ギトンのパヴィリオン

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....漂泊の“うたびと”たち
....ヘッセの詩と BL詩 自訳と自作


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そこにはいつも きみがいた。。。。。



※ 「詩文集」に掲載の詩は、ヘルマン・ヘッセ(2013.1.1.著作権保護期間終了)のもので、すべて自訳。作者名等個々に表示しません。
底本は、"Hermann Hesse Die Gedichte", hrsg.von Volker Michels, Insel Taschenbuch 2762, Insel Verlag, 6.Aufl. 2013.



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週刊金曜日の購読をはじめました。
これから、眼についた記事をひろって、
一部の紹介をしていきたいと思います。
といっても、毎週はできませんし、ネタバレに
なるほどの要約を載っけるわけにもいかないw
‥‥ので、興味をもった方は、ぜひ定期購読を
してください。1か月ごとの購読も可能です。

 

『1993年(平成5年)、編集委員が中心となり読者から出資を募り創刊された。「スポンサーや広告主に阿(おもね)らずに市民の立場から主張できるジャーナリズム、権力を監視し物申せるジャーナリズム」を目指し、また、休刊した『朝日ジャーナル』の思潮を受け継ぐとしている。「日本で唯一の、タブーなき硬派な総合週刊誌」を標榜し、反戦・人権・環境問題など市民運動・市民活動の支援、体制批判を主に扱っている。憲法改正論議では一貫して護憲の立場を取っている。

 読者から出資を受ける理由については、経営者の(広告主への配慮という)編集方針により原稿をボツにされることが度々あった本多をはじめとするジャーナリストの経験を踏まえ、「広告に依存しない自由なメディアを作りたい」という動機によるものである。』

wiki:「週刊金曜日」.   

 

 

 ↑ウィキの説明には書かれていないが、私の記憶では、ほとんど本多勝一氏ひとりのイニシアチブで創刊された印象だった。当時、私たち若い者のあいだでは、「あの本多さんが、ついに自分で雑誌を出した!」という噂がかけめぐったものだ。創刊時の編集委員は、石牟礼道子、井上ひさし、久野収、筑紫哲也、本多勝一。井上ひさし氏が入っていることからもわかるように、創刊当時から、硬派一辺倒、左翼一辺倒だったわけではない。まもなく、椎名誠が編集委員に加わり、最近では小林よしのりの執筆記事を掲載した時期もある。編集委員の交替は多く、現在まで継続して編集委員をしているのは、本多勝一氏のみ。しかし、雑誌の論調と誌面構成に大きな変化はない。というのは、固定した1万人程度の読者の思想傾向が一定しており、誌面に変化(とくに右側への)が見られるたびに、多数の苦情、抗議が寄せられて復元修正されてきたためと思われる。現在の編集委員は、本多勝一、雨宮処凛、宇都宮健児、想田和弘、田中優子、崔善愛、中島岳志。編集長文聖姫、発行人植村隆

 つまり、「ブレない雑誌」としては、日本でもっとも信頼性と定評があるといってよい。

 

 現在では、書店の店頭に出ることはほとんどなく、定期購読による郵送を基本としている。記事の掲載はやや遅れるが、↓電子版もある。

 

 

 

 

〔1〕 泉健太・立憲民主党新代表、自公政権とどう戦うか

代表選で可視化したジレンマ (本田雅和)

 

 

『4候補の誰かが、傑出したリーダーとしてのカリスマ性があったわけではない。「誰が代表になっても、他の3候補を何らかの役職に就けて集団指導体制でやっていくしかこの難局はのりきれない」。立憲民主党の結党以来の熱心な支持者のひとりは、代表選の早い段階から看破していた。

 

 〔…〕マスコミからは「違いが見えない」などと揶揄されたりしてきた4候補だが、候補者討論などでの主張を詳細に点検すると、党勢拡大や野党共闘の在り方、原発・エネルギー政策などでは微妙なニュアンスの相異はもちろんのこと、明確な立場の違いも浮き彫りになってきている。今後は新代表が、この違いを認めたうえで党の分裂を回避し、いかに統合して「新たな党の姿」を打ち出していけるかが、大きな課題だろう。』

12月3日号, p.12. 

 

 

 論評は、↑このように始まるのだが、この記事にピックアップされている各候補の発言内容を読んでも、「明確な立場の違い」が「浮き彫りに」なったとは、私にはとうてい思えない。「共闘は続けるべきだが、国民、維新とのコミュニケーションをもっと図ってよい」という意見と、「国民、維新とのコミュニケーションをもっと図るべきだが、共闘は続けてよい」という意見が“伯仲”している‥‥ようなもので、いったいどこが違うのやら、さっぱりわからないのだ。

 

 

 

 

 まず、「野党共闘」については、共産党との政策合意・閣外協力合意は「リセット」するという逢坂氏が、もっともハッキリしたことを言っている。しかし、逢坂氏は、4人の中でもっともリベラル――党内左派グループに推戴されて立候補している。年齢が高い点でも、“守旧的左翼”と見られる立場なのだ。逢坂氏の立場だから、言いにくいこともハッキリと言えたが、他の3人も、口にしないまでも、そう思っている‥‥のではないだろうか?

 

 むしろ、立憲民主党中央が「政権交代という言葉にとらわれすぎていた」(逢坂氏)、「党の上からの方針を下ろすだけでは地域の理解を得るのは困難」(西村氏)、「連合政権、連立政権から国会協力、閣外協力など何を意味するのか」あいまいだった(小川氏)――というあたりに、4名の共通認識がある。つまり、……現実的根拠もなく、方法論もない「政権交代」なるハッタリをぶちあげるだけでは、国民も下部党員もソッポを向いてしまうということだ。

 

 「原発再稼働」問題では、逢坂・西村(再稼働反対)⇔泉・小川(容認)のあいだで、違い――やはり、ただのニュアンスの違いだ!――が顕在化したが、断片的な発言を見るかぎり、「容認」の急先鋒は小川であって、氏ではない! 原発反対派の人たちは、華麗に着色された映画を見て小川淳也を応援しているようだが、考え直したほうがよいのではないか?

 

 しかし、この記事の最後に摘示されている・小川氏の推薦人小西洋之議員の発言は、本質を撞いている。小西氏は、

 


『これまでの立憲民主党に最も欠けていたものとして、「その時々の政治課題の本質を分析・整理し、戦略的取り組みを立案する執行部直属の参謀チーム」を挙げる。〔…〕。「これがなかったから、総選挙でも岸田政権の「新しい資本主義」などとという虚像のスローガンに対抗できる「新しい社会像」を』

12月3日号, p.14.   

 

 …打ち出すことができず、枝野党首のファジーな性格が前面に出たために、国民にはまったく理解されず大敗したのだ。総選挙を反省して為すべきだったのは、人を変えることではなく、システムを作ることだった。システムに欠陥がある組織は、人をすげ替えても、同じ結果を繰り返すことになる。立憲民主党に必要なのは、ファジーな夢物語でも「政権交代」のハッタリでもない。現実的な戦略と方法論だ。

 

 

 

 

 

 

〔2〕 神と仏と鬼の里

日本の民俗信仰 祀りをたずねて

【第19回】 巨岩信仰 (山田しん)

 

 

 『金曜日』に掲載されるのは政治記事ばかりではない、という例として紹介しておきたい。

 

 

『大分県にはなんと、全国の6~7割の磨崖仏が集中しているという。理由は阿蘇の溶結凝灰岩など、やわらかい岩盤が露出していたことや、国東半島をはじめ、大分県各地に独自の仏教文化が栄えたからだと言われている。


 古来、この地にあった八幡信仰は奈良時代に仏教と融合し、神仏習合の「六郷満山」と呼ばれる独自の山岳仏教文化を築いた。その神仏習合の歴史を最もよく伝えているのが国東半島の磨崖仏、なかでも有名なのが熊野磨崖仏だ。』

12月3日号, p.34.   

 

 仕事の関係で大分県に数年間住んだことのある私の経験でいうと、とにかく県内どこにでも磨崖仏がある。国東半島だけではない。私の家(大分は、アパートよりも一戸建てのほうが家賃が安い!)のすぐ近くにもあった。大分県では、磨崖仏のそばを通らないで生活するほうが難しいくらいだ。

 

 その大分の仏教信仰は、たとえば、他の地方では「神」「ほとけ」と対極の存在である「鬼」を、先祖の生まれ変わりとして信仰する。祭りの夜には、「鬼」が里の家々を訪問するという。秋田の「なまはげ」のような恐れの対象ではなく、五穀豊穣、無病息災をもたらしてくれる・ありがたいご先祖なのだ。


 

 

熊野摩崖仏 大分県豊後高田市田染平野

 

 

 

〔3〕 渋沢栄一と朝鮮侵略 (李相真)

 

 

 新1万円札の肖像に決められている渋沢栄一は、「伊藤博文・朝鮮統監府初代統監の友人であり、鉄道と電気など多岐にわたる分野で朝鮮の経済侵奪の先頭に立っていた。」(韓国『国民日報』2019.4.10.)。

 

 たしかに、渋沢は、軍備拡張や急速な朝鮮植民地化には消極的だった。なぜなら、それらは増税をもたらすから。しかし、日本帝国の資本家として、「韓国は我国人民が誘導開発すべき土地」であり、「韓国全土を挙げて我が利益線の圏内に置き、以て彼我の権益を保全することを当今の一大急務なりと考ふる」と主張した。

 

 当時、「朝鮮会社令」によって、朝鮮人の会社設立は禁止(実際上)されていた。朝鮮半島では、朝鮮(韓国)人は会社を経営することも、開発事業を行なうこともできず、もっぱら日本人だけがなしえた。その条件のもとで「彼我の権益」とは、日本人だけの「権益」にほかならなかったのだ。


 渋沢の1万円札への採用に対して、諸国から非難が巻き起こっている理由が理解できないとしたら、日本人はあまりにも自らについて無知だと言わなければならない。いや、日本人だけではない。この記事の筆者もまた、「朝鮮会社令」を見落としている点で、不見識の謗(そし)りを免れない。

 

 

旧・第一銀行京城支店。渋沢栄一の強い主張によって第一国立銀行は植民地に進出し、 

1911年には朝鮮総督府直属の「朝鮮銀行」となり、植民地銀行券の発行を担当した。    

 

 

 


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