赤い線は 10月10日の,青い線は 10月11日の軌跡。 .

 

 

 

 

 

 「玄賓庵」を出て 10分足らずで「桧原 ひばら 神社」に到着。ここも「狭井神社」と同じく「みわ神社」の “摂社” とされているが、神社どうしのあいだに序列ができたのは後世の話で、もとはみな、ご神体である「三輪山」を各方向から拝む礼拝所だ。

 

 「桧原神社」↓には、ふつうの神社のような神殿も拝殿もなく、奥にある「三輪山」を直接拝むようになっている。

 

 

 

 

 

 いっぽう、『日本書紀』に記されたイワレによれば、この神社は、天照大神を皇宮の外で初めて祀った場所、つまり最初の「元伊勢」〔三重県の「伊勢神宮」ができる前の天照大神礼拝所〕ということになる。

 

 正面に3つの鳥居がズレて重なっているのは「三ツ鳥居」というもので、「みわ神社」の様式らしい。

 

 左にある小神殿は、崇神天皇の命令でこの神社を創建したとされる崇神の娘を祀っているもの。創建時には、この聖所は「磯城神籬 しきのひもろぎ」と呼ばれた。「ひもろぎ」という名は、のちほどまた出て来るので覚えておきたい。

 

 いちど谷奥に回り込んで折れる↓。

 

 

 

 

 右奥の尖った峰は「龍王山」のようだ。

 

 ややっ? 柿ではなさそうだが‥‥

 

 

 

 

 ザクロだ。

 

 

 

 

 

 こちらは「かりん」のようだ↓。

 

 

 

 

 やぶとの木↓。

 

 

 

 

 

 天気は良くならない。

 

 

 


 

 

 ここにもザクロ↑。↓


 

 

 


 ↑「ローゼル」というアオイ科の栽培植物で、白い大輪の花が咲き、実はジャムや「ローズティー」になるそうだ。↓みかん

 

 

 

 

 

 

 稲穂の向こうに「景行天皇陵」が見えてきた↑。じつは、このミカン畑の真ん中に、重要な聖所がある。

 

 

 

 

 


 見れば、ただの石だ。文字も絵もない。ここは、地元で古くから「ひもろぎ」と呼ばれてきた。

 

 

 

 

 つまり、この石は “ご神体” ではなく、「神祭り」をする場所の標石のようなものらしい。ということは、さきほどの桧原神社」も、もとは目印の石がおかれた「神祭り」の指定場所だったことになる

 

 明日香村には、自然石を立てただけの「立石」というものがあって信仰の対象になっている。この「ひもろぎ」も「立石」の一種か? しかし、見た感じでは、畏敬の対象とされるような威圧感がない。ヤマト各地の・こうした石については多数の研究があるというから、通り一遍の superficial traveler, casual observer が何かを言えるようなものではなかろう。が、私の思い付きでは、「ひもろぎ」の外見は、朝鮮半島の「風水説」の女陰信仰〔居住地の選定において、女陰の形をした谷間地形を吉祥とする〕につながるのではないか。「陽石」ではなく「陰石」だ。

 

 「景行天皇陵」に近づいていく。

 


 

 

 

 

 「二上山」がシルエットで見える。

 

 

 

 

 


 

 

 

 「景行天皇陵」の東のへりを越えていく。「景行天皇陵」と呼ばれているが、考古学上は「渋谷向山 しぶたにむかいやま 古墳」で、古墳時代前期後半(4世紀中葉)の築造。じつは幕末に、天皇陵だ!と決めつける人たちが手を加えて前方後円墳の形に整えたので、もとがどんな形だったかについては諸説がある。もちろん、「景行天皇」と関係があるという根拠は何もない。

 



 


 棚田の上に上がると「ヤマト3山」を見晴らせる場所があるとの表示に従って上がってみる。たしかに、展望がよい。残念ながら天気が悪い。

 

 

 


 「山辺道」に戻って先へ行く。

 

 驚いたことに「和綿」が植えられている。「ローゼル」もある。

 

 

 

 

 

 「渋谷向山古墳」のそばにある小さめの古墳2基。景行天皇陵の「陪塚」とされている。宮内庁は、景行天皇陵には3つの「陪塚」を指定している。

 

 

 

 

 

 つぎの「崇神天皇陵」(行燈山 あんどんやま 古墳)へと向かう。

 

 

 

 

 

 

 「たちばな」↓。『枕草子』『源氏物語』はじめ古代・中世文学に登場する柑橘類の果樹。京都御所の紫宸殿の鉢植えは見たことがあるが、畑に栽培されているのを見るのは初めてだ。

 

 

 

 

 「崇神天皇陵」(行燈山古墳)に到着。もちろん、崇神天皇(第10代。∴架空)の墓だというのは、宮内庁が、そう決めた!‥というだけの話。

 

 

 

 古墳の東側のへりを越える。

 

 

 

 

 「行燈山古墳」と東隣りの「櫛山古墳」の間は、3つに区分された濠になっている。ただしこれも、江戸時代の整備工事によるものらしい。

 

 

 

 

 

 「行燈山古墳」を、北側に回りこんで望む。墳丘は、江戸時代に築造された濠に囲まれている。

 

 

 

 「行燈山古墳」は、古墳時代前期後半(4世紀中葉)のもので、さきほどの「渋谷向山古墳」より少し前に築造された。

 

 「陪塚」古墳のひとつ↓。

 

 


 「柳本 やなぎもと 駅」との分岐点↓。きょうは、ここまでとしよう。「山辺道」と岐れて駅へ向かう。

 

 

 

 

 駅へ行く途中、「古墳展示館」というのがあって興味をひかれた。明日は、ここから見るとしようか。

 

 

 

 

 

 

 

タイムレコード 20251010 [無印は気圧高度]
 (1)から - 1224玄賓庵[120mGPS]1230 - 1238桧原神社[130mGPS]1245  - 1324「大兵主神社」分岐[113mGPS]1344 - 1358「ひもろぎ」遺跡[100mGPS]1402 - 1418「景行天皇陵」展望所[127m]1423 - 1454「崇神天皇陵」トイレ[124m]1515  - 1535「山辺道」岐れ★[90mGPS]1545 - 1606「柳本」駅[70mGPS]。

 

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