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 「浄智寺」を出て、峠のピークで「ハイキングコース」と別れ、急坂を下ると市街地に入る。道は、扇ヶ谷に向かってゆるやかに下っていく。

 

 

 

 

 道に沿って、左の崖に「やぐら」がある。これは、袖を具えた「鎌倉時代様式」のようだ。

 



 

 

 こちらの「やぐら」には、袖が無い。

 

 

 

 

 市街地を隔てて、反対側の崖にも「やぐら」が見える:

 

 

 

 

 扇ヶ谷の谷底で、「海蔵寺道」に出会う。このT字出会いの突き当りにも「やぐら」がある〔黄矢印〕

 

 T字を右に折れて昇っていくと「海蔵寺」。「海蔵寺」にも、特徴のある大きな「やぐら」が幾つかあった(⇒:鎌倉散歩(3)

 

 

 

 

 

 T字突き当りの「やぐら」↑。まず、入り口の左右には、“円柱” 状の柱が掘り残されている。2本の柱で「ひさし」を支えている形だ。「やぐら」穴は方形で、袖がある。「鎌倉時代様式」の特徴をそなえた「やぐら」だ。

 

 

 

 

 

 

 「海蔵寺道」を、海蔵寺とは反対のほうに下り、横須賀線のガードをくぐってしばらく往くと、浄光明寺」に至る。

 

 「浄光明寺」は、1251年ころ鎌倉幕府 5,6代執権北条時頼・長時の創建で、当初から、複数の宗派を奉ずる「兼学の寺」であった。現在の宗旨は真言宗になっているが、本来は、天台,浄土,禅宗,律宗,すべて排除しない。

 

 

 

 

 

 

 門前に石碑のある「藤谷黄門」とは、鎌倉時代の歌人冷泉為相〔藤原定家の孫〕のことで、寺の最奥に墓がある。「黄門」は、朝廷の官位である中納言の唐名。水戸光圀は生前の最高官位が権中納言だったので「黄門」と呼ばれた。 

 

 「浄光明寺」の本堂は江戸時代に失われており、いま境内の中心にある↓この建物は、「客殿」だという。禅宗様の「花頭窓」を具えている:

 

 

 

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 「客殿」のわきにある「不動堂」。

 

 

 


 一段上がった所に「阿弥陀堂」↓がある。1668年築の禅宗様。「浄光明寺」は、谷地の傾斜を雛壇状に造成して伽藍配置しており、このような境内のつくりは中世寺院の特徴なのだそうだ。

 

 

 


 「やぐら」群は、「阿弥陀堂」の段を囲む崖3面に掘られている。向かって右から左へ見ていこう。

 

 

 


 右の崖と、正面崖の右半分↑。便宜上、崖面ごとに番号をつける。↓右崖1番,2番,正面1番,2番が見えている。

 

 

 


 右崖2番は↑よく見えないが、かなり大きく荒造り。右崖1番は、小さな壁龕だが、石像が置かれている:

 

 

 


 正面1,2番↓。

 

 

 

 

 正面1番は、袖の無い比較的浅い方形穴。1番と2番の間の隔壁は、風化して “円柱” のように見えるが、両穴はつながっていない。

 

 

 

 

 正面2番はやや大きくて両袖と「ひさし」がある:

 

 

 

 

 

 正面3番↓は、両袖とも無い。天井に段がある。穴は大きく、荒削りなつくりだ。

 

 

 

 

 

 正面4番,5番↓。内部はつながっていない。

 

 

 

 

 正面4番は、向かって左にのみ袖がある。右側は天井に段があり開口部に達している。しかし、石室は奥行きが浅い。羨道(両袖)と広い石室をそなえた「鎌倉時代様式」の「やぐら」とは趣きが異なる。

 

 

 

 

 

 正面5番↓。右は袖なし〔左は未確認〕。間口も奥行きもあるが、天井が低く、また天井に段がある。“かもい” で隔てられた・もうひとつの室が奥にある。

 

 

 

 

 

 

 正面6番,7番。いずれも奥行きが浅い。6番は袖なし。7番は変則的な形だ。右側は袖状だが天井が無く、左側は逆に入れ子構造で下部が切れている。



 

 

 

 正面8番,9番,左崖1番↓。

 

 

 

 

 正面8番。両袖無し。

 

 

 

 

 左崖1番↓。開口部が広くて、袖は無く、奥行きは浅い。奥に「入れ子」があり、天井に段がある。

 

 

 

 


 左崖2番↓。両袖とも無く、奥に「入れ子」が2つある。

 

 

 

 

 

 まとめると、浄光明寺やぐら群」の「やぐら」は、入口の両袖が無く・方形の開口部が奥まで達しているものがある一方で、袖や「ひさし」を具えたものも少なくない。つまり、「鎌倉時代様式」の「やぐら」と「室町時代様式」の「やぐら」が混在していると言える。いずれについても、内部に「入れ子」式の壁龕,方形穴を持つものがある。天井の段差は、袖の無い「やぐら」に限って見られる。この「やぐら群」に “円柱” の例はないようだ。多くの石仏,五輪塔,墓碑などが安置されているが、すべて外から持ちこんだものであり、「やぐら」の岩盤からの彫り出しやレリーフが全くないことも、銘記したい。

 

 鎌倉時代様式」の東瓜ヶ谷やぐら群」と、室町時代様式」の浄智寺やぐら群」。そして両者が混在する浄光明寺やぐら群」―― というように特徴づけできるだろうか。

 

 

 

 

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 踏査記録⇒:YAMAP

 


 

 

 「浄光明寺」とは横須賀線の線路をはさんだ反対側に「寿福寺」がある。「寿福寺」の「やぐら群」は有名で、国の史跡に指定されている。

 

 「寿福寺」は、北条政子が、頼朝死去の翌年:1200年に、臨済宗の祖・栄西を招いて建立した禅寺。まるで日本史の教科書から出てきたような分かりやすい由緒だが、伽藍の裏手にある墓地は、多数の「やぐら」を擁する崖を背に負っている。「北条政子の墓」「源実朝の墓」とされる「やぐら」もあるが、それらは史実でないようだ。ともかく、当寺の「やぐら群」は鎌倉駅から至近の地にあるうえ、「鎌倉時代様式」の「やぐら」の典型を示すものだとされている。「やぐら入門」のスポットと言ってもよい。

 

 

2025年12月30日 13:50-14:29 の軌跡  .

 

 

 「寿福寺」は一般の拝観を受け付けておらず、立ち入れるのは「山門」まで〔正月,GW 等は、その先の「中門」まで〕の↓この参道のみ。しかし、裏手の墓地は出入り自由で、「やぐら」見学には支障がない。

 

 

 

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 「寿福寺」は、創建以前から源頼義・義家以来の源氏の根拠館が置かれた地だった。墓地は、「源氏山」の裾斜面を削って造られている。したがって「やぐら群」は、源氏山の裾崖に造られていることになる。境内とともに、この崖面(切岸 きりぎし)と「やぐら群」が史跡指定されている。