2026年2月2日の軌跡 .
「北条首やぐら」だと云われる「やぐら群」は、廃道に沿って横一段で並んでいる。小規模な「やぐら穴」が多く、みな土砂で半ば埋もれているが、おびただしい数の小さな五輪塔を蔵する穴も見られる。
「やぐら群」の最左端から順に見ていく:
1番の開口部は方形のようだ。両袖がある。向かって右の袖は、外側が二重になっている(方形の開口部の内側にアーチ型の羨道がある)。内部には、向かって右と奥に壇がある。向かって右には、より高い壇がある。たくさんの五輪塔が置かれている。
やぐら穴2番↓は、開口部方形で、向かって右には2段の「袖」がある。向かって左は、「袖」は無く、「入れ子」式の二重開口部。奥から向かって右壁面に続く壇がある。少数だが五輪塔が置かれている。
やぐら穴3↓。間口は不定形で複雑な構造だが、「袖」はあると言ってよいだろう。崩壊が著しいようだ。
やぐら穴3,4,5,6↓は、隔壁がへこんでおり、連結した穴になっている。
やぐら穴4↓は、方形で「袖」がない。
やぐら穴5↓は、方形で「袖」がない。奥に方形の「入れ子」がある。天井にも段がある。
やぐら穴5,6の内部は奥で連絡している。つまり、5,6間の隔壁は柱状になっている。6は方形で、両袖無く、中に石が置いてある〔五輪塔の地輪・水輪か?〕。
やぐら穴7↓は方形の浅い窪みだが、下部に、埋もれた石室があるようだ。
やぐら穴8,9↓は内部で連絡し、あいだの隔壁が柱状に残される形だ。
やぐら穴8↓は方形で、向かって左に「袖」がある。天井に段がある。奥左角に五輪塔の浮彫りが彫られている。
やぐら穴9↓は方形で、向かって右側には「袖」が無い。奥右角に五輪塔、奥左角に浮彫りの石仏(立像)がある。
やぐら穴10↓は方形で「袖」がある。
やぐら穴11は「袖」が無く方形。
やぐら穴12↓は方形の浅い窪み。下部は埋もれているので判らないが。
やぐら穴13↓は、入口に土砂が堆積しているが、隙間から内部を見ることができる。穴は方形で両袖を具えている。五輪塔2基が置かれている。
以上の観察をまとめると、この「やぐら群」は、小規模の方形窟の集合体で、「袖」のあるものと無いものが混在している。つまり、「鎌倉時代様式」と「室町時代様式」が混在する。しかも、有袖と無袖のグループに分かれることなく、文字通り混在している。廃道に沿って一段一直線に、かたまって存在する。
このような現存状況から推し量ると、鎌倉~室町の移行期前後の一時期に大部分が造られたと見てもよいと思われる。かなり急いで造られたかもしれない。そうすると、「北条首やぐら」であるとの確証は無いものの、戦乱等による一時期の多数の犠牲者を葬った墓所と見ることは十分に可能だろう。つまり、口承が伝えるように北条家一族・臣下の「首やぐら」だとしてもおかしくはないということだ。
「天園ハイキングコース」に戻って北へ進み、「胡桃山」の西側を巻いて行くと、また「やぐら群」に出会う:
ここの「やぐら群」は、崩壊して痕跡だけのもの、土砂に埋まったものが多いので、めぼしい穴を2,3拾って見ておこう。
やぐら穴Aは方形で、土砂に半ば埋まっている。やぐら穴Bは崩壊著しく、凹みだけが残っている。やぐら穴Aを近写↓:両袖を具えた方形穴だ。
やぐら穴Cも方形穴だが、入口付近は、「有袖」とは逆に、奥のほうが狭い「入れ子」構造になっている。
やぐら穴D↓は方形のようだが、天井近くまで埋もれている。
その先(左/北)にも「やぐら」穴がつづくが、土砂ですっかり埋没している:
往く手に送電線鉄塔が見えてきた。もうすぐ、「お塔ノ窪」に降りる路の分岐点があるはずだ。
分岐点↑。左が「天園ハイキングコース」の本道。右の狭い小径をたどると、沢伝いに「お塔ノ窪」に下る。そこにも「やぐら群」がある。
タイムレコード 20260202 [無印は気圧高度]
(6) から - 1318「北条首やぐら」[105mGPS]1350 - 1353「天園ハイキングコース」戻り[106mGPS] - 1310「天園ハイキングコース」別れ[112mGPS]1413 - (8) へつづく。















































