青い線は 12月18日の ,
赤い線は 12月19日の軌跡。 .
「やまのべ行」をひととおり終えてみると、「あそこに行きそびれた」「ここも見ておくんだった」という悔いが続出してしまう。とりわけ、最後の「佐紀盾列古墳群」の近くには「垂仁天皇陵」という巨大古墳があって、近鉄電車で通るたびに眼を惹いてしまう。そこで、まずは「大和西大寺」駅の周辺で落穂ひろいをすることにした。
12月18日の行程グラフ↓。
シルエットは行程の標高(左の目盛り)。折れ線は歩行ペース(右の目盛り)。標準の速さを 100% として、区間平均速度で表している。横軸は、歩行距離。
出発点は「尼ヶ辻」駅。降りるとすぐに周濠の畔だ。
垂仁天皇陵(宝来山古墳)は、4世紀前半ころ(古墳時代前期)の前方後円墳。3段築成で、竪穴式石室,長持 ながもち 形石棺、墳丘の周囲から葺石と埴輪(円筒形,楯・家・靫 ゆぎ 形)が出土している。近鉄線の北側にある「佐紀盾列古墳群」西群の大型墳と近い時代で、形態もよく似ている。同じ有力氏族の墳墓と考えてもおかしくないだろう。
他方、周濠が同一水面で墳丘を一周するタイプとしては初期のもので、そのスタイルは、「佐紀盾列古墳群」東群や、「仁徳天皇陵」など「百舌鳥・古市古墳群」の巨大墳に受け継がれてゆく。これらから見て、ヤマト政権の「大王」墓の開始とする見解にも説得力があるだろう。
左が前方部で、右が後円部。2枚をつないでいるので、前後の大きさの比がいびつになっているかもしれない。
次は、1枚目が後円部、2枚目が前方部。
墳丘の東側から前方部(南側)のほうへ回っていく。小さな島は、明治時代に周濠を溜池として拡張した時に削り残された・外堤の一部だという。
南側から前方部を望む。宮内庁の拝所がある。
拝所の南に、少し離れて、陪塚 ばいづが/ばいちょう が2基ある。「陪塚」とは、「主墳」の近くにある群小古墳(多くは円墳)を、「主墳」の被葬者の副葬品や従者・親族を葬った墓だとして宮内庁が指定しているもの。しかし、その関係を証明することは(たとえ調査が行われたとしても)不可能に近い。まして、殉タヒ者を埋葬したなどという俗説は無根拠も甚だしい。「主墳」より古い時代の古墳が、たまたま傍にあっただけ、というケースも多いと思われる。陪塚1↓〔番号は便宜上。1,2とも「飛地は号」に所在する〕。
陪塚2↓。
前円部へ戻る途中、「菓祖神 田道間守命 御塚拝所」と彫った石碑↓がある。「田道間守 たぢまもり」は、天日槍 あめのひぼこ の子孫とされる伝説上の渡来人で、『日本書紀』によると、垂仁天皇の命令で「ときじくのかくの実〔タチバナ〕」を求めに「常世の国」に派遣されたが、タチバナの枝を得て帰って来ると天皇はすでに亡くなっていたのを悲しみ、垂仁陵で殉タヒしたという。「田道間守」は菓子・柑橘の祖神とされている。
「御塚」とは、周濠内の・さきほどの小島↑を指すようだが、ご丁寧にも宮内庁はこの島を「伝・田道間守墓」と名づけて「陪塚」に指定しているそうな。伝説上の人物の墓でも歴史でも好きなように作ってしまうのだから、天皇国家はまさに万能だ。
次のスポットは「安康天皇陵(大和宝来城跡)」。「垂仁天皇陵」より 20メートルほど高い微高地にあるので、道は緩やかな昇りになる。↓右はユズで、左はレモン。2色のツバキ。
「安康天皇陵」は、「垂仁天皇陵」よりやや小型だが、周濠に囲まれている。‥‥と思いきや、ここは古墳でない可能性が高いのだという!! 安康天皇(実在ではないかもしれない)は、皇后の 7歳の連れ子に刹害された〔安康に父親を刹された復讐だった〕うえ、誰の墓でもない丘を墓にされて、さんざんな目に遭っている。
この丘は、室町時代の城跡で、そもそも古墳の形をしていない。濠は、古墳とは異なる防禦用のV字断面の深い堀。方形の城館の基壇と土塁が盛り土されている。前方後円墳でも円墳でもない。宮内庁は、言うに事欠いて「方丘」だと言う。が、最近の調査でも、埴輪のかけら一つ見つからなかったそうだ。
さっさと次のスポットに移ろう。国道308号の高架をくぐって、疋田町の高台へ昇っていく。「菅原遺跡」。すでに遺跡は埋められて新興住宅地になっているが、目印は「奥池児童公園」↓だ。
さて、ここからは道標も地図も無い。遺跡の中心部は、この住宅地のいちばん高いところだと当たりを付けて街路を曲がり登ってゆく。こういう感覚は、若い時に発掘のアルバイトなどしていれば自然と身に付くものだ。
ここがテッペン! ここも児童公園になっている。
ををっ! ちゃんと説明板が設置されている。どうせ何も無いだろうと思っていたのに、これは僥倖だ。
タイムレコード 20251218 [無印は気圧高度]
951「尼ヶ辻」駅[76mGPS] - 1007「垂仁天皇陵」拝所[77mGPS]1013 - 1019「垂仁天皇陵・飛地は号」陪塚[70mGPS]1025 - 1106「安康天皇陵」[99mGPS]1113 - 1130「奥池児童公園」[92mGPS]1136 - 1141「疋田町4丁目街区公園」[100mGPS]1152 - (12) へ 。



























