上:国会図書館の図書出納台の上に掲げられた標語「真理が我らを自由にする」
下:ドイツ・フライブルク大学・旧図書館。
【7】 「近代の超克」――
坂口安吾と「真の生活からの美」
前回からの続きです。
『以上で、彼らの差異や対立が、根本的に「美学」的なものであるということが明らかだと思います。〔…〕「美学」は、現実的な矛盾を現実的に乗り超えることができないところにおいて、支配的になるのです。〔…〕
この「近代の超克」という会議は、「文学的自由主義」を最大限に実現しています。〔…〕にもかかわらず、それは「美学」のなかでの議論以上ではなかったのです。この会議では、〔…〕技術に対する軽視が目立っています。そのかわりに「文化」や「精神」が深刻に議論されています。〔…〕このことは、小林秀雄,河上徹太郎,中村光夫などがヴァレリーを読んでいたことから見ると、奇怪に思われます。』
柄谷行人『〈戦前〉の思考』,2001,講談社学術文庫,pp.121-122.
ヴァレリーは、『精神の危機』というエッセイのなかで、ヨーロッパが “全世界” ではなく、「一つの世界」〔たくさんある世界のうちの一つ〕でしかないことを思い知らされたのは、日清戦争〔1894年〕と米西戦争〔1898年〕によってだったと書いています。「ヨーロッパから見てファー・イーストの日本とファー・ウエストのアメリカ〔…〕が、ヨーロッパから流出したテクノロジーを駆使して〔ロシアとスペインに〕勝った。」それは、「ヨーロッパ自身が生み出したものがヨーロッパに敵対して来たということです。それは何か。技術(テクノロジー)です。」(pp.122-123.)
『ヴァレリーはヨーロッパを、「文化」あるいは「精神的な深さ」において考えていない。彼はそれを「技術」において見ている。』技術は、『その外に応用可能であり〔「文化」や「精神」と違って、模倣が容易である――ギトン註〕、逆にヨーロッパを追いつめるものなのです。事実、それはのちにアメリカを追いつめ、やがては日本をも追いつめるものとなるでしょう。』
柄谷行人『〈戦前〉の思考』,2001,講談社学術文庫,p.123.
他方で、ヴァレリーは文学批評の領域においても、「美学」を斥けて「技術」を重視する分析手法を進めています。「彼が批評家として考えたのは、[詩学](ポエティックス)であり、つまり[技術]の問題だった」。「神秘的と見える創作過程そのものを意識化することからはじめた〔…〕あらゆる神秘的なものを、技術的な形態において見ようとしたのです。」(pp.123-124.)
『アメリカには〔ギトン註――「物質文明」ばかりで〕「文化」がない、浅薄だ、というのがこの会議〔「近代の超克」会議――ギトン註〕での支配的な意見です。しかし、それならアメリカ文化が強力に浸透するのはなぜか。アメリカニズムの感染性は、「技術」の応用可能性に基いているのです。ヴァレリーなら、それをヨーロッパに起源すると言うでしょう。ところが、この会議の誰もが、〔…〕アメリカの「物質文明」を批判し、ヨーロッパの「文化」の深さを賛美するのです。
たとえば今日でも、「日本文化」というと能や歌舞伎や茶道・華道がいわれるけれども、世界的に普及しているのは、ファミコン・ゲームやアニメ、漫画、あるいは少女漫画系の小説といったものです。これに対して、西洋・アジアの諸国のインテリは、「容易に人を感染せしめる容易さと、必然性と、一種の親しみをもつ点」〔「近代の超克」会議で映画評論家津村秀夫がアメリカニズムを批判して述べた言葉――ギトン註〕を警告しているはずです。ちょうどかつての日本人が「アメリカ文化」を嘲笑したように。
しかし、そういうものを軽蔑するところに「文化」や「精神」を見いだすのは愚劣なことです。』
柄谷行人『〈戦前〉の思考』,2001,講談社学術文庫,p.125.
台湾版「ベルサイユのばら」
さて、この論文『近代の超克』の最後に柄谷氏が引き合いに出すのは、「近代の超克」会議に参加していない――呼ばれてもいない――が、同じ年に『日本文化私観』を書いた坂口安吾です。
坂口は、つぎのように書いています:
『日本精神とは何ぞや、そういうことを我々自身が論じる必要はないのである。説明づけられた精神から日本が生まれる筈もなく、又、日本精神というものが説明づけられる筈もない。
〔…〕日本人が「日本」について語る議論も、すべてそうした「説明」です。「近代の超克」のなかで語られている「伝統」なるものは、すべてそのようなものです。〔…〕彼にとって、美は「生きること」、そしてその「必要」のみがつくり出すものです。
美しさのための美しさは素直でなく、結局、本当の物ではないのである。要するに、空虚なのだ。そうして、空虚なものは、その真実なものによって人を打つことは決してなく、詮ずるところ、有っても無くても構わない代物である。法隆寺も平等院も、焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場を造るがいい。〔…〕
それが真に必要ならば、必ずそこにも真の美が生れる。そこに真実の生活があるからだ。そうして、真に生活する限り、猿真似〔たとえば、西洋やアメリカの模倣――ギトン註〕を恥じることはないのである。それが真実の生活である限り、猿真似にも、独創と同一の優越があるのである。
このエッセイを読むと、「近代の超克」の議論のすべてが、まったく空虚に見えてきます。〔…〕彼が言うのは、近代を超えるとか、近代以前に戻るとかいった議論が空疎であること、何はともあれわれわれがそのなかに生きていること、そしてそのような「生」を肯定するということです。それこそいわば「近代の超克」です。しかし、安吾はけっしてそのように〔「近代の超克」という言い方で――ギトン註〕語りはしませんでした。』
柄谷行人『〈戦前〉の思考』,2001,講談社学術文庫,pp.126-128.
坂口安吾の考え方を取り入れて、「生活からの美」「必要による美」を追求してゆくならば、「美的・文学的」自由というものも、意外に「経済的自由」や「政治的自由」と両立しうるものになるのではないか? ‥少なくとも、「近代の超克」会議の参加者たちのように、経済的インタレスト(利害関心)を排斥したり、政治的発言を抑制したところに、はじめて「文学」が成立する、というような偏狭な思い込みからは、解放されるのではないか? ‥‥そのように思われてくるのです。
【8】 「自由・平等・友愛」――
経済的/政治的/美的「自由」
『「自由・平等・友愛」は、フランス革命の時に唱えられた有名なスローガンです。しかし、〔…〕この3つの概念は、根本的に異質なものであり、それぞれ違った源泉を持っています。』
柄谷行人『〈戦前〉の思考』,2001,講談社学術文庫,p.69.
文庫本『〈戦前〉の思考』から取りあげる2つ目の論考は、「自由・平等・友愛」です。
「ベルサイユのばら」より。©池田理代子プロダクション.
この論考での柄谷氏の行論を整理すると、次のようになります:
(Ⅰ) 「自由」「平等」の語義。端的に言えば「自由」とは私的所有権であり、「平等」とは富の平等である。(pp.69-73.)
(Ⅱ) 「平等」についての2つの考え方:ユートピア思想の・いわば「貧困の平等」と、ハイエクら自由主義者の・経済成長による平等。(pp.73-76.)
(Ⅲ) 国家による平等・対・自由による平等。しかし、国家の介入なくして資本主義は成り立たない。「自由」と「平等」は、原理的に背反する。(pp.76-81.)
(Ⅳ) 自由による平等(マルクス)から、国家による平等(社会民主主義,レーニン)へ。「国家」と「党」が、諸個人の連合(アソシエーション)に勝利した。(pp.81-84.)
(Ⅴ) 「自由」と「平等」の矛盾を、想像上で解決する「友愛」(ネーション,ナショナリズム)。(pp.84-93.)
(Ⅵ) 「自由」と「平等」の矛盾を解決しようとする思想:自由主義,共産主義,アナーキズム,ファシズム。どれも、現実の矛盾を越えるものではない。(pp.93-98.)
以下、それぞれに1節をあててレヴューしていきたいと思います。
まず(Ⅰ)ですが、ここでは、前回までに取り上げた「近代の超克」での問題意識が継続しています。つまり:「経済的自由」→「政治的自由」→「美的/文化的/文学的自由」です。
ただ、ここで確認しておきたいのは、柄谷氏の場合、時間的な矢印は、右のほうが左よりも進歩しているとか、より良いということを意味しません。むしろ逆で、左側、つまり古いもののほうが本来的・基本的・本源的で、右側では、本来の意義が忘れられてしまっていたり、制度だけが残って中身は変質してしまっていたりします。
いわば、歴史とは進歩ではなく忘却である。あるいは、堕落である。歴史の進歩・発展よりも、忘却・堕落の面に注目するのが、柄谷氏のいつも変わらぬ着眼点だと言えるでしょう。忘却された “本来の意義” を取り戻すことによって、未来を単なる堕落から救い、“本来のもの” の「高次における再現」にしていこう、というのが柄谷氏の変革思想なのです。
そういうわけで、柄谷氏が「自由」の基本に据えるのは「経済的自由」です。それは、資本主義草創期の企業家たちが主張した「自由」であり、端的に言えば「私的所有権」です。
「自由とは、私的所有権だ」などと言うと、おまえは金持ちの横暴を許すのか? 資本家の味方か? ‥という声が左のほうから聞こえてきそうですが、そういう人はマルクスを知らない小児病患者です。マルクスは、人間の「自由」の基礎としての「私的所有」,そういう意味での「私有」を否定したことは一度もありません。
このことは、私が折に触れ何度も引用している『資本論』の「否定の否定」のクダリを読んできた方には、明らかなことでしょう。
「経済的自由」に対応して、「平等」のほうも、その理念の基本は「富の平等」、すなわち経済的な意味での「分配的正義」です。
『戸坂潤は、戦争前の日本の思想状況にかんして、こう言っています。
元来、自由の必要は哲学者や文学者が感じるよりも先に、企業家や政治家が感じてきたものなのだ。哲学的又文学的な自由の観念は、経済的又政治的自由の観念の、云わば出しがらだったからである。〔…〕〔『日本イデオロギー論』岩波文庫〕
ここで少し極端に言うと、「自由」とは私的所有権』です。『「私的所有」は、たんに〔…〕財産の問題ではありえないのです。たとえば、「職業の自由」は、各人が自分の労働力を私有するということですし、「表現の自由」は、〔…〕表現を私有すること(著作権)と切り離せない。個人が共同体に属する存在であるならば、こうした自由はありえません。
というわけで、私的所有権は、あらゆる近代的な「自由」を凝縮するものです。〔…〕私的所有権と切り離して「自由」を考える』と、『決まって、深遠で抽象的なものになってしまいます。また、私的所有権を制限すると、必ず「自由」は制限されます。私的所有を疑問視する前に、それが「自由」と不可分離だということを知っておく必要があります。』
柄谷行人『〈戦前〉の思考』,2001,講談社学術文庫,pp.70-72.
ソクラテス(A)とプラトン(B)。ポンペイ出土のモザイク画.
柄谷氏は、この論考の初めの部分で「自由」の語義について議論しているのですが、例によって大雑把すぎてよく分かりません。が、そこで柄谷氏が述べているのは、一般に言われている歴史的概観と思われます。そこで、『岩波 哲学・思想事典』の「自由」項から要約しておきましょう。
英語の「自由」には、freedom, liberty の2つの語がありますが、これらはほぼ同じ意味です。2語の違いをことさら言う人もいますが、区別の仕方が人によってまったく違うので、意味がありません。その他、歴史的にはさまざまな語が「自由」の意味で用いられてきましたが、「自由」に関するかぎり、語源の探索は無意味です。重要なのは、それぞれの語が用いられた歴史社会的なコンテクストです。
『古代ギリシアの自由(eleutheria)は、まず、奴隷状態にないこと、自由人であることを意味し、また外国の支配下や専制君主の支配下にないポリスの一員であるという政治的状態〔…〕、ポリスへの参加・帰属の権利とその構成員としての対等性をも意味した。〔…〕奴隷への支配は、自由人の自由〔…〕の前提であった。その意味で自由は、〔…〕みずからが自由でありうるような権力の保有やそれへの参与を意味したのである。』
『岩波 哲学・思想事典』,1998,岩波書店,p.706.
つまり、古代ギリシャ人にとって「自由」とは、ポリスの市民権と同義でした。奴隷を支配する権利、ポリス(国家)の政治に参加する権利、他の市民に対して同等・対等を主張する権利の総体です。いわば、「自由」とは、市民だけに与えられた「特権」でした。
そこには、「国家からの自由」「権力に侵害されない自由」というような・近代における「自由」のニュアンスはありません。ソクラテスは、民会のタヒ刑判決が不当であることを主張しつつ、判決に従って毒杯をあおりました。ポリスの決定に逆らう自由などというものはありえず、決定に参与し、かつ決定に従うことこそ「自由」であったからです。共同体や大衆からの不当な干渉で「自由」が侵害される、などということも、この時代には観念されなかったのです。
中世ヨーロッパでも、「自由」の観念は、限られた高貴な人びとの「特権」という古代以来の意味を引き継いでいます。
ところで、「国会図書館」(↑トップ画)には、
『真理がわれらを自由にする(eleutherosei)』
という標語が掲げられています。これは、ドイツのフライブルク大学図書館に掲げられていたのを、羽仁五郎氏が見て提案したもので、『新約聖書』に記されたイエスの言葉です。が、『聖書』の訳では次のようになっています。
『31 イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。 32 あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」 33 すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。[あなたたちは自由になる]とどうして言われるのですか。」 34 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。 〔…〕36 だから、もし子〔神の子、すなわちイエス――ギトン註〕があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。』
『ヨハネによる福音書』第8章,新共同訳.
国会図書館にも刻まれているギリシャ語原文〔❛ΥΜΑΣ〕は、「われらを」ではなく「あなたたちを」です。国会図書館の訳文が、なぜそこを変えたのかは分かりません。
イエスが群衆に説教したとされる「オリーブ山」。エルサレム近郊。©Britannica.
しかし、いま検討したいのは「自由にする」(エレウテローセイ)の意味です。弟子たちが言うのは、「自由人である」という意味の「自由」(エレウテリア)であって、ギリシャではこれがふつうの意味です〔※〕。ところが、イエスが言うのはそうでない。「罪悪からの自由」「良心の自由」というような意味なのでしょうか。
註※「弟子たちが言うのは‥‥」: 当時、ユダヤ王国では、ヘブライ語(旧約聖書の言語)はすでに使われなくなっており、ガリラヤなどの北部ではコイネー(簡約化したギリシャ語)が、エルサレムではアラム語が日常言語だった。福音書はすべてコイネーで書き下ろされており、イエスの弟子たちの言語もコイネーだったと考えられる。なお、イエスは十字架上での臨終にアラム語で叫んでいる。
このように、ヘレニズム・ローマ時代には、エレウテリアの意味は、「自由人の特権」という身分的政治的意味から、「内面的・宗教的な自由」「信仰の自由」という方向へと、早くも拡大していたようです。
『近代的自由の観念の成立・定着には、〔…〕〔ギトン註――絶対主義〕王権による政治権力の集権化,身分的諸特権の解体・の果たした役割も大きい。それは、公的・政治的権力と 私的な自由 の二元化、政治的な支配権と 経済的な所有権の観念 の分離への道を開くことになった。
自由の観念が 政治的支配権と切断される ことは、近代的な自由の観念の成立に極めて重要な要素であった。古代以来、自由であることは、〔…〕権力を有するということを意味してきた。それに対して、近代的な自由の観念は、そうした個別具体的な能力=権力にではなく、人間の普遍的属性に結びつけられた。かくして、自由の主体は抽象的個人、すなわち〔…〕平等な個人となりえたのである。
権力と自由を反対概念として対置する二元論的図式は、こうした歴史的・思想史的な付置と関連している。〔…〕自由の観念は、国家が独占しつつある政治権力 への対抗関係を軸として再定式化されていった。ここに、政治権力による外的干渉 の排除をもっぱらその内容とする近代的な自由観が成立する。〔…〕
ここに、権力と自由を対置する近代的自由観と、国家と社会の二元論という社会枠組が定着することとなった。もっとも、18世紀末の2つの革命では、〔…〕古代以来の、政治的決定への参加の権利としての自由の観念も、重要な役割を果たした。〔…〕政治権力による干渉・の排除と、政治的自己決定への参与、との相克が、以後2世紀の自由をめぐる議論を規定することになる。』
『岩波 哲学・思想事典』,1998,岩波書店,p.706.
こうして、「国家からの自由」「政治的権力による侵害からの自由」という・近代に特有な「自由」の意味が前面に出てきたわけです。この「自由」は、参政権、すなわち「権力に参入する権利」――古代からある「特権」的な「自由」――とともに、近代における「自由」の二面を構成するのです。フランス革命時の「人権宣言」は、この・近代的自由の二面を、そのまま体現しています。「人権宣言」の正式名は「人間および市民の権利宣言」。「人間の権利」とは「国家からの自由」、「市民の権利」とは参政権です。
そこで注目すべき点は、このような「自由」の意味の変化――いわば「近代」化――が起きてきた動因です。↑『事典』の説明によれば、それは、国家の政治的支配権と、私人の経済的な権能(所有権)が分離したからです。
かつてアジアの《帝国》は、広域的な商業交易から利益を得ていましたが、交易の主体となる商人は、おもに、《帝国》の貴族官僚でもある人びとでした。そこでは、経済的権能は、国家の政治的権力と不可分だったのです。
商人は、政治的権力者を兼ねてはじめて経済活動を “自由に” 行ないうる――という事情は、ヨーロッパ中世でも同じでした。都市は、封建諸侯から独立した権力を持ってはじめて、彼らから干渉されない “自由な” 経済活動を展開できたのです。
ところが、近世の「絶対王政」が、この事情を変えました。「絶対王政」国家は、商人に特権・独占権を与えて保護し、政権の支持基盤としましたが、それは他面において、商人から政治的権力を奪い取ることでもありました。「絶対王政」国家は、都市の自治的権力も、諸侯の封建的権力も解体して、政治的には王権が唯一最高の支配者であるような国家を成立させたのです。「朕は国家なり」。
かくして、経済活動を行なう能力――その中核は「私的所有権」――は、政治的権力と分離し、国家権力に対して、権力なき「自由」(人間であるがゆえの「自由」)を主張するようになりました。これが「経済的自由」すなわち「私的所有権」です。
同性婚の合法化を求めて行進するインドのLGBTQと支持者たち。ニューデリー,
2023年1月。©npr.org. 現代では少数者の権利は「個人の自由」として提起される
なお、こうして「近代的自由」が確立した後で、第3の「自由」が主張されるようになります。すなわち、「社会的権力」からの自由,「大衆の権力」「多数者の専制」からの自由です。そこでは、「自由」の主体としての「個人」が、国家にも拮抗する価値としてクローズアップされています(『日本国憲法』第13条:個人の尊重)。第3の「自由」の背景には、フランス大革命における恐怖政治や、行き過ぎた貴族粛清にたいする反省がありました。
国家権力による侵害を排除し、個人の参政権を保障するだけではまだ足りない。個人は、多数決による「民主主義」によっても侵害されうるからだ。個人は、「多数の権力」からも守られなければならない。‥‥という主張が、「政治的自由」における重要な争点を構成することになります。それは同時に、「政治的自由」を越えた「内面的自由」――柄谷氏の言う「美的自由」――への道を開くものでもありました。
こちらはひみつの一次創作⇒:
ギトンの秘密部屋!