Paul_Signac, The Port of Saint-Tropez, 1901. Google Art Project.
ポール・シニャック「サン・トロペの港」1901年。 ©Wikipedia.
【17】 「啓蒙」と「言文一致」――
〈近代化〉の圧倒的潮流を疑い、抵抗した人びと
松浦寿輝氏のこの本は、毎回↑上に挙げている「読書メーター」で分かるように、かならずしも評判が良くありません。にもかかわらず、はじめ新潮社から単行本で出た本著が、「岩波現代文庫」の3冊本になってリバイバルしているように、よく読まれていることもまた確かなのです。評価がいまいちなのは、氏の著作意図が十分に理解されていないせいではないか。作家・詩人としての松浦氏の愛読者である私は、そう考えたいところです。
とは言っても、本書は、私自身読みこなすのに難渋している面があることも否定できません。読みやすい文体で書かれていることが、かえって、上滑りな読書を促す結果になっているかもしれません。
思うに、一つの理由は、「表象空間」というタイトルにも表れているように、著者の究極の意図は、政治史ないし思想史を描くことではなく、明治期の言説の文体や表現方法の特徴づけ、その通時的位置づけに、松浦氏の最終目標があるらしいことです。そして、氏が重視するのは、各著者の思想内容よりも、「明治」という・急激で強圧的な国家建設が強いられた時代において、各著者が時代を生きつつ感じ取った「肌感覚」のようなもの、それをどのようなかたちで「言説空間」に反映させていったのか、というようなことではないかと思うのです。そのなかで、福沢諭吉のような初期の啓蒙家は、合理主義の見地から、「言文一致体」を日本語の新しい合理的な言語として形成する方向へ進みます。しかし、中江兆民や、のちほど取り上げる樋口一葉、また、北村透谷や幸田露伴は、「言文一致体」にあえて背を向け、古い文語体,漢文訓読体,あるいはそれらに俗語を交えた文体に拘っていきます。松浦氏が注目するのは、これらの・いわば〈反時代的〉な著者たちのほうなのです。なぜなら、彼らこそ、国家への集中を迫る強圧的で全体主義的な〈時代の潮流〉を「肌感覚」で感じ取り、これに抵抗した人びとだからです。
たとえば、『三酔人経綸問答』の「南海先生」の発言について、松浦氏は、「何やら不気味なものが漂っていはしまいか。その不気味さとは、この〔…〕中庸の言説が」まとう「かぎりなく正論に似た」擬態から来るものだ、と書いていました。それは、明治中期の当時から現在まで、政府首脳の国会答弁や・国民向けの発言で繰り返されている、一見もっともらしく無内容で、事実は現状追認を糊塗するにすぎない言説なのです。しかもそれは、眼に見えない力で私たちの無意識に訴え、〈同意〉を迫ります。それを「何やら不気味なもの」と感ずる「肌感覚」は、兆民や、他の敏感な人びとが持っていたにちがいないものです。
千代田区四番町「東郷記念公園」前から「二八通り」を望む。
中江兆民の私塾「仏蘭西学舎(仏学塾)」〔1874-1888年〕は、
74-76年のあいだ、この通り沿いで2回移転している。
【18】 「保安」と「予防」――「警察官僚制」国家の構築
『第2次世界大戦以前の日本がきわめて強固に構築された警察官僚国家であり・内務省主導の監視と支配のシステムこそ〔…〕「超国家主義」〔※〕の基盤を民衆の日常生活のただなかで支えていた主要な装置であったという事実は、〔…〕敗戦直後には多くの人びとによって痛切に意識されていた。しかし、』今日では、『この強権を振るった警察官僚制の側面は「戦前日本」のイメージから脱落しがち』である。『日の丸や靖国をめぐる論議は〔…〕かまびすしいが、』その声に搔き消されて、『維新以来優秀な藩閥政治家たちによって築かれた近代日本とは、「天皇を中心とした神の国」である以前に、まず何よりも、人びとの日常に監視と支配の網の目を張りめぐらせた警察官僚国家であったという現実〔…〕は忘れ去られている〔…〕
今日のわれわれの常識的な通念は、戦前の特高も、今日の警察庁警備局や警視庁警備部,公安部等も、通常の〔…〕「警察」とは性格を異にする特殊な一組織にすぎない、というものだろう。ところが、日本警察の草創期において警察概念の中心をなしたのは、むしろこの「行政警察」〔治安の維持――ギトン註〕のほうで、「司法警察」〔犯罪の捜査――ギトン註〕の役割は副次的なものでしかなかった。』
明治政府の『国家意思の「根元」に身を潜めつつ・この警察官僚国家の急速な形成と拡大に決定的な役割を演じた陰の立役者――その名を川路利良〔1834-79〕という。
薩摩藩下級武士出身の川路は、明治5〔1872〕年邏卒総長,次いで〔…〕大警視に任官する。同年〔…〕渡欧して警察制度の調査にあたり』帰国後『警察制度の改革を建議し、征韓論から西南戦争に至る政情不安の時期に東京警視庁大警視〔警視総監――ギトン註〕の職にあって首都の治安を担当する。大久保利通の腹心として終始、警察権力の強化を図ることに努め』た。
『川路利良は極め付きの実務官僚であり、〔…〕その「国家」像として思い描かれていたもの』は、『最も効率的な機械のように機能する警察国家のデザインである〔…〕
(一)行政警察ハ予防ヲ以テ本質トス。則 すなはち 人民ヲシテ過 あやま チナカラシメ、罪ニ陥ラザラシメ、〔…〕以テ公同ノ福利ヲ増益スルヲ要スル也。』
(『警察手眼』明治9年) .
『警察手眼』は、『部下にたいする川路の日頃の訓示を集め〔…〕たもので、日本警察の精神の表現として長年月にわたって読み継がれ』た『文献である。〔…〕
「予防」とはいったい何なのか。〔…〕社会の危機を「予防」すること、すなわちその気配をいち早く察知し、騒乱や犯罪の芽を成長以前に摘み取ってしまうこと』である。『東京警視庁はほどなく全警察官に、「注意報」なるものの提出を義務づける〔…〕。「目撃耳聞スル珍奇異常ノ事、細大トナク怠ラズ報呈」せよという指令を出したのである。』報告の内容は、『「衛生」「風俗」の些事まで含め多岐にわたっている。〔…〕
「予防」をその第1の機能とする行政警察が未来に向けて投げかけるのは、性悪説の〔…〕陰気な視線である。〔…〕防衛的な猜疑心によって何事かの出来が、そこでは徹底的に阻まれる〔…〕。「保安」とは、〔…〕この空虚の維持にほかならない。〔…〕
内務省と警察が至高目標として掲げた』のは、国家の『「土地人民に属する者」の安寧秩序というこの理念』であった。
松浦寿輝『明治の表象空間(上)』,2024,岩波現代文庫,pp.49,59-67.
註※「超国家主義」: 戦前の日本国家を特徴づけた全体主義的思想構造を指す丸山真男の用語で、「ウルトラ・ナショナリズム」の訳語。国民の道徳・「真理や正義の内容的価値の決定を」国家が独占する、すなわち「何が国家のためかという決定を〔…〕官吏が下す」体制。「営利とか恋愛」といった「私事」の自律的な倫理性は否定され、「私生活」は「国家に奉仕」し「天皇に帰一」すべきものとされる。また、「国家的なるものとの合一化〔…〕というこの論理は、裏返し」となって「国家的なるものの内部へ、私的利害が無制限に侵入する結果となる。」この思想構造は、戦前日本の「対外膨張乃至対内抑圧の精神的起動力」となっただけでなく、戦後においても「国民の政治意識の〔…〕低さを規定」している。(「超国家主義の論理と真理」:丸山真男『現代政治の思想と行動』,2006新装版,未来社,pp.11-17.)。
ブーランジェ「ヴェルサイユ政府軍の急襲で炎上するパリ市庁舎」1871年。
Gustave Clarence Rodolphe Boulanger, L'Hôtel de Ville incendié, assailli par
les troupes de Versailles. 1871. Musée Carnavalet. ©Wikimedia.
1871年5月、ティエールを首班とするフランス共和国政府軍は、
革命派のパリ・コミューン政府が拠るパリ市庁舎を襲撃した。
「元来、近代西欧における警察概念には2つの系統があった。」ひとつは、フランス,プロイセン等、大陸諸国で発達した大陸型「行政警察」であり、そこでは、「公共の福祉と安寧秩序の維持のために、民衆の自由を制限する権力作用一般」が警察に委ねられていました。それは、「政府の警察」であって、「政体転覆の企てや公序良俗の壊乱を予防し鎮圧すること」が、警察という組織を設ける第1の目的でした。
これに対して、英米型の「司法警察」は、「市民に対する犯罪・の除去を最優先する[自治体の警察]」の系統に体現されています。英米では伝統的に、「市民的法益を侵害する刑事犯の除去に警察の機能を限定する傾向が」強かったのです。
「明治初期に日本に導入されたの」は、英米型の「司法警察」ではなく、「大陸型の行政警察であっ」た。「パリ・コミューン」鎮圧の「翌年にフランスを訪れた川路利良は、」革命動乱を収拾したフランス政府の「警察組織の優秀さに深い感銘を受け、帰国後」、これをお手本として「日本における行政警察の創設に力を尽くしたのである。」この・フランス第3共和国の行政警察〔思想・治安警察〕組織は、これに先立つ「第2帝政期にナポレオン3世の独裁政府が整備した」強靭な反政府運動取締り機構であった。(pp.65-66.)
『だが、川路の行政警察構想には、』ヨーロッパの警察『にはない日本的な脚色があった。それは、彼の家父長的=家族主義的な国家観である。〔…〕川路著『警察手眼』の(三)には、「一国ハ一家也。政府ハ父母也。人民ハ子也。警察ハ其保傅也〔子守り役である――ギトン註〕」とある。「我国ノ如キ開化未ダ洽 あまね カラザル イキワタッテイナイ ノ民」〔…〕を「生育スル」に当たっては〔…〕子守り役の「看護」が不可欠だというのである。明治』初年に立ち上げられた日本の行政警察の基底には、『政府を親とし、民衆を子とする・こうした家族的』国家観が『潜んでいた〔…〕
これが、ホッブズやルソーに見られる社会契約説の対極に位置する国家観であることは言うまでもない。〔…〕国と民とは、親子の間にあるような濃密な血の絆で自然に結ばれており、そこには契約といった人工的な作為が入り込む余地はない。また、親と子という非対称の権力関係の類推から、優位に立つ者には生育と看護の義務が、劣位にある者には服従と報恩の義務が、それぞれ生じることになる。〔…〕支配と隷従という露骨な力関係は、〔…〕上から施される温情と下から返される感謝・という情緒的な相互応酬のオブラートでやんわりとくるみこまれ』る。『権力は言う。〔…〕警察の喫緊の使命は、』人民が『すでに犯し〔…〕た罪過に対する懲罰機能で』はなく、彼らが『これから犯すかもしれない罪過を「予防」するという教育機能でなければならないのだと。』
松浦寿輝『明治の表象空間(上)』,2024,岩波現代文庫,pp.66-67.
千代田区一番町2(英国大使館隣り):中江兆民「仏学塾」跡。仏学塾は、1877年
「二八通り」沿いから移転し、88年までここにあった。南隣りは「英国公使館」。
近隣(一番町31)に牛乳販売店の牧場もあった。『東京商工博覧絵 下』1885年。
【19】 近代刑法の導入と「啓蒙」
明治時代に制定された日本最初の近代的刑法典は、1880年制定,82年施行の刑法で、これは、現行刑法〔1907年制定〕と区別して「旧刑法」と呼ばれます。「旧刑法」以前にも、戊辰戦争以来、朝廷の「大宝律」や徳川幕府の「公事方御定書」を基にした刑律改定の試みは何度かありましたが、日本人の手による刷新は難しく、お雇い外国人ボアソナードが「フランス刑法典」に範をとって起草した原案をもとに「旧刑法」が、政府・元老院で確定されました。
『予防は、江戸期以前においては、鋸挽 のこぎりびき・引廻し・獄門 さらしくび・磔 はりつけ といった見せしめ刑のスペクタクルによってその大きな部分を担われていた。旧刑法の段階に至って、こうしたスペクタクルは刑執行の現実から』も『言説の水準からも一掃されてゆく。形象 フィギュール が影を潜め、よりいっそう無表情に,無機質になってゆく法の言説は、〔…〕一般化され,抽象化された概念構成を通じて民衆の「象徴界」に働きかけ、〔…〕犯罪をそれによって抑圧しようとするのである。その「象徴界」への働きかけをしかし、理性的な説得と呼ぶことは難しい。〔…〕
刑法は、説得するのではなく威嚇する。国家とは潜在的な暴力装置にほかならないという事実をあからさまに示威し、その脅迫によって民衆の規範意識を強化し、日常生活の行動に実効的なコントロールを及ぼそうとするものが刑法なのである。問題は、その威嚇がイメージの水準からロゴスの水準に移行することで、〔…〕国家暴力の血腥さが隠蔽されてしまうことだろう。〔…〕形式的合理性を貫徹させ〔…〕た言説システムがまとう〔…〕無機的な無表情、その静かな現前が民衆を威嚇し、規範からの逸脱を予防する。〔…〕人間的共感を弾き返すそののっぺりした無表情の聳立それ自体によって威嚇するロゴスである。理解へと開かれたロゴスではなく、端的に圧倒するロゴスである。〔…〕
「カリスマ的支配」「伝統的支配」から「合法的支配」へという図式に内包された進化論的含意が』、明治期の日本にかんしては『疑問に付され』ざるをえない。それは、『「近代的法治国家」という概念を明治日本にはそのまま適用できないのと同じ』ことで、そこでは『支配の合理性を担保している法システムの形式的合理性それ自体が、威嚇と予防の装置として働いているからである。』
しかも、 『この威嚇的な合理主義』の支配は、『固有の意味での政治と法の領域にとどまるわけではない〔…〕。内務省や警察〔…〕の権力の基盤を保証するものは、その行使を正当化(justify)し、かつ正統化(legitimate)し、さらには権威化(authorize)しもする表象システムの合理性の誇示にある、とわれわれは考える。
レーピン「桟橋」1880-85年。フランス滞在中の作品。 ©Wikimedia.
Stanislas Lépine, L'estacade, circa 1880-85, Calouste Gulbenkian Museum.
そうだとすれば、〔…〕この同じ期間〔明治初期・中期――ギトン註〕に、制度を表象する〔ギトン註――かつ機能させる〕ツール〔…〕すなわち日本語の書き言葉が、いかなる合理化の要請に基いて進化変容を遂げてきたかが考察されねばなるまい。
実際』、日本語の書き言葉という『このシステムは、明治初期・中期の短期間に「言文一致体」へ向けて驚くほど急速な進化を遂げる。そして、〔…〕「言文一致体」の定着に至るまでの近代日本語の書き言葉の歴史には〔…〕合理主義の増大という基本的方向性が貫徹していることは明らかだ。〔…〕
ここに、「啓蒙」すなわち「光に向って開くこと」〔※〕に内在する合理主義のうちにもまた威嚇的な何かが――抑圧的な警察国家としての明治国家の権力機構の威嚇性と恫喝性に通じ合う〔…〕何かが、孕まれているのではないかという疑いが生じる。それは、「言文一致体」の登場とともに民衆が「漢文体」の〔…〕桎梏から解き放たれ、光が射し込んで透明化した心のうちを思うさま表現できるようになったとする「啓蒙」の物語の楽天性への疑いでもある。』
松浦寿輝『明治の表象空間(上)』,2024,岩波現代文庫,pp.165-168.
註※「啓蒙」: 「啓蒙」の原語 Lumières〔仏〕, Aufklärung〔独〕, Enlightenment〔英〕、いずれも原義は、「明るくすること」「光で照らすこと」。
こちらはひみつの一次創作⇒:
ギトンの秘密部屋!










