(赤線は 25日、青線は 28日の軌跡) .
横須賀線のガードをくぐって海蔵寺へ向かう。沿道の住宅の間に「やぐら」が何か所か見える。
海蔵寺は「萩の寺」として有名。ちょうど今が見ごろだ。萩は山門前の石段の左右、とのことだったが、境内にもある。山門前の萩も、ずっと横に広がっている。ここに来る途中の家々にも、どっさりと咲いていた。
しかし、まずは伽藍を見学しよう。石段のわきに「底脱 そこぬけ の井」↓がある。「鎌倉十井」のひとつ。
「底抜け」とは、井戸の底が抜けているという意味ではない(それは不可能)。鎌倉時代の尼僧がこの井戸から水を汲もうとしたら、桶の底が抜けてしまった。と同時に、心の底が抜けたように煩悩が吹っ切れて、悟りの境地を得た、との故事から名づけられたという。見れば、いまでも水が湧いている。
海蔵寺は「水の寺」とも呼ばれ、あちこちから水が湧き出ている。谷地の奥にあって、地下水が集まる地層構造なのだろう。
「本堂」↓。
「薬師堂」↓。1577年築、1777年修築。薬師三尊と十二神将を安置。中央の薬師如来がこの寺の本尊で、体内に仏面を納めており、寺伝では、南北朝時代に背後の古い墓から出土した仏面だという。
「本堂」の裏には「やぐら」もいくつかある:
こちらの「やぐら」は、中に井戸がある↓。
しかし、なんといっても圧巻は、境外にある「十六ノ井」という「やぐら」だ。
↑岩のトンネルを通っていく。
↓「やぐら」の入口に扉が設けてあって、ふだんは閉めているそうだ。
たしかに、16個の穴があって、水が湧き出ている。整然と並んだ穴は、明らかに人が掘ったものだ。が、いったいどんな目的で、いつの時代にこんな施設を造ったのか、定説は無い。宗教的な意味を想像しても確証はなく、謎は深まるばかり。ただ、絶えることのない涌水だけがつづいている。
境内に戻って、萩の花をじっくり撮影するとしよう。
萩のほかにも花は豊富だ。有名どころはフヨウ,シオンだが、↓こんなのもある。
「化粧坂」を経て、「源氏山」へ向かう。
「化粧坂 けわいざか」。「けわい」とは身ずまいを正すことで、いよいよ最後の坂を越えて〈鎌倉〉に入るから気を引き締めよ、ということらしい。鎌倉時代には主要な交通路だった。1333年の新田義貞の鎌倉攻めでも戦場になっているが、このとおり古道の面影を残している。ここを昇れば「源氏山」だ。
昇りきると、広い尾根は公園になっていて、頼朝像がある。
「源氏山」頂上↓。
タイムレコード 20250925 [無印は気圧高度]
(2)から - 1227「亀ケ谷坂」入口[35mGPS] - 1313海蔵寺 山門前[35mGPS] 1334 - 1412源氏山[91mGPS]1430 - (4)へつづく。
タイムレコード 20250928 [無印は気圧高度]
鎌倉駅西口[9mMAP]1315 - 1328寿福寺[17mMAP] - 1344海蔵寺 山門前[28mMAP] - 1418海蔵寺 本堂[34mMAP] 1423 - 1454鎌倉駅西口。