流浪者の宿
それはなんと縁遠く、ふしぎなけしきなのだろう
毎晩毎晩途切れることもなく
楓(かえで)の影から冷たく醒めざめと
泉が音もなくあふれつづけるのは
そして昨日も今日も、ただよう香りのように
月のひかりが破風を照らし
冷たく暗いそらの高みを、かるがると
雲の編隊がとんでゆくのは!
それらはみなしっかりと立ち、存在しているのに
ぼくらはひと晩のやすらぎのあとは
また町から町へとさまよう定め
ぼくらを気にかける者もいないのだ
しかしやがて何年もしたあとで
ぼくらの夢の中にさながらに
その泉が、町の門と破風が立ち現れるかもしれぬ
そしてずっといつまでも立ちつづけるのだ
その風景はまるでなつかしい故郷のように
かつてたったいちど異郷の屋根の下に憩うた
よそ者の脳裡に現れ、煌(きら)めきつづけるのだ
もはや町の名さえ思い出せぬというのに。
毎晩毎晩途切れることもなく
楓の影から冷たく醒めざめと
泉が音もなくあふれつづける
それはなんと縁遠く、ふしぎなけしきなのだろう!
シューベルトの歌曲「菩提樹」を想起された方も多いかもしれません。たしかに、↑この詩は「菩提樹」の歌詞を念頭にしていると思います:
「市門の泉のかたわらに
菩提樹が立っている
わたしはその樹の蔭でまどろみ
さまざまの甘い夢を見たものだ
〔…〕
菩提樹は枝葉をざわめかせ
わたしを呼んでいるかのようだった:
帰っておいでよ、ここにこそ
おまえのやすらぎがあるのだから」
菩提樹(ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ)
この歌曲で歌われている「菩提樹(Lindenbaum リンデンバウム,リンデ)」は、セイヨウシナノキという樹種で、日本でお寺などに植えられているボダイジュ(これは中国原産)と同じシナノキ属ですが、別種だそうです。セイヨウシナノキが“やすらぎの樹”だというのはほんとうで、人体に薬効のある物質を発散しているらしい。
Wikipedia によると、セイヨウシナノキの花は、風邪、咳、発熱、感染症、炎症、高血圧、頭痛薬、利尿薬、鎮痙薬、鎮静剤として用いられ、木材は、肝臓・胆嚢疾患に、木炭は腸障害に効果があるとのこと。フランスではハーブティーにするそうです。
とはいえ、郷愁をそそるシューベルトの歌詞(作詩はヴィルヘルム・ミュラー)は、あくまでもロマンチックな詩情の中でのこと。海の向うから眺めるわたしたちには、ロマンチックなけしきだけが見えているのですが、その世界で生きてゆこうとする者にとっては、また別の感想があってよいわけです。
あてもない旅のともがら、“流浪者”である作者たちにとっては、見知らぬ町の入口に滾々と湧いている泉は、日々の仕事にいそしむ町の人々や、高々と聳える市の門や周壁、教会の尖塔などと同様に、縁のない世界であり、このうえなくよそよそしいものに思われるのです。
そういえば、そうでした! ヘッセと言えば“漂泊の魂”。
自分と同じ“漂泊の魂”をもつ友を求め、晴れやかなミドルクラスの社会からは身をひきはなすようにして、世界の果てへと逃れて行こうとする一途な情熱が、彼のどの作品にもあふれています。世界中に多くの読者を得ているヘッセのもっとも魅力的な部分は、そのあたりにあったと思います。
しかし、それは同性愛者の気持ちや交友にも通じるものだと思います。けっして大っぴらにはしたくない。世の中を騒がせたくはないし、干渉もされたくない。そういう気持ちが、いつもぼくらの心にはどこかにあって、共通の核心のようになっている気がします。
そうしたなかで、あえておもてに出てぼくらの存在や権利を訴える友人たちに対しては、心から尊敬と感謝の思いを禁じえないのですが……、それでもやはり核心は核心。世界すべてが寝静まった夜に、ひとり目覚めている‥、あるいはふたりで‥、目覚めて、暗い夜空の果てを見つめているようなこの気持ちの核を、ぼくらは失うことはできないし、それを無くしたら何も残らないような気がします。
二丁目かいわいでは、狭いカウンタースペースにおおぜい集まって、夜通し朝まで騒いでいる向きもあって、そうした場所に縁遠いぼくらには、ちょっと別世界のようにさえ思われます。言ってみれば、それはぼくらの華です。
ギトンも同居人も、あのあたりには行かなくなって久しいのですが、またいつか、隅っこに顔を出してみることもあるのかな?……と、たま~に思うことがあります←
きみにもそれがわかるのか?
きみにもそれがわかるのか? ときどき
さわがしい歓楽のさなかに
祭りたけなわ、大広間のまっただなかで
急に口をつぐんで去って行くほかはない心地になる
そして寝床に身を横たえ眠りもせずに
まるでいきなり心臓をわずらった人のように
さんざめく笑い声は煙のように消え
涙を止めどなく流しつづける――きみにもそれがわかるのか。
―――――――――――
異郷の町
そんなにおまえを悲しくさせるのは
見知らぬ町を通る夜半(よわ)の道
家々は音もなく寝静まり
月にかがやく屋根の波
尖塔と破風のかなたに徐(おもむろ)に
あやしい雲の群れが逃れゆく
それは喪われた故郷(ふるさと)を求めさまよう
巨きな寂しい亡霊に似て
ところがおまえはいきなり襲われでもしたように
悲哀の魔法に身をゆだね
荷物を手から取り落すやいなや、とどめなく
悲痛な声で泣きじゃくるのだ
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