ギトンのパヴィリオン


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そこにはいつも きみがいた。。。。。



※ 「詩文集」は順不同です。1回ごとに完結してますから、どの回からでもお読みいただけます。
「詩文集」は、すべて "Hermann Hesse Die Gedichte", hrsg.von Volker Michels, Insel Taschenbuch 2762, Insel Verlag, 6.Aufl. 2013. のレビュー(自訳詩つき)です。



七崎
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ミヤケンとBL週記 ≪ギトンのあ~いえばこーゆー記≫

心象スケッチ写真帖 《ギトンの Galerie de Tableau》

ギトンの【最新記事いちらん】



  • 20Feb
    • 【必読書150】 スピノザ『エティカ』(4)

      ↓こちらにレビューを書いてみました。【必読書150】スピノザ『エティカ』(4)――――――“異世界”のはざまに立つ生き物たちスピノザの《多元宇宙》まったく交渉のない“異世界”が重なり合う“鏡の両側”のような世界こちらで起こることは、あちらでも起こるあちらで起こることは、こちらでも起こるどちらが原因でも結果でもない同時かつ相同の世界《神》すなわち《全宇宙》は無限に広がる水面人間もウニもウイルスも銀河も《神》の水面にたってはきえる波のようなもの《神すなわち自然》のほかに恒なるものはない。《神》の愛はナルシスの自己愛人間たちの愛は《神》の自己愛の一部だ《神すなわち自然》の眼で見れば宇宙のすべては必然的に決定されている。“偶然”はどこにもないのか?“人間の自由”は幻想か?幾何学のような緻密な論証のはざまに必然の“ほころび”と、たしかな“自由”が見えかくれするスピノザの壮大な宇宙空間今回は、「第2部精神の本性と起原について」

  • 17Feb
    • 【必読書150】 スピノザ『エティカ』(3)

      アムステルダム↓こちらにレビューを書いてみました。【必読書150】スピノザ『エティカ』(3)――――――科学の実験にたえる「神」は、いるか?知れば知るほどゲッソリしてしまう《この世界》恣意とソンタクと“自己責任”が横行する《この世界》《神すなわち自然》のスピノザ宇宙ごまかしも偽りも《責任》もない、《必然》がすべてのなにかおそろしい、まっくらな世界人間やウニやウイルスや星雲や宇宙のチリが考え活動する、そのすべてが《自然》すなわち物体神の思考と活動の一部だというどこに向かっているわけでもない誰が命令するわけでもないスピノザの宇宙その世界=この世界は案外くらしやすそうだ山や海がそのまま《神》だと思っていたこの島々の先祖たちには解りやすそうだ『エティカ』、今回は 《自由》と「第1部 神について」宇宙の内部:人間やウニやウイルスについては次回に開示される。

  • 13Feb
    • 【必読書150】 スピノザ『エティカ』(2)

      「ポルトガル・シナゴーグの内部」 アムステルダム国立博物館↓こちらにレビューを書いてみました。【必読書150】スピノザ『エティカ』(2)――――――自由か、自由でないか、あなたは知っているか?戦争と舞踏会が大好きなルイ14世17世紀は絶対王政の時代だった。王侯が支配するヨーロッパにただひとつ自由主義の共和国があった海に開けた商人の国オランダへ、自由を求めてフランスから哲学者デカルトが移住してきたたちまちオランダの学者もブルジョワジーもデカルトの新しい哲学、数学、自然科学に熱狂した。おもしろくないのはプロテスタントの神学者たちオランダはカルヴァンの新教国家でもあった神学者と聖職者は保守的な政治家と結びつきデカルト主義者を槍玉にあげて攻撃した彼らを自由にさせておいたら信仰が破壊され危険な無神論思想がはびこる、しかもデカルト主義者を陰であやつっているのはあの破門ユダヤ人スピノザだとの噂を広めた。スピノザは急遽、『聖書』の研究に向かい『神学・政治論』を公にした。幼少からヘブライ語に親しんでいたスピノザの右に出るキリスト教徒はいなかったのだ。そして《自由》こそが国家の存立目的であると断じたうえ、自由な国家といえども弾圧せざるをえないのは国家に“反逆”する聖職者だけであることを論証した。続いて公刊した『エティカ』では、《自由》とは本性の「必然性」であり、自由意志は神にも人間にも存在しないと幾何学の緻密さで論じた。《自由》イコール「必然」?!驚愕する読者にスピノザは言う:知識は単なる情報ではない主体の心身に変化をもたらさずに獲得される真理はないのだ、と。

  • 06Feb
    • 詩文集(118)――【シベリウス】 荒野の狼(117 の つづき)

             運の悪い晩 彼らはわたしを晩餐に招いたが、 わたしはきょうそんな気分ではなかった、 二日酔いと頭痛がひどかったのだ、 加えていつものこむら返りの痛み、 ろくなことにならない予感がした。 それからこの人たちが壁にかけている 愚劣な絵画のかずかず、 ゲーテやらその他もろもろの芸術物件、 しまいに誰やらがピアノまで弾いて 力のこもった遠慮のない音を聞かせてくれた、 ひとことで言って、この生憎(あいにく) の由緒あるお宅では もうひとときもじっとしていられなくなった。 わたしは主婦に向って暴言を吐き 食事が終るや否や不躾(ぶしつけ)にも退散したのだった、 彼らは、まことに残念ですと言ったが、 見るからに体(てい)をつくろった嘘だった。 わたしは悲しい気分で引き下がり、 どこやらで若い女の子を買おうと思った、 ピアノを弾いたり芸術に興味をもったりしない少女を。 しかしそんな女は見つからずまた酒に溺れはじめた、 俺はもうきっぱりと酒を断つ、 そう大言壮語したばかりだというのに。 おい、おまえら誰でもこう惨めったらしく孤独なのかい、 それとも俺だけがこの結構な世の中で 独りぼっちで荒れ狂って悲しんでなくちゃいけないのか? おまえら人間ども、何がおもしろくて晩飯(ばんめし)に招待なんぞし合うんだ? 何がよくてあんな我楽多を壁に掛けたりするんだ? どうしてこんな、誰にも喜びを与えない 犬みたいな生活をしているんだ? なぜさっさと気高い結末をつけようとはしないで、 ぐずぐずピアノを弾いたりトーマス・マンの話をしたりするのか? わたしには理解しがたいことだ、 こんなにコニャックを飲むのは健康じゃないさ、 身体(からだ)をすっかりだめにしてしまう、 しかし身を亡ぼすほうが、君らよりも気高くはないかね? シベリウス『組曲 ベルシャザールの饗宴』から第1曲 東洋風の行進レイフ・セーゲルスタム/指揮ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団 前回は『荒野の狼』でしたが、 前回分をうぷしたあとで、いつものヘッセ詩集をめくっていたら、この小説に関連ありそな詩が2,3あったので、続篇を書くことにしました。↑上に訳したのが、そのひとつ。 『荒野の狼』の《あらすじ》から、関連箇所を引いておきませう↓。 ちなみに、前回からのあいだに、この小説を読んでみたかたもいらっしゃいますかしら? いま、新本となると、高橋健二訳の新潮文庫くらいしかないんですな。ちょうど端境期なんでしょう。高橋先生のヘッセも、『クヌルプ』などは、手慣れたすばらしい訳なんですが、この『荒野の狼』あたりまで来ると、どうも訳文が危なっかしくなってきます。ヘッセも後期になると、内容が哲学的というか、難しくなるんでしょうね。といって、わたくしめも、原書を完読してはおりません。。。 光文社文庫から新訳が出るのを心待ちにするばかりです。 『市民的な生活に馴染もうとする自分と、その生活を破壊しようとするおおかみ的な自分。二つの魂を持つハリーは、自刹を逃げ道にしておき、それによって、かろうじて精神の均衡を保っている。そして、そういう自分は「荒野のおおかみ」なのだと考えていた。 ある日、彼を夕食に招いてくれた「教授」の家で、ハリーは、市民的に当たり障りなく描かれたゲーテの肖像画を見て、うちのめされる。「教授」は、「ハラー」という、ハリーと同名の反戦作家をこき下ろした新聞記事を見せて、軽蔑と憤りを露わにする。(じつは、新聞で槍玉に挙げられているのはハリー・ハラー自身であり、教授はそのことを知らない、という状況が言外に暗示されている。) ハリーは、“市民世界”の中で生きる希望を失い、街をさまよい歩いたすえ、えたいの知れない場末の居酒屋に入りこんでしまう。そこは、麻薬と娼婦が充満し、乱痴気騒ぎにあふれかえった場所だった。 ハリーは、そこで娼婦の少女ヘルミーネと知り合ってジャズ・ダンスを教えられ、彼女に紹介された官能的なマリアとセックスをするが、ハリーは、精神的な少女ヘルミーネに、より大きな関心をもっている。そのあと、ハリーは、ヘルミーネが、楽団のサキソフォン吹きパブロと寄り添って昏睡しているのを目撃する。二人は全裸で倒れており、見るからに濃厚なセックスの後だった。 パブロは、ハリーを「魔術劇場」に導き、彼の前にモーツァルトの姿で現れる。……』  《あらすじ》全体は⇒:こちらで。 「私は教授の家の前に一瞬立ち止まって、窓を見上げた。そして考えた。ここにあの人は住み、年年歳歳研究を続け、原典を読んだり注釈を付けたりし、近東とインドの神話との関連を調べ、それで満足している。それというのも、彼は自分の行為の価値を信じ、自分の奉仕している科学を信じ、ただの蓄積と知識の価値を信じ、進歩発展の価値を信じているからである。彼は世間と戦争の体験を共有しなかった。アインシュタインによって従来の考え方が揺さぶられる体験を共有しなかった(それは数学者にだけ関係することだと、彼は思っている)。自分のまわりで、次の戦争がどのように準備されているか、彼は全く気づかない。ユダヤ人と共産主義者は憎むべき輩だと思っている。善良な、思想のない、満足し、うぬぼれた子供である。じつに羨ましい存在だ。 私はやっと意を決して中に入り、白い前掛けをした女中に迎えられた。〔…〕私は暖かくて明るい部屋に通され、お待ちくださいと言われた。〔…〕いたずら半分に、私は眼に止まった手近な品を手に取った。丸テーブルの上にある小さな額に入った肖像画で、〔…〕詩人ゲーテを描いた銅版画だった。〔…〕画家は、この魔神的老詩人に、その深みを損なわずに、自制と実直さのある・やや教授風の、というより役者ばりの表情をさせることに成功していた。要するに、どんな市民の家にも飾っておけるような、まったく素敵な老紳士にゲーテを拵(こしら)えあげていたのである。〔…〕 それでなくても十分いらいらし、むかむかしていた私に向って、老ゲーテの空疎でいい気な・この肖像画は、たちまちやりきれない不協和音となって喚(わめ)きちらしてきた。ここはおまえの来るところではないと、私に告げていた。この家は、美しく様式化された老巨匠や国民的偉人が居座るにふさわしく、荒野の狼にはふさわしくなかった。 〔…〕教授が入って来ると、〔…〕教授は手に新聞を持っていた。軍国主義者と戦争扇動党の機関紙〔ナチス党中央機関紙『民族の監視人(Völkischer Beobachter)』(1920-1945)か――ギトン注〕、月ぎめで購読しているのだった。彼は私と握手してから新聞を指さし、そこに私と同名のジャーナリスト、ハラーのことが出ていると言った。こいつは悪党で、祖国の裏切り者に間違いない。皇帝を笑い草にしたうえ、敵国に劣らず祖国にも開戦の責任があるなどと表明している。なんてやつだ! 見ろ、こいつめ、ここで、こっぴどくやっつけられてるぞ。編集部が、ゴキブリ野郎を綺麗さっぱり片づけて、晒してらあ。そう言うのだった。」ヘッセ『荒野の狼』,高橋健二訳,新潮文庫,pp.122-125(一部改訳). さて、前回の続篇ということですから、“草原音楽”を続けましょう。「ベルシャザール」は、バビロニアの王子ですが、ユダヤから奪った戦利品の杯や食器で宴会を開いていた時、突然宙から手が現れて、壁に謎の文字を書きつけます。ユダヤ人ダニエルは、それを解読して、バビロニアはまもなく滅びると予言します。はたして、その翌日、ペルシャの軍勢が襲って、バビロンは灰燼に帰したのです。 この「ベルシャザールの饗宴」は、『旧約聖書』「ダニエル書」に書かれている話で、ベルシャザールというバビロニアの王族が実在したことも、考古学によって判明しています。 シベリウス『組曲 ベルシャザールの饗宴』から第4曲 カドラの踊りピエタリ・インキネン/指揮ニュージーランド交響楽団  後半は、“ディープな草原”。ガチなモンゴル民謡を聴いてみたいと思いますw バネをはじいているような楽器の音も変っていますが、バスの発声法が特別です。低音の裏声? ヨーデルの逆ですね。喉が悪いわけじゃないんです。モンゴル民謡は、こういう発声で歌うのです。 ちなみに、モンゴルの宗教はラマ教(チベット仏教)です。シャーマンの扮装や、聖所の装飾が、チベットと似ていますね(頭の被り物などは、日本の東北の鹿踊りや剣舞[けんばい]にも似ています)。シャーマンも、ラマ教と習合しているのでしょう。日本でいえば、修験道(山伏)です。 狼も出てきます。モンゴルでも日本でも、オオカミは昔から神様だったのでしょうね。 『シャーマンの巫歌』モンゴル民謡フスグトゥン・バンド ↓次の歌のクレジットは、モンゴル語なので全然わかりません。オンライン辞書を使って無理やり日本語にしましたが、どこまで合っているやら間違ってるやら不明であります。歌い手の手振りを見ると、どうやら水鳥の歌だということだけは、まちがえなさそうですね。 『幸せの青い宝石』(ペリカンの歌)モンゴル民謡ジュライ・ゲルデン さて、きょうのお別れの詩↓も、小説『荒野の狼』の関連詩。冒頭の詩と同じ日かどうかはわかりませんが、悪運にみまわれた宵のあとで、いきなりやってくる僥倖。パブロとヘルミーネに「魔術劇場」へ誘われる夢幻妄想も、原体験は、こんなものではなかったでしょうか?           愉快な夜 ふさぎこんで、眠れずに横たわっているのは辛(しん)どいことだ 羽根という羽根が地に向って垂れている時には。 愛に落ちて、眠れずに横たわっているのはすてきなことだ、 憧れの泉という泉が噴き上がってゆく時には。 夜の居酒屋から、幻滅して淋しく、ぼくは去って行こうとした、 ウイスキーの金を払い、惨めったらしくずらかろうとした、 そのとき階段の途中でわたしは魔に憑かれて立ちどまり、 すぐさま、この夜を始めからやりなおす気になった。 ギゼラが来た、ファニーが来た、ちょうど上で バンドが上機嫌なワンステップを弾きはじめた おおなんと速くて楽しい飛ぶようなリズムが走ったことだろう! ぼくらはみな跳びあがり、駆け回って踊り、燃え上がった。 いまはもう白みゆく朝のなかでぼくはベットに横たわっている、 ギゼラの匂いが咲きひらいた花のように胸いっぱい浸み通っている、 シミ―(※)を口ずさみ、ファニーに感謝し、 この夜をまた始めからやりなおすのにまったく異議はない。  註(※) 肩を揺するアメリカのラグタイム・ダンス。 よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau

  • 03Feb
    • 【必読書150】 スピノザ『エティカ』(1)

      アムステルダムのポルトガル・ユダヤ教会↓こちらにレビューを書いてみました。【必読書150】スピノザ『エティカ』(1)――――――思想とは自由の別名であり、自らの生存を危険にさらすことである「汎神論」というと、《自然》のただなかに没入し《自然》から神秘的な霊感を受けるような人を想像するかもしれない。しかし、スピノザが「汎神論」に至った経緯は、自然崇拝者のイメージとは、まったく異なるものだった。宗教改革と市民革命と戦争に明け暮れる17世紀のヨーロッパ。スピノザは、独立に揺れるオランダ共和国で亡命ユダヤ人の両親から生まれた。ユダヤ人コミュニティーとともに迫害のイベリア半島から逃れてきたのだ。熱心なユダヤ教信徒の少年だったスピノザは、24歳の時、ユダヤ教会から破門された。ヘブライ語ができすぎて生意気だ、一度お灸をすえてやれば改俊してくるだろう、そう思われたのかもしれない。しかし、スピノザは敢然と反旗を翻して教会を批判した。とたんに、狂信者にナイフで襲われた。その時から、スピノザは田舎に隠れ住みレンズ研きで細々と生計を立てた。ユダヤ教から追放されたユダヤ人には、隠者となる以外に生きる道はなかったのだ。そういうスピノザを見捨てずに援助した友人たちは、共和派が多かった。共和派は、ピューリタン政権の英国と組んで、羽振りがよかった。ところが、英国が王政復古。英王は、仏王ルイ14世と手を握ってオランダに攻め込んだ。愛国貴族として名高いオラニエ公が返り咲き、共和派政権は失脚した。共和派は“売国奴”とののしられ、民衆に囲まれ虐殺された‥スピノザは、民衆を言論で批判したが、顧みられなかった。誰もが貴族政権のもとに結集し、祖国防衛に専念していたのだ。こうして、「善」とは、「悪」とは、何なのか?「善」「悪」の絶対的な基準など、あるのだろうか?「自由」とは、「隷属」とは、何か?「自由」を求めて戦う民衆は、「隷属」に向っているのではないか?これらの疑問が、スピノザをとらえた。ユダヤ教、カトリック、プロテスタント、すべてに共通する根深い偏見が、無知が、問題の根本にあると、彼は考えた。“超人”のような神、まるで人間のように感情と偏見にとらわれかねない人格神を信じていることが、いっさいの偏見と混乱の原因だと見るようになった。「神」とは、この巨大な《自然》そのもののことである。《自然》じたいが人間を超越しており、《自然》の中には、誰々の神のような者は存在しない。《自然》には「善」も「悪」も「美」も「醜」もない。それらは、人間が勝手に 思いこんでいるにすぎないのだ、と。

  • 30Jan
    • 詩文集(117)――【ハチャトゥリヤン】 爺さんがヒッピーのアイドルに祭り上がった深いわけ

      鏡をのぞくと狼の顔が‥ 映画『荒野のおおかみ』(1974).        荒野の狼 おいらは荒野の狼小走りまた小走り、 世界は雪にうもれている、 樺の樹から鴉(からす)が舞いあがる、 兎はどこにもいない、ノロジカがいない! ノロジカに逢いたくてたまらない、 一頭でも見つけられたら! この歯で、この腕で捕らえるのに、 そんなすばらしいことがほかにあるだろうか。 おいらは心底からノロジカを可愛がってやる、 やつのなよなよした太ももに思いっきり喰らい込む、 そいつの真赤な鮮血をたっぷりと呑みつくす、 そのあとは一晩中孤独な遠吠えを続けるのだ。 せめて兎一匹いればおれは満足だろう、 やつの暖かい肉は深夜の美味だ―― いったいどうして何もかもが遠ざかってしまうのか、 人生をちょっとでも晴れやかにするものすべてが? おいらは尻尾の毛も灰色になり ものの形も見分けられなくなった、 何年も前に伴侶(つれあい)を失(な)くし、 いまは走り回ってノロジカの夢を見る、 兎の幻を見る、 冬の夜(よ)にすさぶ風の音を聞く、 燃える喉を雪で潤し、 悪魔のもとへと俺の哀れな魂を運ぶのだ。  ↑この詩は、もともとヘッセの同名の小説に挿入された詩なんですが、原題 Steppenwolf は、「荒野」ではなくステップ、つまり「草原」の狼です。 そもそも、オオカミって、荒野や砂漠にいるんでしょうかね? ↑詩を見ても、樹が生えていたり、ウサギやノロジカがいたり、荒野とは思えませんねw そういうわけで、音楽のほうは、「狼」と「草原」に分けて考えないとなりませんが‥、「狼」ときたら、ありきたりの↓この曲を抜かすわけにもいきますまい。。。  プロコフィエフ『ピーターと狼』序 奏カール・ベーム/指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団「『荒野のおおかみ』(Der Steppenwolf)は、ヘルマン・ヘッセの長編小説。1927年に発表。 この小説も、ヘッセのほかの小説と同様に、発表以来はげしい罵詈と賞讃の対象になった。第一次大戦後再び世界大戦に向かおうとする社会状況や、急速に発達する文明に翻弄される同時代の人びと、自己と社会に対して省察を加えることなく無反省な日々を送る人々に対して、アウトサイダーの立場から強烈な批判を浴びせた作品とみなされることが多い。しかし、作者の意図は、必ずしもそこには無かった。むしろ、この作品は、人生を、永続する一つのものと解するキリスト教的病理と人格形成に疑問を投げかけ、心理学的知見から、それらの脱構築を試みた作品であるとも評される。 この作品の主人公ハリー・ハラーと、作者ヘルマン・ヘッセのアルファベットの頭文字は、同じH・Hとなる。また、この作品の最重要登場人物であるヘルミーネは、ヘルマンの女性形である。作者は、この2人の人物に自己の内面を重ね合わせ、自己を分析し、新しい道を切り開こうとしたと評されている。 この作品は、出版直後から激しく論議され、特に1960年代頃に現れたヒッピーたちに大きな影響を与えた。カナダで結成されたロックバンド『ステッペンウルフ』のバンド名は、この小説に由来する。 しかし、ヘッセ自身は(1962年没)、執筆意図が誤解されることを大変危惧しており、『アメリカで、この本の意味を理解している人間が3人でもいるか疑問だ』と述べていた。」  ⇒:Wiki:「荒野のおおかみ」一部改         ネタバレ覚悟の誤導的《あらすじ》 正統な読みかどうかは保証の限りでないうえ、物語の結末をバラして推理小説的興味を失わせてしまう最悪のあらすじをお目にかけよう。もっとも、先に結末を確保したうえで、誤導を叩きのめしながら自力で読み進めたい向きには、いいかもしれないw この小説には、3つの主要人物と各々が代表する3つの世界がある。① 語り手ハリー・ハラーの友人である若い「教授」が代表する勤勉実直なドイツ市民の世界。この世界では、各々が自分の領域を守って、与えられた課題をこなすことに専念している。全体としての社会がどこへ向かっているのか、などという“身の丈を超えた”ことがらには、誰も関心をもたない。また、その世界から脱落したハリー・ハラーのようなアウトサイダーに対しては、軽蔑にみちた忌わしい感情をぶつけ、排除しようとする。② サキソフォンを吹くジャズ・ミュージッシャン「パブロ」の姿で現れるW・A・モーツァルト。彼はじつは、現代社会では“個人”とみなされている人間の人格を、多数の破片に分解してしまい、それらをチェスの“こま”のように操作するゲームの達人である。作者の芸術家的面の分身といえるかもしれない。パブロが代表するのは、生真面目に現実に向き合う真摯さを、心の底から軽蔑するゲームと遊びの世界であり、麻薬とセックスで舞いあがる夢幻の世界である。③ 作者の分身であり“荒野の狼”であるハリー・ハラーと、そのまた分身である少女ヘルミーネの世界。作者自身の子供~少年時代にまで遡及する、もっとも切実な分身といえよう。①の「教授」の小市民的世界から脱落したハリーは、ヘルミーネの導きによって②の夢幻の世界に引きこまれてゆくが、さいごには、その夢幻の中でヘルミーネを刺し殺し、②の世界からも脱落する。逆にいえば、①のみならず②もまた、作者が“ほんとうに”めざす世界ではなかったのである。 ありきたりの言い方をしてしまえば、①は“倫理的生活”、②は“美的生活”で、ハリーは、それらのあいだをさまよったあげく、“どちらでもない”と叫んで終る‥‥とも言える。しかし、キルケゴールとは違って、①②を超える第3の段階は、この小説では、示されていない。 キルケゴールの「神学的段階」になぞらえていえば、ヘッセは、この小説でも、はしばしで仏教に言及してはいる。しかし、この小説では、仏教(小乗的、自己修練的な)は、②の世界に埋没してしまっていて、小説『シッダールタ』に描かれたような独自の世界を繰り広げてはいない。 市民的な生活に馴染もうとする自分と、その生活を破壊しようとするおおかみ的な自分。二つの魂を持つハリーは、自刹を逃げ道にしておき、それによって、かろうじて精神の均衡を保っている。そして、そういう自分は「荒野のおおかみ」なのだと考えていた。 ある日、彼を夕食に招いてくれた「教授」の家で、ハリーは、市民的に当たり障りなく描かれたゲーテの肖像画を見て、うちのめされる。「教授」は、「ハラー」という、ハリーと同名の反戦ジャーナリストをこき下ろした新聞記事を見せて、軽蔑と憤りを露わにする。(じつは、新聞で槍玉に挙げられているのはハリー・ハラー自身であり、教授はそのことを知らない、という状況が言外に暗示されている。) ハリーは、“市民世界”の中で生きる希望を失い、街をさまよい歩いたすえ、えたいの知れない場末の居酒屋に入りこんでしまう。そこは、麻薬と娼婦と乱痴気騒ぎにあふれかえった場所だった。 ハリーは、そこで娼婦の少女ヘルミーネと知り合ってジャズ・ダンスを教えられ、彼女に紹介された官能的なマリアとセックスをするが、ハリーは、精神的な少女ヘルミーネに、より大きな関心をもっている。そのあと、ハリーは、ヘルミーネが、楽団のサキソフォン吹きパブロと寄り添って昏睡しているのを目撃する。二人は全裸で倒れており、見るからに濃厚なセックスの後だった。 パブロは、ハリーを「魔術劇場」に導き、彼の前にモーツァルトの姿で現れる。 「魔術劇場」の・ある部屋では、戦場で“自動車狩り”が行われている。これは「ブリキの安物文明世界を全面的に破壊する道を開くべく努力している戦争」なのであった。 次に、ハリーは、自分の人格が無数のチェスの“こま”となり、将棋さし――じつはパブロでありモーツァルトでもある――が様々な局面を随意に形作るさまを見る。サーカスで人間使いのおおかみによって猛獣のように扱われる人間ハリー。少年時代に遡り、初恋の少女と過ごす平穏なひととき。過去のすべての女性遍歴。そしていよいよ彼岸の世界に辿りつく。『ドン・ジョバンニ』の音楽が流れるなか、モーツァルトに出会う。モーツァルトは指揮して月や星を操っている。モーツァルトは、じつはパブロであり、さきほどの将棋さしその人である。 混沌とした幻想の後、ナイフを手にしたハリーは、ヘルミーネを刺し殺し、裁判にかけられる。陪審団は有罪を宣告し、ハリーが望む死刑ではなく、「永久に生きる刑」に処する。裁判長の音頭で、臨席者全員が爆笑し、ハリーを笑い倒す。 モーツァルト=パブロが現れて、ハリーを断罪し、なじる: 「君は笑うことを学ばねばならない。それが君に必要なことだ。人生のユーモアを〔…〕理解しなければならない。ところが、〔…〕君は、どうでもよいあらゆることに対して覚悟ができているのに、自分に必要なことは、何もわかっちゃいない。〔…〕君は、りっぱな態度で処刑に臨む覚悟ができている。それどころか、百年間禁欲しつつ、自分を鞭打つ覚悟だってあると言いたいんだろう。〔…〕  まったく、ユーモアのない、ばかな催しには、君は何にでも乗ってくるんだ。君という気前のいい男は、悲壮で、機知のないものには、何にでも財布をひっくり返そうとする。〔…〕君という卑怯者は、死ぬことばかり欲して、生きることを欲しない。ばかな話だ。君は、まさに生きなければならない!」 モーツァルトは、パブロの姿に変って、さらに言う: 「あんたはあのときすっかりわれを忘れて、私の小劇場のユーモアをぶち壊し、醜態を演じましたね。ナイフで突き刺し、われわれの美しい絵の世界を現実のシミで汚してしまいました。あの仕打ちは感心しませんでしたね。ヘルミーネとぼくが寝ているのを見て、まあ嫉妬からやったことなんでしょうが。」 こうして、すっかり断罪されて②の世界からも脱落者の烙印を押されてしまうハリーであったが、それでも彼は、こう呟くのである: 「ああ、私はすべてを理解した。パブロを理解し、モーツァルトを理解した。〔…〕その遊戯をもう一度始め、その苦悩をもう一度味わい、その無意味さにもう一度おののき、自分の内部の地獄をもう一度、いや幾度でも遍歴しようと思った。  いつかは〔…〕私も笑うことを覚えるだろう。〔…〕」 つまり、彼は、相変らず真摯至極の“鞭打ち行者”なのである。ゲームと遊びを解しないカタブツの老人に、今後なお「幾度でも遍歴」されることになるパブロたちの「劇場」こそ、いい迷惑であろうw しかし、逆にいえば、ハリー=ヘッセにとって、この美的「劇場」は、終着駅ではなかった。なぜなら、パブロ=モーツァルトは、彼らの夢幻「劇場」で遊びまくっているだけで、小市民的現実世界に対して、何らの影響も及ぼしえない。そればかりか、彼らの無軌道ぶりは、結局のところ窮屈な市民社会の“息抜き”でしかなく、むしろ現実の不条理を、裏から支える役目をしている、とさえ言えるのである。  ⇒:ヘッセ『荒野のおおかみ』,高橋健二訳,改版,新潮文庫. ならびに、ヘッセ「荒野のおおかみ」―プレコの日記を参考にさせていただきました。  そこで、「ステッペンウルフ」ですが、有名すぎるこの曲↓は? 映画「イージー・ライダー」の冒頭シーンに流れてから超有名になったので、どなたもどこかで聞いたことがあるはずですよw こういうのが、ヘッセ死後のヘッセ偶像化につながったんでせうねw⇒:ヘルマン・ヘッセ・フェスティヴァル実況 本人が、これを見ないで死んだのは、まことに幸いでした← マーズ・ボンファイヤー『ワイルドでいこう』(Born To Be Wild)ステッペンウルフ,1969年ライヴ映画『荒野のおおかみ』 ジャケット    後半は「草原」にまつわる曲。ハチャトゥリヤンのバレエ音楽『ガヤネー』から、まだ紹介してなかった中央アジアの舞曲を。 クレジットには「クルド族の踊り」とあるのですが、『ガヤネー』の舞台は、アルメニア。近年話題になっている・トルコ・シリア国境のクルド人と、同じなのでしょうか? 調べてみると、クルド人は、トルコ、イラク、シリアだけでなく、イラン、アルメニア、ジョージア、ロシアなどにも住んでいるとのこと。それどころか、イスラエルにはユダヤ教徒のクルド人がいるというから、ほんとに広い範囲に散らばっているんですねえ。なにせ、“自国を持たない世界最大の民族”なのですから‥ ハチャトゥリヤン・組曲『ガヤネー』「クルド族の踊り」ロリス・チェクナヴォリヤン/指揮ナショナル・フィルハーモニック管弦楽団ハチャトゥリヤン・組曲『ガヤネー』「クルドの若者の踊り」ロリス・チェクナヴォリヤン/指揮ナショナル・フィルハーモニック管弦楽団 ↓『草原情歌』は、NHK「みんなのうた」で放送されて以来、日本でもよく知られていますが、もとは、新疆・イリ地方のカザフ族の歌だそうです。イリ地方‥‥天山北路と言えばイメージが湧くでしょうか。  ⇒:天山北路(画像)  カザフ族は、カスピ海北岸から、新疆、モンゴル西部まで広がって生活する人びとで、もとは 100%遊牧民だったそうです。 ↓この音源、日本で歌われているのとは少し節まわしが違いますが、こちらが本来のメロディーらしいです。「みんなのうた」は、中村勝彦編曲のメロディー。 ところが、驚いたことに、今は、その日本人向けに編曲したメロディーのほうが、中国に逆輸入されていまして、‥‥ヨウツベを見る限り、なんと中国人向け『草原情歌』のほとんど全部が、いまは、日本式逆輸入メロディーのほうになってしまっています。“カラオケ”文化侵略おそるべし !! 『草原情歌(在那遙遠的地方)』王洛賓/作詞新疆カザフ族民謡ホセ・カレーラス/vocal「在那遙遠的地方,有位好姑娘, 人們走過了她的帳房,都要回頭留戀的張望。 ツァイ・ナー・ヤォユェンダ・ティーファン ヨウ・ウェイ・ハオ・クーニャン レンメン・ツォウグォラ・ターダ・チャンファン トウ・ヤオ・ホイトウ・リューリェンダ・チャンワン はるかはなれた そのまたむこう だれにでも好かれる きれいな娘がいる 她那粉紅的笑臉,好像紅太陽, 她那美麗動人的眼睛,好像晩上明媚的月亮。 明るい笑顔 お日さまのよう くりくりかがやく目は お月さまのよう 我愿抛弃了财产,跟她去放羊, 毎天看着那粉紅的笑脸,和那美丽金边的衣裳。 すべてを捨てて 羊飼いになり かわいいあの子を毎日 見つめていたい」訳詞:青山梓/劉俊南/ギトン(3番)          《荒野の狼》から朗読したあとで ひと晩かけて自分の詩を朗読する機会が与えられた、 親愛なる二人の友人が聴いてくれるのだった; わたしが次々と読みまくってゆくあいだ、彼らは赤葡萄酒で寛(くつろ)いでいる、 わたしは温かくなり、熱くなり、彼らは詩の着想を褒め上げた、 すばらしい出来栄えだと言い、礼を述べ、小さく欠伸(あくび)をした、 そして寝室へ去って行き。わたしはひとり取り残された、 王冠を取り上げられ、原稿に埋もれる癲狂院(てんきょういん)の王、 ああ、彼らがあと一時間いっしょにいてくれたなら! わたしはよろこんで、鎮めのワインを傍らに注(つ)ぎ、 熱した身を徐々に冷まして再び大地を踏みしめたことだろう! ところが彼らはわたしがそれをし終えないうちに、 逃げてしまった、親愛なる友らは; まったくだしぬけに、わたしは地上に墜落していた、 胸糞悪く、すっかり興ざめして! 陰惨にわたしを見つめる原稿紙、 わたしはなすすべなくここに坐し、なお坐している、 わたしはワインをすすり、書きこんだ紙を見つめ、 すすり、見つめ、朗読なんぞしなければよかったと思い、 夜が明けるまで一睡もせず横たわろうとしている。  よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau

  • 29Jan
    • あんのじょう安倍と小池はウイルスを誘致した/「武漢市の真実」

          【新型コロナウイルス 中間ややまとめ】〇 感染後2週間以内が潜伏期間。潜伏期間中は症状がなく(咳[セキ],発熱などの症状が出る場合もある)、検査しても陽性にならない。逆に、陽性になっても、何の症状も出ない人もいる。中国国内の感染者の実数は、1月半ば現在25,000人との推計(香港大) 1月25日現在 40,000人との推計(ジョンズ・ホプキンス大)1月25日現在,武漢と周辺都市で 75,815人との推計(香港大)〇 潜伏期間中でも、他の人に感染する。→今後、爆発的に感染者数が増える可能性も。⇒体温を測ったり、自己申告者を検査するだけでは、感染は防げない!→【悲報】 おバカな政府と都知事が、本日(1.29)からウイルスをどんどん日本国内に流しこみ中。〇 唾液等の飛沫、手が触れた物体などで感染。∴マスクは、他人への感染を防ぐ効果はあるが、自分が感染されない効果は不十分(飛沫が眼に入れば受感染する)。日本国内感染者は、武漢市からの団体観光客を乗せて長時間運転した運転手。ドイツ国内感染者は、武漢から親戚の訪問を受けた上海市民の来訪を受け、会議をしている。→同じ室内での長時間滞在や会議が、感染リスクを高めた?〇 ウイルスはアルコール消毒が有効(ウイルスを死滅させる)なはず。キッチン用アルコール滅菌剤、アルコール入りのうがい薬が推奨か? インフルに効果のある紅茶を飲むのがよいとの情報は: 試みてよいが、あくまでウイルスの活動を抑えるだけ。〇 咳、発熱、頭痛、関節痛、下痢などの症状。発熱しない場合もあるとの情報あり。死亡率は 2-3%以上。ただし、あくまで「公式」発表、今後高まる可能性もある。〇 いずれの政府も、公式発表は、わざと低く出している or 実態が把握できていない、などで、過小と思ったほうがよい。たとえば、中国内では、多くの感染発病者が、検査も治療も受けられていない(↓参照)。彼らは感染者の数字に入らないし、死んでもコロナウイルス死者の数字に入らない。↑武漢在住の中国人の youtube(日本語字幕付き),ぜひ見てください。そのうえで、拡散の必要があると判断したら、ぜひ拡散してください。「この動画をアップするのは容易なことではない。VPNを使うなど困難を克服しなければならない。しかし、私はそうしないではいられない。もっとおおぜいの華人同胞や良心のある方々に今回新型肺炎の深刻さと現地の状況を知ってほしい。…… 私はただ人間として、今、真実を伝えたいだけです。……今の武漢はまるで地獄のようだ。…… お金の援助はいらない この動画を拡散して 世論の圧力が欲しい。……何も知らずに感染されて 治療も検査もしてもらえず 苦痛を味わい死を待つ ……〔中国〕政府は、感染したら発熱、咳が出ると発表したが、実際には熱が出なくても発病する。口だけではなく、眼からも感染する。……武漢閉鎖の1ヵ月前、約200万人はすでに外へ出た。もう手遅れだ。中国全土を閉鎖できるのか?…… この動画を見た方、わかってください。私は逮捕されるリスクを冒して、ほんとうの状況を伝えている。……」  武漢市街頭の状況 ←こちらを見て、少しだけ安心してください。 いま現地で不足しているのは、市民レベルではマスク(消毒薬、手袋も?)、医療機関レベルでは検査薬のようです。人の出入り(とくに国境を越えての)については、思うところもありますが、もう少しようすを見たいと思います。 花巻旅行を予定していたのですが、――花巻空港は、上海からの観光客を迎えて熱烈歓迎中とか――中国人観光客の多い宿を定宿にしているので、大事を取ってキャンセルしました。春節が明けたら行くかもしれませんが。

  • 23Jan
    • 詩文集(116)――【ヤナーチェク】 中欧に入りこんだ東洋の孤島:モラヴィア

      現実とは思えない風景モラヴィアの草原        冬の園亭(パヴィリオン) ハドリアン式寺院の不遇な曾孫(ひまご)、 メディチの荘園の私生児。 申し訳ていどに化粧を施して、ヴェルサイユに 想いをはせながら、おまえは微笑する おまえの階段も円柱も、甕も柱頭の渦巻きも、 粗野な浜辺には不似合いだ、 おまえが余所者(よそもの)の国に視線を送り、 魅力と魔法をただよわせているが、 それらはおまえ本来のものではない; 多すぎるおまえのガラス窓のむこう ぐるりを囲んだ雪が冷たく見つめている。 借りものの虚飾を身につけたおまえは 大都会の道端に立つ貧しい少女に似ている、 やや無理をして微笑をうかべ 自分で見せたいと思うほどには美しくない、 その出来損ないの飾りほどには豊かではなく、 色とりどりの衣装ほどに心は明るくない。 そういう少女に似ている;いくばくかの軽蔑と いくらかの憐れみが、おまえの受ける答えだ。 多すぎるおまえのガラス窓のむこうから 周囲の雪が冷たくよそよそしく見つめている。  前回は、チェコのスメタナを特集しましたが、今度は、チェコでも東部出身のヤナーチェクを聴いてみたいと思います。 チェコ・プラハのスメタナ、ドヴォルザークが、ドイツ、オーストリアを中心とする西洋音楽の一部だとすれば、ヤナーチェクは、むしろ非西欧的な、現代音楽の方向をめざしたといえます。 同じチェコでも、東部のモラヴィア地方は、ハンガリーや、さらに東のバルカン・スラヴ文化の影響を強く受けているのです。 ヤナーチェク『モラヴィア舞曲集』から第2曲「カラマイカ」アントニ・ヴィット/指揮ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団 どうです? ハンガリー風でしょ? 「チェコの住民と地方は文化(主な特徴は、言語、民俗衣装など)によって幾つかに区分されている。 モラヴィアは、チェコ共和国東部の地方。ドイツ語ではメーレン(Mähren)と呼ばれる。面積は約26,000km2。 モラヴィアはドナウ川の支流であるモラヴァ川と、それに注ぐ河川の流域一帯である。古来から、南のアドリア海、オーストリアと、北のポーランド、バルト海とを結ぶ交易路となっていた。北海で採取された琥珀はモラヴィアを通して地中海に運ばれ、『琥珀の道』と呼ばれていた。」  ⇒:Wiki:「モラヴィア」一部改  ベルリンの壁が崩壊し、東欧が“解放”された直後にチェコを訪れたことがありました。その旅行の最中にチェコスロヴァキアからスロヴァキアが独立するという事件もありました。 チェコ東部の都市ブルノ(Brno)へ行ってみると、「われわれはモラヴィア人であって、チェコとは違う民族だ。われわれも独立するのだ!」と力説しているのを聞いて驚かされました。ブルノは、モラヴィアの中心都市なのです。 26,000km2 といえば、四国地方(約18,000km2)と中国地方(約32,000km2)の間の面積。そんなに細かく独立しなくてもいいのに..., と思ったものですが。 両地域の歴史・伝統の違いは、かなりあるようでした。しかし、けっきょくモラヴィアは、スロヴァキアのように分離独立は、しませんでした。最近では、チェコのプラハでモラヴィア・ダンスがはやったり、ブルノにチェコ・ミュージアムが開館したりと、むしろ相互理解が進んでいるようすが伝えられています。 モラヴィアは、有史以来、中央アジア方面からヨーロッパへ向かう民族移動の通り道になっていました。そのため、この地の住民は、 スキタイ人→ケルト人→ゲルマン人→スラヴ人 と、めまぐるしく交替します。 しかも、モラヴィア人は(チェコ人、スロヴァキア人も)、ポーランド、ロシアなどの北スラヴ系ではなく、“南スラヴ系”。現在のセビリア、ブルガリアなどバルカン半島の住民と同系なのです。 7世紀には、中央アジアから来た遊牧民族アヴァール人に服属していました。 「アヴァール人の国家が崩壊した後、9世紀にモラヴァ川流域に拠点を置く豪族のモイミールと彼の一族に率いられた『モラヴィア人』は勢力を拡大し、国家としての形式を備えるようになっていた。チェコ、スロバキアを中心とするモラヴィア王国の最大版図は、ポーランド、ハンガリー、オーストリアの一部を含み、『大モラヴィア王国』の名で呼ばれることもある。 モラヴィア公ラスチスラフは、ビザンツ帝国(東ローマ帝国,ギリシャ正教会)に宣教師の派遣を要請した。要請に応じてテッサロニキの修道士キュリロスとメトディオスの兄弟が派遣され、グラゴール文字を用いた布教、聖職者の育成が行われた。 902年から906年頃にかけて行われたマジャール人(ハンガリー人)の攻撃はモラヴィア王国に大打撃を与え、王国は崩壊した。20世紀前半までモラヴィア王国の存在は文書史料でしか確認できなかったが、第二次世界大戦後に実施された発掘調査によってモラヴァ川沿いの遺跡が多く発見され、有力な国家の実在が立証された。」  ⇒:Wiki:「モラヴィア」一部改  王国崩壊後のモラヴィアは、西のチェコと、東のハンガリー(マジャール人)から大きな影響を受けて、特有の文化をはぐくんでゆくことになります。 「大モラヴィア王国」の時代に、東ローマ帝国から派遣されてきたギリシャ正教のキリル(キュリオス)の布教は、モラヴィアに、西ヨーロッパとは異なる文化的特質を刻印しました。現在、ロシア語などで使用されている「キリル文字」は、キリルの考案したグラゴール文字に由来するものです。モラヴィアの人たちは、いまでも、この特異な事績を誇りにしているのです。 現在でも、フスの宗教改革に淵源してプロテスタントになったチェコとは対照的に、モラヴィアではカトリックが主流です。チェコとモラヴィアの教会を訪れてみれば、相違は歴然としているのです。 ヤナーチェクのなかで有名な・この曲↓も、チェコのスメタナ、ドヴォルザークの“西洋音楽”とは、一味違った東洋風?の響きをもっています。 ヤナーチェク『シンフォニエッタ』から第1楽章 ファンファーレ:アレグロ‐アレグロ・マエストーソロンドン・フィルハーモニー管弦楽団メンバー「レオシュ・ヤナーチェクは、モラヴィア(現在のチェコ東部)出身の作曲家。 モラヴィア地方の民族音楽研究から生み出された、発話旋律または旋律曲線と呼ばれる旋律を着想の材料とし、オペラをはじめ管弦楽曲、室内楽曲、ピアノ曲、合唱曲に多くの作品を残した。 チェコの音楽学者J・ヴィスロウジルは、ヤナーチェクの作品に濃厚なモラヴィアの地方色を見出している。ヤナーチェクは、芸術音楽は『民謡からのみ発展する』と確信し、モラヴィア民謡から音楽の基礎を会得したといわれており、その作品は、モラヴィアの民俗音楽から強い影響を受けた。 現在のチェコは、大きく分けて、スメタナやドヴォルザークの生まれたボヘミア(西部)とヤナーチェクの生まれたモラヴィア(東部)という歴史的地域から成り立っているが、両者の間には文化においても違いがある。ボヘミアが『いつも多分に西ヨーロッパの一部』で『都会風で豊か』なのに対し、モラヴィアは『スラヴ系特有の東洋との同一性を保持』し、『本質的に農村』と評される。音楽についても、ボヘミアの音楽が『単純な和声と規則的なリズムのパターンと調的構造』『厳格で規則正しい拍子』を有するのに対し、モラヴィア、とくにスロバキアに近い東部の音楽は規則性がなく、自由な旋律によって構成される。また、ボヘミアの音楽には長調のものが多く、モラヴィアの音楽には短調のものが多い。 ヤナーチェクは、スメタナの音楽のボヘミア風を、西欧音楽・ドイツ音楽に傾斜したものとみなし、『モラヴィアの伝統文化こそが、西スラヴ民族であるチェコ人の音楽を象徴するものである』と考えた。 モラヴィア出身の音楽学者ヴィスロウジルは、西洋音楽の枠にとらわれなかったヤナーチェクこそ、『真のスラブ民族の音楽を樹立しようとした人物』であったと述べている。」  ⇒:Wiki:「レオシュ・ヤナーチェク」一部改  以下、ヤナーチェクのオペラ作品から、ごくサワリの部分を見ておきます: ヤナーチェク『オペラ 狡猾な女仔狐』からサイモン・ラトル/指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ヤナーチェク『オペラ 死の家から』トレイラーロベルト・インドラ/指揮プラハ国民劇場オペラ      スキーの休憩 高い斜面を滑り降りようとして、 わたしは一時(いっとき)ストックを握り立ち止まる 見わたすかぎりの青と白のかがやきで なにも見えない銀世界、 見あげればたたなずく沈黙の稜線 凍りついた孤高; 眼下は眩(まばゆ)さのなかへ 谷から谷へとつらぬいて消える路すじ。 わたしは暫(しば)し息を呑んで立ち止まり、 静寂と寂寥(せきりょう)に圧倒されていた、 やがて谷に向って息もつかせぬ速さで その垂直な壁を滑走する。  よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau モラヴィアの耕野

  • 21Jan
    • ”★津軽にて”

      ↑去年はアベカワ餅なんか作って、のんびりやってたんですな。はあ~ 手術痕がもう少し治らんことには。。。ちなみに、写真に写ってるダイダイ、食べ方が2人共わからなくて...食卓に置いたままで萎れてひからびてしまいますた←ことしもよろしくおねがいもうしあげます。

  • 16Jan
    • 詩文集(115)――【スメタナ】 高い城と伝説の丘

      ヴルタヴァ(モルダウ)川とヴィシェフラト        刈り込まれた楢の樹(き) なんとひどく彼らはおまえを刈り取ってしまったことか、 なんと見違えるほどおかしな姿になっておまえは立っているのか! いったい何百回の痛みにおまえは堪えたことだろう、 反逆心と意地のほかおまえに何も残らなくなるまで! わたしはおまえのように、命を切り刻まれ 痛めつけられながら、倒れることはなかった そして毎日のように粗野な言動を掻いくぐり 浮き上がって新たに額(ひたい)を光に輝かす。 かつてわたしがもっていた柔らかいしなやかな心を 世は嘲って殺してしまったが、 わたしという存在は壊されようがない、 わたしは満足だし、気もしずまった、 何百回も打ち砕かれた小枝から 忍耐強く新しい葉を出して行こう、 そしてあらゆる嘆きにもかかわらず わたしはこの狂った世を愛しつづけるだろう。 スメタナ『交響詩 わが祖国』から第1曲「高い城(ヴィシェフラト)」ラファエル・クベリーク/指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団「      《ヴィシェフラト》 ヴィシェフラト(Vyšehrad)は、チェコ語で「高い城」を意味する。プラハにある、ヴルタヴァ(モルダウ)川沿いの丘の上の城跡である。 この丘に城が築かれたのは、プラハ城よりも遅く、10世紀後半ころ。ヴィシェフラトは当時のプラハ市域の外にあって、ヴルタヴァ川の東からプラハと川を押さえる大事な拠点であった。ヴラチスラフ2世王は、プラハ司教との権力争いもあって、プラハ城からヴィシェフラトに居城を移し、ここに司教座聖堂参事会を置いて司教に対抗した。ヴィシェフラトにはプラハとは別に独自の街があり、プラハ以上の賑やかさがあったという。 カレル5世王(神聖ローマ皇帝を兼任)によるプラハの大拡張で、プラハを囲む長大な市壁がヴィシェフラトに接続された。ヴィシェフラトは、プラハの南端に構える要塞として、十五の塔の聳える強力な城に改造され、宮殿や聖堂が整備され、プラハ市とは独立して市政が行なわれた。 フス戦争において、フス派は、プラハ市街を占領して、プラハ城とヴィシェフラトに拠るカトリック勢力に対抗した。フス派は、ヴィシェフラトに大規模な攻撃を行ない、ヴィシェフラトの戦いが起った。この戦いで勝利したフス派は、城を徹底的に破壊し、ヴィシェフラトのカトリック教会も破壊された。教会や聖堂は後に再建されたが、城は再建されず、川沿いの崖に遺構が残っているだけである。     『わが祖国』第1曲《ヴィシェフラト》 曲は、吟遊詩人のハープで始まり、この詩人が、古の王国の栄枯盛衰を歌う、という内容である。冒頭のハープの音色のあと、城の工廠の響きに転換する。この部分で現れる主題(B♭-E♭-D-B♭)は、ヴィシェフラト城を示しており、『わが祖国』全曲を通じて繰り返し用いられる。」  ⇒:Wiki:「ヴィシェフラット」一部改  『我が祖国』は、第3曲(シャールカ)と第4曲(チェコの森と草原から)は、すでに聴いてしまいました。有名な第2曲(モルダウ)も一部だけ出しましたが、これはまた機会を改めましょう。 最後の2曲「ターボル」と「ブラニーク」は、チェコ以外ではあまり聞く人がいないのですが、スメタナは、この2曲にもっとも力を入れていたようです。↑上の、プラハ、旧市街広場で行われたクベリークの演奏実況でも、「モルダウ」あたりでは、フスの銅像に登って楽しそうに笑っていた若者たちが、「ターボル」になると、しんけんな表情でじっと見つめながら聴いているようすが映っています。 チェコの人にとっては、「ターボル」と「ブラニーク」は、独立史にかかわる厳粛な曲なのです。それというのも、ルターやカルヴァンよりも以前に宗教改革を唱えて火あぶりにされたヤン・フスと、彼の信徒たちの抵抗の歴史を記念する音楽だからです。 「   第5曲:ターボル(Tábor) この曲と次の『ブラニーク』は、15世紀のフス戦争におけるフス派信徒たちの英雄的な戦いを讃えたものである。 ターボルとは、南ボヘミア州の古い町で、フス派の重要な拠点であった。ボヘミアにおける宗教改革の先駆者ヤン・フス(1369-1415)は、イングランドのジョン・ウィクリフに影響を受け、堕落したカトリック教会を烈しく非難して破門され、コンスタンツ公会議の決定で焚刑に処せられた。 しかし、フスの刑死後、その教理を信奉する者たちが団結し、フス戦争を起こす。この戦いは、18年にも及ぶものであったが、結果として失敗に終った。しかし、これをきっかけに、チェコ人は民族としての自覚を深めることとなった。フス派の讃美歌の中で最も知られた『汝ら神の戦士』のメロディーが、第5曲全体を通じて現れ、これは『ブラニーク』でも引き続き用いられる。    第6曲:ブラニーク(Blaník) ブラニークは、中央ボヘミア州にある山で、ここには、フス派の戦士たちが眠っており、また、讃美歌に歌われたチェコの守護聖人ヴァーツラフの率いる戦士が眠るという伝説もある。伝説によれば、この戦士たちは、国家が危機に直面した時に復活するという。 『ヴィシェフラト』の主題は、『ブラニーク』の最後部にも再現する。『ターボル』にも使われたフス教徒の讃美歌『汝ら神の戦士』が高らかに響き、希望に満ちた未来を暗示しながら、連作の最後を飾るのに相応しく勇壮なクライマックスをもって曲を閉じる。」  ⇒:Wiki:「わが祖国 (スメタナ)」一部改 スメタナ『交響詩 わが祖国』から終曲「ブラニーク」ラファエル・クベリーク/指揮ボストン交響楽団ヴィシェフラト 城の遺構    『わが祖国』の厳粛な民族讃歌を聴いたあとは、肩ほぐしに、ゆるめの室内楽で楽しみたいと思います。スメタナが、自分の個人的な思い出を綴った弦楽四重奏曲『ある芸術家の生涯から』――または『わたしの生涯から』。最初と最後の楽章だけピックアップしますが、気に入ったら、ヨウツベで全曲演奏を検索してみてください。演奏は、やはりアルバン・ベルクがお勧めです: スメタナ『弦楽四重奏曲 第1番“わが生涯から”』第1楽章 アレグロ・ヴィヴォ・アパッショナートグァルネリ弦楽四重奏団スメタナ『弦楽四重奏曲 第1番“わが生涯から”』第4楽章 ヴィヴァーチェアルバン・ベルク四重奏団       どこかに 生の砂漠をわたしは灼(や)け尽くすようにさまよい 重い荷を負って呻いている、 それでもどこかに、もうほとんど忘れかけているのだが、 みずみずしい木蔭に花咲く庭園があることを知っている。 それでもどこか夢幻のかなたに くつろぎの場がわたしを待っている、 そこは魂が故郷(ふるさと)をとりもどす場所、 微睡(まどろみ)と夜と星たちがわたしを待っているのだ。  よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau

  • 14Jan
    • 山本太郎さんの「本気論文」” 消費税ゼロ で日本は蘇る!”

      太郎さんの「本気論文」が出ているというので、ふだんは絶対に買わない『文藝春秋』を買って、読んでみました。『世界』も『情況』も置いてない書店ですが、さすがに、これは平台に積まれていましたw以下、感想を少し書いておきたいと思います。【1】 消費税廃止と税制改革――「取れるところから取れ」 「れいわ新撰組」のポスターを見ると、↓つぎの8つが、「政権とったらすぐやります」として掲げられています。「①消費税は廃止 ②全国一律最低賃金1500円政府が補償 ③奨学金徳政令 ④公務員増やします ⑤一次産業個別所得補償 ⑥「トンデモ法」の見直し廃止(TPP,水道,カジノ,入管,種子法,特定秘密保護法,派遣法,自衛隊海外派兵,共謀罪,…) ⑦辺野古建設中止 ⑧原発即時禁止」 しかし、今回の論文は①にしぼって論じており(p.103 で、②③にも簡単にふれています)、これが最も重要かつ基本的な政策だということがわかります。税制の変更による格差是正が重要であるだけでなく、そもそも財源がつかなかったら、ほかの政策は何もできない‥ということであるわけです。 この部分(pp.94-100)の要旨は、ほかの人のブログでもたくさん紹介されていますから、項目だけを挙げれば:〇アベノミクスは、デフレを長期化させ、国民生活を圧迫している。その元凶が、(a)消費税、(b)財政出動の不足。〇消費税の廃止によって、低所得者の収入を増やすだけでなく、消費を活発にして投資を呼び込み、また、消費税徴収の圧迫から中小零細企業を救う。〇消費税廃止の財源は2つ: (1)法人税率引上げと累進化、所得税の累進性強化、大企業・投資家優遇措置の廃止、(2)赤字国債の発行。 いずれも、読んでわくわくするような話で、しかも、「福祉がぁ」とか「共生がぁ」とか言わないところが、すがすがしい。じっさいに公平ではないような「福祉」のバラまきや、言葉だけキレイな「共生」よりも、それ以前に、格差と差別を生じさせている根本の部分にメスを入れる発想に、“目からウロコ”の思いがします。 しかし、最後の「赤字国債」には、やはり疑問があるので、それを↓次項でコメントします。【2】 解消しない私の疑問: お金は必要なだけ刷ってばらまいてもよいのか? 赤字国債の累積による財政赤字に関して、太郎さんの認識では、「唯一の上限はインフレ[※]」ということのようです。現代貨幣理論(MMT)によっているのでしょう。(これは推測です。この論文では、ケインズ派トービン教授の[※]を引用: p.101) しかし、小泉政権やアベノミクスが拠ってきた「新自由主義」が(いまや世界で破綻しつつある)経済学理論であるのと同様に、MMTもまたひとつの経済学理論です。財政出動を正当化する理論としては、古くはケインズ理論もあります。マルクス経済学には、また別の考え方があるでしょう。 さまざまな理論が競い合っているなかで、そのうちどれかひとつに依拠しすぎるのは、危険ではないか?―――というのが、私の疑問なのです。 自然科学とは違って、経済学などの社会科学では、さまざまな理論が、それぞれ自分だけが正しいと主張しているだけで、どれが「ほんとうに」正しいのか判断できるような基準は無いように思われます。私も学生のころ(文科系だったので)からその後にかけて、このことにたいへん悩んでいた時、バートランド・ラッセルの論文を読んで、一条の光が差し込んだ思いがしました。 ラッセルが言うのには、現在の社会科学は、自然科学でいえば、ガリレイ以前の“魔女狩り”の時代なのだと。おそらく遠い将来には、自然科学と同じように、何が正しいかを客観的に決められるようになる。自然科学の「実験」にあたる手続きが確立されるにちがいない。しかし、いまはまだ、そういうものはないのだ、と。(じつは、日本でも、宮沢賢治が『銀河鉄道の夜』で、同じことを言っています。おそらく賢治は、当時来日したラッセルの講演を、雑誌で読んだのでしょう) ラッセルを読んだあとで、もうひとつ重要なことに気づきました。たしかに、理論ということになると、どれが正しいのやら、誰にもわからないのが現状です。いまはまだ、「諸子百家」の時代が続いているのです。しかし、理論を組み立てる材料になるような「事実」に関しては、比較的に客観的な判断が可能である。何が事実なのかを判断する方法に関しては、社会科学でもすでにさまざまな技術が確立していて、それらは十分ではないけれども、ある程度客観的な結論を得ることができる。少なくとも、同じ土俵に立った議論はできる水準に達している。 そういうわけで、理論よりも‥‥さまざまな理論を学びはするけれども、どれを正しいと決めるのは諦めて‥‥まず、事実を追いかけようではないか。事実の中から“妥当な”線を引き出すようにしたらどうだろうか。。。 私はこれを、朝鮮儒教の一学派に倣って、「実事求是(シルサグシ)」と名付けました。 この「実事求是」の精神で、「赤字国債」について考えると、日本には、忘れてはならない歴史的事実がいくつかあります。 第2次大戦直後、日本は猛烈なインフレーションに襲われました。戦時中に、ふくれあがった戦費を調達するために、紙幣や軍票(軍隊で通用する紙幣)を無制限に発行したためです。貨幣を無制限に発行すれば、貨幣価値が下がってインフレーションになる。戦時中の統制経済の下では、貨幣の流通が少ないために顕在化しなかったのですが、戦後になって市場経済が復活したとたんに、一気にインフレが爆発したのです。(注意すべき点は、貨幣の大増発とインフレ発生のあいだにタイムラグがあったことです。タイムラグが戦時統制経済のためだとすれば、今の経済には当てはまらないかもしれません。しかし、戦時でなくとも、インフレは、発生してからでは遅いのだ、とも考えられます。タイムラグの存在自体を重く受け止めるべきです。)このインフレを収束するために、アメリカからドッジ氏という銀行家が派遣されてきました。彼の行なった強行策が「ドッジ・ライン」です。簡単に言えば、市中の貨幣を吸い上げるために、情け容赦のない増税と、その暴力的な取り立てが行なわれました。結果として、多くの自刹者、餓死者、ヒロポン中毒者を出したかわりに、インフレは終息したのです。 インフレの恐ろしさは、インフレ自体もさることながら、それを収束させるために行われるデフレ化政策の過酷さにあります。そんなことになれば、「れいわ」の格差是正政策など、何倍も逆の結果になって返ってくるでしょう。。。 もちろん、当時と現在とでは、経済のおかれた環境条件が、まったく異なっています。同じことが起きるとは限らない。しかし、起きないとも限らない。それは誰にもわかりません。さまざまな理論が、さまざまなことを言うだけです。だから、MMTに従って“やってみる”のはよい。しかし、思わぬ結果になる場合もあることは、常に念頭におく必要があります。(なお、インフレ危惧論への反論として太郎さんが示しているのは、参議院事務局の推算によるシミュレーションです: pp.102-103. シミュレーションは、参議院だろうと財務省だろうと、一定の理論と仮定条件を前提とするものです。当たるとは限らない。理論ではなく事実に依拠すべき、というのが私の立場です。) 太郎さんへの疑問を、もう少し書いておきますと、太郎さんは、財政出動で貨幣を増やすと(赤字国債の発行は、貨幣を増やす方法のひとつです)、ゆるやかなインフレになるとともに景気が良くなる、過熱しすぎてインフレがひどくなったら、課税を増やして貨幣を減らせばよい―――このように単純に考えておられるような気がします(そうではないかもしれませんが)。しかし、貨幣(マネー・サプライ)というものは、銀行券を刷って撒いたら増えるというような、簡単なものではないのです。まず、貨幣には退蔵される部分があります。つまり“タンス預金”です。個人だけでなく、銀行が貸し渋って貯めこむ“タンス預金”もあります。政府がお札をいくらばらまいても、みな退蔵されてしまったら、経済効果はありません。(そればかりか‥、退蔵された貨幣が、しばらくしてから一斉に市中に出てくれば、予期しない爆発的なインフレが起きるでしょう! ↑上で見た“戦後インフレ”の爆発は、まさにその例証だったと言えます。)また、貨幣(マネー・サプライ)の実質量は、貨幣発行高×回転率です。景気が良くなれば、取引が増えて回転率が上がりますから、同じ発行高でもマネー・サプライは増えて、徐々にインフレになります。政府がカネをばらまくから景気が良くなるのではないし、インフレになるのでもありません。 政府が赤字国債を発行して“あぶく銭”をいくら増やしても、景気は落ちこむ一方で、物価だけが急速に上がってゆく場合もあります。企業の収益は減り、給料は上がらず、買うものはどんどん高くなる(スタグフレーション)。まさに、“泣きっ面に蜂”です。太郎さんが誕生した 1970年代が、ちょうどそういう時代だったと思います。だから、太郎さんは、そういう状態を(物心つく前なので)体験しておられないのではないでしょうか。 スタグフレーションになった原因については、これまた、いろいろな理論がいろいろなことを言っているでしょう。当時は、“労働組合が賃上げを要求するからだ”という意見が幅を利かせていたようです。そのために、労働組合や、組合と提携していた社会党、共産党、また進歩的な学者や知識人への風当たりが強くなり、ちょうど社会主義圏の崩壊と重なったので、“サヨク敵論”が一世を風靡して、日本を、現在のような・だらしない国にしてしまったわけです。 しかし、スタグフレーションがなぜ起きたのか、十分に分かっているわけではないと思います。労働組合がなくたって、スタグフレーションは、起きる場合には起きると考えなくてはなりません。【3】 “現実政治”への期待 そういうわけで、「赤字国債」への疑問だけは、今回の論文によっても解消しませんでした。 しかし、今回非常に希望をもったのは、この論文全体として、山本太郎さんの姿勢に、たいへん現実的で柔軟な面を見ることができた点です。たとえば、太郎さんは、↓つぎのように書いています。(p.99)「ただ、この内部留保に課税すべき、という考えには反対です。〔…〕ある意味、内部留保は企業が法人税減税のために努力した結果です。何を努力したかと言えば、政治を動かした。自分たちの考えを代弁してくれる政治家を大量に国会に送り出し、多数派を形成した。これが政治というものです。 〔…〕税制改革は、大企業の皆さんの理解を得ながら進めていきたい。だから、貯め込んだ内部留保には手をつけない。代わりにその内部留保を、国がこれまで投資を怠った結果、ボロボロになってしまった分野――保育や介護、教育などに投資してもらえませんか、と呼びかけます。その時に初めて、大企業への投資減税なども考えられるでしょう。」 このように現実的な感覚をもった政治家が中心にいて、その現実性を理解する人たちがまわりにいる政権ならば、“理論倒れ”になることはないでしょう。MMT理論の欠点が現れた場合にも、迅速に対処し、また方向転換することだって、期待することができると思います。 そこで、もしかしたら必要になるかもしれない“方向転換”のために、ひとつ提案をしておきたいと思います。このブログが、「れいわ新撰組」の方の眼にふれるとよいのですが。。。 太郎さんは、昨年、立憲の何人かの議員とともに、消費税を廃止したマレーシアの視察に行かれたそうですが、もしも今後可能であれば、逆に消費税を全面的に導入しているEUにも、行ってみられてはどうかと思います。消費税の終局の形態も見ておかれるほうがよいと思うのです。EUの消費税は、じっさいには物品税やサービス税に近いものです。つまり「贅沢税」です。しかも、贅沢品の税率が極めて大きい。日常的なものとしては、菓子や玩具。ヨーロッパを旅行したことのある人は、売店で売っているキャンディーの値段を見て、びっくりした経験があるはずです。消費税がたどりつく形は、このようなものにならざるをえないということです。 法人税・所得税の増税には限界があり、赤字国債も無制限ではない、ということになれば、物品税・サービス税に財源を求めることもありうるかと思います。どんなものに高い税率をかけると、どういうことになるのか? EUの経験は、詳しく学ぶ価値があると思うのです。 よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau

  • 08Jan
    • 【続報あり】”””中東派遣が決まった自衛隊員の現状”””

      派遣拒否はもちろん、退職もできない。家族がそれを訴えようとすると、SNSにアカウント停止で脅される。弁護士も助けようとはしない。いのちを捨てて日本以外の「国家を守る」自衛隊これが只今の状況です。自衛隊で“ゲイいじめ”は日常的、上官もイジメに参加⇒:自衛官人権ホットライン相談室まあ、そんなことだとは思いましたが。。。

    • 詩文集(114)――【チャイコフスキー/ほか】 大陸人種はドンパチがお好き?

      Jules-Élie Delaunay:“David Triumphant”(1874)       決 意 ぼくの問いかけに答えもしない闇を これ以上手さぐりで歩きたくはない; もうこの薄暗い場所からは離れて とにかくひと休みしたいのだ。 多くの日々を費やしてわたしはさまよい わが家を捜し、とりとめもなく歩き回っただけだった、 光を求め、薄暗い片隅を見いだしただけだった、 暗い家に閉じ込められた子供のように。 わたしには遥かかなたに或る輝きが 闇を透かして兆すように見える。 恐怖はしりぞき、大地はわたしを 遠くの光の中へとひきよせる。   新年おめでとうございます! 暮れに病院で受けた手術の痕がなかなか癒えなくて、新年早々寝たきり状態のギトンであります。。。 いまも同居人が作ってくれたオカユを食べながら(塩味強すぎか?)、これを書いておりますです。 ユーチューブを選ぶにも一苦労なんでして、年明けにかこつけて有名すぎるのが並びまするが、そこはどうかご勘弁を !! ‥‥というわけで、まずは、ライン河畔ケルンの年越し花火大会の実況から: 2019/20シルヴェスターケルン=シャーフェンシュトラーセ2020新年花火ケルン=ミューハイム,ケルン=ドイツ すごいですねえ。まるで街じゅうが爆発してる感じですな。木造家屋の多い日本では、こんな花火はできないでしょう。 中国の新年の爆竹を派手にしたような騒ぎ。ああいう国の人たちは、ドンパチが好きなんでしょうな。 というわけで、つぎはロシアのドンパチを見ておきたいと思いますw チャイコの『1812年』は、有名すぎるんで説明いらないと思いますが、ナポレオンのモスクワ遠征を撃退した歴史を記念した祝典序曲。ちょっと長いんで、飽きないように、動画スペクタクルにしました。大砲やら鐘の音やら合唱やら出てくるのは 13:35-。 チャイコフスキー『序曲 1812年』ヴラジーミル・アシュケナージ/指揮サンクト・ペテルブルク室内合唱団レニングラード・ミリタリー・オーケストラサンクト・ペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団 この『1812年』も、ドンパチの派手なやつを、いっぺんやってみたかったんですよねw わたくし、根はミーハーなもんで‥‥ ↓つぎの『ボレロ』も、やはり長いし有名すぎるし、こういう機会でないとなかなか出せません。ブログに貼り付ける上での難点はもうひとつ、曲の最初と最後の音量の差が大きすぎること。街頭のフラッシュ・モブなら、その点はいくらか減殺できます: ラヴェル『ボレロ』メキシコ,メヒコ州トルーカ,フラッシュモブジェラルド・ウルバン・イ・フェルナンデス/指揮トルーカ・フィルハーモニー管弦楽団 新年早々の爆演シリーズになってますが(トランプとハメネイ師のせい、なんて言ったら怒られるかな?)、真打ちは何といっても↓これでしょうな。もとのシベリウスの曲には合唱はないんですが、独立後に合唱を付けて、その部分がフィンランドの国歌になっています。 演奏も、この上ない“爆演”の定評があるセーゲルスタムとヘルシンキ・フィル !! 動画がまた、これはどうなんですかね? まぁ、新年はこういうのもありってことで..... シベリウス『フィンランディア』レイフ・セーゲルスタム/指揮ポリテック聖歌隊ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団      雪 雪が森と庭に降(お)りてくる時、 それはふわふわとした覆いだ、 その下でこの世界が疲弊している、 しばらく眠り、やがてまた起きあがる。 死がわたしの血と肢体を鎮める時、 おまえたちの弔いを微笑んで語れ! 音もなく砕けて沈む一瞬の映像; わたしがそれであったし現にあるところのもの、ずっとずっと生きつづける。  よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de TableauMichel Gourlier

  • 31Dec
    • ”石垣島へ”

      沖縄、宮古島、石垣島、与那国島こんなに基地が必要だろうか?政府が防衛のためにやっていると私は思わない。島と海を破壊し、人心を破壊し、鉄とコンクリートの廃墟にするためのとりかえしのつかない愚かな行為としか私には思えない。. よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de TableauAlexander Deineka

  • 28Dec
    • ”【衝撃スクープ】安倍首相、拉致被害者2名の生存情報を握り潰していた❗️”

       どおりで! 北朝鮮は「解決済みだ」と繰り返しているので、何かあると思ってました。どうせおざなり調査でしょうが、それにしたって、何もしないで「解決済み」と言うことは、あり得ないからね。 安倍の情報隠しは、ふしぎでも何でもない。事実を覆い隠したほうが、北朝鮮の“悪さ”を誇大に宣伝できます。自分が努力していないことを、相手のせいにすることができます。横田めぐみさんに関しても、この間、韓国のマスコミを通して漏れてきた(北朝鮮の行なった調査活動についての)情報がかなりありましたが、日本の政府とマスコミは、いっさい触れようとしませんでした。 しかし、北朝鮮当局もまた、「解決済みだ」、「日本政府に通知した」と繰り返すばかりで、その内容(調査活動の経過とその結果)について、何も言わないできたのです。 この5年間、北朝鮮当局は、安倍の情報隠蔽に協力してきました。ということは、安倍は政権延命のために「拉致問題」を引き延ばしてきただけでなく、金正恩のほうでも、この2件を隠しておきたい理由が、何かあったことになります。 今こそ明るみに出る。 「拉致問題」は、日朝がグルになった詐欺です!!!! なお、平壌にいるこの2名のほか、「拉致被害者」だとされてきた1名について、最近日本国内で健在が(拉致されてはいなかったことが)確認されています。 ちなみに、自民党政権と金日成王朝の共謀は、いまに始まったことではない。最近封印が解かれた赤十字国際委員会の機密資料で、朝鮮戦争直後からの共謀関係(自民党+外務省+金日成+朝鮮総連+スターリン)が暴かれています⇒:テッサ・モーリス-スズキ著/田代泰子訳『北朝鮮へのエクソダス』 880円.

  • 24Dec
    • 詩文集(113)――【中世の修道院からルイ・アームストロングまで】 さまざまなクリスマス

      救世主の誕生を最初に知ったのは羊飼いたちだった(ルカ福音書)      クリスマス・イヴ 暗い窓辺に立ちつくし 純白の街を見おろす 鐘の音(ね)に耳をかたむけていたが、 それもいまは鳴り止(や)んだ。 いまは冷たい冬明かりのなか静かな純な夜だけが 幻想のようにわたしを見つめている、 あおざめた月の銀盤に見護られ、 わたしの孤独に差しこんでくる。 クリスマス!―深い郷愁がわたくしの胸から 叫びだし恨みがましくあの 遠い静かな時を想う、あのころ わたしにもクリスマスがやってきたのだった。 それ以来わたしは暗い情熱にみたされて 大地を縦横に這いずりまわった やすみなき流離(さすらい)の旅 叡智と黄金(きん)と幸(さち)とを索(もと)めて。 いまわたしは疲れ打ち負かされて わたしの最後の道の辺(べ)に坐りこんでいる、 そして青いいろをした遥かかなたには 故郷と若き時代が夢のようにうかぶ。  こんばんは! 退院療養中のギトンです。といってもまだ 10分以上は歩けません。 ぎりぎりセーフで、クリスマスにまにあいましたっ !! というわけで、クリスマス特集、“ところかわれば歌変わる” “クリスマスは世に連れ歌に連れ”‥‥というわけで、クリスマス・ソングの移りゆきを、聴いてみたいと思います。 そもそも、イエス・キリストが 12月24日の夜に生れたなんていう根拠は、歴史的にも科学的にも全く無いそうですw ゲルマン人の古い年中行事がキリスト教と習合したんだそうです。盆も彼岸もインドには無いのと同じこと。だから、いまヨーロッパでは、もとのゲルマン行事の名前で「ユール」という。いまどき「メリークリスマス」なぁんて言ってるのは、遅れた東ヨーロッパとディズニーだけなんだとか。 聖書を紐解いてみれば、たしかに4つの福音書のどれにも、冬だったとか、新年の前だったとか、ぜえんぜん書いてありませんよね?ww そこで、古いほうから始めましょう。クリスマスをしんけんに信じていた中世のクリスマス・ソングから: 「モンセラートの朱い本(カタルーニャ語:Llibre Vermell de Montserrat)は、14世紀の宗教文書の写本で、特に中世後期の歌曲の楽譜を含むことで知られている。 スペイン・バルセロナ郊外モンセラート山の、黒い聖母像で知られるモンセラート修道院に伝わっている。モンセラート修道院には、『モンセラートの聖母』の礼拝堂があり、当時の重要な巡礼地であった。 この古文書には、13世紀~14世紀頃、モンセラート修道院へ参ずる巡礼者たちによって歌い踊られた 10曲の歌謡の歌詞と楽譜が記されている。しかし、収録された歌は、いずれも作者不明である。」  ⇒:wiki:「モンセラートの朱い本」  「13世紀~14世紀頃」といったら、日本では鎌倉時代ですね。そのころのクリスマス・ソング!‥聴いてみましょう: 『モンセラートの朱い本』(14世紀)から「処女にして母なるマリアさまを(Mariam matrem virginem)」 さて、つぎは 18世紀、フランス・ブルゴーニュ地方のクリスマス・キャロルを集めた本に載っているソングのひとつ。現在でも、フランスを中心にクリスマスに唄われているナンバーだそうです。 「パタパタパン」というおかしな擬音が繰り返される、親しみやすい一曲: ベルナール・ド・ラ・モンノエ『ブルゴーニュのクリスマス』(1721)から「ギヨー、タンバリンをもってこい」レヴェルズ児童合唱「ギヨー、おまえのタンバリンをもってこい; おまえは笛をもってこい、ロビン! それら楽器の音にあわせ、 チュレリュレリュ、パタパタパン、 それら楽器の音にあわせ クリスマスを陽気に唄い明かそう。 かくて、いにしえの侍どもが 王の中の王を讃えるとき それら楽器の音聞けば チュレリュレリュ、パタパタパン、 それら楽器の音聞けば 子供たちもじっとしちゃあいられない。      〔…〕」 歌詞は、ブルゴーニュ方言だそうです。標準フランス語もろくに知らないのに、方言なんて分かるわけがないw 英語訳を見ながら、なんとか、やっつけで訳しましたです‥↑ さて、おつぎは所変って、現代ギリシャのクリスマス・ソング。歌っているコスタ(コンスタンティノス)・コルダリス(1944-2019)は、1960年にドイツに移住したギリシャ人移民のポピュラー歌手。76年にドイツ語圏でトップテンを獲得する一方、85年のノルディック・スキー選手権にギリシャの選手として出場。2004年にはドイツのテレビのバラエティー番組で優勝したものの、若造りに整形したことが露見するなど、なにかと話題の多い人だったようです(英語版ウィキ) 「ジェネシス」ギリシャのクリスマス讃美歌コスタ・コルダリス/vocal このへんで、がちなクラシックも、一曲やっておかねばなりますまい。。。 といっても、候補が多すぎて困るんですが、このさい大家中の大家で。王道の中の王道で! というわけで、大バッハの『クリスマス・オラトリオ』から。 バッハ『クリスマス・オラトリオ』(BWV 248)から「神よ、あなたに栄誉が歌われよ(Ehre sei dir, Gott, gesungen)」ジョン・エリオット・ガーディナー/指揮モンテヴェルディ合唱団イングリッシュ・バロック・ソロイスツ「    合唱 神よ、あなたに栄誉が歌われよ、 あなたに賞讃と感謝が用意されよ。 全世界はあなたを持ち上げる、 なぜなら、あなたの思し召しは我らの繁栄、 ただいま我らの願いはすべて聞き届けられた。 なぜなら、あなたの祝福は我らを輝かしく喜ばせるから。     叙唱(エヴァンゲリスト)   イエスはユダヤ国ベツレヘムにて、ヘロデ王の御代にお生まれになったので、見よ、その時賢者たちが東方の国から来て告げた:(マタイ 2:1)     賢者の合唱と叙唱 新たにお生まれになったユダヤの王は何処ですか? 私の胸中が彼を索めます、 彼はここに居る、私と彼にとって歓しいことに! 私たちは東方の国で彼の星を見てやってきました、彼を礼拝するために。 この光を見た汝らに幸いあれ、 それは汝らの救いのために生じたのだから! 我が救い主よ、汝、汝は光である、 異教徒どもにさえも現われる光である、 彼らは、彼らは汝を未だ識らぬ、 汝を崇めんと欲するよりも。 なんと明るく、なんと清らかに 愛するイエス、あなたは耀くではありませんか!(マタイ 2:2)     合唱 あなたの光輝はすべての闇を喰いつくした、 陰鬱な夜が光に転じた。 我らをあなたの道すじに導きたまえ、 あなたのお顔と 壮麗なる光とを 我らは永久に視つづけるように!      〔…〕」 さすがに格調高いですね。でも襟を正して聴かないとならないような‥、なんだか急にむつかしくなったような‥。福音書では2行程度のことを、よくまあこれだけ大げさに延々と弁じたてられるもんだと。。。 南ヨーロッパの軽妙さが、なつかしくなります。 では、“お国がら”、もっと北へ行ってみましょう。フィンランドのクリスマス・ソング! シベリウス『5つのクリスマス・ソング』(1895-1913)から「力も栄光も私は求めない(En Etsi Valtaa, Loistoa)」 すみません。。。 ユーチューブのクレジットも説明もフィンランド語なもんで、音源の演奏者などはいっさいわかりません(読めません)です。でも、歌詞の英語訳は見つけ出しました。↓最初と最後の部分だけ、日本語にしてお目にかけます。 「  力も栄光も私は求めない (エン・エツィ・ヴァルター・ロイストア) 力も栄光も私は索めない 黄金にあこがれることもない 天上の光だけを私は求め 地上には平和だけを希う。 クリスマスは私たちに喜びをもたらし 私たちの心を神の高みへと持ちあげる 権力も要らぬ、いや黄金さえ無くてよい ただ平和のみが地上にあるように。    〔…〕 富者よりも貧者にこそ すばらしきクリスマスは来たれ この世の暗黒の中へ 天上の光をもたらしたまえ。 私はあなたを渇望し、あなたを待ち望む 地上と天上の主なるお方 富者よりも貧者にこそ あなたの甘美なクリスマスを贈れ。」  ⇒:《Lyrics Translate》  たしか、「エン」は否定の助動詞だったな。。。 「ヴァルター・ロイストア」は分格目的語だ。否定文の目的語は分格(ロシア語なら生格)だからな。。。 と生かじりが蘇るんですが‥ そんなことより、 どうです? 訳してみてよかったですね。こんなすごい歌詞だなんて‥ フィンランドの教会は、ドイツと同じルター派プロテスタントなんですが…、それにしては、なにか、真逆を向いているような感じさえします。 力も栄光も私は索めない 黄金にあこがれることもない 富者よりも貧者にこそ すばらしきクリスマスは来たれ クリスマスに、こんな歌を歌う国が、ほかにあるでしょうか? なんといっても、シベリウス唯一のフィンランド語のクリスマス・キャロルですから(ほかの4曲はスウェーデン語)、この唄は、じっさいに今でも盛んに歌われるそうです。 さて、“お国がら”の最後は‥‥: ↓「ウィンター・ワンダーランド」は、北アメリカでは、クリスマス・ソングの識られたナンバー。歌詞はクリスマスとは関係ないのですが、冬の歌ということで、クリスマスによく歌われるとのこと。基本的にアメリカ文化には疎い(てか、食わず嫌いの耳ふさぎ?)ギトンですから、このメロディーも、くだらないディズニーの歌の一種だと思ってました← クリスマスのお国がら、アメリカ篇‥‥ということで、ルイ・アームストロングに唄ってもらいましょう。特集の締めにはピッタリです。 「ウィンター・ワンダーランド」フェリックス・バーナード/作曲リチャード・スミス/作詞ルイ・アームストロング/vocalザ・オールスターズ・リズム・セクション       雪の中の旅人 夜半を打つ谷間の時計台、 冷たく剥き出しの月がそらを渡る 雪と月のひかりのなかを途(みち) すがら わたしは自分の影を伴に独り歩いている。 いくたりの春の芽吹きのみちをわたしは歩いたことか、 夏の太陽が照りつけるのを幾たび見たことか! わたしの歩みは疲れきって髪は白くなった; もう昔のわたしの姿を知る者はない。  疲れきってわたしの瘠せこけた影が立ち止まる― どんな旅もいつかは終るのだ。 よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau

  • 15Dec
    • 【お知らせ】 しばし休載

       いつもギトンのブログへお寄りくださいまして、ありがたうござりまする。。。 かんたんな手術のために、短期入院します。なので、来週の《詩文集》はアップできないかも‥ 年内には復帰する予定です。◆            ◆        別れの時ヘルマン・ヘッセ   おおまたいつ会えるとも知れぬ別れの時、 出会いそこねた苦い宿命の予感でいっぱいだ! 二度と得られぬ薔薇が香りながら掌(て)の中で萎(しぼ)み、 不安な心は微睡(まどろみ)と闇とを求める。 それでも頭上にはいつもかわらぬ星々が立ち、 ぼくらはそれを目指して歩く、そう思っていなくとも、 光と闇とをつらぬき星辰に向かいあってめぐる ぼくらの運命、星の運行に従うのがぼくらのよろこび。ボロディン『中央アジアの草原にて』クルト・ザンダーリング/指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団  それでは、しばしのあいだ、ごきげんよう !! よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de TableauHenry Scott Tuke

  • 14Dec
    • 【追記あり】 英国総選挙で保守党圧勝。コービンが悪すぎたw

      「イギリス総選挙の投票が12日午後10時(日本時間13日午前7時)に投票が締め切られ、与党・保守党が下院(定数650)で過半数議席を獲得した。欧州連合(EU)離脱を控えるイギリスは、今後どう動くのだろうか。 現在のブレグジット(イギリスのEU離脱)期日は、2020年1月31日。ボリス・ジョンソン首相はブレグジットを最大の公約に掲げ、離脱期限までに議会で協定を可決するため、過半数獲得を目指していた。 現時点では、離脱協定は承認されていないため、このままでは合意のないままEUを離脱することになる。     …… 今回の総選挙で過半数議席を獲得したことで、ジョンソン首相の離脱協定案は比較的、容易に可決されるはずだ。首相官邸は……法案を可決し、協定を承認することで、1月31日にブレグジットを実現させたい考えだ。 しかしブレグジットそのものは、より複雑な手続きの最初の段階にすぎない。     …… イギリスが2020年1月31日にEUを離脱した場合、その後には非常に複雑な手続きが待っている。最優先事項は、EUとの通商交渉だろう。……通商協定は6月末までに合意に至る必要がある。……EUやその他の国々が、これほどの短期間で、これほど大規模で複雑な通商協定を結んだ例はない。…… 解決が必要なのは、通商協定だけではない。安全保障や司法の面でも、EUとどう協力するのか決めなくてはならない。……その他の領域でも、協力関係を結ぶにはさまざまな合意が必要だ。」【BBCニュース解説】 与党が過半数議席獲得 ブレグジットはどうなる? ブレグジットについては、今年3月頃から興味をもって、週1回以上はBBCやロイターをチェックしていました。とくに、“合意なき離脱”をめぐる攻防が激しくなった9月頃は、ほぼ毎日ニュースを探して読んでいました。 なぜかというと、英国は“議会政治の先進国”ということで、議会が紛糾したときに、いったい、どんなふうにして、そこを乗り越えてゆくのだろう‥‥ということに関心があったのです。 “多数が押し切れば安定する” “小党乱立では安定しない” と日本人は思っている。だから、強行採決が許されてしまう。野党は「少数なのに反対する」と言って非難される。しかし、完全小選挙区制の英国だって、紛糾するときは紛糾するのです。ただ、彼らはそこから脱する出口を知っている。 たとえば、首相の解散権を、下院(衆議院)の3分の2の同意を要するとして制限する法律――というのが、たいへん興味深いと思いました。これを、日本に取り入れられないだろうか? 憲法改正ではなく、憲法を解釈する法律として…? ジョンソン首相は、個人としては、若いころの、つまり頭が硬化症をおこす前の安倍に似た性格の人だと思う。そんな奴に好きなようにさせたら、日本の安倍政権のようにめちゃくちゃになってしまうが、保守党議員も野党議員も、首相をしっかりと丸め込んで勝手なことをさせなかった。「離脱延期」を首相に命ずる法律を作ってしまう。また、最高裁に訴えて、首相の決定を無効にする‥など、あらゆる手段が駆使されていた。とくに、保守党議員のなかに、職を賭して造反した人がおおぜいいた(彼らは、その結果、党を除名され、この総選挙で引退を余儀なくされた)。‥‥日本の国会議員は、学ぶべきだと思う。 結果的に合意なき離脱は回避されたし、ジョンソンの下で官僚が作った離脱協定案は、再交渉を拒否していたEUも、軟化するほどの出来栄えだった。保守党を支持するわけではないが、結果的には、これでよかったと思う。 労働党の党首コービンは、離脱に関しては、いつも態度がはっきりしなかった。面倒で複雑なことばかり言っていた。混乱させているようにしか見えない。党利党略で動いているのが見え見えだった。離脱がどうかよりも、自党(‥いや、自分)の支持が増えるか減るかに関心があるようだった。おかげさまで党は惨敗、自分だけ圧勝w ジョンソンとEUのあいだで離脱協定案が合意に達したとき、コービンが「メイ案のほうがよかった」と言うのを聞いて、こいつはもうだめだと思った。それならなぜ、メイ首相が労働党に共闘を申し入れた時に断ったのか? 今回の選挙で、(事前に)ジョンソン保守党が、極右ブレグジット党を押さえ込んだのもよかった。 コービンは反ユダヤ主義だと保守党から攻撃されるふしぎな展開‥ しかし、離脱は、単に英国がEUに気兼ねなく進路を決められるようになるというだけだ。どんな方向をとるかは、その後の問題なのだ。すべての対立と選択は、離脱以後に本格化する。 EUの傘から出たとたんに、アメリカの傘に引き込まれてしまうかもしれない。ジョンソン保守党はそうなるおそれがある。逆に、労働党が主張してきたような政策が可能になるかもしれない。今回労働党から鞍替えした人たちは、それを望んでいるはずだ。あるいは、残留派も、敗北したわけではないかもしれない。離脱したうえで、EUと同じ政策を、英国が自分で決めて執ることだって可能なのだ。 英国にとって、ほんどうの選択は、離脱日(1月31日)以後にある。【追記】 “ブレグジット効果”が、もう現れていますね。英国と取引の多いドイツ銀行が破綻寸前。金融は敏感ですね。トランプ-プーチン-イスラエルコネクションが連動? 日本への影響は、三菱東京への飛び火という観測が出ています。くわしくはこちらで⇒:狂躁亭覚書・ 『ドイツ銀行』だけ?1912151200【追記】 スコットランドで独立を求める動きが活発になっています。ブレグジットの発端となった2年前の国民投票でも、スコットランドは圧倒的に残留票が優勢でした。イングランドがEUから離れるなら、俺たちは独立してEUに残る、そういうスコットランド住民の声に押されて、今回の総選挙でもスコットランドの8割の選挙区でスコットランド国民党が勝利。 また、来年実現するジョンソン保守党のブレグジット協定も、北アイルランド国境問題では、かなりEU・アイルランドに譲歩しています。国境検問をなくして、かわりに、ブリテン島と北アイルランドの間で税関検査をする構想。これでは、北アイルランドをEUに割譲するようなもの、とのウルトラ・ナショナリストの批判を押さえ込んだジョンソン保守党の勝利だったと言えます。 これらの動きは、「英国(The United Kingdom)」の分裂を予想させるものでしょうか? そう見ることも出来るが、国家あるいは国境というものの新しい形を生みだす可能性を見ることもできる。かつて世界の近代史を切り拓いた英知の再来を期待して…、今後も英国からは目が離せません。 よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de TableauJochen Klein 画

  • 12Dec
    • 詩文集(112)――【ブラームス】 冬の足音は雷鳴とともに

      Ernest Arthur Rowe 画      灰色の冬の日 灰色の冬の日だ、 静寂そしてほとんど光のない、 もう誰とも話したいとは思わない 不機嫌な老人。 彼は川の流れを聞く 若く、情熱ほとばしる; それは生意気で無益に思われる、 その短兵急な力は。 彼は嘲るように眼を細め さらに光を出し惜しむ、 音をしのばせて雪を降らせはじめ、 顔の前に帳(とばり)を掛ける。 彼の老境の夢を邪魔するのは かん高い鴎(かもめ)の叫び、 葉の落ちたナナカマドの枝の 絶え間ない鶫(つぐみ)の囀(さえず)り。 これらすべての空騒ぎが 勿体ぶって彼に笑いかける; 冬はいよいよ一心に降りしきる 漆黒の闇に沈むまで。 ヴィヴァルディ『弦楽器と通奏低音のための協奏曲“四季”』から第4曲「冬」ヘ短調 RV297第1楽章 アレグロ・ノン・モルト第2楽章 ラルゴ第3楽章 アレグロエンリコ・オノフリ/ヴァイオリンジョヴァンニ・アントニーニ/指揮イル・ジャルディーノ・アルモニコ ‥‥いやはや、『こーゆー記』の啄木の忙しさにまぎれて、ご無沙汰しておりました m(_ _)m 今週は、ブラームスということで‥、特集にしては切れ端ばかり、脈絡のないごたまぜで、なんともはっきりしない冬の訪れのような。。。 ブラームスも、いちど腰を据えて特集したいんですが、今回は、ほんの予告編としてお聞きいただければと... なんでも、クラシック・ファンには2種類あるとか‥ ワグナーが好きな人とブラームスが好きな人と。―――その当人たちも、同じ時代に、互いに張り合っていたようで、音楽性というか、曲の内容から言うと、ブラームスのほうがベートーヴェンの正統な継承者‥といってよいのは争われないと思います。しかし、じっさいにベートーヴェンの遺した楽譜を熱心に研究して、大編成オーケストラでの演奏を成功させて‥、今日ある“ベートーヴェン”を世に送り出したのは、ワグナーのほうなんですね。 ワグナーは、作曲家である以上に、今でいえばプロデューサーか音楽監督の才覚も持ち合わせていた人で、言ってみりゃ興行師で、香具師で山師で、大衆に喝采されるすべを心得ていたようです。それだけに、押し出しがすごいわりには、突き詰めてゆくと、意外に浅はかな部分が露呈したりする。哲学者のニーチェなどには、ワグナーのそういうところが、がまんならなかったらしいのです…。二―チェも初めはワグナーを絶賛していたんですけれども、じっさいに新築のバイロイト歌劇場でワグナーの歌劇が大成功するのを見てからは、もう…くそみそに貶しています。 逆に、ブラームスのほうは、ウィーンの音楽アカデミズムの最奥座敷に居すわって、…その音楽も、素敵とか楽しいとかいうより、どこか、のめりこんで行くようなところがありますよね? マニアックが好きな向きは、そういうのを聞くと、かえってスッキリして、晴れ晴れとした気分になったりするんですがww ← そういうわけで、ワグナーとブラームス。みなさんはどちらがお好みですかね? ギトンは、お察しのように、ブラームス派。このブログでも、ワグナーはめったに出ないでしょ? ↓まずは、古めかしいフルトヴェングラーの名演から、サワリを堪能していただきます: ブラームス『交響曲 第3番 ハ短調』から第3楽章 ポコ・アレグレットフルトヴェングラー/指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ↓これも、ちょっと古い、1966年の演奏です。ブラームスはやっぱり、こういう躍動的なのが本領じゃないかと。日本のブラームス・ファンは、そうじゃない人が多いみたいなんですが。。。 ブラームス『ヴァイオリン協奏曲 ニ長調』から第3楽章 アレグロ・ジョコソ・マ・ノン・トロッポ・ヴィヴァーチェダヴィート・オイストラフ/ヴァイオリンゲンナディー・ロジェストヴェンスキー/指揮モスクワ放送交響楽団 つづいて、↓こちらのゲヴァントハウスとブロムステットの組み合わせも、愚生の偏見で選んでおります。カラヤンのベルリン・フィルが金綺羅キンだとすれば、ゲヴァントハウスは、いぶし銀。聴き比べてみれば、弦の音色からして違うのがわかるでしょう。旧東ドイツの諸楽団は、“時代遅れ”の伝統的・保守的な演奏が持ち味なんですの。 ブラームス『交響曲 第1番 ハ短調』から第4楽章(後半)フィナーレ: アレグロ・ノン・トロッポ・マ・コン・ブリオヘルベルト・ブロムステット/指揮ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団      一枚のスケッチ 冷たい秋の風が薄暗い葦をふるわせる、 夕べの闇に沈んだ葦の原; 鴉(からす)の群れが陸奥(りくおく)へ羽ばたいてゆく。 たったひとりで浜に憩う老いた人、 髪に吹く風を感じ、夜と雪が近づくことを思う、 影になった岸辺から明るいほうを望み見る、 そこでは雲と湖水にはさまれてなおひとすじ いちばん遠くの岸が温かく照り返す: 黄金の彼岸、詩と幻(まぼろし)のように幸福に。 その眩(まばゆ)い像を老人は眼にしっかりと把(とら)え、 故郷を想い、彼の良き日々を思い、 金色(こんじき)が褪(め)てゆくのを、消えるのを見、 ふりかえって歩きはじめる ゆっくりと柳の樹から陸奥へ。   よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau

  • 11Dec
    • トランプと金正恩 ―――ボタンの掛けちがい?

       北朝鮮は、昨年(2018年)4月20日「労働党中央委員会全員会議」で、「4月21日から核実験と大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射を中止する」 という「モラトリアム」を公式確定し、4月27日 軍事停戦ライン上の板門店で、南北両首脳の《板門店共同宣言》を発表し、 6月12日の《シンガポール米朝首脳会談》で、これを米国にも約束し、“非核化”に関する共同宣言を発表したわけです。 しかし、今年末までに動きがなければ、北朝鮮は、来年初めにも「モラトリアム」を破棄し、核実験やICBM発射をまたはじめるのではないか――という観測が出ています。 私は、この《シンガポール》の時から、北朝鮮の言うことと、アメリカの言うことのあいだには、巨きなズレがあると思っていました。 南北の《板門店共同宣言》のあとで書いたブログの時限記事には、↓こう書きました:「“非核化”に関しては、目標の合意にすぎない。『在韓米軍基地にいつでも数時間以内に核を持ち込めるアメリカの譲歩』がなければ、北朝鮮は核を放棄しないだろう。」 北朝鮮とアメリカのあいだに、どんなズレがあるかというと、“どこからどこまでを「非核化」するのか?” という地理的範囲のズレが、いちばん大きいと思いました。 アメリカの言う「非核化」は、北朝鮮だけの「非核化」です。アメリカ、あるいは太平洋の米軍が「非核化」するなどということは、まったく念頭にありません。 しかし、北朝鮮は、「朝鮮半島」の「非核化」と言っている。これは、韓国も含む…つまり在韓米軍も含むのではないか? それどころか、朝鮮半島にかかわるかぎりで、在日米軍も太平洋米軍も「非核化」しろという意味ではないか? ずっと、そのズレが気になっていたのですが、ここにきて、イギリスの『ガーディアン』(日本の『世界』のような雑誌)が、同じことを言いだしました !! ↓ 英誌『ガーディアン』は、「トランプ大統領が北朝鮮の非核化に失敗した、と指摘した。『根本的な問題の解決に失敗しただけでなく、状況をさらに悪化させた。』というのだ。…… 金正恩(キム・ジョンウン)委員長とトランプ大統領は、昨年6月、シンガポールでの最初の首脳会談で、「朝鮮半島の完全な非核化努力」など4項目の合意事項を盛り込んだ共同声明を採択した。当時、米政府は、金委員長が約束した『朝鮮半島の完全な非核化』について、『北朝鮮の最終的かつ完全に検証された非核化』(FFVD)と同じ意味だ、と説明した。 しかし、専門家らは、北朝鮮の言う『朝鮮半島非核化』概念には、爆撃機・潜水艦など米軍の核戦略資産の朝鮮半島展開・配備禁止までも含まれる、と指摘してきた。 ガーディアンも、『トランプ大統領は、北朝鮮が反対しない多者間朝鮮半島非核化(multilateral denuclearisation of the peninsula)と、決して同意しない(北朝鮮の)完全な一方的非核化(complete unilateral denuclearisation)の間に差がないふりをしつつ、非核化取引は進展していると主張してきた。が、それは幻想にすぎなかった。』と評価した。」 ガーディアンは「続いて、『北朝鮮が文在寅(ムン・ジェイン)大統領を軽視するのも不思議ではない。』と述べた。なぜなら、米国が同じ態度をとっているからだ、という。『米国は、韓国・日本に対して、米軍駐留防衛費分担金の増額を要求するなど、同盟国無視の態度を(北朝鮮に)見せつけている』からだ。 ガーディアンは最後に、『米朝間の休戦(truce)が、ぞっとするような結末を迎えないためには、国際的な努力、なかんずく米国の努力が必要だ。』と提言した。」英ガーディアン「韓国、非核保有国地位を見直す十分な理由ある」 中央日報 つまり、在韓米軍も、在日米軍も、表向きは “核抜き” ということになっていますが、じっさいにどうなのかはわかりません。グァムなどには、常時、“核”を置いているでしょうし、潜水艦も飛行機も、太平洋を自由に泳ぎまわって、飛びまわって、日本、韓国の基地に寄っているのですから、その時だけ “核抜き” にしろと言っても、どだいが無理な話ぢゃないでせうか?www ともかく、それを含めて、全部 “核抜き” にするのが北朝鮮の言い分。北朝鮮の立場に立ったら、そうでなければおかしいです。「北は核抜き、南は核あり」では、安心できないでしょう。北朝鮮は、日韓と違って、中国ともロシアとも軍事同盟はないのですから! そこで北朝鮮が腹の中で考えているのは、北朝鮮が“検証可能な非核化”をしろというのなら、それと同時に、在韓米軍にも“検証可能な非核化”をさせたいところでしょう。つまり、韓国の米軍基地(場合によっては日本の米軍基地にも)に、北朝鮮側が「査察」に入るということです。 じっさいにそうなったら、日本の「非核三原則」も、ここではじめて見せかけでなくなる―――なんだか、わくわくしますねw とはいえ、喜んでる場合じゃない← このズレが米朝のあいだにあるかぎり、ビッグ・ディールなど絶対に成立しないし、スモール・ディールができたとしても、先行きで必ず破綻することになります。 アメリカは、いつもの相手と同じように“力”で従わせればいいと思っているのですが(トランプ以上に、議会と民主党がそうです)、この相手にそれが通用するかどうか… 疑問視する声は多いし、私は無理だと見ています:「国連の対北朝鮮制裁が、2016年1月の北朝鮮の4回目の核実験を基点にはるかに強力になったのは事実だ。…… しかし、この程度の圧力で、北朝鮮が白旗を挙げるなどと期待するならば、別問題だ。北朝鮮経済は基本的に閉鎖的であるため、外部に知られた数値だけで、実際の状況を判断するのは限界がある。実際、北朝鮮経済は、公開された指標とは違って、深刻な危機的局面に陥っている兆候は、確認されていない。今のところ、制裁の影響があるのは、いくつかの部門に限られている、という分析が多い。 これを踏まえると、1990年代末に国中が飢えに苦しんだ『苦難の行軍』さえ乗り越えた北朝鮮の体制が、この程度の制裁に屈服すると信じるのは、妄想に近いかもしれない。」北朝鮮の核をめぐる交渉が今回も座礁すれば ハンギョレ新聞 たとえば、日本はむかし鎖国をしていましたが、貿易ができないために、経済が衰退したでしょうか? とんでもない! まったく逆ですよね? 江戸時代は、新田開発、廻船、大阪・江戸の都市化など、めざましい経済発展の時代でした。北朝鮮の農村では、今でも牛車が主要な運搬手段だそうです。開発の低い段階では、“鎖国”は、さして苦にはならないのです。 ……いや、江戸時代から類推して考えるならば、もっとショッキングな結論に達します。“鎖国”は、徳川幕府のような、低開発で専制的な経済体制を崩壊から護る防波堤の役割をするのです。北朝鮮の《金王朝》は、“制裁”のおかげで救われたと言えるでしょう。《金王朝》を倒壊させたければ、“制裁”をすべて解除して「開国」させるのが正しい。「開国」後は、各国が不平等な通商条約(“日米FTA”みたいな平等なのはダメですよ!)を結んだうえ、積極的に内政干渉して地方勢力に武器を援助し、局地交戦で刺激すれば、約13年で“大政奉還”(王都ソウルに?)することになります!! まぁ、その間に核が使われない保証はない‥たぶん使うでしょうけどw「トランプ米大統領が、就任初期に、米朝間の緊張が高まった当時、韓国に居住する米国民間人に疎開令を出すことを望んだ、という証言が出てきた。…… この内容は、CNN放送で国家安全保障・対テロリズムの専門家として活動するピーター・バーゲン氏が、12月10日(現地時間)に出した新刊:『トランプと将軍たち:混沌の費用』に記述されている。 ……2017年9月初め……FOXニュースを視聴していたトランプ大統領は、国家安全保障チームに、『米国の民間人が韓国を離れることを望む』と語った。……このニュースは、キーン元副参謀総長の談話を放送していた。キーン氏は、米国が軍事行動をすることができるという強い警告を北朝鮮に送るために、『在韓米軍の家族を韓国に送るのを中止し、家族同伴でなく軍人だけを送るべき』と主張したのだ。…… 国防総省の官僚は、パニック状態となった。米軍が同伴家族なく韓国に駐留するのは、北朝鮮に戦争の可能性を示唆するように映るからだ。……トランプ大統領はその後、自分の考えを取り下げたという。 この本は、〔2017年に〕米国と北朝鮮が戦争の危機まで迎えたが、2018年2月の平昌(ピョンチャン)オリンピックを契機に転換点を迎えたと伝えた。文在寅(ムン・ジェイン)大統領が、北朝鮮を五輪に招請し、開会式で南北が合同入場するのを見たトランプ大統領は、これを危機打開の機会と考えたということだ。」「トランプ大統領、2年前に韓国で米民間人疎開令を考えていた」 中央日報 つまり、一昨年には、米朝は“第2次朝鮮戦争”になる一歩手前まで行っていたというのです。しかし、その後、平昌オリンピックによって危機を救われ、4月の《板門店南北会談》、6月の《シンガポール米朝会談》‥‥と続くわけです。 ちなみに、平昌オリンピックのさいに訪韓した安倍首相が、文大統領に、米韓軍事演習の再開――北朝鮮への軍事的威嚇――を強く求めたけれども、文大統領は、「内政干渉だ!」 と言って、これを一蹴したのも、記憶に新たなことです。 こうしてみると、韓国の文政権が果たしている “平和維持の役割” は、非常に大きいことがわかります。文政権がなければ―――朴槿恵政権だったら―――昨年以来の緊張緩和は無かったでしょうし、もっと危機的状況に陥っていたかもしれません。 日米が韓国を軽視しているのは、大きなまちがえですね。やがて、報いを受けるでしょう‥w よかったらギトンのブログへ⇒:ギトンのあ~いえばこーゆー記 こちらは自撮り写真帖⇒:ギトンの Galerie de Tableau