時代にいるからにすぎない」と。
自然科学が始まった古代ギリシャ・イオニア時代には、世界の根源についてさまざまな主張が唱えられて、決着がつきませんでした。当時は、自然科学と宗教と心理学の区別さえあいまいでした。「原子論」の始祖として有名なデモクリトスも、その真意は原子の存在を主張することではなく、原子を動かす愛憎の力、愛と憎悪の相克によって、人間世界に起きることがらを説明することにあったのです。当時は様々な学派がそれぞれの真理を主張し、どれが正しいかを判定する手段などは無いように思われました。
社会科学において、19-20世紀にさまざまな「イデオロギー」が風靡したのも、同じ現象だったと言えます。「科学」というものは、それが始まった最初には、ともかくもまだ不確かな知識、点々とした知識をむりやり線でつなげて体系理論化し、そこから指針を得ようとします。そのため、どうしても誇張、想像、強弁は多くなるし、異論の間で決着がつかないことになるのです。
その状態で、どれか一つの理論を恒久的に採用して統治機構を運営すれば、うまくいかないことが多いのは必定なのです。(たとえばスウェーデンの北欧型福祉国家のように)うまくいった場合でも、何十年かすれば綻びが出ます。
「イデオロギー」というものは、いわば点をつなぐ線であって、線の部分の信ぴょう性は、大衆に信じさせることによってのみ支えられます。そうである結果として、さまざまな「イデオロギー」が信じられて失敗した後は、およそ「イデオロギー」は信じられない、すべての「イデオロギー」は嘘だ、ということになるのも、いたしかたないことなのです。
しかし、「イデオロギー」は、盲信することが間違いなのであって、「まちがっているかもしれない」ことは承知のうえで・ある特定の「イデオロギー」に投企することは、サルトルも言うように、むしろ人間にとって必要なことなのです。だとすれば、「イデオロギー」である以上、確実でありえないことは前提なのですから、政治の世界に「イデオロギー」を許容する以上、「不確実」を制度化してそれ(民主主義制度)を政治的意思決定の根幹にする必要があるのです。
さまざまな不確実なイデオロギーのための共用のプラットフォームとなるものが「民主主義」にほかなりません。共用である以上、プラットフォーム自体の破壊を主張するイデオロギーは排除せざるを得ませんが〔排除の面を強調すると、戦後の(反共)自由民主主義,「制約された民主主義」,さらに「戦う民主主義」となる〕、そこは可能な限り、過激ないし異端のイデオロギーをも許容し包摂することが、〈不確実性からの豊かな創造〉という・このプラットフォームの趣旨に合致します。
これにたいして、最初から特定のイデオロギーを前提とするシステムや、当初は複数のイデオロギーを許容しても最終的にはどれか特定の「唯一の」イデオロギーを選び出すためのシステムは、「民主主義」ではありません。
こうして 20世紀の末に、「イデオロギー」は、なぜ「終わった」のか、が明らかになります。
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