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 9回にわたってヘーゲルにお付き合いいただき、ありがとうございます。よくもこんな難物を読み続けられるものだと、チラ見だとしてもまぁよく続くものだと、ひとごと乍ら、ほとほと感銘いたしました(←おまえが言うかって?)。

 

 最終回は、ぐっと砕けたお喋りにしました。さいごまでお付き合いくださいませ

 

 

 

【21】 コラム――サイエンティストに

なりそこねたヘーゲル

 


 1801年、ヘーゲルはイェーナ大学で私講師の職を得たのだが、そのために大学に提出したのは、『惑星軌道論』という自然科学の論文だった。火星と木星の間には惑星が存在しないことを論じたものだった。

 この論文が評価されて、ヘーゲルは私講師の職を得る。

 ところが、1807年に公刊された『精神現象学』を見ると、私たちは奇異の感を抱く。同書の第Ⅴ部「理性」の「観察」の章には、数学から生物学、医学、心理学、頭蓋骨論に至るまで、さまざまな自然科学について述べられているが、なぜか、物理学と天文学が欠けているのだ。

 近代科学における理性の精神史を述べるにあたって、物理学と天文学を無視しては片手落ちではないか。

 そこで、1801年の『惑星軌道論』なのだが、じつは同じ年のうちに、イタリアで小惑星ケレスが発見されていた。それが史上最初の小惑星観測だったのだが、ヘーゲルはそのことを知らずに論文を書いたらしく、大学の教授たちも知らずに審査して、論文をパスさせていた。

 

 

 

 

 こちらを読むと事情が分かる。当時、火星と木星の間に惑星(小惑星)があるかどうかは、ヨーロッパじゅうの学者の関心事だった。シチリアのジュセッペ・ピアッツィは、1801年1月1日に最初にケレスを観測したが、はじめは彗星だと思っていた。ピアッツィはその天体を 24回観測し、9月にはドイツの雑誌に観測記録が掲載された。それでも、ケレスの正確な位置を測定するのは難しかった。当時弱冠24歳だった数学者ガウスは、正確な軌道計算法を考案して天文学者らに送った。その計算法のおかげで、ツァハとオルバースが、予測位置の近くでケレスを再発見したのは、1801年12月31日だった! 火星と木星の間には惑星(小惑星)があるということが、確定したのだった。

 

 そういうわけで、1801年中にヘーゲルが『惑星軌道論』を提出し、その審査が行われていた時には、すでにケレスは発見されていたものの、それが惑星なのかどうか、位置はどこにあるのか、確認されていなかった。

 ヘーゲルは、今を時めくテーマを選んで注目を集めようとしたかもしれないが、その論文はわずか数か月で、大間違えだったことが世に知られることとなった。

 史上最初の小惑星発見と同じ年に、小惑星は存在しないという論文を書いてしまうとは、古今未曾有の運の悪さ!

 ヘーゲルは、よほど悔しかったのだろう。天文学には二度と触れまいと思ったにちがいない。

 『精神現象学』が天文学を無視して通り過ぎているのには、やはり理由があった。そして、ヘーゲルが生涯二度と自然科学の論文を書かなかったことにも。。。

 

 


 

 

【22】 独自考察――

「ティル・オイレンシュピーゲル」の愉快ないたずら

 

 

 さて、前回予告しましたように、「事そのもの」に関して、平子氏のマルクス経済学とも金子氏の哲学的読みともちがう独自解釈を書いておきたいと思います。

 

 ヘーゲルのような、コトバの限界に挑んだようなものを解釈するには、何かを題材にした「たとえ話」で語るほかありません。どう語っても、一面的な説明にしかなりません。逆に言えば、お偉い2人の学者様の解釈を並べたあとで、シロウトが別の「たとえ」を書いても、それなりに新奇なことが言えるわけです。

 

 題材にするのは、15世紀ドイツの説話集『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯』の「第19段」です(⇒:詩文集(92))。

 

 「ティル・オイレンシュピーゲル」は、北ドイツに伝わる民話の主人公で、14世紀の実在の遍歴職人だったという説と、そういう設定で 15世紀に創作されたという説があるそうです。いずれにしろ、ドイツ中世の都市から都市へと渡り歩き、あちこちの親方に雇われては、悪ふざけをして、大損害を負わせて、親方をかんかんに怒らせて逃げて行ってしまう。また、別の町の親方のところへ行って、一泡吹かせては去ってゆく。その繰り返しです。

 

 実話にしろ創作にしろ、こういうことが可能だった社会条件が、当時はあったわけです。つまり、ドイツの中世都市というのは、それぞれが自治都市で、小さな独立国のようなものです。たがいに他の都市に対しては閉鎖的で、ある町で悪さをしても、他の町へ移ってしまえば、お咎(とが)めなし。追手は入ってくることができません。つまり、中世都市は「アジール」なのです。

 

 職人があちこちを渡世して修業を積むという習慣は、ドイツでは、近代になっても残っていまして、たとえばヘルマン・ヘッセの初期の小説には、そういう若者が登場します。ただ、その場合の遍歴は修業のためですから、靴屋なら靴屋、仕立て屋なら仕立て屋、同じ職種の親方を渡り歩くのがふつうです。ところが、オイレンシュピーゲルの場合には、自分は靴職人だと言って靴屋の親方に雇われ、そこを追い出されると、こんどは自分はパン職人だと言ってパン屋に雇われる‥‥というようにメチャクチャです。まったく修業になりませんが、本人は親方と世間をバカにして楽しむ人生なのですから、それでよいのです。

 

 

『かつて人々が口伝えに物語ってきた彼の生涯は、15世紀にドイツで民衆本『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』 にまとめられ、出版された。〔…〕ここで繰り広げられる彼のいたずら話やとんち話は、日本でいうところの一休さんのように非常に有名である。教会や権力者をからかうティルの姿勢は、日本の吉四六(きっちょむ)さんにも似通っている。』

wiki 「ティル・オイレンシュピーゲル」  

 

 

『ティルの活躍をたんに職人のいたずら話としてのみとらえるだけでは不十分なのである。ここには社会の狭間に生きているが故にあらゆる階層の人々に対して一定の距離をとることができ、それ故に孤独ではあるが生涯をいたずらに徹して生きた一人の人間が描かれている。』

阿部謹也・訳『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯』,1990,岩波文庫;「解説」,p.404.

 

 

浴場で大便をするティル・オイレンシュピーゲル 

民衆本の挿絵 (第69話)

 

 

 オイレンシュピーゲルは、行く先々の町で、いろいろなイタズラや意地悪をして町の人びとを困らせるのですが、イタズラには、いくつかのパターンがあります。教会などの “神聖な” 場所を選んで、みんなの前でウンチをする。あるいは、司祭など聖職者をだましてウンチをさせてしまう。自分の尻をまくって、人びとに見せびらかす。町のお偉方などをだまして、お尻にキスをさせる。‥‥などなど。


 しかし、やはり多いのは、雇われた親方に対する「いたずら」で、これはみな、言葉の「だじゃれ」に絡んだ「いたずら」です。

 

 たいへん多いのは、比喩的な言い回しを、わざと言葉通りに実行して、言われたのとは反対の結果にしてしまうイタズラです。

 岩波文庫『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯』の訳者・阿部謹也氏によると、当時の同職組合(ギルド)では、親方の地位が上昇し、職人の上に立って支配するようになったので、ことさらに勿体ぶった言い方や、もって回った言い回しをしたり、職人を乱暴な言い方で罵倒する親方が多かったのだそうです。

 

 そこにうまく付けこんでいるのが、オイレンシュピーゲルのイタズラなのです。

 ある町にやってきたオイレンシュピーゲルは、パン屋の親方のところへ行って、自分はあちこちで修業を積んだパン職人だから、雇ったら重宝しますよ、と吹聴します。親方は、こいつ、あまり信用できないな、と思いながら、たまたまその日は町の守護聖人の縁日で、自分は遊びに行きたいので、留守役として雇ってしまいます。

 親方は、「じゃあ、しっかり焼いておくんだぞ。俺はこれから組合の仕事があるので、出かけるからな。」と言います。

 

 オイレンシュピーゲルが驚いて、

 

 「でも、いったい何を焼いたら、いいんですかい?」と尋ねると、親方は、いらいらして、

 

 「てめえは、パン職人のくせに、何を焼いたらよいかなどと、よくも聞けたもんだな。フクロウでもオナガザルでも焼いてみろや!

 

 と怒鳴って出かけてしまいます。「ふくろう」と「尾長猿」というのは、日本語なら「~もヘチマもあるか!」のような言い回しで意味は無いらしいのですが、オイレンシュピーゲルは、言葉どおりに実行してしまいます。

 

 残ったオイレンシュピーゲルは、フクロウとオナガザルの形のパンをたくさん造って、仕事場にあった小麦粉を残らず使ってしまいました。

 

  帰って来た親方は、カンカンになり、「こんなパンは誰も買わねえ!」と言って、小麦粉の値段を弁償させてオイレンシュピーゲルを追い出しました。 ところが、オイレンシュピーゲルが、そのフクロウとオナガザルの形のパンを、縁日の教会堂の前で並べて売ったところ、通りかかった町の人びとが、おもしろがって買ったので、親方に弁償した金額の倍儲かった。

 

 それを伝え聞いた親方は悔しがって、薪代とパン焼き窯の使用料を請求しようとして教会堂へ駆けつけましたが、その時には、オイレンシュピーゲルはもう、他の町へ逃げたあとでした(第19話)

 

 つまり、ここでヘーゲルの言い方を借りると、この親方は、「事そのもの」に「誠実な」人なのです。つまり、親方は、自分では、自治都市の有資格市民として、自分のパン造りを通じて町に貢献していると思っている。親方の態度には、自分の「仕事」は公共的なものだという自負があふれています。それが、「事そのもの」です。

 

 ところが、オイレンシュピーゲルは、そういう親方の「事そのもの」の化けの皮を剝がしてしまう。決まりきった形のパンを作って売るよりも、「ふくろう」や「手長猿」の形のパンのほうが、街の人に喜ばれるし、よく売れるのです。オイレンシュピーゲルの「いたずら」のほうが、親方の仕事よりも、ある意味で公共性がより高いことになります。しかも、親方のパンよりもよく売れて儲かる。公共的であるだけでなく、個別的な私的な利益にもなるのです。

 

 オイレンシュピーゲルは、主観的には、公共性などということはまったく考えていません。親方の勿体ぶった「公共性」を笑い飛ばして楽しみたいという・もっぱら私的な気持ちで、変わりもののパンを造り、儲けたい一心でそれを売っているのです。ここでは、私益を図る行為が、結果として公共の福祉を増進するという・「事そのもの」の原理が、矛盾なく実現しています。

 

 

   オイレンシュピーゲルのレリーフ  Artus Court in Gdańsk    

 

 

 

【23】 ヘーゲルと「無縁」

 

 

 ところで、オイレンシュピーゲルの「いたずら」と、網野善彦氏の「無縁」(⇒:【基礎考察】(12))との関係を、ここで考えてみたいと思います。

 

 ヨーロッパ中世の「自治都市」とは、「アジール」であって、網野氏流に言えば「無縁の場」です。「自治都市」の持つ「無縁」の原理こそが、オイレンシュピーゲルのような逸脱行動をも許容し、それを可能にしています。

 

 しかし、オイレンシュピーゲルの奇想天外な行動は、そうした「自治都市」の枠組みをも逸脱してしまうのです。たとえば、↑上に「第69話」の挿絵を貼っておきましたが、 中世都市の中でもとくに “神聖な場” とされた公共浴場の中で、オイレンシュピーゲルは大便をしてのけます。

 

 共同浴場が、聖なる場――アジール、平和領域、「無縁の場」とされたのは、日本中世でも同じでして、戦いの最中に敵味方の武将が京都の共同浴場で談笑したり、共同浴場で和平交渉が行われたり、といった例があります。浴場は、「穢(けがれ)をきよめ、清浄を回復する場であった」からです(網野善彦『増補 無縁・公界・楽』, 1996,平凡社ライブラリー,pp.141-142,305-306.)。『オイレンシュピーゲル』に戻りますと、浴場の主人は、ここは神聖な場だから心して入浴しなさいと、ことさらに強調します。そこで、オイレンシュピーゲルは洗い場の真ん中に大便をして、「身体の表面だけでなく、中まで清潔にしないといけませんなあ」と惚(とぼ)けるのです。

 

 また、オイレンシュピーゲルは、「自治都市」の執行機関である「都市参事会」のお偉方をも、得意の「尻見せ」で、さんざんに笑い倒してしまいます。お偉方は、もう少しで、オイレンシュピーゲルの生尻にキスをさせられるところでした。

 

 このようにオイレンシュピーゲルは、「無縁の場」から生まれ出て、「無縁の場」に支えられ、かつ「無縁の場」をも罵倒してその外にはみ出してしまう存在です。

 

 オイレンシュピーゲルが、「自治都市」や共同浴場の主人や職人親方以上に「無縁」の原理を体現していることは明らかでしょう。つまり、網野善彦氏の唱える「無縁」という原理は、相対的なものなのだと私は考えます。「無縁の場」「無縁の人」というのは、みな、相対的に「無縁」なのであって、さまざまな程度に「無縁」なのです。

 

 絶対的な「無縁」というものが、もしあったとしたら、それは “社会の外” にしかありえないのだと思います。ヘーゲルは、『精神現象学』「Ⅴ-B-b 心情の法則と うぬぼれの狂気」の中で、つぎのように書いています:

 

 

『だからひとびとが、そうした秩序〔公共の秩序――ギトン註〕をめぐって――あたかもそれが内的な法則〔胸の矩(のり)、心情の倫理感――ギトン註〕に逆行するものであるかのように――嘆いて、心情が思いなすところをその秩序に対して突きつけたとしても、かれらはじっさいには〔in der Tat その為すところにおいては〕みずからの心情をもって、じぶんたちの本質〔Wesen〕であるこの秩序にしがみついている。そこで当の秩序がひとびとから奪いとられ、あるいは自身がその秩序の外に置かれたときには、かれらはいっさいを失うのである。』

熊野純彦・訳『精神現象学 上』,2018,ちくま学芸文庫,p.582.   

 

 

 

 

 つまり、絶対的な「無縁」とは、仙人か神様にでもなるほかはない “世界外” の存在です。しかし、ティル・オイレンシュピーゲルは、そこに限りなく近づいていたのかもしれません。

 

 

『ヘーゲルは,この「公共の秩序」について,「不安定な個体性」による闘争を通じて示される普遍的なものであり,この意識には自覚されていないが,「実体(共同的な精神)」と言えるものだと述べる.各個人がこの秩序の外に自己自身をたてようとするとすべてを失うという意味で,「安定した本質という普遍性」であるのだが,

 

 個々人にとっては転倒した形(個々人の闘争という形)で自覚される. 公共の秩序とは,そもそも各人が,自分の心の法則を万人に通用させようと〔した結果、はてしない争いの現実として現出――ギトン註〕たものだからである.「現にある普遍的なもの(公共の秩序)は,したがって,万人の万人に対する普遍的抵抗と闘争にすぎない.〔…〕公共的な秩序は,世の成り行きであって,存続する全体の見かけであって,その全体は思われただけの普遍性であり,その内容はむしろ個別性の確保と個別性の解消の本質なき戯れなのである。」〔熊野訳,pp.583-584――ギトン註〕

片山善博「近代的個人とは何か ヘーゲル『精神現象学』理性章Bを理解するために」,pp.12-13.

 

 

 「公共の秩序」とは、じつは争い合う現実のほかにはなく、「秩序」というより「なりゆき」であって、存続している「見かけ」にすぎず、たんに「普遍性(公共)」と「思われ」ているだけである。。。 ヘーゲルは、そこまで言いきるのです。

 

 にもかかわらず、ヘーゲルの世界には “外側” というものが存在しません。神である「絶対精神」は世界そのものであって、すべての存在はその内部で、「絶対精神」の運動に巻き込まれ、その一部となってしまいます。そこには、現実には「見かけ」の「秩序」と「闘争」以外に何もないのだとしたら、私たちはどんな希望を抱けるというのでしょうか?

 

 これに対して、網野善彦氏は「無縁」の原理を主張し、歴史の中でその個別的な現れの数々を実証することによって、ヘーゲルの絶対的世界の “外部” を、大胆にも構想したと言えるのではないでしょうか? かくて、「弁証法」と「マルクス主義」は乗り越えられた。そこに、網野氏の偉さがあるのだと思います。

 

※     ※

 

 

 ともかくも、これで準備がととのったので、次回からは、奈良時代の2人の人物を考察します。



 

 

 

 

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