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     夜間歩行

 くさむらと草原、灌木とのはら
 だれもが満ちたりて、しずまっている
 皆みずからをわがものとし
 じぶんの夢のなかに沈んでいる

 雲はただよい星はひかる
 高みからの監視の使命を帯びて
 峰は切り立った段をみせ
 暗く、高く、はるかに聳える

 すべてはたたずみ、たしかに存在しているのに
 わたしだけがあくせくと悩みに駆られ
 神のみこころを遥かにはなれ
 気もそぞろになお歩きつづけるのだ






 ヘッセは、夜間歩行をテーマにした詩を、その生涯の間に何度も書いているのですが、一貫して同じ感覚を語っているように思われます。まわりにある世界では、すべてのものが「確かに存在している(hat Bestand)」のに、自分は、または自分たちは、そこからはみ出して放浪をつづけてゆく、という観念です。

 以前に引用した詩では、まわりの“世界”は、主に都市の建物や営々と社会を営む人々でしたが(⇒:詩文集(6))、1913年の上の詩では、もっぱら自然の景物が、厳然たる“世界”を構成しています。自然界か社会かを問わず、“世界”のなかで作者は、はみ出した“よけい者”なのです。

 

 







 これまでに、ヘッセとカフカを2度ほど比較して、それぞれの表現がおよそ対照的な色彩を帯びていることを見たと思います。しかし、両者には共通する部分もあって、それぞれの本質はいっしょなのではないかとさえ思われます。本質などと大きなことを言うのはまだ早いかもしれませんが、すくなくとも、周囲の“世界”の中での〈自己認識〉に関するかぎり、ヘッセとカフカは、たいへん近いところにいたのではないかと思うのです。

 ちょうどおあつらえ向きのカフカの極短編を見つけましたので、拙訳でお目にかけます↓。これもカフカの遺作のひとつです。




「     きかん坊(Der Quälgeist)

 きかん坊は森に棲んでいる。うちすてられた炭焼き時代の古い小屋にひそんでいる。中に踏み込むと、滲みついてとれない腐臭が鼻をつく。ほかには何もない。ちっちゃな鼠よりもさらに小さく、眼を近づけても見えないほどの大きさにちぢこまって、きかん坊は隅っこにいる。まったく何もないようにしか見えないのだ。かつては窓だった穴を通して、森がさわさわと静かに鳴っている。なんと人けのない場所なのだろう、またなんとおまえには好都合なことだろう。その隅っこで、おまえは眠ろうとしている。どうして、風通しのよい森で眠らないのか? とにかくここにいれば、小屋の中で安全なのだ。入口の扉などとっくに蝶番から外されて取り払われているというのに。ところがおまえは、扉を閉めようとするかのように、宙を手さぐりしたあと、倒れて寝てしまうのだ。」

フランツ・カフカ『きかん坊』(拙訳)
 

 



 説明は必要ないでしょう。

 「なんとおまえには好都合なことだろう」と言ったり、「どうして、風通しのよい森で眠らないのか?」と言ったり、“炭焼き小屋”の隅に縮こまる孤独な生に対する、作者のアンビヴァレンツな感情が表れています。作者は、一方では自分でもそれを望み、他方で、一歩離れて見れば、そうした片意地な孤独からは脱却したいと思うのです。いずれにせよ、カフカは、この孤独を強いられたものとは考えません。それが誰であるにせよ、その者が自ら志向した結果と見なし、主体的に引き受けることを推奨しているのです。これはたいせつなことです。

 「きかん坊(Der Quälgeist)」という題名は、池内紀・訳では「だだっ子」と訳されているように、ふつうは、やっかいをかける子供という意味です。しかし、ガイスト(geist)には、幽霊とか妖怪という意味もあります。ここでは、子供と言うより、妖怪や精霊に近いように思います。

 

 「この、きかん坊!」「だだっ子(クウェールガイスト)!」などと言われた子供は、「クウェールガイスト」という妖怪(ガイスト)が、どこかにいるのだと思ってしまう。きっとどこか暗い場所、人が来ないような深い森にひそんでいるにちがいない... 森の奥で見かけた炭焼き小屋の廃屋が、きっと「クウェールガイスト」の隠れ家だ... などと思いこんでしまうのです。この極短編のモチーフは、きっとそのへんではないでしょうか?





     宵の歩行

 晩方遅くわたしは埃っぽい街道を歩いている
 塀がするどい影を落とす
 葡萄の蔓のむこうで月が
 細い流れと道とを照らしている。

 わたしがむかし歌った詩
(うた)
 声低くまた口ずさんでみる
 かぞえきれない彷徨
(さまよい)の影が
 わたしの道すじと交差している。

 風と雪と強い陽ざしが
 何年もわたしに吹きつけた
 夏の夜と青い稲妻
 嵐と旅の災難が。

 褐色に日焼けし、この世の塵を
 たっぷりと吸い込んで、わたしは
 なおも歩きつづける、わたしの
 小径
(こみち)が闇に落ちるまで。

  ――――――――



     雨はぱらぱらと散る 
(自作)

 雨はぱらぱらとちる、大きなくも小さなくも
 思い思いにそらにうかぶ、遠くからみれば
 そらぜんたいがくもだ、大きなくもの
 はしっこがほぐれ、小さなかたまりがわかれ

 くもとくもとがあわさってまた大きなくもになる
 このそらぜんたいとわたくしと町とが、遠くからみれば
 大きなくもだ、大きなくものちぎれたきれはしのひとつが
 いま、くうきのながれに乗るのをやめて、しょざいなげに
 うかんでいる、ほつれ毛をたらした小さなくもだ

 小さなくもはながれに乗るのをやめた
 ながれからはずれたくもがほかにいないか
 眼をこらしてさがしている

 小さなくもがながれに乗るのをやめた
 なまあたたかいそらに、じっとうかんでいる
 はずれたくもたちが並んでいる

 

 

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