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Karl Marx: Exzerpte aus J. B. Jukes: The student’s manual of geology. 

S. 294. In: MEGA IV/26, S. 575 (© BBAW)
ジュークス『学生のための地質学便覧』からのマルクスの抜粋ノート。
原書の図版(三葉虫,アンモナイト化石など)をていねいに筆写している。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 安冨歩さんの経済学入門編。これが経済学だ!

 

 こちらで紹介した “お正月ビデオ” から、徹底的にムダを省いて、予備知識を要求する部分を削って、誰にでも分かるように、しかもレベルはまったく落としていない、‥‥そういうエッセンスの話です。

 

 なので、経済学をある程度かじっている人は、「なんだ、あたりまえの話じゃないか」と思うかもしれません。しかし、基本的なこと、どうしても忘れてはいけないカンドコロをスッキリとまとめているので、経済学通を自認する人にとっても有益なはずです。

 

 まぁ安富さんとしては、このビデオを撮るためによほど苦労されたんじゃないか。枝葉を削ぎ落すための凄まじい努力のほどが感じられました。そこから振り返ってみると、安富さんがこれまでに書かれた本の難解さ、――私はこちらのレヴューのさいごのところで、かなりキョ-レツな批判もしたのですが――それは、安富さんが「見えないもの」と全身で闘っている、その苦闘の現場をそのまま表現しているために聞こえる剣の撃ち合せの軋りだったのではないか。そう思われました。

 

 「経済」というコトバは、こんにちでは econimics の訳語ですが、この語をこの意味で最初に用いたのは 1867年、大政奉還の年に出た『経済小学』という本でした。これは、イギリスの経済学者ウィリアム・エリスの “Outlines of Social Economy” の翻訳でした(⇒:「近代日本語における『消費』の成立」,p.88)。この本のせいで、こんにちの《経済》《経済学》にあたる内容に、「経済」というコトバをあてるのがならわしになってしまったのですが、それでよかったのかどうか、わかりません。

 

 というのは、「経済」とは、江戸時代までは「経世済民」の略でして、「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」‥つまり、良い政治を行なうこと、そのための知識や心構えを意味する言葉だったからです。

 

 「哲学」「科学」「芸術」「知識」など、多数の翻訳語を作り出した西周(にし・あまね)も、「経済学」に関しては、「法学と政事学を包括するものが経済学だ」と言っているほどです(⇒:「西周の法思想」,p.58)。西周の頭の中では、「経済学」とは、ソーシャル・エコノミーでもエコノミクスでもない。江戸時代の殿さまや役人が考えたような、法治と政治の学なのです。明治以来の日本でも、また「経済」という語を日本から輸入した中国、韓国などの諸国でも、「経済」というコトバには、民のあいだに起きた “困った問題” を、政治の力で解決する、というような意味合いが強く含まれるようになってしまったのです。

 

 しかし、西欧における《経済学》の発展のなかでは、《経済》とは、いわば自然過程である。人間社会をつらぬくモノの流れであるとともに、ひじょうにおおぜいの人びとの複雑な営みが形成している・個人の意図や力を超えた流れである。という考え方がしだいに明らかになって、主流を占めるようになってきていると言えます。その到達点として安富さんが名指しているのは、カール・ポランニーであり、ポランニーに先立って巨大な構想を展開したマルクスです。

 

 マルクスのカンドコロは、①剰余価値という考え方、そして②モノと人間と社会の「再生産」という考え方です。

 

 「マルクス経済学は役に立たない」と言う人がいます。それは当たり前です。マルクスは、役に立とうなどと思っていない。ブルジョワジーの政府のために「役に立つ」経済学など、どれもこれも、ブルジョワジーの支配を生きながらえさせるだけだ。そんな政府をぶち壊すのが俺たちの目的だ。乱暴に言えば、それがマルクスの考えです。(もちろん、きちんと言えば、そんなことはありません。マルクスは『資本論』で、英国政府の「改良主義」的な労働政策を高く評価してもいるのです。だからマルクスは「マルクス主義者」とは違う)

 

 しかし、“大きな流れ” を知ることは大切です。そこには、すぐに使える処方箋などというものはありません。さまざまな考え方があって、どれも 100% 正しいというようなものではないが、100% まちがった理論もありえないのです。経済学の理論は、物理や化学のように、また、お医者さんが下す診断のように、これを使えばパッと治る、パッと切れる、これを究めればすべてがわかる――というようなものではない。そのことが分かるだけでも儲けものでしょう。

 

 安富さんの「講義」のあと、清水有高さんの「あとがきトーク」も有益なので、ぜひ視聴していただきたいと思います。安富さんの「講義」では触れなかった、「安富経済学」のもう一つのカンドコロを解説しています。この論点は、安富さんから直接聞くより、清水さんに解説してもらったほうが分かりやすいw。そんな気もしたくらいです。

 

 

 付記。ところで、このビデオを見ながら考えたことがあります。『資本論』が描く企業の「生産過程」は、資本が1回転するごとに労働者を新しく雇いなおすように書かれています。『資本論』の時代には、すべての労働者が「非正規」だったのです! 日本では、「安倍晋三竹中平蔵」より以前には、ほとんどすべての労働者が、年功序列の終身・正規雇用でした。そんな社会に「マルクス主義」が通用するわけがない。ところが、安倍晋三竹中平蔵は、「新自由主義」を教科書通りに実施しようとしたために、日本を、マルクスの時代のイギリスの資本主義に近づけてしまった。つまり、『資本論』の通用する社会にしてしまった。

 

 ただ、これはことがらの一面です。銀行を中心とする寡占大企業集団の支配、その背後にある政府・中央銀行による財政・金融支配という「新自由主義」以前からの骨格――『資本論』が予想さえしなかったもの――は残っているし、むしろ強まっています。



 

 

 

 

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Ludwig von Hofmann (1861 – 1945)