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Claude Buck

 

 

 

 

 

 

 

〔18〕 《アソシエーション》の「躓きの石」

――「流通」の問題

 


 前回から少し時間がありまして、その間に少し考えたんですが、斎藤幸平さんを読んでいると、マルクスの晩年思想(アソシエーション,持続可能な物質代謝,コモン)が先にあって、それに従って「低成長ないし定常経済」を主張しているように見えます。しかし、斎藤さんの中では、ほんとうは逆なんじゃないか。経済成長は必要ない、定常経済こそめざすべき、というのが先にあるんじゃないか。それこそが重要なことで、その根拠になりうるのでマルクスを援用している。そう思って、その線で考えていくべきではないかと気づきました。

 

 つまり、もうあくせく経済成長するのはまっぴらだ、《定常型の持続可能な社会》のほうがいいじゃないか、と考えた時に、それを可能にする経済社会、経済体制とは、どんなものか? 資本主義だと経済成長しなければならないというんなら、もう資本主義はやめようじゃないか。――そういう順序で考えていったほうが、きっと解りやすいだろう。そう思ったのです。

 

 さて、『ゼロからの資本論』は、「コミュニズムへの処方箋」の第4のステップ:

  •  4 《アソシエーション》の連合を結ぶ

に、さしかかっています。

 

 レヴューですから、斎藤さんの論旨の紹介が目的ですが、読んでいていろいろと疑問が出てくることは避けられません。それを押し隠さずに率直に書いたほうが、読者のみなさんの理解も、著者への共感も、けっきょく増すのではないか。そう思うので、以下、モンクは思いつくたびに付記してゆくこととしましょう。

 

 

『水や森林、あるいは地下資源といった根源的な富は、国や市場ではなく、アソシエーションを通じて、「コモン」としてみんなで、持続可能な形で管理していこう、ということです。

 

 例えば、みんなでリンゴを栽培するとしましょう。収穫して、みなに分配されたリンゴは、それぞれの「個人的所有」になります。でも、リンゴ畑やリンゴの栽培に必要な道具、あるいは栽培方法といった「知」は、みんなの共有財産です。それを「私的所有」にしてしまう必要はない。資本主義のもとで囲い込まれ独占所有されてきた「富」を、人々が取り戻し、生産者レベルで共同所有・共同管理していこう、というわけです。

 

 要するに、マルクスが思い描いていた将来社会は、「コモンの再生」にほかなりません。〔…〕社会の「富」が「商品」として現れないように、みんなでシェアして自治管理していく、平等で持続可能な定常型経済社会を晩年のマルクスは構想していたのです。』

斎藤幸平『ゼロからの資本論』,2023,NHK出版新書,pp.199-200.  

 

 

 ここまでだけでも、かずかずの疑問が湧きます。最初の段落の「水や森林、地下資源」という範囲に限るならば、〈コモン〉への移行は容易でしょう。これらの大部分は、日本では、現状においてすでに国有です。国家が政策を変えて、民間の地域共同管理に移せば、〈コモン〉に・かなり近いものになります。試行錯誤を経て、完全な「〈コモン〉共有(総有)」とすることも夢ではないといえます。

 ※註: 「総有」は、日本民法にある用語で、旧「入会 いりあい」慣行を法律化したものです。共同相続人の遺産共有のような「共有」との違いは、①成員は総有財産の分割を求めることができない。つまり「持ち株」のようなものはない。しかし、総有団体への出入りは自由で、②団体員になると自動的に利用権を取得し、脱退すれば自動的に失います。収益は、規約または慣習で定めた方法で成員に分配されます。

 

 

Jeffrey T. Larson

 

 

 しかし、第2段落の「リンゴ畑」となると、かなり範囲は広がります。もちろん、斎藤さんの構想は、日本じゅうのリンゴ畑から「私的所有」を追放するというようなことではなく、一例として、ある地域のリンゴ畑で「〈コモン〉共同経営」の実験をやってみようということでしょう。しかし、それにしても、耕耘具や木挟みのような「道具」まで共有にしなければならない理由は見出せません。

 

 第3段落になると、さらに範囲は拡大します。「社会の富が商品として現れないように」するためには、たとえば、稲作の水田の地盤や用水施設、加工施設は、すべて各地域なり団体の共有にしなければならないでしょう。これは、農地以外は現状でも、水利組合が運営していたり、農協の「ライスセンター」だったりしますから、比較的可能かもしれません。しかし、生産したコメの流通・消費の過程も共同にしなければ、「商品化」を排除することはできません。生産・流通・消費の各協同組合のあいだでの「受け渡し」を、どのように行なうのか? 「商品市場」によらないとすれば、かつ、国家統制(例えば配給制)も行わないとすれば、いったいどうやってやるのか? という問題があります。

 

 これは、↑上記の「第4ステップ」:《アソシエーション》の連合――という問題です。

 

 

『コミュニズムは贈与の世界と言ってもいいでしょう。等価交換を求めない「贈与」、つまり、自分の能力や時間を活かして、コミュニティに貢献し、互いに支え合う世界です。〔…〕逆に自分が必要なものは、どんどん受け取ればいい。そうやって、生活に必要な食料や土地、道具、さらには知識などの富が持つ豊かさを、分かち合いの実践を通じて、シェアしていこうということです。 

 

 〔…〕人々の能力は異なるのだから、それぞれの良いところを活かして、助け合う社会です。能力の違いは当たり前にあっていい。そして、困った時は、助けてと言ってもいいのです。

 

 よく「社会主義」のイメージとして誤解している人がいますが、国家が個人のさまざまな違いを無視して、無理やり画一的な平等をもたらす必要はどこにもありません。脱成長コミュニズムのポイントはただ、今の社会のように、それぞれの人間がもつ個性をこんなに大きな経済格差につなげる必要性はどこにもないということです。

斎藤幸平『ゼロからの資本論』,2023,NHK出版新書,pp.200-201.  

 

 

 やはり、大きな問題、というか障碍は、流通(交換、分配)にあるように思います。斎藤さんは「贈与」の社会的イメージを牧歌的に、理想的に考えすぎてはいないだろうか?

 

 「贈与社会」ではなく「商品交換社会」である現代の先進国でも、「贈与」には「お返し」を要求する含みがあります。たしかに、「商品交換」のような「等価格」は要求されない。しかしそれだけにかえって、相手に不足感を残さないような「お返し」が要求されると言えます。こうした「交際のアヤ」を外してしまうと、恨まれたり、よく思われない場合もあるでしょう。

 

 もちろん、現在の社会では、「お返し」を忘れてしまったとしても、それだけで人間関係が破綻したりはしません。しかし、人類の未開段階では、「贈与」には強迫観念を伴なうほどの力がありました。「贈与」を受けたから返さなければならないという “負い目” から、債権・債務、さらには商品交換が発生し、その一方では、「支配と服従」の垂直的社会関係も産み出されたのです。

 

 このへんの問題は、柄谷行人氏が詳しく論じていますから(とりあえず⇒:『力と交換様式』を読む)、今後に柄谷さんの新著をレヴューする際に、私の考えも書きたいと思います。ともかく、ここで言いたいのは、「贈与」は決して牧歌的なものではない。今それがおとなしく見えるのは、「商品」という別の原理に抑えられているせいだ、ということです。もしも「贈与」が、社会の骨組みとして一般化するならば、そのときには、本来の猛獣の力を発揮する。ばかりでなく、「贈与」は、中途半端な交換のような取り引きや、支配・従属(利権と忖度 そんたく)の関係に容易に移行してしまうので、それが「持続可能」なものかどうかにも、大きな疑問があります。

 

 さらに、「流通」の関連で見逃せないのは、さまざまな生産物を、何をどれくらい生産するか。消費するほうでは何がどれくらい必要か。――この2つのことを、「商品市場」によらないで、どうやって調整するのか、という大きな問題です。

 

 各人の個性と能力に応じて「作りたいモノを作る」、各人の必要に応じて「欲しいモノを取る」――そう言えばいかにも美しく聞こえます。しかし、それで過不足が生じないとは、どうしても思えません。それを、「商品市場」によらず、かつ、国家統制も加えずにどうやって調整するのか?

 

 もしも大過なく進行できるとすれば、それは、きわめて少人数の(人類学の研究によれば、150人が限度)自給自足的な地域集団で、生産も消費も伝統的な定式から外れない場合に限るでしょう。しかし、「将来のコミュニズム社会」は、そのようなものではなく、資本主義の成果を十分に吸収した、広域的で自由で豊かな社会であるはずです。


 

Maurice Heerdink

 


 

〔19〕 「パリ・コミューン」の経験

 


 前節の検討から、複数の《アソシエーション》団体の「連合」の問題、なかんずく、各種の生産と資源の配分、生産された物の流通の問題が、大きなネックになる可能性があることが明らかになったと思います。

 

 そこで、参照されるべきは実際の歴史的経験です。といっても、20世紀の「社会主義」国のような、さいしょから間違った方向をめざした失敗例ではありません。マルクスの生きていた時代に、「社会主義」国のような国家統制によらない《アソシエーション》の連合を作り上げようとする試みがあったのです。1871年に、プロイセン軍占領下で起きた「パリ・コミューンの乱」です。



『1871年2月の選挙後、プロイセンと戦っていたフランスのアドルフ・ティエール率いる新政府は、プロイセンによるパリ占領を容認する形で講和します、そのことに激怒したパリ市民が武装蜂起したため、ティエールらはパリを放棄してヴェルサイユに逃走しました。その結果樹立された革命自治体が、パリ・コミューンです。

 

 フランス政府側のヴェルサイユ軍によって鎮圧されるまでの約2ヵ月間しか存在しませんでしたが、世界初の「労働者自治政府」として歴史に名を残しています。〔…〕

 

 当初マルクスはパリ市民の蜂起に懐疑的でした。〔…〕けれども、アナーキストたちの奮闘もあって労働者自治政府が設立されるなかで、マルクスのコミューン評価は肯定的なものへと変わっていきます。軍によって制圧されるまでの2ヵ月間、資本主義の中心に、別の新しい社会のあり方が具現化したという事実が、晩年のマルクスの思考を大きく変化させるわけです。

 

 パリ・コミューンが大事なのは、社会主義の欠点としてしばしば言われるような、官僚支配が画一性を押し付け、自由や民主主義を犠牲にするという批判が、まったく当てはまらないような社会を実現したからです。むしろ、一般の男性・女性が参加したコミューンは多様性にあふれる、民主的〔…〕な自治組織だった〔…〕あらゆる外国人の参加が認められていました。

 

 さらに、国家の暴力装置である軍隊や警察は解体されました。そして官僚制を解体するために、労働者たち自身が構成員となった議会は、立法するだけでなく、その執行も行なう行政機関として生まれ変わります。もちろんそれでもいくつかの官僚的機能は残りましたが、その賃金は一般の労働者なみに下げられ、市民によって選ばれ、いつでもリコールできる代表者に取って代わられたのです。』

斎藤幸平『ゼロからの資本論』,pp.202-207.  

 


 一般の労働者が議員となった(直接民主制的な?)「議会」が、「立法するだけでなく、その執行も行なう」というのは、気になる部分です。立法府と行政府の合体は、多くの場合に、「抑制と均衡」を欠いた独裁体制を結果するからです。「パリ・コミューン」が、そうならなかったとしたら、存在していたのが短期間で、「議会」に集まって自治行政を担った人びとにも、一般の市民にも、自律と改革を求める精神が漲っていたためかもしれません。「パリ」という、凝集性が高く、「われわれ」意識の強い地域の自治だったことも幸いしたでしょう。

 

 したがって、これがこのまま、あらゆる時期と場所に通用すると考えるのは危険です。とくに「権力分立」原理の否定は、民衆の「自由」の圧殺にも向かいうる両刃の剣です。「軍隊と警察」の否定も、それらを必要としないほどの圧倒的な「自警団」的市民組織の存在を推定させます。これまた、「国家」以上に危険な暴力装置ともなりえます。

 ※註: ユーゴー『レ・ミゼラブル』のパリ市民蜂起(1832年6月暴動)の場面を読むと、19世紀のパリには、いつでも・そうした「革命的」な自治組織にも自警団・民兵部隊にもなりうる市民のつながりが存在したようすが窺えます。政府側のスパイとして自治組織に捕えられたジャヴェール警部を、ジャン・ヴァルジャンが銃殺にせず見逃してやる。ジャヴェールは、「おまえの宿敵である俺を、なぜ助けるのだ?」と悪態をつきながら去っていく、その場面です。

 

 

『レ・ミゼラブル』――ジャヴェール(右) と ジャン・ヴァルジャン

 

 

 しかし、歴史上実際にあった経験からは、まず学ぶべきでしょう。しかるのちに、詳細な事実を掘り起こして、欠点や失敗の兆候をあぶりだす作業はもちろん欠かせませんが。

 


『労働の現場にも大きな変化が起きます。苛酷な夜勤や児童労働は廃止されました。代わりに教育も無償となり、非宗教化されて、あらゆる子どもたちに提供されました。教育現場からは教会や国家の影響力が取り除かれ、労働者自身が教えるようになり、男性と女性の賃金格差もなくなりました。学校はある種の職業学校に生まれ変わり、階級やジェンダー、人種の違いにかかわらず、「構想と実行の分離」を乗り越えることがめざされたのです。』

斎藤幸平『ゼロからの資本論』,pp.203-204.  

 

 

 ここで、「構想と実行の分離」というマルクスの表現を説明しておきましょう。ざっくり言えば、「肉体的労働」と「精神的労働」の分離ということですが、マルクスの場合、「肉体的労働」はブルーカラーの労働者、「精神的労働」はホワイトカラーのビジネスマン、というような区別ではありません。「精神的労働」とは、頭で考える「構想」の作業、つまり、仕事の計画や企画であり、これはオフィスのビジネスにも、工場や炭鉱の現場にもあります。他方、「肉体的労働」とは、計画にしたがって、じっさいに仕事を「実行」することであり、炭鉱を掘ったり工場で機械を操作する仕事に限りません。コンピューターのシステムを設計したり、マーケティングや営業活動をするのも「肉体的労働」であり「実行」です。


 「肉体的労働」と「精神的労働」、つまり「構想」と「実行」は、もともとは一人の人間が両方を行なっていました。農家や職人の仕事は、そういうものです。



『本来、人間の労働は、構想と実行、精神的労働と肉体的労働が統一されたものでした。

 

 ところが、資本主義のもとで生産力が高まると、その過程で構想と実行が〔…〕分離される、〔…〕「構想」は特定の資本家や、資本家に雇われた現場監督が独占し、労働者は「実行」のみを担うようになる〔…〕

 

 先述のとおり、資本家は、短時間でできるだけたくさん生産して剰余価値を増やしたい、そのために労働者もどんどん増やしたい。』「構想」と「実行」を両方できる職人なみの熟練労働者を養成するには時間がかかりますから、それは省略して、単純な「実行」だけを担当する労働者を、おおぜいラインに並べて作業させるシステムを作り上げます。こうして、生産力革新(イノベーション)の重要な手段となったのが「構想」と「実行」の分離なのです。つまり、資本にとって都合がいいように、〔…〕剰余価値生産に最適な生産様式を〔ギトン註――資本家は〕自らの手で確立していったのです。』

斎藤幸平『ゼロからの資本論』,pp.101-104.  

 


 「パリ・コミューン」内部の労働現場でも、学校でも、こうした「構想と実行の分離」を克服する努力がなされました。労働者が教壇に立って教え、管理部門と労働現場の違い、現場の監督と作業員の違いを無くそうとするなど、誰もが「精神的労働」と「肉体的労働」を差別なく行なうような社会がめざされたわけです。



『まさに、特権なきアソシエーションや協同組合が、コミューンでは次々と芽生えていました。〔…〕つまり、資本主義の中心であるパリに、貨幣と商品をやりとりして資本を増やすことを目的とするのではない、贈与や相互扶助に基づいた実践が広がったのです。〔…〕そのような経済的領域における大改革を基礎として、コミューンという形の、国家ではない、まったく新しい民主的な政治形態も実現されたのです。

 

 この出来事の経験が、マルクスのコミュニズムについての考えを確実に変えていきます。〔…〕

 

 〔ギトン註――「コミューン」後の 1872年にマルクスが書いた文章では、〕パリ・コミューンの経験を踏まえて、真に平等で、民主的な社会を作るためには、国家権力を使う以外の道を試す必要があると、強調されるようになっているのです。〔…〕

 

 国家による強い統制を拒否しながら資本の廃絶をめざすという意味で、パリ・コミューン以後のマルクスの思想を「アナーキスト・コミュニズム」と呼びたいと思います。〔…〕

 

 アナーキズムといっても、個人主義ではないし、無秩序な無政府状態でもありません。国家や資本による支配・従属関係を退けるために、下からの連帯をめざす「アソシエーション主義」を指します。』

斎藤幸平『ゼロからの資本論』,pp.204-207.  

 

 

 

 

 

 

〔20〕 「労働者協同組合法」の制定

――日本でも始まったか、〈コモン〉の再生?

 

 

 たしかに「パリ・コミューン」は、貴重な歴史的経験でしたが、そこにおいて、先ほど来問題になっている「《アソシエーション》団体のあいだの生産の調整」が行なわれた形跡はありません。これは、「コミューン」の活動期間がきわめて短かったせいなのかもしれません。

 

 しかし、マルクスは、「パリ・コミューン」の経験を論じた『フランスの内乱』のなかで、協同組合間の生産調整の問題についても言及しています。

 

 

『どのような未来社会の可能性を、マルクスはパリ・コミューンのうちに見出したのでしょうか。〔…〕

 

 もし協同組合的生産が欺瞞や罠にとどまるべきでないとすれば、もしそれが資本主義システムに取って代わるべきものだとすれば、もし協同組合の連合体1つの共同計画に基づいて全国の生産を調整し、こうしてそれを自分の統制のもとにおき、資本主義的生産の宿命であるふだんの無政府状態と周期的痙攣〔景気循環と恐慌――ギトン註〕を終らせるべきものとすれば――諸君、それこそはコミュニズム、「可能な」コミュニズムでなくて何であろうか。〔大月書店版『マルクス・エンゲルス全集』,第17巻,pp.319-320.〕

 

 ここでは、協同組合的生産がコミュニズムの基礎であるとされます。マルクスが念頭に置いているのが、国家が中心となるソ連型「社会主義」とは大きく異なっているのがわかるでしょう。』

斎藤幸平『ゼロからの資本論』,pp.208-209.  


 

 しかしながら、引用のマルクスの構想は、やはり一歩間違えれば、「ソ連型国家主義」にもなりかねないと思われます。「商品市場」に代わる生産「計画」に基づく「統制」は、やはり一国規模で経済が運行してゆくには、無しでは済まない。マルクスの結論は、そういうことなのでしょうか。その「計画」が、「社会主義国家」が “科学的” に決定して押し付けるものではなく、協同組合の「連合体」が審議・作成する「共同計画」であるという点が、あるいは救いかもしれません。

 

 しかし、実際問題として、さまざまな能力を持った個人や地域が生産したいと思う生産物の種類と量、消費したいと思う種類と量が、予定調和的に一致することはありえません。ですから、調整は、力関係と妥協の積み重ねで行なわれるほかはないでしょう。先駆的・理念的な「党の指導」を排して、民主的に調整しようとすればするほど、調整の過程は、利権と策謀が渦巻く「修羅の巷 ちまた」とならざるを得ないように思われます。そのことは、結果としてできあがる「計画」の歪みを避けられないものにするでしょう。

 

 また、仮にそういった「歪み」が生じないとして、その結果、適切な・過不足のない生産計画ができるのかといえば、これも疑問符が付きます。じっさいに行なわれたソ連の「計画経済」の失敗が、大きな反証を提示しているからです。「社会主義」国家の場合は「国家統制が行き過ぎたからだ。生産者・消費者の組合が話し合って民主的にやればうまくいく」など楽観的な “反省” を言われても、納得しがたいものが残るのです。

 

 少数の人間が頭の中で組み立てようと、多数の人々が民主的機構によって捏ね上げようと、そもそも・生産と分配を「計画」できるという想定自体が、技術的に無理なのではないか?

 

 だとすると、「計画生産」は無理だから、「市場資本主義」のままで永久に行かざるを得ないのか? ‥じつは、それも、この 21世紀には “無理” に近づいているのです。じつは、日本の国家官僚自身が、このままで行くことはできない、部分的にもせよ「協同組合生産」に移行していかざるを得ないと考えています。そう考えた彼らの作品が、昨年施行された「労働者協同組合法」です。

 

 夢でも喩え話でもありません。わが国にはすでに、――限定された産業分野を対象としたものですが――《アソシエーション》の基礎となる法律が施行されていて、国民がそれを利用して《アソシエーション》を実践するのを待っているのです‥

 

 じつは、「市場を介さない生産調整は無理だ」という発想は、一国全体から個々の産業や企業体へ、という方向に見ることから生じています。逆に、個別企業体から、その連合体へ、産業全体へ、という方向で見ていくと、異なる想定が得られます。現に、大企業のグローバル・サプライチェーンは、国を超えた規模で、市場を介さない生産調整を行なっているのです。

 

 すでにいま社会の隅で兆している、私たちが見過ごしている「資本主義を超えた現実」、そして法律、……これらについては、回を改めて見ていくこととしましょう。

 

 

 

 

 

 

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