内藤チャンピオンの秋晴れ | 大鶴義丹 不思議の毎日

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フジテレビの収録で、お台場にお昼から来ています。最高の天気ですね~。
 
 写真は10月からオープンした、フジテレビの新しいスタジオです。何から何まで、全てが新品なので気持ちがよいです。

 話は昨夜のボクシングの世界戦ですが、私はボクシング好きでも、
どちらの熱烈なファンでもないのですが・・・・・今回の世界戦は、なかなか不思議な現象が起きていたことに注目していました。
 それは、ねじれた世代間闘争のような雰囲気になっていたからです。
『非常識な若造 VS 常識人の代表』
 試合を観戦していた大人たちのほとんどが無意識に、ただのボクシングの世界戦ではなく、別の感情から成り立っている「代理戦争」の図式で見ていたと思います。
 
 亀田大毅・選手陣営の『過剰演出』に、大抵の大人たちは、ちまたに溢れかえる非常識な若者たちの存在をシンボリックに感じていたのでしょう。あんな若者がいるから日本はダメなんだ…! くらいに思っていた方も少なくないはずです。
 だから、今回は内藤大助・選手のファンでもなかった方々までもが、内藤贔屓になった感がありました。
 
 また、反対に、若者たちが亀田贔屓にまわったかというと、決してそういうことではなかったようです。
 これは私見ですが、亀田陣営の『過剰演出』というのは、「大人たち」がプロデュースしているものであり、十代の若者のセンスには染み込まなかった…ということです。世代的な後押しさえ失っていたのです。

 
 本来、亀田大毅・選手は時代を切り開く、新世代の旗手となるはずなのですが…現実の若者たちの世間に対するセンスというのは、決してああいうものではないのです。

 例えば若い世代に確実に浸透している、「ヒップホップ」という世界観を例に挙げると、あれは意外と礼節的に古風な部分が多く、「ビックマウス的」なものとはかなり違います。

「若いこと、イコール、傍若無人」

 そんな図式を見せられても、若い世代はどこかチグハグにレトロなものを感じてしまい、感情移入できなかったのではないでしょうか… 
 
 しかし内藤チャンピオンには大きく風が吹きました。地味なイメージは、一夜明けたら、国民的な愛らしさに変化していました。
 相手が罵詈雑言や反則を繰り返したことに冷静に対処したことも、日本人が好きなヒーロー像の典型で、大きく追い風となりました。
 
また、『いじめられっ子が努力で自分を取り戻した』というイメージも、まさに時代が求めていたヒーロー像そのものです。
 つまり、試合内容以上に、内藤チャンピオンは大きな『時代的なもの』を得たのです。

 これは、内藤選手を単に「地味な・・・」としかカテゴライズしていなかった、亀田一家をプロデュースしていた側としても、かなり計算外だったのではないでしょうか。
 
 あらためマスメディアに吹く季節風の気まぐれさを痛感した限りです。
 反対に、亀田一家への生理的な揺れ返しは大きいはずです。
 こういうときの日本人はとても怖いです。

 Yahoo!の意識調査http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/research/ などをみると、今回の世界戦が象徴していたものが良く理解できます。

 あんなまでに極端な調査結果を見たのは初めてです。私も多少なり・・・テレビで御批判された経験がある故に・・・・想像するだけで怖くなりました。 

 極端すぎるモノは、絶対に負のモノを含んでいるので、「我ら大人」は意識的に気を付けましょう。今回の事象は、選手に対して個人攻撃をしても始まらないということが大事だと思っています。

 反対に、優れた才能と肉体が、商業主義の犠牲になっていると見るべきかも・・・・・・・・

 何かのきっかけで、『いじめっ子』がひどい村八分にされるのは、日本の村社会にはよくある現象です。

 

 ですが、たまにサングラスの奥に垣間見えるつぶらな瞳を見ていると、あの「ビックマウス的」なものが、本人たちの内部分泌と思えないことがあります。

 センスの悪い「大人たち」がミスリードしていると感じるのは、私だけでしょうか。。。。。。。。。。。。