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 新年のごあいさつを申し上げます。 

 

 さて、ことしも例年どおり、中欧の新年のようすをお送りしようと思いまして、ドイツ語圏のユーチューブを漁ってみたのですが、ついに断念のやむなきに至りました‥

 

 なるほど、弧ろナは収束に向かってきたようで、ベルリンもウィーンも、各地とも花火を盛んに打ち上げているのですが、お祝い気分はいまいち(人はおおぜい集まって……いや、通過しています)。そして、花火のせいでけが人や延焼火事が続出して、大晦日~元旦の消防 Feuerwehr は夜通しの出動態勢 Einsatz であったとのこと。

 

 ドイツ人の大好きな「市街戦」――公道での爆竹や花火――も、ことしは常軌を逸して、やぶれかぶれ?‥本物の市街戦になっているかのように見えました。

 

 いつもの年ならユーチューブにあふれる子供向けアニメの新年祝賀動画も今年は皆無です。うっ暗いな戦争が、こんなに深刻な影響をドイツ語圏に与えているとは。。。

 

 なので、それらをうぷしても、気分は落ち込むばかり。今年は動画アップを断念いたしました‥

 

 

  

 

 

 代わって、「一月万冊」から安富歩教授の経済学カンドコロ講義を掲載しました↑。これは必見。どなたにもお勧めします。まぁ見ていただくほうが早いのですが、私なりにちょと解説:

 

 まず、最初のアダム・スミスのところでは、経済学の「常識」をギタギタに否定し去る独自説を述べておられます。『国富論』の、れいの「見えざる手」が出てくるクダリなんですが、‥私はびっくりして、『国富論』を引っぱり出して、該当箇所を何度も読みなおしましたんですね。その結果:……『国富論』の読みとしては、私はやはり通説が正しいと思っております。「見えざる手」とは、フロイトの超自我なんぞとは無関係で、個々人の合理的利己的行為が国富(GDP)の増大に結果する商品生産者経済の「しくみ」を指しています。

 

 しかし、それと同時に、安富さんのおっしゃるような、利益率の高い外国に投資しないで自国に投資するという傾向が、厳然と存在するのも事実でして(フェルドシュタイン・パラドクス)、スミスはそれを論証なしに、――「見えざる手」でもなく――当然の真理として主張しているのです。この・誰もが見逃してしまう部分を安富さんに教えられたのは有益でした。

 

 じつは先日の記事で、マルクス経済学者の平子友長氏を引用して、この部分に言及しているのですが、スミスがフェルドシュタイン・パラドクスを述べていることを、平子氏も私もまったく見落としておりました。

 

 つぎに、リカードー。私は経済学はシロウトでして、リカードーの「労働価値説」は、政策提言(穀物法を廃止せよ!賃金を引き下げて産業を促進するために!)のために、いわば方便として主張されたのだ、という安富さんの指摘は勉強になりました。

 

 つぎにマルクス。これほど要点を圧縮して、しかも現代にも生きる部分はすべて押さえたマルクスの解説は、見たことがありません。この部分だけでも必見です。ぜひ視聴を。

 

 スピノザ。どうやら、スピノザ哲学が経済学原理論の難問に関係しているとのことで、ここはぜひ安富説を拝聴したいところですが、時間の関係で省略されてしまったのは残念です。

 

 限界効用価値説にはじまる「ミクロ経済学」を、「インチキ」の一言でぶったぎってしまわれたのは痛快でした。サミュエルソン経済学などを指しているのだと思いますが、私としては、まったくお説のとおり、としか言いようがありません。ただね‥‥、サミュエルソンは、あれは、図式的で誰にでもわかるフィクションだから(笑)、大学で単位を取るにはいいんですよ。それが唯一の効用です。

 

 コンピュータ・シミュレーションによる「貨幣」導入の実験。なるほど、‥‥貨幣経済というのは、そんなに脆弱なものなのか、と驚きます。しかし、それはほんとうなのでしょう。

 

 そこから考えると、現実の現代の資本主義貨幣経済が安定しているように見えるのは、個別バラバラな合理的行為者によって構成されているのではなく、国家、独占資本、利権集団といった「組織」が経済を動かしている、その “おかげ” ではないのか?‥高度資本主義の「悪弊」こそは、高度資本主義を存立させている必須の装置ではないか? そんなことを考えてみました。

 

 そうした「功罪」の面も見落とさないようにしながら、「独占」「寡占」「公企業」といった、マルクスが把握しきれなかった現象を正面から扱う理論がぜひ必要だと、私は思っています。レーニン主義界隈が凋落したあと――インチキ理論が凋落するのは当然ですが――、その欠を埋める理論がまだ出ていないように思います。それなしには、現代中国・魯西亜のような体制を、(「法の支配」うんぬんでなく)経済面で根底から批判することはできないでしょう。。。

 

 

 まぁそういうわけで、ことしは飛躍のウサギ年にしたいものです。↓おまけ!

 

 

 


 

 

 

 

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