ギトンのパヴィリオン


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そこにはいつも きみがいた。。。。。



※ 「詩文集」は順不同です。1回ごとに完結してますから、どの回からでもお読みいただけます。
「詩文集」は、すべて "Hermann Hesse Die Gedichte", hrsg.von Volker Michels, Insel Taschenbuch 2762, Insel Verlag, 6.Aufl. 2013. のレビュー(自訳詩つき)です。



七崎

HP 【ギトンのお部屋】

ミヤケンとBL週記 ≪ギトンのあ~いえばこーゆー記≫

心象スケッチ写真帖 《ギトンの Galerie de Tableau》

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  • 25Apr
    • 詩文集(81)――【モンテヴェルディ】ヴェネツィアの海と尖塔、黄金の刻(とき)

      カナレット「ヴェネツィア サン・マルコ広場」(Wikimedia Commons)        サン・マルコ小広場 まるで、緑のじゅうたんの上に古金の 秘蔵のコインがきらきらと転がり出るように、 緑のさざ波がしずかに流れ たくさんの黄金(きん)色の焔を上げる;潮に押し出され、外海でゆらゆらと揺れる すみれ色の宵口(よいくち)の明かり その真中には、王侯の印璽(いんじ)のように 黄金(きん)色の巨大な球体がくっきりと影を映している。 近くの島々では教会の破風の連なりが 険しいシルエットになって青黒くそそり立ち、 その向こうにはもう――人は感じるが眼には見ない―― 三日月のおぼつかぬ銀のかがやき。 サン・マルコ広場から迷い出た、くぐもった楽の音(ね)が 風とたたかいながら渡って来る はっきりした拍子を響かせたかと思うと すぐにまた波のたたく音に消されてしまう 波はくりかえしゴンドラの着く階段を鳴らし ときどき泡を吹いては最上段に湧きあがる。 わたしの心を圧していた苦々しい想いは はるか遠く、夢と唄のなかにさらわれた わたしが抱えこんできた困苦のわずらいは 美しい夜に尾をひいて消える。 無事息災の甘い感情が媚びるように 擦り寄ってくる;渇望の思いはしりぞき 流れる雲のようにふんわりと、 澄んだ音色、夢と唄のなかに消えてしまう。 この美しい刻(とき)にやすやすと屈した獲物、 わたしは今日という純な一日のふところに取りこまれてしまう。  ↑「緑のじゅうたん」と言うから、芝生があるのかと思ったら、ここは、海に面した石畳の「広場」なんですね(↓写真参照)。海面を夕陽が赤く染めるなかで、濃色の波の翳が、補色の深緑色に見えているんです。 ヴェネツィア サン・マルコ寺院の鐘楼から  海(ラグーン)を望む    ヴェネツィア サン・マルコ小広場  昔、海岸の2つの円柱の間に死刑台が置かれたので、地元の人は柱の間を通りぬけない。 ヴェネツィアには行ったことがないので、この詩を読むためにずいぶん調べました‥。そもそも、詩には「ヴェネツィア」ともイタリアとも書いてない!! でも、ドイツ人はこの町が好きで、よく知ってるんでしょうねw 海の岸壁やら、島の寺院やら、「ゴンドラ」と書いてあれば、誰でもすぐにヴェネツィアだとわかるんでしょう。 じつは、タイトルも、原文はただの「小広場(ピアッツェッタ)」なんです。これも、調べてようやく、「サン・マルコ広場」に付属する「小広場」のことだと、わかりました。 もちろん、ヴェネツィアには、広場も小広場も、たくさんあります。でも、それらはみな、方言で呼ばれるそうです。標準イタリア語で「ピアッツァ」「ピアッツェッタ」と呼ばれるのは、市の中心にある・この「サン・マルコ」だけなんだそうです。 こんなことは、一度でも観光に訪れていれば、わかることなんでしょうね。だから、ドイツ人はみんな知ってるんでしょう。 ↓平面図を見ると、場所の状況がよくわかります。正面に「サンマルコ寺院」があって、その前の四角い空き地が「サン・マルコ広場」。「小広場」は、寺院の手前から右のほうへ続いていて、その先は海(潟湖 ラグーン)です。 同じ方向で見ているのが、↑いちばん上の絵画です。 ヴェネツィア サン・マルコ広場とその周り(地図)  ところで、いちばん上の絵画、遠近法の見本のような壮大な絵ですが、じつは、この「サン・マルコ広場」じたいが、遠近法を利用した“だまし絵”なんですねw 上の地図を見ると、「サン・マルコ広場」は、じつは長方形ではなくて、サン・マルコ寺院に向って広がっていく台形になっています。ところが、絵を見ても、↓写真を見ても、長方形の広場に見える! 人間の目の錯覚なんです。しかも、左右の建物に柱廊がズラ~ッと並んでいるので、実際よりも奥行きが深く見えます。サン・マルコ寺院は、じっさいよりも大きく、鐘楼は、じっさいよりも高く見えることになります。 こういうしくみは、私たちの古い建物にはあまりありませんね。せいぜい、法隆寺のエンタシス(中ぶくれの柱)くらいです。あれは、屋根を高く見せるために、中ぶくれにしてるんです。これも、遠近法による錯視の応用です。 むしろ、薬師寺の塔のてっぺんにある天人像みたいに、地上の人間にはまったく見えないような場所に、精巧を尽くした彫刻を設けたりします。私たちの古くからの文化は、「見えること」「見せること」よりも、「有ること」を大切にしてきたんですね。これは、よく覚えておきたいことです。 ヴェネツィア サン・マルコ広場(夜間)  今夜は音楽も、サン・マルコ寺院の楽長を務めたモンテヴェルディのオペラを聴いてみたいと思います。 モンテヴェルディは、バロック初期の 16世紀後半~17世紀、イタリア北部のマントヴァからヴェネツィアに出て活躍した音楽家で、近代オペラの創始者として知られています。モンテヴェルディのオペラのなかでも、その最初の作品『オルフェオ(l'Orfeo)』を取り上げましょう。つまり、これこそオペラの“第1号”というわけです。     【あらすじ】 ギリシャ神話の琴の名手オルフェウス(オルフェオ)が弾く琴の音は、どんな猛獣もおとなしくさせてしまうのだった。死んだ妻エウリディケーをあきらめきれないオルフェウスは、冥界から連れ戻そうとして、生きた人間は入って行けないとされる冥界へ下ってゆく。渡し守カローンも、冥界の番犬ケルベロスも、琴のしらべを聴くと、オルフェウスの言いなりになった。冥王もオルフェウスの演奏に魅了されて、エウリディケーを連れ帰ることを許すが、「冥界から出るまでは、おまえが妻の前を歩き、決して後ろを振り返ってはならない。」と命ずる。ところが、オルフェウスは、冥界の出口の直前で後ろを振り返って妻を見てしまい、そのとたん、エウリディケーは永遠に消えてしまう。 故郷トラキアの森に戻ったオルフェウスは、死者への嘆きを歌う。オルフェウスの父アポロンが天から降りて来て、地上では、いかなるものも変化生滅をまぬかれないのだ、と諭す。そして、永遠を望むならば、私と天に昇って、エウリディケーにもまさる太陽と星々とともに生きよと奨める。オルフェウスは、ニンフと牧童たちが讃えるなか、アポロンとともに昇天する。(Wikipedia独語版から要約)  “三途(さんず)の川”があったり、“黄泉比良坂(よもつひらさか)”で後ろを振り返るとか、日本の神話や仏教と似ていますね。 エウリディケーの救出に失敗するところまでは、もとのギリシャ神話と同じですが、アポロンと昇天する最後の場面は、イタリアの台本作者の付け足しです。 モンテヴェルディ:オペラ『オルフェオ』から「トッカータ」「リトルネッロ」「恋人よ、私にお許しを」ジョルディ・サヴァル/指揮コンセール・デ・ナシオンバルセロナ、リセウ大劇場 ↑『オルフェオ』のはじめの部分です。楽器を全部、当時の古楽器にするだけじゃ気がすまない。服装も、指揮の手ぶりも、何もかも 17世紀風にしないとおさまらないんですねえ。。。 演奏というより、楽団席がほとんど復元劇です。 チェザーレ・ジェンナリ「オルフェオ」   (Wikimedia Commons)     英語版ウィキペディアを見ると、『オルフェオ』の台本にある配役(歌手)は、みんな男なんですね。ソプラノとアルトは、カストラート(去勢歌手)が指定されています。歌舞伎の女形みたいなもんかな? 中世にはヨーロッパでも、女の俳優が禁止されていたんでしょうか。 現在のモンテヴェルディの上演では、ソプラノとアルトは、女性歌手が歌っていますが、古いのの復元にこだわった舞台では、カウンターテナーの男性が歌います。(カウンターテナーは、歌唱法でして、カストラート(去勢男性)とは違います。ゲイともトランスとも関係ありません。詳しくはこちらの記事を➡➡【ギトンの秘密部屋】声とはどんなものかしら?) ↓ジャルスキーは、ルーマニア出身のカウンターテナーで、現在活動しているカウンターテナーのなかでは、たぶんいちばんよく知られた人です。 モンテヴェルディ:オペラ『オルフェオ』から「そよ風はまた来る(Zefiro torna)」フィリップ・ジャルスキー/カウンターテナーラルペッジャータ・アンサンブルモンテヴェルディ:オペラ『オルフェオ』から「あなたはいかがわしい森を思い出すかもしれない(Vi Ricorda, ò bosch'ombrosi)」オルフェオのアリアヴァレル・バルナ=サバドゥス/カウンターテナーペラ・アンサンブルモンテヴェルディ:オペラ『オルフェオ』から「ニンフの合唱」「リトルネッロ」ジョルディ・サヴァル/指揮コンセール・デ・ナシオンバルセロナ、リセウ大劇場フィエーゾレから望むフィレンツェの市街    右の丸屋根は、サンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖母寺) きょう2つめのヘッセの詩↓「フィエーゾレ」は、フィレンツェ近郊の丘の上にある村。ここには、ルネサンス時代から、フィレンツェの貴族たちが、避暑のための別荘を建てていました。ボッカチオの『デカメロン』で、疫病を避けて疎開した男女が、暇つぶしの与太話を語り合った場所は、この辺なのかもしれません。 ここからは、フィレンツェの町と歴史的建造物がよく見えるのですが、ヘッセの関心は、地上の風景にはないようですね。         フィエーゾレ 頭の上の青空で 旅する雲が故郷(ふるさと)へといざなう。 ふるさとへ、呼ぶべき名もない遠い場所、 平安と星辰のはるかな国へ。 ふるさとよ! おまえの青く美しい 岸を、わたしは見ることがないのだろうか? そんなことはない、この南の土地に来れば おまえの岸辺は近いはず、きっと手が届くにちがいない。 よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau

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  • 18Apr
    • 詩文集(80)――【ベートーヴェン/シベリウス】海の嵐と凪(なぎ)のうた

      リグリア海岸、チンクエ・テールの海蝕崖       ラ・スペツィア付近 巨きくうねりながら海が謳(うた)う、 なま温かい西風の咆哮と笑い、 追いかける嵐の雲は黒くまた重く; 人はそれを見ない、いまは夜。 しかし私にはわかる:死んだように怯(おび)えて、 星のひかりも慰めもなく、こうして なま温かい夜と嵐の唄のなかを わたしの生もまた転がってゆくのだと。 それでもなお、どんな夜もこれほど重くはなく どんな船旅もこんなに暗く閉ざされてはいない 近づいた朝の光のやさしい予感さえ 生まれてはこないこの海のゆくてほどには。 ヘッセの詩は、イタリア旅行中のものから2篇。どちらも、イタリア半島の西側、リグリア海岸。ここは、地中海の“外海”に面していますから、昔から嵐が多いことで有名です。 ‥‥というわけで、きょうは“海の嵐”の音楽を探してみましたら,.... これが、けっこうたくさんあるんですね。ヴィヴァルディの協奏曲「海の嵐」は、すでに聴いていただきましたが、それは序ノ口。大御所のベートーヴェンから始まって、パーセル、ロック、チャイコフスキー、シベリウス、‥‥近いところでは、ボブ・ディラン、安室奈美恵、etc., etc.,... クラシックでは、シェークスピアの『テンペスト(海の嵐)』に、ちなんだ曲が多いんですね。 しかし、まず聴いていただくのは、この曲↓ え? ワグナーは低俗だ?? ニーチェも、そんなこと言ってましたっけ。なので、このさい思いっきり爆演してくれる指揮者を選びましたっ。ドカ~ン! ワグナー:歌劇『さまよえるオランダ人』から「序曲」(前半)オットー・クレンペラー/指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 おつぎは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ。きょうの曲目のなかでは、この曲がおとなしく聞こえるから、ふしぎなもんですw どうして嵐なのかというと、曲想を訊ねた弟子に、「シェークスピアのテンペストを読め!」と、ベートーヴェンが言ったんだそうな。 ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ 17番“テンペスト”」から第3楽章エウゲニー・キッシン/ピアノ 古い音楽も、負けてはいない。れいの「イル・ジャルディーノ・アルモニコ」のアルバムから。『テンペスト』をオペラにしたバロック時代の作品。マシュー・ロック(1621 or 22 -- 1677)は、イギリス最初のオペラ作曲家だそうです。 マシュー・ロック:セミ・オペラ『テンペスト』から「ガヴォット」ジョヴァンニ・アントニーニ/指揮イル・ジャルディーノ・アルモニコ シベリウスの『テンペスト』は、シェークスピアの劇のための機会音楽。「序曲」を聴いていただきましょう。このへんまで来ると、音による嵐の描写も、なかなか高度ですね。 ちょっと古いですが、聴いていて飽きない演奏を選んでみました。 シベリウス『テンペスト』「序曲」ヴァーツラフ・スメターチェク/指揮プラハ交響楽団 シベリウスの『テンペスト』から、もう1曲。嵐の描写もいいけど、こっちのほうが、やっぱりシベリウスらしい。「ミランダ」は、主人公らの難破船が漂着した島に、父と住む魔法使いの娘。船を襲った嵐は、じつは、ミランダの父が魔法で起こしたもの。しかし、難船者の王子フェルディナンドは、ミランダに一目惚れしてしまう。。。 シベリウス:『テンペスト』第2組曲 から「ミランダ」 さて、おしまいは、嵐の去ったあとの静けさ‥‥というか、静まった海の様子を。 ゲーテの詩に曲を付けたものらしいです。ベートーヴェンとメンデルスゾーン。両方とも、エンディングのサワリだけ。。。 ベートーヴェン:コラール・ファンタジー「海の静けさと幸せな航海」からクラウディオ・アバド/指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団メンデルスゾーン「海の静けさと幸せな航海」からクリスティアン・ティーレマン/指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団      リヴォルノの波止場 何年かまえに一枚の絵を見てから ある甘い憧れがわたしを去ってゆかない。 それは夢のなかで遠く、また近くあらわれる 若者のさすらいのうたの 夢のなかでしか想い出せぬメロディーのように。 日は落ちて、疲れきったひかりを投げる はるかな島の稜線は夕べの匂いとそらに 消えた。海の重い潮(うしお)が あやしい拍子をひびかせ わたしの乗った暗い漁師舟の縁を(ふち)をたたく。 黄色い三角の帆が重たい炎のように 突堤から揚がると、黄金の海の面(も)は不意に美しくなり 満足しきったかがやきを滑らせてゆく さいごの紅い光芒をとらえ 菫(すみれ)色のたそがれの国へとみちびく。  よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau

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  • 13Apr
    • 詩文集(79)――【アルヴォ・ペルト】 もうひとつの世界

           もうひとつの世界 わたしの胸でさびしそうに 燃えあがる詩人の巨きな愁い 唄に疲れはてるのはもうじきだ それほど世界は暗く見えている。 心の眼は、もうひとつの世界を知っている そこでは紅い花々があらしの中に立ち 緑の夏はあかあかとかがやいている。 幸せそうな人びとに、わたしはそこで会った こちらの陰鬱な世界では惨めに 惨めに生きていたひとたちが、神々のように 解き放たれ、誇らしく歩いていた、 巻き毛に花の冠を着けて。 そしてかれらとともに笑いながら 解き放たれ、誇らしく、紅い花の間を歩くわたしを見た。 いつか、わたしが枯れるように死んで せまい棺(ひつぎ)に入って運ばれるとき 人びとが話すのをわたしは聞く: 奴にはこれが幸いだ、自分の家に帰って行ったんだから。 かれらは知らないが、言っていることはほんとうだ。 そこでわたしの愛の欲望は、 このかわいい生命(いのち)を永遠の腕のなかに 抱きしめて、わたしは新しい歌を 口ずさみ、嵐と闘いつづけよう、 髪にはぎらぎら耀く勝利の栄冠の数々、 騒がしい響きと光につつまれて。 わたしの胸でさびしそうに 燃えつづける詩人の巨きな愁い こんなに世界は暗いのに、この唄ごころ どこへもって行ったらよいのやら。 まいにち自分を偽りつづけ 信じられる愛も満足もなく、 いつか死んで真白な頬で 棺(ひつぎ)に入って運ばれるときまでは。 そのとき人びとは話すだろう: 奴にはこれが幸いだ、自分の家に帰って行ったんだから。  ↑きょうの詩は、こういう内容ですから、アルヴォ・ペルトを思いっきり聴いてみたいと思います。と言っても、ほんのサワリだけですが‥「アルヴォ・ペルトは、存命のクラシック作曲家のなかでは、現代世界で最も多く演奏されている人である。 ペルトは、1935年エストニアに生まれた。当時、エストニアはロシア帝国の支配から独立したばかりであったが、まもなくヒトラーとスターリンの間で結ばれた『独ソ不可侵条約』のもとで、1940年にはソ連に占領された。第2次大戦中~戦後にわたるソ連の支配下では、非合法のテープとスコアによる他には、西側の音楽を知る機会がなかった。 ペルトは、初期においては、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、シェーンベルクら東欧の作曲家の影響下にあったが、彼の作品はソヴィエト政府の憤怒を買ったばかりでなく、自分の独創性の発展としても行き詰まりを感じていた。そこで彼は、『西洋音楽の根源』への回帰に活路を求めて、古楽に没頭した。単旋律聖歌やグレゴリオ聖歌、ルネサンス期のポリフォニーを研究すると同時に、正教会へ入信し、教義の研究と信仰を深めた。 こうして、宗教と宗教音楽への傾倒からペルトが見出した新たな方向は、『ティンティナブリ(鈴音)の様式』と彼が呼ぶものであった。主要3和音(ex.C-F-G)による簡素な和音構成、単純なリズムと、一定のテンポを特徴とする素朴なスタイルである。そして、歌詞は、もっぱらラテン語と教会スラヴ語である。『タブラ・ラサ』『アルボス』『フラトレス』(ともに 1977年)などが、この時期の代表作。 1979年には家族とともにウィーンへ移住し、自由な環境のもとで活動をつづけた。(Wikipedia 日・英版,一部改)」 アルヴォ・ペルト『タブラ・ラサ』より「ルドゥス」‐コン・モトネーメ・イェルヴィ/指揮イェテボリ交響楽団アルヴォ・ペルト『ダ・パケム・ドミネ(主よ、平和を与え給え)』ポール・ヒリアー/指揮エストニアン・フィルハーモニー室内合唱団 ↑曲について、「Wikipedia(eng)」の説明を引用しておきましょう:「ジョルディ・サヴァルの依頼により、2004年6月1日開催のバルセロナ・ピース・コンサートのために作曲された。ペルトは、マドリード列車爆破テロ事件(同年3月11日)の2日後、事件犠牲者の冥福を祈って作曲を開始したのだった。〔…〕スペインでは、犠牲者追悼のために毎年演奏されている。 歌詞は、旧約聖書:『列王記Ⅱ,20:19』『歴代誌Ⅱ,20:12,15』『詩篇72:6-7』から編纂された 6-7世紀の讃美歌である。」 アルヴォ・ペルト『デ・プロフンディス(深い淵から)』クリストファー・バウアーズ=プロードベント/オルガンポール・ヒリアー/指揮エストニアン・フィルハーモニー室内合唱団      【深い淵から(詩篇130番)】 130,1 主よ。深い淵から、私はあなたを呼び求めます。 130,2 主よ。私の声を聞いてください。私の願いの声に耳を傾けてください。 130,3 主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、主よ、だれが御前に立ちえましょう。 130,4 しかし、あなたが赦してくださるからこそあなたは人に恐れられます。 130,5 私は主を待ち望みます。私のたましいは、待ち望みます。私は主のみことばを待ちます。 130,6 私のたましいは、夜回りが夜明けを待つのにまさり、まことに、夜回りが夜明けを待つのにまさって、主を待ちます。 130,7 イスラエルよ。主を待て。主には恵みがあり、豊かな贖いがある。 130,8 主は、すべての不義からイスラエルを贖い出される。   ⇒:【わかりやすい訳】  ↓同じ【詩篇130】を、もとの讃美歌で聴いてみます。英国ケンブリッジのキングス・カレッジ合唱隊。 詩篇130『デ・プロフンディス(深い淵から)』英国聖公会・聖歌ケンブリッジ・キングス・カレッジ合唱団 ↓つぎも、オルガン伴奏による同様の合唱曲ですが、2001年に作曲した最近の作品。 アルヴォ・ペルトの作品は、現代のさまざまな演奏者、指揮者によって演奏されているので、解釈の幅も大きいのですが、やはりこのポール・ヒリアーによる解釈は、もっとも評価が高く、また、ペルト本人の関与も深く、“正統派”と言ってよいようです。 動画は静止画像ですが、聴いていると、うすい花びらがゆっくりと開いてゆくような‥‥動かないはずの画像が動くように感じてしまいます。 アルヴォ・ペルト『リトルモア・トラクタス』クリストファー・バウアーズ=プロードベント/オルガンポール・ヒリアー/指揮エストニアン・フィルハーモニー室内合唱団      冥神夜行 死神が夜の町を行く ひとつだけまだあかい屋根裏の窓 中では一枚の詩稿をまえに 病気の詩人が身を注(そそ) ぐ。 死神しずかに窓を推(お) し 暗い吊り灯(び) を吹き消しぬ。 息吹き、一瞥、ほほえみの気配、 暗黒に沈む町と家。 よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau

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  • 11Apr
    • ★ うつわになりたい

      Pierre Joubert   ★ うつわになりたい うつわになりたいと思う 四月の青いうつわになりたい 春の最初のひかりを享ける 花びらのうつわになりたい 真夏の輝線がそそぎこんでいる 硬い葉むらのうつわになりたい せわしなくこぼれる融銀のアマルガム 北国の重いそらの下で妖精の魂たちを ふくみこんでいる忘られた 枯木のうつわになりたい。 音になりたいと思う 海と陸地とそらの呻(うめ)きを木霊(こだま)のように返す 禁制の森の奥からひびく盗伐者の遠い斧 夜明けのしじまを破るその声を countertenor の あかるい唄にして返す 躊躇(ためら)いのどんな僅かな顫(ふる)えをも見のがさない 音のことばになりたい。 ぼくのうつわから音はこぼれる 太陽のざわめき、風の悲しみ、雲の熱と怒り どんなに確かに受けとめようとしても ぼくのうつわは笊の目のように荒い 蜘蛛の網のように疎い 赤い舌の郭公(かっこう)が通りぬけてゆく 音はこぼれる ぼくのうつわは声を紡ぎださない。 四月の雲の下で鳴りつづける厳(おごそ)かなオルゴール たむしばの白い花は散ることがない 誰もがひとつのほうへ向かってゆく暗い流れとうたかたに 何度もぶつかりそうになりながら摺りきれながら それでも天道(てんとう)はだれにでも射すと 信じきっている山男のように 赤い舌を出す郭公のように 大きなバックパックをしょってぼくの前を通りすぎる 赤茶けた髪のわかもの だれもがほほえむ William Morris の市場(いちば)へ行くといったふうに いま隣りの青い森に入ってゆく。  ※ 今週の《詩文集》は、週末になります。いましばらくお待ちを。 よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau

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  • 04Apr
    • 詩文集(78)――【ドヴォルザーク】そらを翔けるヴァイオリン

         空中庭園のヴァイオリン 遠くの暗い谷という谷から 蟋蟀(こおろぎ)のやさしい声がやって来る わたしの心は押し黙って聴き入り 夜が明けるまで呵責(かしゃく)に震えている。 月に照らされた長い夜の時間 わたしの慕情はずっと目覚めている その秘められた傷が痛み 宵闇のなかへ血を流す。 階段状の露壇(テラス)に響く ヴァイオリンのしなやかな嘆き すると、深い疲労がわたしを襲い 苦しみから解きはなつのだ。 階下(した)で奏でている見知らぬヴァイオリン弾き、 こんなにもしなやかな、暗い嘆きの唄を おまえはどこで見つけてきたのだ わたしの慕情を言い尽くしているそれを?  「ガルテン(庭)」―――こんな初級中の初級単語で字引をめくることはめったにないんですが、今回は引いてしまいました。↑タイトルの意味が、どうしてもわからなかったからです。 原題は、“Eine Geige in den Gärten”(庭[複数]の中の1台のヴァイオリン)―――庭がたくさんあって、その「なか?!」にヴァイオリンが1台だけあるって、どういうこと? 「庭」が複数になると、何か特別な意味になるのかしら‥ 辞書を数種引いて、ようやくそれらしい例文がありました。「吊り下げられた庭[複数] die hängenden Gärten」とは、古代メソポタミアのバビロンにあった「空中庭園」のことなのだそうです。英語で言うと:hanging gardens.↑上の絵のように、階段式の宮殿の各段が庭園になっています。ヘッセがイメージしているのは、どうやら、これのことらしい。 なるほど、ヴァイオリンの音色は、バベルの塔のように、天空をめざして高く高く昇ってゆくかのよう‥‥ 聴いていると「深い疲労」に襲われるのも、むべなるかなです。 シベリウス『ヴァイオリン協奏曲 二短調』作品47から第1楽章 アレグロ・モデラートペッカ・クーシスト/ヴァイオリンレイフ・セーゲルスタム/指揮ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団 ペッカ・クーシストは、フィンランドのヴァイオリニスト。1995年、19歳の時に、シベリウス国際ヴァイオリン・コンクールで、フィンランド人として初めての優勝を遂げた早熟の天才ですが、彼自身はクラシックに閉じこもる気は、さらさらないようで、現在は、プレイ・バッハ系のエレクトロニクス・バンドや、フィンランドのフォーク・ミュジッシャンとの共演を中心に活動しているようです。いやいや‥それどころか、タワレコに出てたのは、フィンランド・タンゴ(ってのがあるのか…!!)のCDでしたよ... もちろん、クラシックの演奏活動も続けています。 彼のクーシスト家は、音楽家の家系で、ペッカの祖父は作曲家でオルガニスト、父はジャズ・ミュージシャン、母は音楽教師、そして兄もヴァイオリニスト兼バンド・マン、‥‥というわけで、ジャンルにとらわれない音楽の血を受け継いでいるんですね。 フィンランド人も、アジア系遊牧民につながる東洋人種ですが、東洋風のクラシック音楽を、もうすこし聴いてみましょう↓ ドヴォルザーク「弦楽四重奏曲12番 ヘ長調“アメリカ”」から第2楽章 レントアルベン・ベルク四重奏団ドヴォルザーク「弦楽四重奏曲12番 ヘ長調“アメリカ”」から第4楽章 フィナーレ ヴィヴァーチェ・マ・ノン・トロッポアルベン・ベルク四重奏団 チェコの作曲家アントニーン・ドヴォルザーク(1841-1904)は、ニューヨーク・ナショナル音楽院の校長として 5年間アメリカに滞在しました。音楽院側では、新興国にはまだ不足している音楽家を育ててほしいと考え、トヴォルザークのチェコでの給料の約25倍の高給をはずんで招聘したそうです。しかし、当のドヴォルザークは、ネイティヴ・アメリカン(インディアン)の音楽や黒人霊歌の研究にもっぱら打ち込んでいて、白人音楽家の養成にはあまり熱心でなかったようです。 それでも、この「アメリカン・カルテット」と「新世界交響曲」は、アメリカ時代の代表作で、ネイティヴ・アメリカンの民謡をとりいれています‥‥やっぱりふんいきは東洋音楽なんですね。東欧の感じもします。「新世界」のほうは、ここのメロディーがなになにのインディアン民謡…といった解説が出ているので、機会があればお聴きしましょう。 ちなみに、チェコ語の発音は「ドヴォジャーク」。「ルザ」ではなくて、中国語の「譲(让) rang」の「RA」と同じ発音。 シューベルト「ピアノ三重奏曲 第2番」作品100アンブロワーズ・オブラン/ヴァイオリンマエル・ヴィベール/チェロジュリアン・ハンク/ピアノ さて、きょうの締めは、バッハのダブル・ボウ↓で。えっ?バッハに、こんな曲があるのか‥‥と思うくらい、あの重厚でしかつめらしい巨匠には似合わない甘あまのメロディー。春の風景といっしょにお楽しみください。 ところで、↓指揮者の「ユージン・デュヴィエ」というのは、あやや!‥いわゆる「幽霊指揮者」。ウィキによると「幽霊指揮者(Phantom Conductor)」とは、低価格CDに表示されている架空の指揮者名のことだそうです。どうやら、海賊版CDが著作権の追及をかいくぐるために表示しているらしいのです‥ そうすると、「カメラータ・ロマーナ」というのも架空楽団か?! この楽団名でCDを検索してみると、「カメラータ・ローマン」「カメラータ・ロマーノ」「カメラータ・ルーマン」……などなど、類似のカタカナ名のCDが、出てくるわ出てくるわ... 「カメラータ・ロマーノ」って、形容詞が男性で名詞が女性、こんなイタリア語、ありえない!! どおりで、音はしかっりしているし、演奏も申し分ない。たぶん、どこかのレッキとした室内楽団の演奏なのでせう。。。 バッハ「ダブル・ヴァイオリン・コンチェルト ニ短調」BWV1043 から第2楽章 ラルゴ・マ・ノン・タントユージン・デュヴィエ/指揮カメラータ・ロマーナ       春の夜 栗の樹のなかで風が 眠そうに羽毛をのばす とんがり屋根の高みから 夕闇と月の光が降りてくる。 なべての泉よりさむざむとざわめき出づる 縺(もつ)れた言い伝えの数々 十時の鐘がそれぞれの座に着いて 華々しくも打撃の準備を固める。 どの庭でも月に照らされた樹々が 音もなく寝静まる、 円い梢(こずえ)をざわめかす低い響きは 美しき夢の吐息。 ぼくは熱くほてったヴァイオリンを ためらいがちに腕から下ろす 青い大地を見はるかして佇(たたず)み 夢み、恋焦がれ、そして沈黙する。  よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau

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  • 02Apr
    • 中西進さんの《令和》に拍手

       新年号の《令和》は、『万葉集』の独特な解釈で知られる国文学者の中西進さんが考案したというウワサが広まっている‥‥‥‥時事ドットコムで報道されてました。 以前に読んだ中西さんの本↓に、枕詞(まくらことば)、序詞(じょことば)のことが書いてあったのが印象に残っています。まくら言葉とか、ふつうは意味のない飾りとして、形式的にしか読まれていませんが、‥じつは万葉和歌の意味の中核にある。それらを無視したら、詠み人の考えているイメージが伝わって来ないくらい重要なものだ(←言い方はギトン流に変えてますが)、と書いてあって、常識をゆさぶられた!! 眼からウロコが落ちる思いでした。 ⇒:中西進『万葉の世界 (中公新書) 』 たとえば(↓中西さんの本ではなくて、あくまでも一例): 玉匣(たまくしげ) みむろの山の さな葛(かづら)   さ寝ずはつひに 有りかつましじ (万葉集2-94 藤原鎌足)  「たまくしげ」は、櫛を入れる飾り箱で、「三室(みむろ)山」にかかる枕詞。「三室山」は三輪山の別名。「さなかづら」「さねかづら」は、「さ寝」を導く序詞。赤い実をつける深山のつる草で、江戸時代以降は「美男かずら」とも呼ぶ(↑写真参照)。 枕詞、序詞だらけのこの歌の“本意”は、「俺と寝ないじゃいらんねえだろ」って後半にだけある……と、学校では教えられるんですが、それじゃミもフタもありませんw 身を整える櫛の入った美しい小箱。神が住むという三輪山の奥深くにある不思議な赤い実の集合、「さねかづら」の絡まりあった枝づる。それらのイメージこそ、この歌のメッセージ。それを抜いたら、ただの「一発やらうぜ」になってしまひます‥ 論理や出来事の連なりよりも、イメージで短歌を読むというこの本の示唆は、とても新鮮に思えたし、それまでの考え方がひっくり返るくらいの衝撃でした。それがきっかけになって、10年以上は絶えていた詩作を、まったく新たな気持ちで再開した―――そんなことがありました。いま詩を書いているのも、もとはと言えば、中西さんの本のおかげ。 ところで、「令和」……あんまり評判がよくないみたいですねw 韓国のある新聞によると、「平和を命令する」という意味で、安倍政権が自分に都合のいいような平和を他の国に押し付けようという魂胆が表れているんだと。そう言われるのも、政権のふだんの行ないが悪いせいなんだけどw しかし、この「令」は、「令嬢」の「令」で、「めでたい」の意味。動詞に読んでも、「~させる」という広い意味で、命令とは限らないです。無理に返り点をつけても、「和せしむ」「仲良くさせる」程度の軽い意味になるでしょう。あるいは、「令」は、英語の if にあたる接続詞ですから、「もし仲が良ければ」とも読めます。 もし仲が良ければ、こんなこと言いあわないですむのにね。。。。。 悪い年号じゃないと思うけど‥ でも、年号をつける習慣がそもそも、今じゃ日本だけ。そろそろ、政府の公式文書は西暦にして、年号は趣味の世界で‥、国内だけで楽しんでればいいんじゃないでしょうかね? よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau

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  • 28Mar
    • 詩文集(77)――【プロコフィエフ】さいごの“グラース・ペルレン・シュピーラー”

          さいごの硝子珠競手(グラース・ペルレン・シュピーラー) その競技の器具、いろとりどりの粒を握って 腰をかがめる彼のまわりに、戦争と疫病にみまわれた 国土が広がっている;廃墟に木蔦(きづた)が はびこり、木蔦に蜜蜂が群がる。 倦んだ平和が、古い鈍感な詩篇の唄が 世界をみたしている、老いきった静かな老人。 老人が彼の彩やかな粒をかぞえ こちらで青い粒、白い粒をつまみ上げ あちらで大粒の珠、小粒の球を拾い上げ それらを競技のために円く並べる。 老人はかつて数々のシンボルとともに 偉大な競手にして数々の技芸と言語の匠(マイスター)であった 世界を識る者、諸国を旅せし者、 その名声は両極にまでも聞こえ つねに多くの弟子と学友に囲まれていた。 いまや彼は余計者、老いて擦り切れ孤独になった 彼に祝福を求める信奉者は見あたらず 彼に論争を挑む学士はもはやいない; 彼らは逝ってしまった、神殿も図書館も カスタリアの学院も今はなく。老人は 廃墟の野原に、珠を握りしめて独り立つ、 その粒(ペルレン)は、かつてエジプトの絵文字のように 多くを語ったが、いまは色のついたガラス屑にすぎぬ それらは年とった手のひらから零(こぼ)れると、音もなく 砂粒に吸いこまれて消えるのだ……  カスタリアは、ギリシャのデルフォイ神殿のそばにある泉で、詩人に霊感を与える力があるとされる。ヘルマン・ヘッセの小説『ガラス玉遊戯』(1943年発表)では、知的エリートの研究・芸術制作および教育のために設けられたユートピア的な領邦が、「カスタリア国(カスターリエン)」と呼ばれる。「薔薇十字団」のような男だけの結社(オルデン)らしいんですね。「ガラス玉遊戯(グラース・ペルレン・シュピール)」とは、カスタリア国で行われる、科学と芸術を総合する競技。 ところで、↑上の詩が書かれた 1937年9月とは、世界的に、どんな時期だったのか? 2ヶ月前の 7月に、日本と中華民国の間で起きた《盧溝橋事件》は、日中全面戦争に拡大し、中国で《第1次国共合作》が成立、東アジアは風雲急を告げていました。 しかし、ヨーロッパでは、1933年ナチス党がドイツで政権を握り、翌年ヒトラーが総統に就任したあと、1939年に第2次大戦が開始されるまでのあいだは、つかのまの――ぶきみな――平和が支配している時期でした。 スペインでは、フランコ独裁政権が、自由主義者~共産主義者の人民戦線を容赦なく弾圧していましたが、日・独・伊はもとより、ヨーロッパ各国政府もフランコ政権を事実上支持し、大戦へと歩むファシズムの台頭を、なすすべもなく静観している状況だったのです。 ヘッセの上の詩も、そうした時代のふんいきを反映しているのかもしれません。 この時代の音楽といえば、なんといってもアメリカを中心とするジャズの隆盛ですが、今夜は目先を変えて、ロシアを見てみたいと思います。 ロシアの作曲家プロコフィエフは、ロシア革命後、日本を経由してアメリカに亡命し、アメリカ合州国とフランスを拠点として、作曲家、ピアニストとして活動していました。その後、1930年代にはソビエト・ロシアに帰国・定住し、映画音楽やバレーのための音楽を中心とする作曲活動を開始しています。「ロミオとジュリエット」「エウゲニ・オネーギン」「イワン雷帝」「戦争と平和」など、プロコフィエフを世界的に有名にした曲群は、みな映画とバレーの大作のために書かれたものです。 ↓こちらは、プロコフィエフが、ロシア映画『キジェー中尉』(1933年)のために作曲した映画音楽。⇒:wiki:“Lieutenant Kijé” wiki:“Lieutenant Kijé (Prokofiev)”   【あらすじ】  18世紀のツァーリ(ロシア皇帝)パーヴェル1世の宮廷で起きた珍事件。ツァーリの就寝中に、廷臣たちがふざけあっていて、奇声を発してしまった。目を覚ましたツァーリは、いま騒いだ犯人を連れて来い、さもなくば全員を終身流刑にする、と激怒の剣幕。その時、たまたまツァーリが見ていた兵役勤務名簿に、書記の書き間違えがあって、「まさに、……少尉らを、中尉に任官せしむ。」  とすべきところを「キジェ少尉および……を、中尉に任官せしむ。」 と書いてあった。原文でいうと:「プラポルシチキ(少尉[複数]) ジェ 誰々」  が、ほんのちょっとの筆の滑りで、「プラポルシチク(少尉[単数]) キジェ 誰々」  になってしまった。「ジェ」は、「まさに」という程度の意味です。これも、書き間違えがツァーリに見つかれば、一人や二人の首が飛ぶ重大事。 ツァーリに、「このキジェー中尉というのは誰かね? 聞きなれない名前なんだが…」  と尋ねられた廷臣は、とっさに、2つの“大罪”を組み合わせて両方とも免責にしてしまう手を思いついた! 「キジェー中尉」なる架空の貴族をでっちあげて、昨夜騒いで、ツァーリの安眠を妨げたのは、まさにこの男でございます、と。そして、ただちに、「キジェー中尉」は、官位剥奪・むち打ちの上、シベリア送りと相成ったのでした。 ところが、その後、夜中の奇声の犯人が発覚してしまい、そのころにはツァーリの怒りも収まっていたので、シベリア送りにはならずに済んだが、濡れ衣でシベリアに送られた「キジェー」を呼び戻して復権させよ、ということになった。ツァーリは、すまないことをしたという反省の気持ちからか、「キジェー」を大佐に昇格させ、ことあるごとに「キジェー」のことを気にかけて、廷臣にあれこれと御下問されたまう。これに応じて、廷臣も、「キジェー」の生まれから、生い立ち、恋愛に至るまで捏造し、果てはガガーリナ皇女との婚約をツァーリにご報告。喜んだツァーリは、「キジェー」を将軍に任じ、多額の持参金と領地を与えるよう命じる。 何もかも、ツァーリのご命令のままに執り行われているかのような書類が捏造され、うやうやしく積み上げられて行きます。その実、「キジェー」なんて人は最初からいないんですから、冷や汗ものですが、廷臣たちは、こんなことには馴れたもの。「キジェー将軍」に下賜された多額の持参金も、山分けして着服してしまいます。 ところが、皇女の婚約相手に一度も会ったことがないのに気づいたツァーリは、「朕はキジェー将軍に会いたい。ただちに謁見させよ。」  と‥‥。 困りきった廷臣たちは、キジェー将軍が急死いたしました、と涙ながらにご報告。盛大な葬儀を営むのでした。。。 この映画、革命前のツァーリの専制政治が、いかにひどかったかという風刺として、ソビエト国家に公認され、プロコフィエフの音楽が良いこともあって、国内外でたいへんな人気を博しました。この映画の成功は、亡命していたプロコフィエフが、故国に迎えられるきっかけにもなったのでした。 しかし、見ようによっては、現時下のスターリン独裁体制を皮肉った映画とも、とれなくはありません。ロシアの人びとが、じっさい、どちらの解釈で見ていたのかは、わからないのですwプロコフィエフ『交響組曲 キジェー中尉』から第2曲「ロマンス」アンドレアス・シュミット/バリトン小澤征爾/指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団プロコフィエフ『交響組曲 キジェー中尉』から第4曲「トロイカ」アンドレ・プレヴィン/指揮ロンドン交響楽団 ↓こちらは、エイゼンシュテイン監督/プロコフィエフ作曲からなる 1938年公開の映画『アレクサンドル・ネフスキー』(最近の再制作版)。 独ソ戦の勃発を目前にして、スターリンの肝いりで作られたこの映画は、13世紀ロシアに侵入したドイツ騎士団を、ノヴゴロド公国のアレクサンダー1世が撃退した歴史的決戦を描いています。戦いの分け目は、氷結したチュド湖の上で両軍が衝突した「氷上の決戦」。重い甲冑に身を固めたドイツ騎士団は、その重量のために氷が割れ、あえなく水中に落ちて溺れてしまったという筋書きです。日本の“蒙古襲来”に似てますね。 この映画、もちろん、ドイツ軍の侵入を予想して、愛国心を鼓舞する目的で作られたもの。スターリン自ら、映画の制作過程に介入して検閲し、くちうるさく注文を付けたとか。これには、エイゼンシュテインもプロコフィエフも、たいへんに悩まされたことが、ソ連崩壊後に公表された資料で明らかになっています。 ↓ご覧いただくのは、氷上での戦闘が開始されるまでのシーン。ドイツ騎士が溺れるところまで見たい人は、ユーチューブで、映画のフルビデオを探してくださいねw 映画『アレクサンドル・ネフスキー』から氷上の戦いセルゲイ・エイゼンシュテイン/監督セルゲイ・プロコフィエフ/作曲ユーリー・テルミカノフ/指揮サンクト・ペテルスブルク・フィルハーモニー管弦楽団 さて、今夜のヘッセの詩(いちばん上↑)は、彼の最後の長編小説『ガラス玉遊戯』の執筆中に書かれたもので、小説の内容とも関係がありそうなのですが、‥ここで、へたな解説を捏ねるのはやめておきましょう。 そういうわけで、↓これまた、ヘッセには遠く及ばない腐れた自作詩ですが、わたくしなりのレヴューとして、掲げておくことにします。     ★ さいごの硝子玉遊者(グラース・ペルレン・シュピーラー)たち インド洋に面した真夏の草原 真緑(まみどり)の天鵞絨(ビロード)の卓を裸の少年たちが囲む 瘠せた頬と眼が光る;透きとおった小さな硝子玉(グラース・ペルレン)の戯れ 少年たちの指先よりも小さな青白い珠(たま)、 さそりの紅い眼玉、ぬばたまの深菫色(すみれいろ)、 ひとりの少年が屈(かが)んで珠を撃つ 天井に光の浪がゆれビロードの上を珠が流れる そらのどこかでカタッと響く音 草原をみたす銀の細流 傾くことのない白い日が コロナの照りかえしを浴びている。 珠と珠とはぶつかり、また遠ざかり また近づいて、共振する 珠と珠がふるえあう 少年たちの精液 触れる指先のしずく 紅みをはらんだ胸(むな)先の小さな粒と舌の先 舌先のしずく、珠と珠とはぶつかり。 人びとが愛について語る真昼の浜辺 その声は遠く聞こえ、ぼくたちは関心をもたない 浪のおとは遠く、風のうなりは高く 砂けぶりは、太古の海底に棲む生きものの破砕物 ぼくたちのくちびるは迦葉仏(かしょうぶつ)の世を生きる; 汀(みぎわ)を歩む人は、水彩で描かれた幽霊のよう 横臥(よこたわ)ってもつれる裸体に、やさしい人びとは気づかない かぐわしい汗、中天の熱い泉、あなたがたはきっと ぼくたちをいつか誇りに思って迎えることだろう。 そらのどこかでカタッと音がして 硝子の粒たちが流れる 伸びきった皮の先で雫(しずく)がひかる 陽の落ちた浜辺をそぞろ歩む人びとは 見えない垣根をめぐらして愛を語る 自らの眼をもふさいで愛を語る 愛とはなにものでもないのに 誰にも妨げられぬ愛などないのに: 青い天鵞絨(ビロード)の上で戯れる 硝子珠遊者(グラース・ペルレン・シュピーラー)たち ぼくたちにとってその遊戯(シュピール)は 愛である前に確信であり 確信である前に真理なのだった 鏡のなかのきみはぼく 鏡のなかのぼくはきみ 時間のない鏡の空間(ラウム)にたたずむ少年たち 手をとりあう少年たち かれらは一人 ひとつの鏡映とふたつのこころ こちら側できみとぼくが一人であるのとおなじように――  よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau

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  • 26Mar
    • ”詩文集(1)” から一年

      みんなの回答を見る こんばんは。^)ノ 《詩文集》はじめてから、もう1年経つんですね。いつもご覧いただいてる方には、 感謝!! 感謝!! です! 最初のころは、詩も小説も書いちゃだめ!みたいなジャンルしかなくて苦労しましたが、やっと、希望のジャンルができたので、‥‥ま~これからでしょ-なw ジャンルができてみれば、上位はやっぱりBLに独占されているw 2次創作のBLひさびさに読んでみたけど、最近は過激化してるんですね~← 根気よく挿してると、身体が変化して子宮ができて受精するだろうとか‥ ぼくら、そんなトンデモなことは考えませんけどね。。。 べつにいいんです。BL作家さんは、ぼくらとは関係なく、非現実を書いて楽しんでるんですから。もう、フツウにオトコどうしでやったり、結婚したりするだけじゃBLにならないんでしょう... 手もとのインゼル文庫版ヘッセ詩集を見ると、1年やってもまだまだ半分に達してません。この調子で、3年は続けられるかも‥? で、そろそろ、ほかのゲイっぽい詩人に移ろうとか、ヘッセでも、小説のほうを物色してみようとか。。。 日本古典でも、万葉集のオトコどうしの恋歌とか、いろいろありますよw でも、よくわかりません。ほんとに同性愛なのか、それとも「(女性に)なりきり」なのか。万葉集の歌を、ぼくらは現実感覚で読むけど、その当時の感覚――奈良時代の詠み人の感覚は、そうじゃなかったんだって、‥柄谷行人が書いてました。... これは、もう少し研究してから公開したほうがいいのかも...  よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau

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  • 21Mar
    • 詩文集(76)――【ヴィヴァルディ/ほか】春の野はらを踏みしめて

         年とったさすらいびと あたたかい季節がやって来た 見ればもうあっちでもこっちでも さすらいの男娼が街かどに立つ じっとしているのは俺だけだ。 おおもしこの脚が元気だったなら―― 自分の分け前は救貧院に預けておいて 野はらと小川を踏み越えて 仲間のところへ行くのだが。 この市門の上に夜中まで 俺はすわって見張りする はだしの浮浪者が行き過ぎるとき 悲しく、やあ!と呼びかける。 あったかくなってくると、放浪の若者たちも、うきうきと浮かれ、もう町じゅうが二丁目状態?‥‥深読みが過ぎるかもしれませんねw しかし、ヘッセの頭の中では、青春の日々は男漁り(ん?)と切り離せないのでしょう。「男娼」なんて訳してる翻訳者は他にいないかもしれませんが、辞書を引くと、上の最初の連で使われているのは、娼婦ではなく男娼にしか使われない表現(そういう熟語がドイツ語にはあるんですねえ!!)。 この詩を書いた時(1902年)、ヘッセは 25歳。“立ちんぼ”だって、まだできるでしょ?(え) ‥‥ともかく、春の詩だということは、わかっていただけるでしょう。野はらと小川を踏み越えて……♪ 声を聞いて驚かないように願います↓w シューベルト「春の信仰」ベンヤミン・ペリー・ヴェンツェルベルク/カウンターテナーシン・カンミン/ギターニューヨーク,ジュリアード音楽院プレ・カレッジ カウンターテナーは、歌唱法でして、カストラート(去勢男性)とは違います。ゲイともトランスとも関係ありません。詳しくはこちらの記事を➡➡【ギトンの秘密部屋】声とはどんなものかしら?    春の信仰    ウーラント作 穏やかなそよ風が吹いて 昼も夜も さらさらと音を立ててなびく 至る所で吹いている ああ 新鮮な香り、ああ 新しい響き! さあ かわいそうな心よ、心配はいらない 今すべてが、すべてが変わるに違いない 世界は日々もっと美しくなり 人にはわからない、これからどうなるのかは 花が咲くことに終わりはなく 遥か遠くにある最も深い谷にも花が咲く さあ かわいそうな心よ、苦しみを忘れろ! 今すべてが、すべてが変わるに違いない   MUSICA CLASSICA そういうわけで、今夜は「春」の特集といたしませう。「春」といえば、まずヴィヴァルディの『四季」なんですが、これ、ちょっと有名すぎて気が退けます。とりあえず、ロック・ヴァージョンで↓ ヴィヴァルディ『ヴァイオリン協奏曲 四季』から「春」RV269 第1楽章(ロック・ヴァージョン)ヴァーナジリス つづいて、↓緩楽章は、いちおうクラシックですが、このオジさん、ロックバンドともフィルハーモニーとも競演するという両刀使い。技術は、確かです。曲想の解釈のほうは‥ ん~ でも、とにかく肩ひじ張らずに聞いてられる、聞きやすい。オススメの演奏家です。 ヴィヴァルディ『ヴァイオリン協奏曲 四季』から「春」RV269 第2楽章 ラルゴダヴィット・ガレット/ヴァイオリン ここまで来たら、第3楽章も聞いておきたいですよねw おまけに↑上のビデオは、第3楽章に入ったとたんにブチッと切れてるんですから、これじゃあんまりです。というわけで、↓ちょっと演奏者がわかりませんが、ややクセのあるヴァイオリンで、第3楽章 アレグロ: ヴィヴァルディ『四季』から「春」第3楽章 アレグロ 本格的なシンフォニーで「春」といえば、↓これなんか、どうでしょうね? ヴィヴァルディと違って、なかなか重厚な音を聞かせてくれますよ。 シューマン『交響曲 第1番 変ロ長調“春”』から第3楽章 スケルツォ モルト・ヴィヴァーチェレオナード・バーンスタイン/指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 「春」のオーケストラに、↓ストラヴィンスキーは抜かせないでしょう。といっても、この手の現代音楽風は、好きな人にはいいんだけど、頭痛がするって人は、やっぱり頭痛がするw そこで、聞きやすい演奏を見つけました。 ストラヴィンスキーは、ヘビメタの元祖‥‥なんだそうです、ドゥダメルによるとw そう言って、聴衆を笑わせています。 現代音楽は、かしこまって聴いたりしたらいけませんw リラックス!リラックス! ドゥダメルが率いるユース・オーケストラ、昔から有名な、↓この「シモン・ボリバル」以外に、新しく高校生のオーケストラも編成したそうですが、楽団員全員の“人生を変えてしまう”と言われる型破りの音楽教育をしています。はじめに集めたのは、ベネズエラの貧民街の不良少年少女たち、‥‥かれらが、立派な演奏者に成長した姿をごらんくださいな。。。 ストラヴィンスキー『春の祭典』からグスタボ・ドゥダメル/指揮シモン・ボリバル・ユース・オーケストラロンドン,ロイヤル・フェスティバル・ホール(公開リハーサル) さて、今夜のシメはどうしようかと悩んだんですが‥、このさい、思いきって現代的に締めましょう。これでっ!↓ BTS「スプリング・デイ(春の日)」メロン・ミュージック・アウォード2017ライブ 防弾少年団。「スマップに似てるな。」ぐらいにしか思ってなかったんですけどね←w ↑このライブとか、いろんなビデオ見て、人気の秘密が、わかりかけてきました(^^)ノ とにかく、鋭角的にキマってるんですよ。彼らの歌とパーフォーマンスはもちろんだけど、歌詞の内容にしても、ステージにしても、明かりの造り方にしても。ファンにおもねってないんですね。ファンに気に入られたらそれでおしまい…じゃなくて、いつも、オーディエンスの上を行こう上を行こうとしている。それでいて、ファン・サービスも欠かさない。そんな感じがしました。       三月の太陽 早すぎる白熱に酔っぱらって 黄色い蝶がよろめいて飛ぶ。 窓辺に憩うて座りこみ 眠たそうに背を曲げた老人。 春の若葉に唄いながら いつかこの人も歩き出した 数えきれない道ばたの塵埃(ほこり)が 髪の上を吹きすぎて行った。 なるほど花咲く樹の枝も 黄色い蝶らも見たところ としをとったようには見えぬ 年年歳歳変わらぬ風情(ふぜい)。 それでも色と匂いとは まえより薄く空(から)になり 光は寒く、空気は重く 呼吸はつらくなり果てた。 蜂のかぼそい羽音のように 春が小唄をくちずさむ。 天は白く真青(まさお)くゆらぎ 蝶は黄金(きん)にひるがえる。  よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau

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  • 14Mar
    • 詩文集(75)――【スメタナ/シベリウス】戸外(とのも)に風は吹きしきる

             フェーンの吹く夜 颪(おろ)す風に無花果が蛇のように縺れて 絡み合った枝をまた揺らす、 裸の峰々に浮かび上がった満月は孤高の宴(うたげ) を催しその陰翳であたりはにわかに活気づく、 辷(すべ)ってゆく光の雲の船 その間(ま)に間に漂う月の夢見るような独り言(ごと)に魔法をかけられて 湖の谷間に浮かぶ夜空のしじまの幻影と唄、 わたしの心の奥底にめざめる旋律、 追い縋(すが)るような憧れに魂は浮き立ち 自分は若いと思い、生の上げ潮に戻って行こうとする、 運命に抗(あらが)い何かが足りないと感じ、 鼻唄を唄いながら幸福の夢をもてあそぶ、 もういちど始めようとする、もういちど遥かな 若き日の熱い力を冷えこんだ今日に呼び戻そうとする、 歩きまわり追いもとめ星辰のかなたにまで あてもない欲望の暗いひびきをとどかせようとする。 しかし怖気づいたようにわたしは窓を閉め、灯(あかり)をつけ、 寝床で布団が心待ちに白く光るのを見、 戸外(そと)では月が世界をめぐり雲の詩(うた)は フェーンとなって生き生きと銀の庭の上を吹く、 わたしは漸くわたしの見なれた物たちのあいだに自分をとりもどし、 眠り込むまで若き日の歌が耳もとで鳴っているのを听(き)く。  「フェーン」は、スイス・アルプスの雪どけの風。初耳の向きは前々回をご覧あれ。こんどの詩では、ただフェーンに吹かれて飛んでいきたいというだけでなく、飛ばされて向かう先が、見えてきた。ともかくこの春を告げる大嵐が吹きはじめると、中欧の人びとは、まるで足もとから揺さぶられるように、居ても立ってもいられなくなるようです。 鎖された冬の氷壁を打ち破る大嵐、その風の向こうからやってくるメルヘンのような遠い日々――今夜はそんな音楽を訪ねてみたいと思います。 まずは、これ↓ ちょっと違うかな? でも、これも中欧の伝説からとった曲: スメタナ『わが祖国』から第3曲「シャールカ」ラファエル・クベリーク/指揮ボストン交響楽団 その昔、ボヘミア森の奥深く、アマゾンのような女騎士だけの王国があった。男のふつうの騎士団が、そこを征服しようとしてやってきたが、女騎士たちは抵抗もせずに降伏し、男たちを酒宴に誘い込む。気をよくした男たちがしたたかに酔って眠り込んだとたんに開始された大殺戮。侵略軍は一人残らず殺されたというチェコの古い伝説です。 じっさい、この“中欧の奥地”を訪ねてみると、観光案内書には載っていない薄気味悪い名所がたくさんあります。例えば、数万体をはるかに超えると思われる白骨が無造作に積み上げられた墓所。埋葬もされていない。棺にも入っていない。石造の半地下の教会堂の中に、ただ野積みにされています。 「いったい、いつの時代のものなのか?」「戦争の犠牲者か? 飢饉か? 虐殺か?」と、現地の人に聞いても、「私たちにもわからない」と言うだけ‥ もちろん、説明書きなどありません。見たところ、何百年か昔のものと思われるのが、せめてもの救いか... シベリウス「スネフリド(雪女)」作品29パーヴォ・ヤルヴィ/指揮エラーハイン少女合唱団エストニア国立男声合唱団エストニア国立交響楽団 ↑こちらは、スウェーデンの“雪女”伝説。ラジオ放送用に作曲された音楽劇で、歌詞とセリフはスウェーデン語です。 シベリウスは、フィンランド人(スウェーデン系)だけあって、こういう疾風の描写は得意。聞いただけで寒々としてしまう。シベリウス特集は、夏の暑い盛りにでもやったほうがいいんかな?  シベリウスと言えば、フィンランド国歌にもなっている「フィンランディア」が有名ですが、同じ“愛国”歌曲でも、ぼくは↓こちらのほうが好き。 このしめやかな民謡調、フィンランドの正教会の古い聖歌の影響を受けているそうです。どこか東洋風に感じられるのは、私たちにもウラル系遊牧民の血が流れているのか? シベリウスは、ヘルシンキの大学の教壇に立った講義でも、民謡こそ民族の魂であり音楽の精髄、民謡に学べ……と力説し、彼の作曲した曲はみなフィンランドの“民族音楽”として国内外で評価されているのですが、―――その実、フィンランド民謡をいくら探しても同じメロディーが見当たらない。。。 どうも、民謡のメロディーを持ってくるのでなく、全部自分で創っているらしいのです。 それでも、西洋の音楽ともロシアとも違う、独自の民謡調がそこにあるのは、まちがえがない... シベリウス「カンタータ わが祖国(オマ マー)」パーヴォ・ヤルヴィ/指揮エラーハイン少女合唱団エストニア国立男声合唱団エストニア国立交響楽団 ↑こちらの歌詞はフィンランド語。「雪女」のスウェーデン語との響きの違いに気づいた方は耳がいい。単調にカタカタ唱えているような、機械的な感じがしたかもしれません。ひとつおきの音節にアクセントがあるのが、フィンランド語の特徴なんです。 “疾風”系のシベリウスを、もう1曲↓。シベリウスは、こういうのばっかりじゃないんですが、今回は“疾風”にこだわっておきますw シベリウス「交響曲 第2番 ニ長調」から第1楽章 アレグレットゲンナジー・ロジェストヴェンスキー/指揮モスクワ放送交響楽団      枯 葉 すべて花のさかりは実を結ぼうとする すべての朝は夕べをむかえる この世に永遠(とわ)なものはない 流転だけが、逃走だけがくりかえす。 もっとも麗しき夏もまた いつかは秋と枯死を知る。 葉よ、静かに忍んでとどまれ 風がおまえを拐(さら)おうとするときも。 戯れのまま、身を護ることなく 事の起こるがままにせよ、 折り取る風のなすがまま おまえの家へと吹かれゆけ。  よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau

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  • 07Mar
    • 詩文集(74)――【ヴィヴァルディ】きみ知るや南の邦、シトロンの花咲き匂う?

      パドヴァ 運河と旧市街       パドヴァ まるでドイツの町のようだ、ぎっしりと建てこんだ 破風(ギーベル)の路地が黄昏(たそがれ)に和んでいる。 できたらここで数時間、数日、いや何週間でも 夢をむさぼり当てもなくぶらついてみたいものだ。 ここでのんびりと麗しい胸に抱かれ 軽々しい愛を無駄に楽しんでいたい。 わたしはここにずっといたい――もしもあの 東のかなたに、たぐいなく明るいそらが開けていなかったとしたら。 あそこで魅惑にみちて輝かしく、待ち設けているのは わたしの目的地――ヴェネツィア!そこまではあっという間だ。  パドヴァは、ヴェネチアに近いイタリア北部・ロンバルディア平野の町ですが、古代ローマ→東ローマ帝国→ランゴバルド族→フランク王国→神聖ローマ帝国→ヴェネツィア→オーストリア帝国→イタリア王国……と、史上のあらゆる国家、民族の侵略と支配を受けた数奇な歴史を持っています。 中世初期にランゴバルド族の侵入と抵抗の中で無残に破壊されたパドヴァは、ドイツの神聖ローマ皇帝の支配のもとで復興されました。中世には、町の各教会の司祭は、ドイツ人で占められていました。ローマ法王とドイツ皇帝が、諸都市の教会支配権を争った“聖職叙任権闘争”で、地理的にドイツに近いパドヴァは、常に皇帝派に属したのです。ヘッセに強い印象を与えたドイツ風の町並みは、この時代の歴史によるものなのでしょう。  【参考画像】⇒:ギーベル(破風) ルネサンス期にはヴェネツィア共和国の一部でした。この時代のパドヴァに、ピサから移住したガリレオ・ガリレイは、力学と天文学の数多くの発見を成し遂げています。ローマを中心とする保守的な神学、哲学の影響が及ばないこの地は、ガリレイに自由な研究をする機会を与えたのでした。 19世紀初めのナポレオン戦争以後は、オーストリア帝国の支配勢力に対するヴェネツィア、パドヴァの抵抗が激しくなり、イタリア統一運動のもとで 1866年、パドヴァとヴェネツィアはイタリア王国に併合され、こうしてようやく、イタリアの一部として繁栄の道を歩むことになりました。 パドヴァ出身の現代の著名人としては、アントニオ・ネグリがいます。過激な政治テロに関わった廉で有罪判決を受けながら、国会議員に当選して釈放され、フランスに亡命して執筆活動を続けたうえ、自ら帰国して残りの刑期を終えた政治思想家ネグリは、現代のガリレイと言ってもよいでしょう。 そういうわけで、きょうの鳴り物は、ヴィヴァルディ特集になります。 アントニオ・ヴィヴァルディは、1678年ヴァイオリニスト兼理髪師(同時に外科医でもあったはず)を父としてヴェネツィアに生まれ、25歳で司祭に叙階されました。髪が赤かったので「赤毛の司祭」と呼ばれました。 叙階後は、ヴェネツィアのピエタ慈善院付属音楽院でヴァイオリンを教える傍ら、同慈善院に作曲を提供し、そのリハーサルを行なう作曲家兼指揮者として勤めました。ピエタ慈善院は、捨て子を養育する目的で設立された宗教施設で、ヴィヴァルディは、才能ある女子に対する音楽教育を担当していたのです。 最初に聴いていただくのは《海の嵐》。よく知られた曲集『調和の霊感』の一曲ですが、じつはこの曲、ギトンのお気に入りですw ヴィヴァルディ「協奏曲 ヘ長調《海の嵐》」RV98.アレグロ - ラルゴ - プレストジョヴァンニ・アントニーニ/指揮,リコーダーイル・ジャルディーノ・アルモニコ 日本でのバロック音楽普及の功労者・皆川達夫さんは、「ヴィヴァルディの音楽の品のなさが耐えられない」と仰っているそうです。その言葉は、たしかに理解できます。中世・ルネサンスの宗教音楽や、独仏のバロック音楽に造詣の深い耳には、ヴィヴァルディは、「品のない」音楽に聞こえてもおかしくはありません。ヴィヴァルディの協奏曲は、慈善院との雇用関係に基いて、期限を切られて作曲したものが大部分なので、どの曲も同じパターンの繰り返しになってしまうのは、やむをえないでしょう。ヴィヴァルディの自筆譜は、どれもみな崩れた速筆で書かれており、この作曲家がいつも時間と競争しながら作曲していたさまがうかがわれます。 しかし、金太郎飴も好きずき。これだけ繰り返しの多いメロディーで、これほど聴く者を飽きさせない作曲家も、珍しいのではないでしょうか? 「品のない」音楽だということは、逆に言えば、イル・ジャルディーノ・アルモニコのような「品のない」演奏こそ、ヴィヴァルディの真髄を引き出すことができるのではないか? ギトンは、そうも思うのです。 ヴィヴァルディ「リュート協奏曲 ニ長調」RV93ルカ・ピアンカ/リュートジョヴァンニ・アントニーニ/指揮イル・ジャルディーノ・アルモニコ ↓こちらのメロディーは、聞き覚えがあるのではないでしょうか? 緩楽章だけが非常に有名になっています。 ……はい、そのとおり。ほとんど「冬」です。ヴィヴァルディ「協奏曲 ニ長調」RV94 から第2楽章 ラルゴアカデミア・ヴィヴァルディアーナ・ディ・ヴェネツィア フラウティーノは、いちばん高音のリコーダーのことで、ソプラニーノ・リコーダーともいいます。横笛のピッコロに相当する小さなリコーダーです。↓動画で、ジョヴァンニ・アントニーニの妙技をご覧ください。 ヴィヴァルディ「フラウティーノ協奏曲 ハ長調」RV443 から第1楽章 アレグロジョヴァンニ・アントニーニ/指揮,フラウティーノイル・ジャルディーノ・アルモニコ 後半生のヴィヴァルディは、草創期にあったオペラの確立に尽力しました。しかし、オペラは慈善院とは違ってカネがかかる。ヴィヴァルディの最後は、オペラに財産をつぎ込んで破産し、夜逃げ同然にオーストリアのウィーンに逃れて同地で没したと言われています。 しかし、↑この有名なエピソードは、事実とは若干異なるようです(⇒:wiki:ヴィヴァルディ)。ヴィヴァルディには、神聖ローマ皇帝カール6世という強大なパトロンがいました。ヴィヴァルディは、亡くなる前年の 1740年に、かねてから念願していた神聖ローマ帝国都でのオペラ興行のためにウィーンに赴くのですが、カール6世が急死したために、オーストリアは1年間の服喪に入ってしまい、オペラ興行は禁止されます。そのために、ウィーンに到着したヴィヴァルディは、多額の負債を負うことになったと思われます。失意のヴィヴァルディは病に倒れ、ウィーンの宿舎で息を引き取ったのです。 ヴィヴァルディ「グローリア ニ長調」RV589 から第1曲 グローリア エクセルシス デオジョン・エリオット・ガーディナー/指揮モンテヴェルディ合唱団イングリッシュ・バロック・ソロイスツ      アルプスの峠 多くの谷を越えて私はここに来た どこか行きたい場所のある旅ではないが。 眺めれば、視界のはるかはしにあるのは 私の青年時代の邦、イタリア しかし、もっと冷たい邦、私が家を建てた 北の土地がはるか後ろから私を見つめる。 南にむかって静かに、私の若き日の園(その)を見つめていると えたいの知れない痛みが私をおそう 私は帽子を振って北の土地に別れの挨拶をする そこには私のあてもない旅がやすらいでいるのだ。 わたしの魂をつらぬいて起こる燃えるような思い: ああ、私の故郷は、あそこじゃない、ここでもない!   よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau

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  • 28Feb
    • 詩文集(73)――【チャイコフスキー】疾風怒濤!雪どけのアルプス颪(おろし)

      “フェーンの壁” オーストリア南部,カラヴァンケン山        目覚めた夜 真青な颪(フェーン)の夜が外から覗きこんでいる 月は森に墜落せんばかり わたしを覚醒(めざめ)させ外を眺めさせているこの にぶい痛みは何なのだろう? わたしは眠りに落ち夢を見ていた; 真夜中にわたしを呼ばわり重苦しくさせる この叫びは何なのか、まるでなにか大切なことを しそこなっているとでも言うように? できるならわたしは家のそとに 走り出し、庭も、村も、この土地も捨て去って この叫び、魔法の言葉のくるほうへ 世界の外へと逃れてゆきたい。  “フェーン現象”って、雪雲や雨雲をふくんだ風が高い山脈を越える時に、乾いた暖かい空気になって、山脈の風下側では雲ひとつない晴天になる現象。言葉の起こりは、スイスアルプスを越えて吹く南風‥イタリア方面からの風なんだそうです。 ちょうど、↑上の詩におあつらえ向きの「夜のフェーン・ストーム」という実況録画がユーチューブにあったので、まずそれを見ていただきましょう: 夜のフェーン嵐 2010年2月28日①スイス,アルトドルフ近郊②スイス,ブルンネン すごい風ですね。風が強くて、立ってられません。日本の感覚で言うと、大型台風並み? 後半では、自動車がワイパーを動かしてますけど、雨じゃないんですよw 湖の水が風にあおられてシャワーになって降って来るんです!!‥‥まさに疾風怒濤! これは、30年に一度の強さのフェーンだそうです。しかし、例年でも、フェーンの強風は台風並みです。 アルプスから下ろしてくるフェーンは、冬から春にかけて、乾いた暖かい風で、雪どけをもたらす。“春一番”みたいなものかな?‥と思いたいですが、そんな生易しいもんじゃなさそうです。カラッと晴れあがった春の大嵐ってとこでしょうか? チューリヒ湖のフェーン 2017年3月4日スイス,チューリヒ近郊,チューリヒホルン ↑平年の風の強さは、こんなもの。しかし、雪が全然ありませんね。標高は、かなりあるでしょう‥‥チューリヒ市で、約400mです。3月初めと言えば、日本では関東の山沿いでもまだ雪が残っている季節。スイスは、フェーンのせいで、あったかいんですねえ‥‥ 「アルプスの北側では、フェーンの低い湿度のために、ひじょうに視界が良くなる。冬と年初には、フェーンは乾いた空気と高い温度によって、雪どけをもたらす。」Wikipedia:アルペン・フェーン フェーンの時の視界の良さは、たとえば南ドイツのレーゲンスブルクでも、200km先まで見渡せるほどだそうです。 「アルプスを横切る南からの気流は、典型的にはアルプスの北側の“フェーン谷”に、温暖な気温と晴天をもたらすが、この現象は春に最も多く見られる。〔…〕 アルプスを南から横切る典型的なフェーン気流は、春に最も多く起きている。〔…〕 典型的なフェーン状況にあるとき、アルプスの南斜面では、雨雲が空を蔽っている。〔斜面に衝突した〕気塊が上昇することにより、雨雲はかなりの降水をもたらす可能性がある。アルプス南斜面にわだかまった雲の壁は、北側から見ると“フェーンの壁”と呼ばれる風景になる。〔…〕 気塊が〔山脈を越えて北側の斜面を〕降下すると、雲は砕けて無くなってしまう。この地域に見られる澄んだ空気と青い空は、“フェーンの窓”と呼ばれている。」スイス連邦気象庁公式サイト ところで、ヘルマン・ヘッセは、第1次大戦が終る 1919年までは、アルプス主稜線の北側に住んでいました。しかし、それ以後は、1961年に亡くなるまでずっと、スイス最南端、イタリア国境に近いテッシンにいました。主稜線の南側です。きょう出した2つの詩は、どちらもテッシンに住んでいた時のものです。 たしかに、春先に南風が吹くときには、アルプス主稜線の北側に、フェーンの温かい強風が吹きおろす。↑上の動画はみな、北側で撮ったものです。しかし、春でも北風が吹く日は、アルプスの南側にフェーンが吹きおろすことになります。北風のフェーンも、やはり乾いた強い風で、雲ひとつない晴天になりますが、南風フェーンよりは寒いようですね。日本の関東地方に吹く“からっ風”に近いのかもしれません。 「〔通常のフェーンと〕逆の気圧配置の場合には、アルプスの南側に“北風フェーン”が起きる。〔…〕“北風フェーン”は、アルプスの北側には曇りと降雨をもたらす。南側には、“フェーンの窓”を現出させ、場合によっては気温を上昇させる。しかし、北側でのフェーン現象とは異なって、“北風フェーン”は、しばしば比較的寒い強風となる。」Wikipedia:アルペン・フェーン ↓こちらは“北風フェーン”の実況。イタリア~スイス国境沿いのイタリア側、前アルプス山地の上での録画です。 カンポ・デイ・フィオーリ山のフェーン 12月?イタリア,モンテ・カンポ・デイ・フィオーリ州立公園 さて、今夜の音楽ですが、“疾風怒濤”ということで、チャイコフスキーの4番を聴いてみましょう。ベートーヴェンの田園交響曲とか、ロッシーニのウイリアム・テル序曲とか、嵐の音楽はいろいろあるんですが、みんな雨の降る嵐ですよね? カラッと晴れた疾風のフェーンには、これがいいんじゃないかと思います。 スヴェトラノフの“爆演”はフィナーレにとっておいて、まず第1楽章は、ロンドン・シンフォニーのソツのない演奏で、きれいにまとめてもらいます:  チャイコフスキー「交響曲第4番」第1楽章 アンダンテ・ソステヌート - モデラート・コン・アニマジョージ・セル/指揮ロンドン交響楽団 れいによって、2,3楽章は飛ばしちゃいましてw、フィナーレに行きます。スヴェトラノフの“ドドーン!バシャーン!”は、この曲のこの楽章が最高じゃないかと思いますw ビデオを見ていると、もう得意満面、ノリノリにノッてますねえ‥‥ 死に物狂いで奮戦する将兵を軽々と率いる赤軍の指揮官さながら、終始スクッと直立して、余裕のある微笑さえ見せる姿は見ものです。終結部をぜひご覧あれ‥最後のガッツポーズが決まってる。 古い録画なので、雑音がある点はご容赦ください。。。 チャイコフスキー「交響曲第4番」第4楽章 フィナーレ アレグロ・コン・フオコイェフゲーニィ・スヴェトラノフ/指揮ソビエト国立交響楽団        三 月 みどりのつばさが通りすぎた斜面では もう菫(すみれ)の青が祝杯をあげている 黒い森のまわりにだけ斑(まだら)雪が ぎざぎざの舌を出して横たわる。 それでも一滴また一滴垂れたしずくは 渇いた大地に飲みほされてしまう 蒼白いそらには羊雲の むれが日に輝いて進んでゆく。 繁みに溶けこむ鶸(ひわ)のつがいの睦み合う声: 人間たちよ、きみらも歌いそして愛し合え!  よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau

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  • 25Feb
    • ★ 透明な月の出る場所で

            ★ 透明な月の出る場所で 大きな樹のなかを昇ってゆく: 管と管とのすきまに潜り 繊維と繊維のあいだをすすむ; そのコルク質の表皮は古び ぼろぼろに砕けた太い幹。 糸杉のように伸びた髪から 脚の先までぐっしょりとぬれて 樹の甘汁が降り注ぐ 湖水に落ちる月光よりも明るく――― いま はりがねのようにほそい月が現れる 音もなく昇り 透きとおり そして夜明けのほしぞらになる 下をのぞくと、水底のようにまっくらだった。透きとおってなにも見えなかった。草が生えているようだった。とおくの岸辺が星あかりに照らされていた。 くらやみには毛氈苔の小さな舌が揺れ、捕えられた蝿や半ば溶けかかった虫の屍がいっしょに揺れる。いつかはみな透明な水の闇になってしまうのだろう。見えない沼の底が、風のようにゆらいでいた。  よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau

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  • 21Feb
    • 詩文集(72)――【チャイコフスキー】忘れられた時への羽ばたき

      スロヴァキアの古城      千年前のある時に おさえようのない旅心をいだいて わたしは砕け散った夢から起き上がる まだひそやかに夢のうたが 夜の竹藪に囁きかけている しずかに横たわってはいられない 古い軌道から外れ限りない彼方へと 突進してゆく、飛んでゆく わたしをなにかが旅立たす 千年前のある時に、ひとつの 故郷(ふるさと)があり、園(その)があった 鳥たちの墓場の花壇 雪のなかでクロッカスが咲いていた わたしを限るこの縛(いまし)めをうち破り 鳥のつばさを広げたい そら高く、わたしの眼にはいまも耀く あの金色(こんじき)の時たちへ  ↑1961年12月、ヘルマン・ヘッセが亡くなる半年前の作です。いまごろは、1000年前にタイムスリップして、吟遊詩人になっているかもしれませんねw しかし、1000年前には、どんな音楽があったのでしょう? 東洋と西洋、各1曲ずつ聴いてみたいと思います。さいわい、日本もドイツも、古い音楽の研究復元は、まわりの国々よりも進んでいるようです。 まず、日本ですが、1961年の1000年前と言えば、10世紀。平安時代には「催馬楽(さいばら)」という、民謡などを雅楽にした歌がさかんだったそうです。それらは、平安末期~鎌倉時代には楽譜に記録されて伝えられました。その古楽譜を研究して「催馬楽」の雅楽を復興したのは、江戸時代。もっとも、雅楽や、その流れをくむ「催馬楽神楽」などは、かなり近世音楽の影響を受けてしまっているでしょうね。 ↓この音源は、1177年の『仁智要録』に基く『玉堂琴譜』(1791年 浦上玉堂)によって演奏しています。玉堂は、中国伝来の七絃琴を手に入れて、水墨画の制作と古琴の演奏――風流三昧の生活を送ったそうです。なので、この演奏も中国の七絃琴によるものです。画面に『玉堂琴譜』の楽譜が出てきます。へ~、漢字みたいな記号で書かれた楽譜なんですねえ‥‥ 「催馬楽《梅枝(うめがえ)》」秋月/中国古琴新潟県十日町市にてライヴ おつぎは西洋。『カルミナ・ブラーナ』は、南ドイツの修道院で発見された 11-13世紀の歌曲集。遍歴学生や吟遊楽人が作って歌っていた歌詞をまとめたものだそうです。一部の歌詞には楽譜も付いています。崩れた感じのラテン語や、古いドイツ語で書かれた“ざれ歌”のたぐいです。 ↓この歌などは、酒の神バッコスとワインを讃美して、飲めや歌えの大合唱。転生したヘッセは、このあたりの連中に混じってるのかな? 「   Bache, bene venies (ようこそ、バッコス) ようこそ、バッコス 敬愛なるお方よ、お待ちかねだ われらの心を 喜びで満たすお方。 (合唱)ワイン、よきワイン    好きなだけ飲みほせば    人は高貴になり、清くなり    活気を取り戻す。 この刳り抜きの木の杯(さかずき)は 大酒呑みのために溢れるばかり これを賢く飲みほす者は なみなみと注がれて愉快になる。 (合唱)ワイン、よきワイン    好きなだけ飲みほせば    人は高貴になり、清くなり    活気を取り戻す。     〔………………………〕」 『カルミナ・ブラーナ』11-13世紀,南ドイツから「Bache, bene venies」フィリップ・ピケット/指揮ニュー・ロンドン・コンソート さて、以上で今夜は終りっ‥‥ではあんまりあっけないので、もう少し音楽を聴いておきます。 ヘッセの↑上の詩の情景を思い浮かべられるような音楽は、何かないか?‥‥ということで、いろいろ考えてみたんですが、↓こんなのは、いかがでしょう? 独断と偏見もいいとこですがw、ギトンには、チャイコフスキーのこのシンフォニーが、「千年前」の花園へ羽ばたいて行こうとするような、もう心の奥底からの抑えがたい衝動をですね、思わせるんですよ。。。 チャイコフスキー「交響曲第5番」第1楽章 アンダンテ - アレグロ・コン・アニマイェフゲーニィ・スヴェトラノフ/指揮ソビエト国立交響楽団 ↑指揮者の選び方も独断なんですが、スヴェトラノフのチャイコフスキーは、わりと気に入っています。ロシア民族色豊かで、しかも爆演!!w Youtube で演奏時間を比べてみると、どの曲でもスヴェトラノフがいちばん速いです。快速、しかも歯切れがよい。交響楽てより、進軍マーチwに聞こえることも、まま無きにしもあらずですが、細やかな情感のいくらかは犠牲になっても、このドドーン!バシャーン!…ノリの良さと激しさには応えられないんですねえ。。。 そういうわけで、いちばんの聴きどころは第4楽章――フィナーレなんですが、残念なことに、スヴェトラノフの指揮した第4楽章の音源は、録音があまりよくないんですね。そこで、もっと最近の指揮者‥マリインスキー・シアターのゲルギエフで聴いてみます。ゲルギエフも、速度は十分に速いです。 スヴェトラノフの爆演は、近々また聴いていただく機会があると思いますから... チャイコフスキー「交響曲第5番」第4楽章 フィナーレ, アンダンテ・マエストーソ - アレグロ・ヴィヴァーチェヴァレリ・ゲルギエフ/指揮マリインスキー劇場管弦楽団      耳を傾けて やさしい響きが、ういういしい吐息が 灰色の日をわたる 鳥の羽ばたきのようにおずおずと 春の香りのように仄かに。 生まれたての朝の時間から なつかしい想いが吹きよせる 海に降る銀のシャワー おののいて過ぎてゆく。 きょうからきのうへと明るくひらかれて 忘れ去っていた世界が近づいてくる 前世が、御伽話(メルヘン)の時が ひろびろとした園(その)が、そこにある。 千年のあいだ眠っていた わたしの太古の予感がきょう目覚めたのか それがいまわたしの声となって語り わたしの血のなかで温められているのだろうか。 もう戸外(そと)には使者が立ち すぐにも入って来るらしい きょうの日が終るより早く わたしは帰還(もど)っているだろう。  よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau

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  • 15Feb
    • 詩文集(71)――【L.モーツァルト】雪橇りとアルプ・ホルンとおもちゃの交響曲

             ふたつの谷から はるかな谷底から ひびく鐘の声 ひびいて告げるのは 埋めたての墓場。 べつの谷からは まさにその時に 吹きよせて来る 楽しげな琴(リュート)の音(ね)。 風は私に告げている: 放縦の唄と死のひびき さすらい人にとってそれらは ぴったり合ったひとつの調べ。 誰か私のほかにもうひとり 両方をいちどに聴き取る者がいるのか?  こんばんは(^^)o 先日の連休は、関東地方は珍しい大雪になるときいて、喜び勇んでお山へ出かけたんですが、まぁたいしたことはなかったです。寒さだけはハンパでなくて、おまけに帰りの電車が遅れて吹きっさらしのプラットホームで1時間待たされるし、身体の芯まで冷えこんでしまいますた。。。 いちど雪の積もった時に撮ってやろうと思ってた石仏があって、すでにアップしましたように、さみだれ雪でも、まぁ写真としては良いものが撮れました。 さて、雪の音楽と言えば、これ↓。レオポルト・モーツァルトは、御存知あのアマデウス・モーツァルトのお父さんですが、さすが天真爛漫の“音楽の寵児”はこの父から生まれたか! ‥‥と思うか、それとも、モーツァルトの親父にしちゃダセー! と思うかは聴いて人それぞれでしょうねw レオポルト・モーツァルト「音楽の橇滑り」ヘ長調アンサンブル・エドゥアルト・メルクスシャクシギ(アメリカダイシャクシギ)      ↓きょうの記事下の詩に出てきますが、シャクシギ(杓鴫)類は、極地と亜熱帯の間を行き来している渡り鳥で、日本には、春などに旅の途中で立ち寄るだけです。ヨーロッパ・アルプスでも同じなのでしょう。スイスに住んでいたヘッセは、長旅をする渡り鳥として、シャクシギには関心を寄せていたようですね。 さて、モーツァルトのお父さんには、こんどはアルプ・ホルンの曲を披露していただきます。 アルプ・ホルンは、アルプスのホルンという意味。ホルンの管が巻いてなくて、何メートルもある長~いホルンです。チョコレートのCMでご存知でしょう。ピストンも穴もありませんから、息の吹き込み方だけで音程を変えます。なので、どんな曲でも吹けるわけではない。作曲するほうも、そのへんを考えて作らないと、演奏できる曲にならないんです‥ レオポルト・モーツァルト「田園交響曲」から第3楽章 プレストファビアン・ユート/アルプホルンヨナス・エールラー/指揮チューリヒ芸術大学 レオポルト・モーツァルトといえば、「おもちゃの交響曲」の作曲者として有名‥‥有名でした、と言うべきか... 「おもちゃの交響曲」は、誰が作曲したのやら、昔からいろんな説が唱えられている曲でして、現在でも決着がついていません。かつては、ハイドンの曲だと言われて、昔の音楽の教科書にはそう書いてあったそうです。 1951年に、ミュンヘンの図書館でレオポルト・モーツァルトの楽譜が発見されてからは、ハイドンではなく、レオポルト・モーツァルトの作曲にまちがえないということで、決着がついたかに見えました。 ところが、1992年にチロル地方の修道院で、もっと古い「おもちゃの交響曲」の楽譜が発見され、それには、今では全く忘れ去られた作曲家エトムント・アンゲラーが、1770年ころに作曲したと記されていたのです。そういうわけで、日本語版ウィキペディアでは、この“アンゲラー説”を最新の見解として紹介しています。この日本語版の執筆者が参照したのは、こちら⇒:ザルツブルク・ウィキの記事らしいんです。 ギトンの記憶では、数年前には、独語版ウィキペディアでも“アンゲラー説”を詳しく紹介していたような気がします。ところが今見てみると、独語版でも英語版でも、“アンゲラー説”はうんと簡単に触れているだけなんですね。それというのも、実は1992年の古写譜発見の2年後には、早くも異説が発表されていました。ロバート・イリングというオーストリアの音楽史家によると、発見されたもの以外に、アンゲラー自筆の「おもちゃの交響曲」の楽譜があって、それを見ると、自作ではなく、他人の楽譜から写譜したものらしいと言うんです(⇒:独語版ウィキ)。つまり、アンゲラーも実は作曲者ではなくて、もっと前に別の人が作曲したのだと‥ そういうわけで、これはもう、ほんとうの作曲者は、永久に分からないんじゃないか。英語版には、そんな意見が書かれていました。なにしろ、著作権なんて無い時代のことです。他人の曲を自分の曲集に入れて発表することが、ごくふつうに行なわれていた時代なのですから‥‥ レオポルト・モーツァルトの楽譜は、7楽章で構成され、「喜遊曲」という題名がついています。そのうち第4,5,7の3つの楽章が、こんにち「おもちゃの交響曲」として知られているものです。↓下の音源では、3:51 からあとの2つの楽章が、「おもちゃの交響曲」です。 レオポルト・モーツァルト「喜遊曲 ト長調」トン・コープマン/指揮アムステルダム・バロック・オーケストラ      早 春 嵐(フェーン)が毎晩叫んでいる その湿った翼が重苦しく羽ばたく 杓鴫(シャクシギ)がよろけるように飛ぶ もう眠っているものはない いまやこの地すべてが目を覚ました 春が呼んでいるのだ。   はやるな、はやるな、わたしの心! おまえの血の中で窮屈に抑えられた 熱情がふるえ、古い道すじに みちびいてゆこうとも―― おまえの道はもう若いほうへ 向ってゆくことはないのだから。  よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau

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  • 11Feb
    • ★ 大地峠

            ★ 大地(おおち)峠※ 山の端(は)に残る日が径(みち)の隈に照りつけて 残雪はいっそう硬くなる 草と梢が冷えこんでゆくしずかな擦(かす)れ 霜をまぶされた去年の立ち枯れが 水晶の粉(こ)を吹いて光る 蜘蛛はどこに隠れているのか 径は何処へ向っているのか 烈日は世界のすみずみを凍えさせ 形のない恐れが森をつつむ 姿なき者の遠い叫び  ……二百年となにがしかのむかし、雪のなかで     ひとりの若者が倒れたと云う     悼みに沈んだ少年は手を合わせたまま石になり     石の前で豕(いのこ)がまろび     狼(おいの)は頂(いただき)で天を睨んだ…… やさしく象(かたど)った磨崖の観音 消えかけた衣のわきに寛政六年と彫られていた ※ 中央本線四方津駅の南方にある峠。山道のわきに2体の石仏が立つ。 よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau

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  • 10Feb
    • ★ 海のうた version 3

            ★ 海のうた version 3 遠き浜辺に寝転めば どこから来たのと風がふく 近き岬にたたずめば どこへ往くのと風がふく 風は吹く吹く日は遠ざかる 舟のほさきの暮れなずみ 潮は往く往くなまこのあぶく 昼のなごりにまたゆらぐ よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau

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  • 07Feb
    • 詩文集(70)――【シベリウス】紅い草原の黄いろな春

             はじめの花々 せせらぎの傍ら 紅い草原の広がるかなたへ この季節の日々 あふれるような黄の花々が その黄金(きん)の眼を見ひらいた。 無垢の楽園からはとっくに堕ちてしまったわたしだが 生の初めのあの黄金の時間の記憶が 胸の奥底に蘇って、わたしを その輝かしい花の瞳で見つめている。 この朝あざやかな花の一束を折りに出かけ 草一本折ることもなく 老いて恥じらい家へと向かうわたしであった。  早春の草原は「紅い」のです。見わたすかぎり真っ赤に枯れた草紅葉のじゅうたん。赤く枯れる草の種類は、めずらしくはないんです。 つらつら考えて見ると、赤い枯草のじゅうたんを見た場所は、みな山奥の湿原だったような。。。 そういえば、ヘッセはスイスの高地に住んでいたのでしたっけ。ヘッセの身のまわりでは、冬の草原と言えば、赤いじゅうたんなのかもしれません。 そして、黄色い花。 春の花と言えば、ピンクや白、真紅の花に目を奪われがちで、黄色い花は、どちらかというと地味な印象がありますが‥ それは、日本の春のような、緑色の背景の中でのこと。背景が“真っ赤なじゅうたん”だったら、目立つ花の色もちがってくるはず... さて、音楽も今夜は、ぬくぬくとふやかされた温帯の季節とはひとあじ違う春を。 こういう春もあるんだ、ということで、極北の情趣をぞんぶんに味わっていただきたい。。。 シベリウス「春の歌」作品16.ネーメ・イェルヴィ/指揮イェテボリ交響楽団 シベリウスなど聞いたことがない‥という方もいらっしゃるかもしれないので、↑あえてポピュラーなヴァージョンのポピュラーな演奏を選びました。ほんとうにシベリウスの好きな方には、もの足りなかったでしょうねえw 「春の歌」には、1894年版、1895年版、そして↑この1903年初演の最終版、という3つのヴァージョンがあって、前の2つのヴァージョンを聴いたら、‥もうその渋さと言ったらこたえられないです。まだ寒風の吹きすさぶ中で、白樺の芽が少しずつ伸び出してゆくのを、森の中で、樹の幹に顔を押しつけて聞いているような... そちらを聴きたい向きは、youtube で「sibelius spring song」探してみてください。Osmo Vänskäの指揮したのが、すぐ見つかるはずです。 そして、シベリウス・ファン向きには、↓シベリウス本人の指揮した音源を。 ジャン・シベリウス「アンダンテ・フェスティヴォ」ジャン・シベリウス/指揮フィンランド放送交響楽団, 1939年ライヴ やや?‥‥本人の指揮した“シベリウス”は、フィンランド国内の管弦楽団と指揮者たちの演奏に似てませんか? いやいや、彼ら以上にドメスティックで内向的。静かで綺麗‥ とすると、あの壮大なスケール、交響楽的な“シベリウス”は‥、あれは、外国の指揮者たちが抽き出していた音楽だったんだろうか?       二月の夕べ 丘から湖へと青じろく黄昏(たそが)れてゆく やわ雪の融解が、にぶい輝きを放つ; 霧のなかで形を喪い、蒼い幻のように泳ぐ 細い枝の樹冠たち、死に絶えた樹々。 しかし村では眠たそうな路地のすみずみにまで なまぬるい夜風が泰然と歩きまわっている、 生垣に立ち止まり、家々の暗い庭と若者の 夢のなかに、春を持ちこんでゆくのだ。 よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau

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  • 31Jan
    • 詩文集(69)――【ブクステフーデ/ほか】オルガン音楽:中世からヘッセの時代まで

             オルガン演奏 (承前) しかし今もなお、天井の格子梁(リブ)を貫いて漏れた音楽は 天の囁きとなって息づいている。 夢見るように口許に微笑をただよわせ しだいに柔らかな音栓(ストップ)に変えながら 年老いた楽師は音の柱廊の唐草模様に、 段をなしたフーガの小径(こみち)に踏み込んでゆく その手足が紡ぎ出す金銀の糸は細くなり いよいよ繊細に生垣を編み、 夢のようにふんわりした音の織物 大胆な装飾文様が絡み合う。 いよいよ密に、いよいよ甘く 音の列が互いを求め合い縺れるように そらの梯子を駆け上がり、天頂で 至福の飛翔をやめようとはしない 夕焼け雲のように消えてしまうまで。 教区の会衆も、門弟も親方も、信者も友人も 皆いなくなったことを、彼は気にかけない、 せわしない若者たちはもはや定律(きまり)など知らず 音型の構成と意味は聴いてもほとんど解らない、 かれらにとってオルガンのしらべは もう天上の記憶を呼び覚ますことも 神の遺痕に気づかせることもない、 もはや十人も、いや一人として、この音の穹窿に 添えて聖なる精神のアーチを打ち建て この太古の秘儀の織物に生命を吹き込みうる 会衆がいなくなったことさえ、彼には何事でもない。 まわりでは街中で、また田園で、若い生が かれらの突撃の軌道を白熱させているのに、 寺院の中で、演奏席にたったひとりで座り 主宰しつづける幽霊のような老人 (若者たちにとっては、半ば……半ばと言おう……物笑いの種だ) 彼は聖化された記憶を紡ぐ ゴシックの装飾を神の意志でみたす 音栓(ストップ)をずらし響きの音をしだいに弱め フーガは、彼の耳だけが聞き取れる秘跡 の境に歩み入ってゆく、もう彼以外の者には 仄(ほの)かな過去のささやき以外何も 聞こえない、そそり立つ薄暗い石柱に パフをつけるように戯れる破れた緞帳の襞(ひだ) の低いざわめきのほかには。 いまもなお聖堂の中で、老いた奏者(マイスター)が 弾いているのか、それとも、堂宇のなかに響く 柔(やわ)く仄かな音の絡まりは 消え残った亡霊のまぼろし、異なる時から響く余韻 の影にすぎないのか、誰にも解らない。 それでもときどき、堂の中に佇(たたず)んで耳を澄ます 人がいる:扉をそおっと開け、放心したように その遥かな銀の音楽の流れに耳を傾ける その精神の唇から、晴れがましくも真摯な 先祖の知恵の言葉を聴き取り 胸に感動を抱いて立ち去る、 旅友(つれ)に出会い:そこのお寺の 消えた蝋燭の匂いが漂う中で、心奪われる時間 を過ごしたと、ささやくように報告する。 こうして聖なる奔流が地下の暗闇を 永遠に流れ続ける、地の底から ときたま輝くように水音が聴こえる; 聞く者は、そこになにか秘密が司るのを感じ それが去って行くのを見、捉えたいと願い 燃える郷愁を抱く。それは美しきものの予感。 これで終りです。長かったですねえ‥‥。 しかし、古めかしい言葉や表現が多いわりには、全体としてそれほど難しい内容ではなかったと思います。ヨーロッパのどこかの町へ行って、忘れられたような古い教会の広間に入ってみたら、がらんとした暗い身廊の中に、かすかな、音がしているのかどうかもよくわからないようなオルガンの響きがして、放心したようにそれに聴き入ってしまった‥‥という、それだけの体験を、連想も幻覚もまじえて敷衍して書いて行った詩―――と思えばいんじゃないでしょうか。 前回のトップ画像に出した『ケルン大聖堂(Kölner Dom)』―――正式の教会名は知りませんが、単に「ケルンのドーム」と、どこでも呼びならわしています―――は、たしか17世紀だったかの“創建時”からずっと建築工事が断続的に続いているんだと、昔読んだドイツ語の教科書に書いてあった記憶があります。数年前までは、写真を撮ると必ず外壁の足場がいっしょに映っていました。前回出した最近の画像では、その足場がほとんどなくなっています。どうやら、21世紀を迎えてようやく、この巨大なゴシック建築も、完成に近づいているようです。。。 ドイツはもう、ここだけ見ればじゅうぶん。ロマンチック街道やら、ベルリンの菩提樹通りやら行く必要はない―――と、ケルンの駅から外に出たとたん、眼の前に、顔を90度上に向けなくてはならないほど高くそそり立ったこの聖堂を見た時に、思いました。 この町に生まれ育った女流作家アンナ・ゼーガースが記すところでは、子供のころ、この聖堂の高い頂は、その高さと同じだけ深く、地中にも、この巨大な建築物が突き刺さっているように思われたそうです。じっさい、建築工事が長くかかったのは、聖堂の基礎の部分に地下水が沁み込んで基材を毀損していたせいなのだそうです。 人類の事業は、こんなに息の永いものなのだ。歴史とは、そうしたものだ。まわりに住んでいる人が、表面上はすっかり変ってしまって、そのうち、ヨーロッパの外から来た移民の子孫ばかりになってしまったとしても、そんなことはたいしたことではないのだ‥‥この聖堂を見るたびに、そう思えるのです。 というわけで、きょうは教会を中心としたオルガン音楽の歴史を、主に古いほうから、ごくサッと一瞥してみたいと思います。 「現存するゴシック教会オルガンのリスト」←こちらの記事を見ると、ゴシックの教会にパイプオルガンが附設されるようになったのは、どうやら 14世紀ころだったようです。14世紀と言えば、コロンブスが大西洋を渡るよりも前、イタリアではルネサンスの初期ですが、アルプスの北側はまだ“中世”でした。そこで、14世紀のオルガン曲を最初に聴いてみたいと思います。 「サルタレッロ」からエルンスト・シュトルツ/ポータブル・オルガン 「サルタレッロ」は、大英博物館に保存されている 14世紀末~15世紀初めのイタリアの楽譜で、当時の聖俗の歌曲が集められているもの。「ポータブル・オルガン」は、中世に使われていた楽器を復元したもの。当時の絵画で、非常に詳細に描いたものがあるので、復元できるのです。 古楽をはじめて聴く人には、ヨーロッパというより、インドかアラビアの音楽に聞こえるかもしれませんが、ヨーロッパでも、バロック以前はずっと、こういう和音(完全4度,完全5度)と節回しの音楽がふつうだったんです。 ↓つぎは 16世紀スペインの作曲家カベゾン。楽器も、16世紀末にドイツで作られた「クラヴィ・オルガン」です。貴族の館で使われていたんでしょうね、ふんだんに装飾を盛りつけた贅沢なオルガン、人力でフイゴを動かして空気を送っています。 アントニオ・デ・カベゾン「パヴァーナ・コン・ス・グロザ」フアン・デ・ラ・ルビア/クラヴィ・オルガンバルセロナ音楽博物館 ↓つぎも、16世紀末~17世紀初めのオランダの作曲家スウェーリンクの曲で、弾いているオルガンは、当時作られたままのものです。エサイアス・コメニウスは、16世紀~17世紀初めのドイツのオルガン製作者。 ここまでが、いわば“教会オルガンの前史”ってことになります。 ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク「バッロ・デル・クランドゥカ」トン・コープマン/コメニウス・オルガン ↓フレスコバルディは、16世紀末~17世紀前半イタリアの作曲家兼オルガニスト。ここらへんから本格的なオルガン音楽になります。「ラ・フォリア」は、ルネサンス時代のラテン・ヨーロッパで流行っていたメロディーですが、フレスコバルディはその旋律をかなり変形しているようです。 オルガンのほうも、↓この動画で見るように、この時代になると、多数の音栓(ストップ)のついた本格的な教会パイプオルガンが建造されました。 ジローラモ・フレスコバルディ「ラ・フォリアのアリアによるパルティータ」クリストフ・ビュルセンス/オルガンブラジウス・ブレムザー・オルガン(1675年建造)ベルギー、アンヴェルス、エルゼンフェルト聖母教会 ↓つぎは、南ドイツのパッヘルベル(1653-1706)。前に、有名な「カノン」を聴いていただきましたが、教会音楽も作曲しています。音の重なりがだんだん複雑になって、バッハに近づいて行くのがわかるでしょう。 ヨハン・パッヘルベル「前奏曲 ニ長調」ホス・マテルス/オルガンキリスト改革派教会オランダ、ビュンスホーテ ブクステフーデ(1637-1707)は、パッヘルベルと同じ時代に北ドイツで活動したオルガニスト。ハンザ都市リューベックで、聖母マリア教会のオルガニストを務めていました。「3段鍵盤、54ストップを備える聖母マリア教会の大オルガンは銘器の誉れ高く、同教会のオルガニストは北ドイツの音楽家にとって最も重要な地位の1つとされていた。      〔…〕 1705年11月にアルンシュタットから訪問したヨハン・ゼバスティアン・バッハも、情熱的なブクステフーデのオルガン演奏に強く魅了され、無断で休暇を延長してリューベックに滞在した」(wiki:ディートリヒ・ブクステフーデ) 当時、バッハは、中部ドイツの田舎町アルンシュタットのオルガン奏者を勤めていました。アルンシュタットは、チューリンゲン森のへり、地図で見ると、もうチェコとの国境に近いドイツの端っこで、僻地と言ってよい場所なんですね。田舎町のオルガニストでは報酬も少なく、馬車に乗るお金のないバッハは、アルンシュタットからリューベックまでの約400kmの道のりを、歩いて行ったと言われています。 バッハは、4週間だけ休暇をもらって、ブクステフーデのところへ出かけて行ったんですが、なんと3ヶ月も滞在していました。その間、若いバッハの才能を見込んだブクステフーデに、もうそんな田舎町へ戻るのはやめて、ここで私の後任にならないかと、さかんに誘われていたそうです。 ところが、ブクステフーデには、30歳になる娘―――バッハより 10歳以上年上―――がいて、この人との結婚が後任の条件だったんですねw さすがのバッハも、この結婚には踏み切れず、結局アルンシュタットに戻ったんですが、戻ってみると、教会の聖職者会議は、もうカンカン! しかも、戻ったバッハは、ブクステフーデの音楽にすっかり影響されていて、“前衛的な、おかしな音を出している”と、この点でも、保守的な聖職者の怒りを買ったそうです。 もっとも、当時すでにバッハの名声は広がりつつありましたから、これを機に、近くのミュールハウゼンに、今までより少し良い条件で転職することができました。 ブクステフーデの影響を受けたバッハのどこが“前衛的”だったのかというと、おそらく、当時としては冒険的ともいえる多彩な和音の使用ではないかと思います。前に聴いていただいた「トッカータとフーガ 二短調」――あの♬チャララ~が、その代表でしょう。 ディーテリヒ・ブクステフーデ「トッカータ ヘ長調」BuxWV 157ルードヴィヒ・オレル(12歳)/オルガンヴィルデ・シュニットガー・オルガン (1599,1682年建造)ドイツ、ヘルツォーゲンラウフ、聖マグダレーナ教会 12歳で、これだけ弾けたらすごいですが、弾いてるオルガンは古いものではありません。なんども登場しているヘルト・ファン・フーフもそうですが、現代の若いオルガニストが使うオルガンは、みな最近製作された楽器のようです。 どうしてかというと、古いオルガンは、弾くのに並大抵でないテクニックを要するんじゃないかと思います。エレクトーンのような電気じかけはありません。テコの原理だけで、力づくで弾かないとならないわけです。鍵盤のタッチが重いだけでなく、押してから音が出るまでに時間がかかる‥タイミングがずれる場合もあります。 そういうわけで、古い歴史的なオルガンを超高速で弾く人は、‥‥あれはもう神わざじゃないかと思います。その神わざのひとり、トン・コープマンのブクステフーデを聴いてみましょう↓ ディーテリヒ・ブクステフーデ「今我が魂は主を讃える」BuxWV 212トン・コープマン/オルガンゲルケ・ヘルプスト・オルガン (1680-1683年建造)ドイツ、バーゼドウ ブクステフーデと言ったら、重厚かつ華々しい曲ばかりなのかというと‥‥なかには↓こういうのもあるので、ちょっとビックリします。 ディーテリヒ・ブクステフーデ「フーガ」BuxWV 174トン・コープマン/オルガンコープマン氏書斎のオルガン 鳩時計みたいな音でしたねw これは、オランダのテレビ番組の録画らしいです。インタビューアーとの会話もオランダ語らしくて、‥何をしゃべってるかわからないのは残念です。 さて、このあとはバッハの時代になるんですが‥、バッハはもうずいぶん聴いていただいたので、きょうはちょっと目先を変えて、フランスに行ってみたいと思います。 フランスの地中海岸、コート・ダジュールと言えば、マルセイユ、ニースといった観光地が並んでいますが、その近く、サン=マクシマン=ラ=サント=ボームという町に、14世紀の古い聖堂と 18世紀のオルガンがあります。 ↓ダカンはフランスのオルガニストですが、「カッコウ」などの、わかりやすいキーボード曲で有名です。ドイツで重厚なオルガン音楽が全盛だった時代に、フランスでは、比較的簡明な、わかりやすい曲が行われていたんですね。↓題名からすると、クリスマスの曲らしいです。 ルイ=クロード・ダカン「ノエルⅧ」ピエール・バルドン/オルガンイスナール・オルガン (1772年建造)サン=マクシマン=ラ=サント=ボーム教会、サン・マリー=マドレーヌ聖堂 ↓さいごに、20世紀のオルガン曲を聴いてみましょう。ヘッセは、20世紀のオルガニストについて、時代の流れを無視した超然たる隠者のように書いていましたけれども、じっさいにはヘッセの時代に、けっこう現代的――同時代的なオルガン曲も、作られていたんですね。これなどは、ドビュッシーやベルリオーズを連想する幻想味あふれる小品です。 ユジェーヌ・ジグー「トッカータ ロ短調」アルトゥロ・バルバ・セヴィリャーノ/オルガンメルクリン・シュッツェ・オルガン (1857年建造)スペイン、サンタ・マリア・デ・ムルシア大聖堂 よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau

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  • 24Jan
    • 詩文集(68)――【ヴィヴァルディ/バッハ】アルプスの南から吹きよせる青い風

      ケルン大聖堂 (ウィキメディア・コモンズ)        オルガン演奏 (承前) じっと座って演奏するオルガニスト、 聴衆は感動に心をひらき、喜びいさんで その定律を追い、天使のたしかな導きに従う 輝いて揺れ、舞い上がる神聖な共謀者たち 築かれゆく感銘の聖堂 畏敬のまなざしに映る神の御姿(みすがた) 三位一体を無邪気に信じきって翼賛する。 こうして妙(たえ)なる響きのうちに会衆は 解き放たれ、一体となり、秘跡によって浄められ 肉体を脱ぎ捨てて、神と合一する。 とはいえその完璧さもこの世では束(つか)のま、 戦争はあらゆる平和の裡(うち)に 滅びは美の裡に、種子(たね)を宿す。 オルガンが鳴り、丸天井に響きわたり 音に誘われて新たな人びとが訪れる しばし休らいで祈りをささげるために。 古びた音響の建築物はいよいよ 敬虔さと精神と喜びにあふれかえって パイプの森から伸びあがってゆくそのときに 外では、世界を塗替え魂を 変貌させる数々のできごとが起きている。 いまやって来るのは異なった人びと 異なった若者が育っている;かれらにとって この伽藍のしらべ、信心深くも錯綜した旋律は もうそれほど信頼のおけるものではない、 その神聖な美しい響きは、いまや古めかしい ごてごてした唐草模様と聞こえるのだ かれらを支配するのは新たな欲動、この耄碌した 楽師たちの窮屈な規則に煩わされようとは 思わない、かれらの種族は忙(せわ)しない、世界には 戦争が行われ、飢餓は荒れ狂う。 この新しい会衆がオルガンの響きに 聴き入るのは僅かの間(ま)、どんなに 美しくまた深遠に響こうとも、それは 甘やかされた、悠然たる坊さんの音楽でしかない、 かれらは他の音を欲する、他の祭りを祝う; この豪勢に構築された、高尚このうえない音の束が 遠慮がちに差し出す仄かなインスピレーションも かれらにとっては、あまりにも多くを要求する 口うるさい小言に感じられる。人生は短い、 じっとがまんして、こんな混み入った音楽に かかずりあっている場合じゃない。 聖堂の中で耳を傾け、体験を共にしたおおぜいの 人びとは、もうほとんど残っていない。 ひとりまたひとり、腰を屈(かが)め、 年老いて疲れ、小さくなり、若い世代を 裏切者のように罵りながら立ち去ってゆく、 絶望して黙り、先祖の列に身を横たえる。 そして聖堂に足を踏み入れる若者たちは 神聖なふんいきを感じるが、もはや祈りも トッカータに耳を傾けようともしない、 かつて町の中心だったその寺院は ほとんど人かげもなく太古の遺物のように 街路の喧騒の中から聳え立っているのだ。  ↑まだ終りではありません。まだまだ続きます。長い、長い‥‥ しかも、きょうの部分は、全然区切りのない一つづきの節なんですよね。 “起-承-転-結”で言うと、“転”にあたる部分のようです。 西洋の人たちにとっては、過去の遺産というものが、とほうもなく巨きな価値の集積となって、若い世代の背後にもうず高く積み重なっているのが感じられます。それに比べたら、私たちなどは、吹けば飛ぶような危うい自国の伝統に、無理をしてしがみついているようにさえ思われるのです。   さて、今夜のオルガン曲は、そのうず高い重厚さに、ちょっと一息入れてみたいと思います。 前にも少し触れましたが、バッハのオルガン曲で頂点に達するような、錯綜した多声、“ポリフォニー”の音楽は、おもにアルプスの北側で発達したもの。イタリアなど、アルプスの南側では、むしろ単旋律の“モノフォニー”が中心でした。 代表はヴィヴァルディではないかと思います。ヴィヴァルディの、あの地中海の空のように澄みきった明るい音楽を思い浮かべていただきたいと思います。 ↑ヘッセの詩にもあるように、バッハの音楽は、教会のオルガン演奏のおかげで、しだいに廃れながらも 20世紀まで生き永らえたわけですが、ヴィヴァルディなど、バロックの他の作曲家は、もう誰も演奏しなくなり、まったく忘れ去られてしまったのです。各地の古い図書館や修道院の書庫に眠っていたヴィヴァルディの楽譜が“発見”されたのは、20世紀初めころ。しかし、代々のオルガニストが演奏のしかたを伝えていたバッハとは異なって、ヴィヴァルディの楽譜は、これはいったい、どう弾いたらいいんだろう?‥というあたりから、研究と演奏が始まったのだそうです。 さいわいに、バッハが編曲してまとめた『ヴィヴァルディに倣う(nach[after] Vivaldi)オルガン協奏曲集』というものが伝わっていて、これは知られていました。再発見されたヴィヴァルディの楽譜の中に、バッハが編曲した元の曲らしいもの―――こちらは弦楽合奏の協奏曲――も出てきました。 そこで、最初のうちは、ヴィヴァルディの曲は、バッハ風に演奏されていたようです。バッハ風に演奏しても、やはりまったくバッハとは違う、地中海の光あふれる明るい曲風はれっきとしていて、いままでに聴いたことのない新しい音楽が、そこにありました。 こうして、ヴィヴァルディはじめ、バロックの古い音楽家たちが、20世紀の演奏会で復活するようになりました。とくに、戦後は『イ・ムジチ合奏団』のレコードが、ヴィヴァルディの普及に一役買い、協奏曲「四季」などは誰にでも知られたナンバーになったわけです。  しかし、最近になると、バッハやクラシックの演奏家に影響されたヴィヴァルディの弾き方は、じっさいのヴィヴァルディの当時の音楽と違うんじゃないか?‥と主張する人たちが現れて、ここ十年あまり、ヴィヴァルディについては、斬新な演奏をする楽団が、だんだん増えてきました。↓のちほどお聴かせする『イル・ジャルディーノ・アルモニコ』は、その代表です。 ここ数年の間に、彼らのファンはずいぶん増えたようですね。数年前は、クラシック音楽界からクソミソに貶されていた、この新しい潮流も、今では市民権を得たようです。ユーチューブを見る限り、彼らのような新しい演奏スタイルのほうが、むしろ主流になった観があります。 それでは、バッハの『ヴィヴァルディに倣うオルガン協奏曲集』から一曲: バッハ『オルガン協奏曲 ハ長調』BWV 594 から第1楽章 アレグロエレーナ・ヴァルシャイ/オルガン 真四角に伐られた巨大な石材を積み上げて、天空へとどこまでも伸び上がってゆくゴシックの聖堂を見る思いです。 そこで次に、ヴィヴァルディのもとの曲↓を聴いてみます。演奏は『イル・ジャルディーノ・アルモニコ』。こちらは、「ムガール大帝」という曲名がついています。真ん中でヴァイオリンを弾いているスキンヘッドのおじさんが、ムガール大帝?!‥‥いえいえ、それは冗談です。 ヴィヴァルディ「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調」RV 208“ムガール大帝”エンリコ・オノフリ/ヴァイオリンジョヴァンニ・アントニーニ/指揮『イル・ジャルディーノ・アルモニコ』 オノフリのヴァイオリンが、すごいですよね。『イル・ジャルディーノ・アルモニコ』は、もともと、指揮をしているジョヴァンニ・アントニーニ―――楽器担当はリコーダー―――と、リュートを弾いているルカ・ピアンカが始めた楽団なんですが、あとから加わったこのスキンヘッドのおじさんが、いまではすっかり楽団の“顔”になってしまいました。それでも、オノフリは時々、ほかの楽団にも客演していて、そちらでもやはり一座の中心になって大見得を演じているのを見かけます。  『ヴィヴァルディに倣うオルガン協奏曲集』から、もう一曲。今度は、神秘的な序奏からはじまります。後半はフーガ:‥バッハお得意の複雑錯綜した“追いかけっこ”の境域に引き込まれていきます: バッハ『オルガン協奏曲 ニ短調』BWV 596 から第1,2楽章 アレグロ - グラーヴェ - フーガニコロ・サリ/オルガン ↓ヴィヴァルディのもと曲のほうは、音源が2部に分かれていますが、つづけて聴いてください。 後半のフーガの部分、バッハの、あの大理石の伽藍に押し込められるような・こんぐらがった感じでなく、ヴィヴァルディだと、なんだか、みんなで踊ってるような楽しいふんいきになるのが面白いと思います。 ヴィヴァルディ『合奏協奏曲 ニ短調』RV 565 から第1楽章(1) アレグロ - アダージオ・エ・スピッカートフェデリコ・グリエルモ/ヴァイオリン『ラルテ・デ・ラルコ』ヴィヴァルディ『合奏協奏曲 ニ短調』RV 565 から第1楽章(2) アレグロ - アダージオロラ・ヤーノシュ/ヴァイオリンロヴァシュ・ジェルジ/ヴァイオリン『フランツ・リスト室内管弦楽団』 ヴィヴァルディの・この RV565 の中間楽章は「シチリアーノ」の別名で有名なんですが、それよりも終楽章を聴きたいので、飛ばしますw バッハのほう、思いっきり聴いても精神の負担が少ないようにw、現代風の速い演奏を選びました。それでも、伽藍のステンドグラスに砕ける光の束が見えるようです。 そのあと、ヴィヴァルディのもと曲で、ヴァイオリンの妙技に聴き入ってください。この↓『コンチェルト・ケルン』という楽団、知らなかったんですが、コンテンポラリーな整った演奏がすばらしい。ウィキを見ると:「ドイツのケルンに本拠を置く古楽器オーケストラである。 1985年に設立。設立当初より常任の指揮者は置かず、〔…〕楽団の運営や曲目の選定は楽員たちで行うなど自主的な活動を行なっている。 代表的なレコーディングは、ヴィヴァルディや J・S・バッハの作品集、メンデルスゾーン〔…〕。ヘンデル、グルックのオペラやモーツァルトのオペラ『フィガロの結婚』、シュタイアーのフォルテピアノ独奏でモーツァルトのピアノ協奏曲集などがある。」 これだけしか書いてありません。ドイツ語版を見ると:‥前々回聴いた「ゴセックのガヴォット」のフランソワ-ジョゼフ・ゴセックをはじめとする「忘れられた作曲家たち」の作品の再発掘に貢献してきた。「グラミー賞」「ドイツ・レコード批評賞」「国際オペラ賞・全曲収録部門」などを獲得しているそうです。 日本であまり知られていないのは、古楽と古いオペラに中心をおいているせいかもしれませんが、現代的で、なじみやすい演奏スタイルです。もっと注目されてよいと思いました。 バッハ『オルガン協奏曲 ニ短調』BWV 596 から第4楽章 フィナーレウォルフガング・リュプザム/オルガンヴィヴァルディ『合奏協奏曲 ニ短調』RV 565 から第3楽章 アレグロ『コンチェルト・ケルン』 よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau

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